こんにちは。

今回は「心が鈍い者は滅びる」と題して書き進めてまいります。拙記事ですが、他人事と思わず最後まで読んでいただけましたら幸甚です。それと手前はミカエル氏の主宰されている「神のイスラエル教会」には進めていない半端者で、聖書の解釈において、間違いがあるかも知れません。もし、気になる記述等がありましたら、遠慮なくご指摘ください。また、聖書研究の励みになりますので、当記事に関するご意見・ご感想も投稿していただけましたら嬉しいです。

 

  世の中の動向と悪臭について

 

太陽暦の二千二十四年七月二十六日に仏蘭西にて巴里五輪が開幕し、その開会式ではレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」の情景をLGBTの人たちで再現した演出や、黙示録六章八節の「青白い馬」、首を斬られたマリー・アントワネットを題材としたおぞましい演出が披露され、Xでは「平和の祭典ではなくサタニストの祭典だ。」「キリスト教に対する冒涜だ。」などといった投稿が多数寄せられておりました。また、下水が垂れ流されているセーヌ川で開催されたトライアスロンに於いては、参加した選手たちが嘔吐する様子が報じられておりました。これは三年前に開催された東京五輪でも見られた光景で、排泄物が混ざった水の中を泳いだらそうなる事は誰でも容易に想像できますね。女子拳闘(ボクシング)には自称女の男が登場し、対戦相手の女は試合の途中で棄権。国際五輪委員会(IOC)に対し、世間からは「あり得ない。」「狂っている。」といった声があがっております。その他にも柔道における明らかな誤審など挙げ出したら枚挙にいとまがない状況ですが、五輪自体が悪魔崇拝、反キリストの祭典である事実に聖書の知識をお持ちの方ならお気付きかと思います。

 

コヘレトの言葉 九章十一節(参照)
太陽の下、我は再び見た。
足の速い者が競走に、力強い者が戦いに勝つのでもなく
賢い者がパンを得るのでもなく
聡明な者が富を得るのでもなく
理解ある者が好意をもたれるのでもないが
時と機会は誰にも臨む。

 

旧約聖書「コヘレトの言葉」は、ダビデ王の子で栄華を極めたソロモン王の言葉がまとめられた書物です。ソロモンは晩年に異国の女たちに誑かされて主の道を踏み外し、主の怒りを買った結果、イスラエル王国は南北に分裂することになりました。上記聖句が示している通り、旧約時代から多数派の人々は、何かを競い合ったり、競わせる事を娯楽としたり、自分のためにパン(食物)を得ることや、富を集めること時間を費やし、神の律法、掟、戒めを守ることを蔑ろにしていたのだろうと窺い知ることができます。それは現代でも同じで、大衆は真理の書である聖書に目を向けず、五輪という世界規模の悪魔崇拝者の祭典にうつつを抜かして夢中になっております。その裏側で、こちらの記事(日本経済新聞)にある通り、日本政府は改憲の準備を着々と進めています。当ブログでも何度もお伝えしている通り、支配層の人々は監視管理の対象とする世界の人口を五億人程度まで削減するために、生物兵器mRNAワクチン、気象操作兵器HAARP(高周波活性オーロラ調査プログラム)、有害物質を航空機からばら撒くケムトレイル、5Gや6Gといった大量殺戮電磁波兵器、などの手段を用いています。

 

この秋からは世界に先駆けて、自己増殖型のレプリコンワクチンの接種が日本で開始され(参考記事はこちらこちら:note)、劇薬ワクチンによる死者数は急増しこの世はより地獄のような様相を呈することとなるのでしょう。

 

(⬇️レプリコンワクチンは三発目の原爆とも言われています。)

 

個人的には、自分の周囲の方にはレプリコンの危険性を印刷した紙を見せて説明しようとしてますが、既にワクチンを複数回接種している人が多数派であり、彼らは通院することを常としているため、伝播による院内感染者が益々多くなるのだろうと想像しています。三ヶ月ほど前には、近所に住む高齢者が運転する車を自損事故で廃車としてしまったため、それ以降彼と彼の母親のために通院や買い物に連れて行くことになったのですが、彼からはかなり強烈なワクチン臭と体臭が発せられているため、正直言って結構苦痛です。家族が全員接種済みの家庭では、ワクチン接種前後で体から発せられる体臭に変化があったか否かに鈍感で、未接種者がどんな気持ちでいるのか想像も出来ないのでしょうね。人が病気になると、体臭や口臭に変化が起こることをまとめた記事がありましたので、それを引用いたします。

