脚本 大石静
演出 中島由貴、佐々木善春他
音楽 冬野ユミ
レビュー一覧
キャスト
感想
定子に溺れて政務をおろそかにした帝のせいで(かどうかは定かでないが)災いが頻発する。
晴明の助言もあり、我が娘 彰子を入内させる道長。この彰子の覇気のなさがハンパない。演技にしても大したものダ・・・
宣孝の無神経さに、火鉢の灰をぶつけたまひろは痛快だった。
石山寺で思いがけず道長と邂逅したまひろは、一夜を共にする。
そうして懐妊したまひろの全てを飲み込んだ宣孝(男前!)
道長が進めた「一帝二后」も史実の話。全く「小説より奇なり」
そして宣孝の突然の死。
「源氏物語」に繋がる「かささぎ語り」の執筆を始めるまひろ。
ようやく登場人物と名前が定着してきて、ストーリーの追跡が楽になって来た。
視聴率は「どうする家康」並みで頑張っている。
「美術展ナビ」による解説
26話 27話 28話 29話 30話
ダイジェスト(各話2分)
26話 27話 28話 29話 30話
あらすじ
第26話「いけにえの姫」6/30
長徳四(998)年十月一日。日食と地震が同時に起きる。
宣孝の財力のおかげて屋敷の修繕がすぐ手配される。
非常時に頓着なく、まひろに土産の鏡を持って来た宣孝。
晴明から占いの報告を聞く帝。「朕のせいなのか・・・」
災害による死者数は百名を超えている。忙殺される道長。
帝の心を正しき所に、と言う清明は、よきものとは左大臣様の一の姫 章子様にございますと言った。入内により事態は好転する。朝廷を背負って立つとまで言われるが、子供だと拒む道長。
詮子はそれを聞いて「身を切れ」と言った。今まで幸運が重なって地位を手に入れて来た。遂に血を流す時が来た・・・
土御門邸に戻り、その事を倫子に話す道長。反対する倫子。
これは生贄だと言う道長に「私を殺してからにして下さいませ」
倫子に穆子が「先のことは分かりませんよ」と賛成する。
次の元号を実資と相談する道長。「長保がよろしいかと」
また章子の入内に大いに賛成した。
入内の件を章子に伝える道長だが「仰せのままに」と言うだけ。
体調を崩した帝は看病する行成に、譲位して定子と静かに暮らしたい、と弱音を吐く。在位のまま政務を、と言う行成。
皇子が生まれなければ敦明親王が次の東宮となり、円融院様の血筋が絶えると伝える。譲位を思い留まる帝。
だがこの説得は、道長の命令によるものだった。
年号が長保となった正月。帝が定子を密かに内裏に引き入れ、その結果懐妊した事を晴明が道長に報告する。出生は十一月頃。
その同じ月に章子を入内させると決めた道長。
懐妊を聞き、その子を呪詛して下さいと頼む倫子(得意でしょ)
そんな事をせずとも章子が清める。「生贄として?」「そうだ」
入内を帝に申し出る道長。
「そなたの働きにおいて入内を許す」と帝。
長保元(999)年二月九日。入内に先駆け章子の裳着(もぎ:女性の成人式)の儀が行われた。
まひろに通い続ける宣孝は、まひろから貰った文を人に見せていると話した。学に優れた妻を誇りたい気持ち。
二人だけの秘密なのにと怒ったまひろは、全て返してと言った。
そうでないと別れる!という勢い。閉口して帰る宣孝。
顔を出した弟 惟規が、宣孝が清水の市で若い娘に反物を買っていたと話した。一方別れる、別れないの文を交わす夫婦。
反物を持って来た宣孝に、若い女子に買ったついでに?と憎まれ口を言うまひろ。とりなしても態度を変えない。
そういう可愛げのないところに、左大臣様も嫌気がさしたのではないか、と言う宣孝に火鉢の灰をぶつけて走り去るまひろ。
これ以後、宣孝の足は遠のいた。
いとが、殿方には逃げ場を作ってやらないと、と忠告。
まひろが、家の者皆で石山寺に行こうと誘い、出発する。
その晩、一人寺の廊下で読経をしているまひろ。
扉を開けて入って来たのは道長だった。
第27話「宿縁の命」 7/14
