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「真の聖書福音と預言」のブログ主であられるミカエル氏は、以前より記事の読者に対して次のように仰り続けておられます。『歴史は繰り返す。まさに、「かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいことは何もあらへん。」(コヘレトの言葉一章九節拙訳)のとおりや。せやから、歴史や過去の教訓から学べと言うんや。愚かな人は歴史からちぃとも学ばへん。(真の聖書福音と預言「パウロは偽使徒」より引用)手前は信仰生活に入る以前、日本や支那、東亜細亜の歴史には興味関心があり、歴史小説を読んだり、歴史に関する映画などを鑑賞することを趣味としておりました。しかしながら、欧州や中東の歴史に関しては学校の授業で習った程度の知識しか持ち合わせず、恥ずかしながら無知で無学でありました。今回は『ローマ人の物語』の著者として有名な塩野七生氏の著書『ローマから日本が見える』(太陽暦二千五年発刊、集英社)の文章を引用しながら、主が初臨された時代のローマ帝国および現代の政治の統治の在り方と聖書を照らし合わせ、気づいたことや考察したことを述べさせて頂きます。

 

ローマの政治体制は王政(紀元前七百五十三~五百九年)から始まり、その後、共和政(紀元前五百九~二十七年)に移行し、主イエスがこの世に生を受けられた時代(紀元前三年頃~紀元三十一年頃)は、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスが統治者でした。(ルカによる福音書二章一節参照)共和政とは、国家の主権が世襲の君主にではなく、多数の人間に属している政治体制のことです。(詳細はウィキペディア「共和政ローマ」を参照ください。)共和政ローマ時代末期、第二回三頭政治の一角であったオクタウィアヌス(参考:ウィキペディア「アウグストゥス」)は政敵のレピドゥスを失脚させた後、プトレマイオス朝の女王クレオパトラを利用して、もう一人の政敵アントニウス諸共自害に追い込み、プトレマイオス朝を滅亡させました。ローマ国内の内戦を制し実質的な元首となったオクタウィアヌスは「共和制復帰」を宣言して、権力の集中を恐れていた元老院を驚喜させ「尊厳者」という意味を持つ「アウグストゥス」という称号を手に入れます。彼は元老院の議員たちが気づかぬうちに「共和政ローマ」から「帝政ローマ」に統治形態を変化させ、後の世の人々からは初代皇帝と呼ばれるようになりました。

本の著者である塩野氏は彼を「偉大なる偽善者」で、ローマ史上最も優れた為政者の一人と評しています。ここからは『ローマから日本が見える』の記載内容を引用し、引用文は下線付き斜体で表記し紹介させて頂きます。


税とは国家を維持運営して行くための必要経費を国民が負担すること
帝政ローマでは「軍役=税」国家防衛は市民の義務

帝政ローマでの税金は、国家防衛のために導入されて、この時代の信仰を持たない庶民は自分の命が何よりも大切であったため、軍役を受け入れざるを得なかったのだろうと想像します。その後ローマでは直接税として奴隷解放税(5%)と 相続税(5%)、属州においては収入の10%が課税され、間接税としては関税(1.5%~5%、 オリエント産の贅沢品に対しては25%)と売上税(1%)を支払うことが義務付けられていたそうです。それでは現代社会に目を移します。ご存知の方も多いと思いますが、日本は実質的に世界一の重税国家です。代表的な直接税としては、所得税、法人税、固定資産税などがあり、間接税としては、消費税、酒税、たばこ税などがあります。それに加え、二千二十四年の四月からはすべての住民に一人あたり千円課される森林環境税がいつの間にか決まっていたり(参考記事はこちら、林野庁)、京都市が導入を目指す空き家税に政府が同意したり(参考記事はこちら、Yahooニュース)、電気自動車の買い換えを促すガソリン自動車への走行税(走行距離課税)を検討したりしています(参考記事はこちら、JBpress)。支配層の指示に隷従する政治家たちは、我々庶民を一人残さず困窮させようとして悪行の限りを尽くしています。