 体臭や口臭から病気を判断することを「嗅診(きゆうしん)」と呼び、昔から存在するれっきとした診断方法の1つだ。嗅覚研究所代表の外﨑肇一(とのさきけいいち)さんが解説する。

「嗅診は紀元前4世紀頃からあったとされていて、今のような検査機器がなかった時代は重要な診断方法でした。日本でも明治初頭くらいまで行われていました」

 身分の高い相手には医師でも直接触れることが許されず、手首に糸を巻いて「糸電話」のように脈拍を測っていたとされる時代、医学者たちは病気とにおいの関係に関心を集めていたという。

糖尿病…甘いにおい
痛風…古くなったビールのにおい
歯周病…生ゴミのにおい、ネズミのにおい
胃腸の病気…腐った卵のにおい、アンモニア臭
消化器系の障害…酸っぱいにおい
肺機能の障害…腐った肉のにおい
心臓機能の障害…焦げ臭いにおい
肝機能の障害…ドブのにおい
腎機能の障害…おしっこのにおい
自律神経失調症…炊きたてのご飯のにおい
はしか…獣臭い鳥の羽のにおい
メープルシロップ尿症…メープルシロップのような甘いにおい
腸チフス…焼きたてのパンのにおい
ジフテリア…ひどく甘ったるいにおい
ペスト…腐ったりんごのにおい
フェニルケトン尿症…カビのにおい
高メチオニン血症…ゆでたキャベツのにおい
緊張型統合失調症…枯れた草のにおい

(引用元:体臭でわかる危険な病気|「大便臭」はがん、「炊きたてのご飯」は自律神経失調症の赤信号、介護セブン)

 

ここには、自律神経失調症や緊張型統合失調症の患者からも臭いがするとありますが、それは処方される薬によってもたらされるものなのではないかと思います。手前は信仰生活に入る以前から比較的、臭いに敏感な質でしたが、世捨て人となり地方に移住してからは、それまで時々蓄膿気味になっていた体質も改善されて以前に増して嗅覚が敏感になりました。おそらくそれまで住んでいた都市圏では、ケムトレイルの被害を知らないうちに被っていたのだと思います。また、都市圏では人と人との距離が狭く、通勤電車では赤の他人と密着することを強いられ、他人の体臭や、女性の化粧の臭い、男女問わず、香水や柔軟剤の匂いが気になり、鼻を覆いたくなる場面が毎日のようにありました。会社勤めをしていた頃を思い返してみると、毎日コンビニの弁当やカップラーメンを昼食としていた同僚の体臭が臭かったことを思い出します。鼻も危険を感知する重要な役割のある器官だと思います。

  心の鈍さは致命的

この世の多数派の人間は不信仰で、地獄に片足突っ込んでるような者のくせに、その罪深さや惨めさや鈍感さを認めようともせず、神の律法を守らず、悔い改めず、神を否定したり信じず、嘘つきの犯罪者だらけの世の権威を信じて騙されてるのを認識せず、自分が正しいと根拠も無く思い込むという傲岸不遜で、神の教えが収録されてる聖書を無視したり軽視し、主イエスと真のキリスト者を軽蔑または中傷等もする。

(引用元:真の聖書福音と預言|デカポリスでの悪霊追い出し

 