庭に出て語り合う二人。「お痩せになりましたわね」
まひろに試されていると言う道長。仕事の大変さが分かった・・
しばし話したのちに別れる二人。「お健やかに」「お前もな」
石段を上りかけた道長だが、振り向いた。見つめ合う二人。
そして互いに駆け寄り抱き合う。重ねる唇。
そして道長とまひろは一夜を共にした。
三月。定子の懐妊が明らかとなり、喜ぶ帝。
全てうまく行くから、安心してよい子を産めと言う帝。
「晴明の予言は正しかった」と道長。産まれるは御子か。
その事を知った倫子は、彰子に艶と明るさが欲しいと赤染衛門に頼む(入内しても目立たなければ・・・)
上目遣いから教えるが、要領を得ない。
「閨房の心得より、まずは声」と倫子。
宣孝が久しぶりにまひろを訪ねる。大きな役を得たのを左大臣様のおかげだと感謝した。土産の墨と紅を素直に喜ぶまひろ。
新緑の季節。気持ちが悪いと、いとに訴えるまひろ。月のものも来ていない。いつから?と聞いた後いとは懐妊だと言った。
授かったのは二月。思い当たるまひろ。
殿の足が遠のいてからの懐妊。
黙ったまま、行けるところまで行きましょうと言ういと。
だが、宣孝が来た時に懐妊を告げてしまうまひろ。
素直に喜び「良い子を産めよ」と宣孝。
その夜眠れないまひろは、宣孝が起きた時「お別れしたい」と言い出した。「この子は私一人で育てます・・・」
誰の子でも儂の子だと言う宣孝。「一緒に育てよう」
儂の心は揺るがない。お前を失うよりはいい・・・
九月。彰子の入内のための調度類を揃える道長。屏風に公卿たちが書いた歌を貼ることを思いつき、皆に頼んだ。
廻って来た依頼を断る実資。左大臣様は公私混同しておられる。
この屏風は道長の政にも大きな意味を持つこととなった。
花山院までもが歌を献じたのを知って、やや後悔の実資。
十一月一日、彰子が入内した。
その六日後、定子が御子を産んだ。それを知り喜ぶ帝。
定子を訪ねる伊周と隆家。皇子が東宮になれば我らの世が来ると言う伊周に、それは帝の退位を意味し、姉の力が弱まると話す。
詮子が帝に皇子誕生の祝いを述べた。だが御子は自分の様には育てたくないと言う帝。自分は母の操り人形だったと言い放つ帝。左大臣の娘を女御にしたのもそう・・
彰子の、女御宣下が行われ、対面する帝。会話が続かない。
定子の出産で、我が運も傾きかけておると晴明に言う道長。
彰子様を中宮になさいませ、と石を使い説明する晴明。
太皇太后昌子様がお隠れになったため、皇后遵子様を皇太后とすれば、皇后の座は空く。そこに定子様を置けば中宮の座は空く。
そして彰子様が中宮になれば皆が平伏す・・・
「一帝二后」は彰子様の力をより強め、道長様の体も良くなると言う晴明。
その年の瀬、まひろは姫を産んだ。
第28話「一帝二后」 7/21
乳飲み子の世話は乳母のあさの仕事だが、自分でもやろうとするまひろ。惟規が宣孝様に似ている、と言うのに微妙なまひろ。
道長から、彰子を中宮にする話を聞く詮子は、自身の円融天皇との関係からそれも良い、と帝に手紙を書くことを承諾した。
行成から文を受け取った帝は、后二人は受け入れられぬと反発。
その事をハッキリ道長に言えない行成は話を進める命を受ける。
それでも道長に気を遣い、彰子の下に渡って来た帝は笛を聞かせる。だが目を合わせない彰子。なぜ朕を見ないのだ、との問いに
「笛は聴くもの、見るものではございませぬ」
更に左大臣の言う、彰子を中宮にとの話をして、そなたはどうなのだと訊くが、何を訊いても「仰せのままに・・」
母の言いなりに育った自分を見ているようだと行成に話し、彰子を后にする話を考えてみると言う帝。
それを聞いた道長だが、突然倒れる。
年が明けた長保二(1000)年。晴明は既に儀式の日を二月二十五日と決めていたが、まだ詔が出ておらず日記の記述を消す道長。
決心が定まらない帝に、意を決して苦言する行成。
