未来部への短編小説「アレクサンドロスの決断」2024年7月5日
- 「青春の人々」に全てを託す
池田先生が高校生に贈った小説『アレクサンドロスの決断』。連載が開始されたのは、1986年(昭和61年)7月9日付の高校新報(当時)紙上である。小説の「はじめに」で、先生は「友情とか、幸福とか、自分の進路などについてさまざまに悩むのが高校時代である」「そのための何らかの指標を、この小説からくみとってもらえるなら、との願いをペンに込めたつもりである」と記した。ここでは、『アレクサンドロスの決断』をはじめ、未来部員に向けて執筆した小説を巡る、先生の思いを確認する。
深い哲学と信念を
「人間というものは何故、大自然のように、もっと雄大に、大らかに生きられないものか――」
小説『アレクサンドロスの決断』の冒頭の一節である。
古代マケドニア朝のアレクサンドロス(アレキサンダー)と、彼の侍医であり親友であるフィリッポスを題材に、二人の心の絆が描かれた。
子どもたちに向けた池田先生の小説、童話の執筆構想が発表されたのは、1986年(昭和61年)5月26日のこと。高校生、中学生、小学校高学年、小学校低学年向けの、合計4編である。
連載開始に当たって、先生はこのような談話を寄せている。
「未来に生き、未来を創り、未来を仕上げていくのは、青年そして少年少女たちである。その青春の人々に、私は諸手を挙げて、全てを託し、期待する以外にない」
「何をもって彼らに応えるか、また何を与えうるかを、私はこの半年間、真剣に思索してきた」
「私にとって、どこまで少年たちの心や『青春の心』をつかめるかは、大変な難題であり、苦労したところである」
この年、学会は年間テーマを「人材育成の年」と掲げ、創立60周年の90年(平成2年)を見据え、青年部・未来部の育成に力を注いでいた。
一方、社会では、いじめを苦に中学生が自ら命を絶つ痛ましい事件がメディアで大きく報道され、社会問題となっていた。子どもたちを取り巻く環境が複雑化し、深刻さを増す中で、執筆は開始されたのである。
『アレクサンドロスの決断』が連載中の86年10月、先生は小説を通して伝えたい思いを語っている。
「人間としての骨格づくりが必要である。知識は当然のことながら、人間としての深い哲学と信念をもった人格をどう築いていくかという観点を忘れてはならない」
1992年6月、エジプト・アレクサンドリアを訪れた池田先生は、地中海を照らす灯台をカメラに収めた。アレクサンドロスの名を冠したこの街は、芸術・文化・教育の中心地とするために建設された
友愛とは信ずる力
アレクサンドロスは22歳の時、連合軍を率いて東方への遠征を開始し、大帝国を築いた。また、東西文化の融合を図り、ヘレニズム文化の基礎をつくったことで知られている。
池田先生は青春時代、古代ギリシャやローマの偉人たちの生涯を描いた伝記『プルターク英雄伝』を愛読した。同書は、恩師・戸田先生の座右の書でもあった。
ある時、戸田先生は「今日は何を読んだか?」と尋ねた。池田先生が「古代ギリシャの作家プルタークを読んでいます」と答えると、「その中の記憶している言葉は何か?」と質問した。池田先生は一文を伝えた。恩師は「だいたい、いいだろう」とうなずいた。
『プルターク英雄伝』は、師弟が語らった一書であった。
池田先生には、同書に描かれたアレクサンドロスの生涯が印象深く残った。『アレクサンドロスの決断』は、『プルターク英雄伝』につづられた一つのエピソードを参考にして執筆された。
東方への遠征の途中、アレクサンドロスは病に侵され、生死をさまよう。その時、少年時代からの親友で、侍医のフィリッポスが薬を届ける。一方、アレクサンドロスの手には臣下からの密書が握られていた。そこには、フィリッポスが敵方に通じているとの報告が記されていた。
フィリッポスが調合したのは薬か、毒か――。