ミカエル氏が指摘されている通り、現代人の多数派は、聖書を読まない、不信仰な人々で、神を畏怖せず、嘘つきだらけの世の権威を盲信し、隣人愛の欠如した傲岸不遜な人たちだらけとなっております。先日には二人の子を持つワクチン接種済みの女性と話をして「最近では政府がこおろぎや昆虫食を推進してますね。」と、話を振ったら、「私も食べました。海老みたいに香ばしくて結構美味しかったですよ。」と言われて唖然としました。一方こちら(X)では、天然の状態ではなく、ゴムのように変形する西瓜やバナナ、アボカドといった食品が亜米利加の量販店で販売されているとの投稿がありました。ミカエル氏は以前から常に「食の安全にも気を付けなはれ。」と我々読者に対し警鐘を鳴らし続けておられます。手前もこのご助言に従い、信仰生活に入ってからは基本的に、地元の野菜直売店で食料品を購入し、加工食品はほとんど購入しないようになりました。食品量販店で売られている加工食品のラベルを見ると、人工甘味料、増粘剤、アミノ酸、着色料、保存料、化学調味料・・・その他にも明らかに不自然で健康を害するものが羅列されているのに、大衆はほとんど気にしていないのでしょうね。こちら(X)では、某ラーメン屋にて口にした豚肉から、ワクチン臭がしたとの投稿があります。投稿者はワクチン未接種なので、まともな味覚を持っているようですが、ワクチンを接種した八割五分の日本人は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、痛覚、触覚そして霊的、精神的にも鈍感であり、本来の人間らしさが欠如した、脳の機能が腐敗しつつある、ゾンビ人間となっているのが現状です。

 

上記画像の左上に示した通り、支配層の傀儡たる日本政府は、すべての国民に生物兵器ワクチンを接種させてゾンビにし、人口削減および新世界秩序の樹立に向けて活動しています。実際、ワクチン接種者にワクチンの薬害について話しかけてみても、彼らとまともな会話が成立することは少なく、「マスクも有害無益だから外した方が良いですよ。」と伝えても、「いえ、大丈夫です。」などといった反応が返ってくることは少なくありません。「心の鈍さ」について述べられたミカエル氏の記事を再び引用させていただきます。

新約聖書 マタイによる福音書 十三章十四節〜十五節(拙訳)
そして、イザヤの預言が彼らに実現された。それ曰く、「聞くことで聞くだろうが、決して理解せえへん。見るには見るだろうが、決して認めへん。この民の心は愚かにされ、耳には鈍く聞き、彼らの目を閉じた。彼らは目で見ず、耳で聞かず、心で理解せず、悔い改めへん。そして、我は彼らを癒して完全にせえへん。」

当該聖句の前の文脈から、神に選ばれへん自称キリスト者どもは主イエスの教えを理解でけへんのやから、例えを用いて話し、天の国の神秘を知ることが許されてへん(マタイ十三章十一節参照)と明言しはった。要するに、神に選ばれへん滅ぶべき者は、主イエスの福音や教義を理解でけへんようにされとるということや。主イエスがイザヤ預言を引用して話しはった主旨は、神が選ばはらへん不信仰の者や自称キリスト者どもを滅ぶままにさせるのが狙いなんや。故に、万人救済なんて有り得へんし、神の律法も守らんと口先だけでキリストを信じると軽々しく言うだけの者や律法違犯をやめへん罪の奴隷どもも眼中に無いことは明らか。愚かな自称キリスト者程、「主の名を呼び求める者は救われる」(ローマ十章十三節、ヨエル書三章五節(口語訳以前や英語聖書では二章三十二節)参照)や「独り子を信じる者が一人も滅ばず、永遠の命を得るためや。」(ヨハネ三章十六節参照)等といった耳触りのええ箇所だけをしきりに引用するが、荒野で悪魔が主イエスに聖句引用して正しく見せようとした(マタイ四章六節等)んと同じく、引用間違いである。なぜなら、律法違犯を続けて悔い改めへん自称キリスト者には適用されへん言葉やからや。まさに、聖書どおり、主イエスの御言葉を見ても見てへんかのうように無視し、理解しておらず、偽使徒パウロの偽福音を盲信し、悪霊に惑わされて「完全な者」からは程遠い状態のままで、信仰に入る前と比して何も良くなっておらず、成長せえへん。したがって、彼らは救われへんという結果に終わる。

(引用元:真の聖書福音と預言|現実逃避をやめよ

 