本来皇后が祭祀の神事を務める筈が、定子の出家以来行われず、それが天変地異の要因・・・ようやく決心する帝。
前代未聞の「一帝二后」だが、実資でさえ反対しなかった。
二月。年末から仕事で不在だった宣孝が戻って来た。まひろに子の名を請われ、既に決めていた「賢子(かたこ)」と名付けた。
道長の下へ奉幣史の務めを終えて戻った報告をする宣孝は、ついでに娘が生まれたことを報告。
立后のためにいったん土御門邸に戻った彰子。その隙をつく様に定子と子らを内裏に招き入れた帝。定子は三人目を身籠る。
二月二十五日。彰子の「立后の儀」が執り行われた。
その後高松殿の明子を訪れた道長だが、胸を押さえて倒れる。
急を知り駆け付けた倫子。薬師の話では心の臓に乱れがある、と話す明子。連れ帰る事も出来ず、明子に看病を頼む倫子。
道長危篤の報はまたたく間に広がり、まひろもその事を宣孝から聞く。「逝かないで」と祈りを込めるまひろ。
亡き父 兼家、兄の道隆、道兼に誘われ行きかける道長だが、まひろの「いかないで」の言葉を聞く。
目覚めた道長。そこにいたのは明子。
何とか回復して土御門邸に帰った道長。
つわりで苦しむ定子に麦菓子を献上するききょう。
菓子の懐紙を切って歌を書く定子。
「みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば君ぞ知りける」
その年の暮れ。定子は姫を出産した後、世を去った。
枕元で泣く伊周に、定子が残した歌を見せるききょう。
「よもすがら ちぎりしことを 忘れずば恋ひなむ涙の 色ぞゆかしき」
「何もかもあいつのせいだ!」と怒る伊周。
「左大臣が大事にしているものを、ことごとく奪ってやる!」
第29話「母として」 7/28
長保三(1001)年正月、清涼殿で帝の無病息災を願う「御薬の儀」が行われ、屠蘇を飲む一条天皇。帝が飲み切れなかった薬を飲む役目を仰せつかった宣孝。まひろの許へ行き、三歳になった賢子を前に、帝の憔悴と道長の回復を伝える宣孝。
内裏では国府の評価が行われ、越前を治める為時は、業務は真面目なれど宋人の帰国が果たせていないとの評価。
ききょうがまひろを訪ねて来る。定子の遺児脩子(ながこ)、媄子(よしこ)の世話をしながら、定子の回想を書いていたという。
元々それを勧めたまひろに見せに来た。
定子の影の部分も書いてみては、と言うまひろに対し、華やかな部分だけを残したいと言うききょうは、皇后の命を奪った左大臣にも一矢報いたいと続けた。彼を「恐ろしい人」だと言った。
除目で次の任官が果たせなかった為時の事を、儂が面倒を見ると言ってくれた宣孝。三人で月を眺める。
翌朝、国主を務める山城へ向かった宣孝。
五月。宣孝の北の方の使者が訪れ、宣孝の急死を告げる。
四月二十五日に亡くなり、弔いも済ませたという。
呆然のまひろ。
道長もその事を知り、まひろに思いを馳せた。
賢子の乳母が逃げ出す現場を訪れた百舌彦。道長の使い。
為時に、長い越前での役目を慰労すると共に、無官となった為時のため、道長の嫡男 田鶴に対する漢籍の指南役を頼みに来た。
この申し入れを断る為時。亡き関白 兼家に雇われた時、間者の役目を途中で降りた過去を恥じていた。呆れて帰る百舌彦。
まひろの気持ちを考えると、道長の本妻の息子への指南はできないと為時が言うが、生計のため申し出を受ける様言うまひろ。
一方、毎日彰子のいる藤壺を訪れる倫子に、帝が行き辛いだろうと意見する道長。帝が過ごし易い様腐心していると返す倫子。
体調を崩している詮子は道長に、定子の子である敦康親王を人質として彰子に養育させよと言った。それはかつて父兼家が懐仁(現一条天皇)を東三条殿へ人質に取ったのと同じこと。
初めは拒むが、既に父を超えていると言われる道長。
それを帝に進言し受け入れられた道長。
嫡男の松に厳しく舞いの稽古をつける伊周に隆家が、官職を得るまではおとなしくと諭す。元はといえば、と怒る伊周。