煩悶するアレクサンドロスの脳裏に浮かんだのは、師・アリストテレスとの少年の頃の対話だった。
「友愛とは、信頼される以上に相手を信ずることにある。そう、その信ずる力……君達よ、それを魂の奥に彫り刻んでおきたまえ」
「信ずるということは善であり、友愛を裏うち支える、またとなき力なのだ」
「良き友愛には打算はない。金や物で測れるものではないのだ。そして、互いを高め合う。自分の良き点を引き出してくれ、互いをより幸福にしようと努め、そのこと自体を喜びとする。だから、友とはもう一人の自分なのだ」
アレクサンドロスは、友を疑った自分を悔い、薬を服用した。やがて、体調は回復し、さらなる遠征の旅路へと晴れやかに出発する。
小説のタイトルである「アレクサンドロスの決断」とは、「友を信ずる決断」であった。
先生はつづっている。
「アレクサンドロスの病室でのエピソードは、(『プルターク英雄伝』の)文庫本で二十行前後の短章にすぎなかったが、若い私の心には鮮烈な響鳴がいつまでも消えなかった」
86年7月から始まった『アレクサンドロスの決断』は、87年(昭和62年)3月、17回の連載をもって完結した。小説は、全国の高校生に大きな反響を呼んだ。
「アリストテレスの講話のなかに、池田先生が私たち高等部員に訴えたいことが全部、凝縮されているように感じました」
「(作中の)アレクサンドロスこそ、高等部員の姿であり、私達一人一人が現代のアレクサンドロスでなければならないのです」
1962年2月5日、アレクサンドロスゆかりの地ギリシャ・アテネにある港を視察する池田先生
1962年2月10日、池田先生は、かつてアレクサンドロスが遠征の果てに至ったパキスタンを訪問。翌11日、恩師・戸田先生の誕生日を同地で迎えた
“いかに生きるか”
運・不運は、相対的なものだ。本当の幸福とは、絶対的なものでなくてはならない。
(「アレクサンドロスの決断」から)
1987年7月、『アレクサンドロスの決断』は単行本として発刊された。同書には、先生が中学生に向けて執筆した「ヒロシマへの旅」なども収録された。
翌88年(同63年)11月から、先生は高校新報で「革命の若き空」を、中学生文化新聞(当時)で「フィールドにそよぐ風」の連載を開始。中高生へエールを送るため、ペンを走らせ続けた。
『アレクサンドロスの決断』は93年(平成5年)に韓国語版、2008年(同20年)にイタリア語版が発刊された。
03年(同15年)、「アレクサンドロスの決断」のアニメ・ビデオ版が「文部科学省選定」作品に認定された。若い世代への情操教育に有益な作品であると公的に認められたのである。
16年(同28年)には、動画サイト「YouTube」に開設された、先生原作の創作童話アニメの外国語版を紹介する公式チャンネル「Daisaku Ikeda Children’s Stories」でも紹介されるようになった。
池田先生は『アレクサンドロスの決断』で、「高き徳という点で相似た人々の間にこそ、真の友愛は結ばれる」とつづった。
その「徳」について、「自身との戦いなしには、徳もあり得ない」と指摘し、こう記した。
「良きことを成すには苦しみが伴う。悪しきことには快楽が伴うものだ。しかし、苦しみと楽しみとの本当の意味を取り違えてはならない。苦しみの中にこそ本当の楽しみがあることは多いのだ」
こうした「徳」や、「幸福」「信念」「正義」「平和」など、古今東西の人類の共通にして普遍のテーマを、先生は中高生に分かりやすく、明快に示した。
『アレクサンドロスの決断』をはじめ、先生が中高生のために筆を執った小説は、多くの友が青春時代、人生を思索する糧となった。また、自分の子どもや未来部の友と、“いかに生きるか”を語り合う一書となった。
池田先生の作品は、世代から世代へ、時を超えて読み継がれ、未来の宝に、勇気と希望を送り続けるに違いない。