ミカエル氏が「この民の心は愚かにされ」と訳された箇所の動詞 παχύνω には「太らせる、感じなくなる、鈍くなる」等の意味もあります。該当聖句で主イエスが引用されたのは、イザヤ書 六章九節〜十節で、ここで使われている動詞の שָׁמַן も「肥える、太る、鈍らせる、脂肪がつく」という意味があります。「彼らの心は脂肪で覆われてる。我はあなたの律法を喜びとする。」(詩編 百十九章七十節参照)にもある通り、聖書を読まない人々の心は脂肪に覆われ、愚鈍になっているのです。艱難期、すなわちコロナ茶番が始まる前から、世の中はじわじわとおかしくなって来ていました。太陽暦二千一年に起こった9.11米国同時多発テロ、太陽暦二千十一年の3.11東日本地震テロ、年々気温が上昇し続ける気象テロ・・・人それぞれですが、世の中の異変に気付くきっかけは無数にあった筈です。当ブログでも何度もお伝えしている通り、またミカエル氏や信仰上の兄弟たちがお伝えしている通り、聖書には「この世全体が悪い者の中にある。」(ヨハネの手紙一 五章十九節参照)と書かれており、約四年半前から始まったコロナ茶番を契機に艱難期に突入し終末、主イエスの再臨が起こる時までの残された時間は、刻一刻と迫って来ています。この事実について黙示録を引用して確認します。

 

ヨハネの黙示録 二十二章六節〜十三節(参照)
 そして彼(天使)は我に言う。「これらの言葉は信頼でき、真実である。正しい預言者たちの神、主がその天使を遣わし、直に起こるはずのことを彼(主イエス)の僕たちに示されたのである。見よ、我は直に来る。聖書の預言の言葉を守る者は祝福される。
 そして我、ヨハネは、これらのことを見て、また聞いた。そして聞き、見た時、我は礼拝しようとこれらを我に示した天使の足元にひれ伏した。すると彼(天使)は我に言う。
 「目を逸らすな。我はあんたやあんたの兄弟である預言者たちや、この聖書の言葉を守っている者たちと共に仕える者である。神を礼拝せよ。」また彼(天使)は我に言う。「この聖書の預言の言葉を封じておくな。時が迫っているからである。不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れたままにせよ。正しい者には、なお正義を行わせ、清い者は、なお清くさせよ。見よ、我は直ぐに来る。我は我が報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。我はアルファでありオメガである。始めであり終わり、最初の者にして最後の者である。

 

主イエスはその生涯において、言動において一切嘘偽りがなく、金銭的にも性的にも、一切汚れなき清く正しい生き方を実践されました。キリスト道を歩もうとする者は、主イエス・キリストを唯お一人の師として畏敬し、聖書に書かれた神の律法、掟、戒めを完全に遵守し、日々悔い改めて心を新たにし、聖書を研究し、主イエスを模範とした生き方をして当然です。上記聖句に書かれている通り、聖書(パウロ書簡とルカ書に書かれた虚偽情報を除く)に書かれた言葉は信頼でき、真実です。そして神が伝えられた聖書の預言は的中率十割です。十二使徒の中で最後まで生き残った使徒ヨハネは、目の前に現れた天使の足元にひれ伏して礼拝しようしましたが、天使はそれを見て自分が「聖書の言葉を守っている者たちと共に仕える者」であり、自分ではなく「神を礼拝せよ。」と言いました。一般的に天使は神に仕える者であり、人間よりも高貴な存在として捉えられていると思いますが、神の視座から見れば、すべては神が造られた被造物であり、天使も人間も一人の被造物にすぎません。天使はそれを意図して「神のみを礼拝せよ。」とヨハネに伝えたかったのだと推察します。そして天使はヨハネに「預言の言葉を封じておくな。時が迫っているからである。」と言い伝えました。時というのは主イエスの再臨、すなわちこの世の終わりであり、真のキリスト者は、携挙されて救われることになりますが、それ以外の「臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、婚外性交する者、魔術を使う者、偶像を拝む者、あらゆる嘘つき」(黙示録二十一章八節参照)に該当するすべての人間は「最後の審判」にて主イエスに裁かれ第二の死、霊的な死を迎え地獄へ落とされてしまいます。繰り返しになりますが、二千二十四年の今は艱難期であり、終末が訪れるのは遅くても二千三十一年です。この事は支配層の者どもも知っており(※連合国(UN)のアジェンダ2030、復興庁の設置期間が太陽暦の二千三十一年三月三十一日までとされている(参照:Wikipedia「復興庁」)等)、それ故、二千三十年までに新世界秩序、世界統一政府を完成させようとしているのです。その前に大艱難と呼ばれる時期、我らキリスト道を歩もうとする人たちにとって凄まじい苦難の時代が到来します。