そこにききょうが訪ねて来る。あの「枕草子」の原稿。皇后様の素晴らしさを宮中に広めて下さい、との願いを快諾する伊周。
十月九日。詮子の四十歳の祝い「四十の賀」が執り行われる。
息子 一条天皇による祝いの言葉。礼を返す詮子。
その一方で、伊周が道長を呪詛していた。
続いて倫子の子 田鶴と源明子の子 巌が舞を披露する。帝は舞を褒めて巌に、従五位下の位を授けた(貴族の扱い)
与えられなかった田鶴が他も憚らず泣き出す。制する道長。
その直後倒れる詮子。帝が駆け寄るが、病の者に触れてはなりませぬと制する詮子。床に臥した詮子は薬を拒否。伊周の位を元に戻し、怨念を収めて欲しいと道長に訴えて死んだ詮子。
位を戻された伊周が帝に挨拶する。その折りに清少納言が記した本を献上した。「枕草子」はのちに道長を脅かすことになる。
賢子が「竹取物語」は読んでとせがむのを見て、自分も何か物語を書いてみようと思い立つまひろ。
第30話「つながる言の葉」 8/4
寛弘元(1004)年。まひろが宣孝を亡くして三年。干ばつが襲う。
家の井戸も枯れた。二百年ぶりという帝の雨乞いも効果なし。
引退した晴明に雨乞いを頼む道長。体がもたないと言う晴明は、何を下さいますかと問うた。「私の寿命を十年やろう」
祈祷を始める晴明。それは夜を徹して行われ、倒れる晴明。
その後待望の雨が降り始め、まひろ始め都が湧きたつ。
為時は、六歳になった孫の賢子と遊ぶばかり。勉強を頼みますと言って四条宮に向かったまひろ。
公任の妻 敏子が開く勉強会で和歌を教えるまひろ。
その場に遅刻してやって来たのは、透ける衣で色香を振りまくあかね(後の和泉式部)
評判になっている「枕草子」を持参したが面白くないと言う。
「先生の「カササギ語り」の「方が面白いと言う敏子。
カササギが人の世界のことを語る趣向の読み物。
清涼殿で、定子の事を書いた枕草子を手にする帝と話す伊周。
阿る伊周を冷ややかに見る弟の隆家。
それをを道長に話す隆家は、帝に前を向いてもらいたいと言う。
だがそんな隆家のこともあまり信用しない方がいいと言う行成。
それを注意する道長だが、伊周は裏で道長を呪詛していた。
彰子は十七歳となった。帝が亡き定子の子 敦康親王に会いに来るが、彰子との会話はない。深まらない仲に気を揉む倫子。
道長と倫子の長男 頼通の勉学指導をする為時。そんな様子に喜ぶ道長に倫子が「お願いがございます」と申し出た。
行成の書を献上するため、帝に謁見した倫子は、中宮にお声を掛けて頂きたいと直訴。幼い娘を帝に捧げた母の願い・・・
彰子が自分を見ないのだと言う帝に、中宮の目の向く方へとお入り下さい、とまでいう倫子は「命をかけたお願いにございます」
命をかけずともよい、と話を了承した帝。
後で倫子を叱る道長に「待っているだけよりもいいわ」
種々の悩みを晴明に相談する道長。今は闇だが、そこを乗り切れば光は煌々と照らすと言う晴明は言った「今心に浮かんでいる人に会いに行きなされ。それがあなたを照らす光・・・」
公任、斉信、行成を土御門邸に呼んだ道長は、帝の目を彰子に向けさせるための相談をした。公任が、妻の開いている和歌の会で面白いものを書くのが為時の娘だと話した。
「かささぎ語り」の執筆に夢中のまひろは、賢子の相手もおろそかになった。ある夜、墨をする水を汲みに外へ出たまひろ。
その間に賢子が書きかけの紙にろうそくの火をつけ、更に書き溜めた原稿に落として逃げた。その後ろ姿を見るまひろ。
危いところで皆が水を撒いて火事にはならなかったが、賢子を厳しく叱るまひろ。とうとう謝まらされる賢子。
翌日為時は賢子を連れ、賀茂神社へ参拝に出かけた。いとときぬも同行。存分に書ける環境だが、却って心が乱れて書けない。
気分を変えるために庭に出たまひろの前に、姿を変えた道長が。
31回目は「月の下で」