将来の大艱難は、世の初めからその時まで無い凄まじい苦難になると予告されてる。黙示録にある獣の刻印を受けなければ売買活動がでけへんようになる、即ち、普通に生活でけへんという事態になるんやから、それが実現してしもたなら、未だかつて無かったような大変な苦難であると言えよう。不信仰な者、異教徒、かような話を「陰謀論だー」等と嘲る愚か者どもは、支配層とその傀儡の政府の施策を何の疑いも無く受け入れ、苦難とも思わんのであろうがね。せやから、かような者どもは、滅びる時まで何も分からへんという状態になるんや(マタイ二十四章三十九節参照)。

不信仰の者やパウロ教信者やその他の異教徒たちは、獣の刻印を受けることに躊躇いは無く、むしろ進んで受け入れるであろう。彼らに主イエスの信仰と神の掟を守る忍耐が無いからや。この世の生に執着し、権力者に脅されれば何でも従うような人たちでは到底神の目に適う人ではない。

かような大艱難の日々を生き抜くのは真のキリスト者にとってはとてつもなく難しく、期間が短縮されへん限り誰も救われへんと言われてる。当たり前ですよね。普通に生活でけへんような状態にされて、そないな日々が長く続くようなら真のキリスト者は一人も生き延びることは不可能やさかい。そして、神の民のために大艱難の期間が短くされるのであり、不信仰の者や異教徒(パウロ教信者を含む)のためではない。また、これは大艱難の時まで生きていればの話や。誰にも自分の寿命は予め知ることはほぼでけへんし、絶望して自死することもやったらあかんが、大艱難の前に寿命が尽きる方が楽と思える。「天から我に語る声を聞いた。『書きなはれ。今後、主にあって死ぬなら、その死者は幸いや。』霊は言う、「然り。彼らの労苦から離れて休み、彼らの行いも付いて来るからや。」」(黙示録十四章十三節拙訳)という文言があるとおり、真のキリスト者なら主イエスと繋がり、生前に神に評価される行いをしてれば、死んだ後はこの世での労苦から離れて休み、生前の働きに見合う報酬を受けるということがこの聖句から分かる。せやから、真のキリスト者は、いつ死んでも悔いは無く、平均寿命の八十歳位まで生きる必要性も感じひんし、この世で長生きせないかん訳やない。ほんまに現代の不法ばっか蔓延る狂った人間たちの世界から逸早くおさらばすることは決して悪いことではない。不信仰者や異教徒どもは死後に希望が無い故、必死にこの世に縋り付き、死にたくないと思い、延命に必死になったり、悪事にも手を染める。そんなんでは天国に行くんは絶対無理やろ。不信仰は論外で、自称キリスト者のパウロ教信者や律法主義者たちは、行いを軽視しており、律法を無視して違犯しまくって悔い改めへんさかい、これらの者に救いは無い。

(引用元:真の聖書福音と預言|聖書の終末預言 二

 

繰り返しになりますが、時が本当に切迫しています。時間を有効に活用し、主イエスの教えに立ち返りましょう。

 

  結びに

 

今回は「心が鈍い者は滅びる」と題して記事を書きました。心の底から平和や真理を渇望している人なら、この世があまりにも腐敗し切っていることに気が付き、世界一数多く発刊されてきた聖書に関心を持ち、自主的にそれを読んでみようと思う筈です。読者のあなたの心は脂肪に覆われて鈍くなっていませんか。ちゃんと聖書とミカエル氏の記事の通読に時間を割いておられますか。「主への畏れは理解力(洞察力)の始まり。愚か者は、知恵と矯正を酷く嫌う。」(箴言 一章七節(ミカエル氏訳、真の聖書福音と預言|偽使徒パウロの反キリスト教義 一より引用)とある通り、多くの人は自分の弱点を指摘、矯正されることを嫌いますが、世に流されて、地獄行きになるのは最悪だと思いませんか。聖書と真剣に向き合い、キリスト道を歩もうとする方が一人でも多くなることを願っております。拙記事を最後までご覧いただきありがとうございました。