さて、聖書には税金に関してどの様に書かれているのでしょうか。口語訳の旧約聖書では、ヘブライ語の「משׂאֵת」という単語が税金と訳されており、歴代誌下二十四章六、九、十節で「税金を課す」と翻訳されています。しかし、旧約時代には貨幣が存在せず、当然税金という概念も存在していませんでした。従って「献げ物を納める」と訳すのが適切だろうと考えます。新約聖書における税金という意味を持つギリシア語は「τέλος」です。この名詞には終末、最後、終結、結末、目標などの意味があり、終末の時代が重税の時代であることと一致しているように感じられます。権威主義者たちが「皇帝へ税金を納めるのは、律法に適っているか否か」について主イエスに尋ねた際、主は次のように答えられました。そしてイエスは答えて言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスの言葉に驚いた。(マルコによる福音書 十二章十七節、拙訳)ここで、税金に関するミカエル氏の解説を引用させて頂きます。

そもそも、税金とは所得の再分配という考えから来てる。所得の再分配とは、金持ちからより多く税収を取り、貧しい者からの税収を低く抑えて、国民から得た税収を国民に対して平等に還元し、国民の暮らしを守るためという考えで、そうすることによって所得格差を埋め、国民全体が豊かに暮らせるというんが税金の本来の在り方や。しかし、明治以降、現代社会において実際にはこの運用がまったくなされておらず、政治家や官僚らといった公務員どもが不正に懐に入れたり、海外の外国人や在日外国人に不正に使われ、日本国民に還元されず、日本人の経済的弱者から容赦無く搾取されてるのが現実や。これは、政府や官僚らによる搾取及び詐欺であり、赦し難い悪行である。このことを聖書は、「指導者が知性を欠いてると、多大な圧迫がある。」(箴言二十八章十六節ミカエル氏訳)と的確に言い当ててる。 

(真の聖書福音と預言「日本人の問題点 二」より引用)

 

世に属す日本人の中には増税に関して危機感を持ち、異議を唱えツイッターで呟く人もおりますが、読者のあなたは、拝金主義者の政治家や官僚を反面教師として彼らとは逆に、金銭を積極的に手放してみようと考えてみたことはないですか。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイによる福音書十九章二十四節参照)と、主イエスは重ねて仰いました。「金銭欲は諸悪の根源です。」(テモテへの手紙一 六章十節参照)。主イエスが宣べ伝えれた教えに従い、聖書に依拠した質素な生活を送っていれば、意図しない出費は発生せず金銭に関する悩み事は霧散します。黙示録十三章に書かれた獣の刻印がなければ売買出来ない時代まで残された時間は僅かであることを鑑みれば、金銭や税金に関して思い煩う事が莫迦らしくなる筈です。金銭の事を考えるのを辞め、天に富を積む事を楽しみとして、終末までの残された時間を有効に活用する事を推奨いたします。

 

ローマの法が目指していたのは「法治国家」と「多文化共生」

旧約時代、創造主である神は人間が肉の思い(物理的欲求)が強く、霊的には弱い存在であることを知っておられたため、ごく僅かな本当の信仰者を救う事を目的に大洪水を起こされたり(創世記六~八章参照)、ソドムとゴモラの町を焼き尽くされたりされたりして(創世記十九章参照)、不信仰な人々を滅亡させられました。そして、世の平和を維持するために神は十戒を中心とした律法、掟、戒めを預言者モーセ伝えられ、それを書き留めたのが「モーセの律法」全人類が守るべき成文法です。ローマの為政者たちはモーセの律法を無視し、神に反逆して独自の法規を作り上げました。ローマの為政者たちは成文法のモーセの律法を不文律に置き換えて、民衆を統治する人治国家(独裁国家)を建国し、長い間庶民を統治し続けたのが史実です。

聖書に書かれている神の律法、掟、戒めを知らない人間たち、たとえ神の律法を知っていても無視する人たちがこの世の大部分を占め、各国に憲法、法律、条例等があり、それに則って人間は生活して社会を構成しています。私が複数の過去記事で警鐘を鳴らしてきたので読者の方々はご存知のとおり、日本は法によって国家が運営される法治国家ではなく、人治国家です。日本は法整備をしてあたかも法治国家かのように偽装していますが、実際は権力者らが憲法も法律も守らず、国家権力がやりたい放題して犯罪を犯しても司法機関が動かない、身内には甘く処罰しない、政府や官僚は責任を取らず、隠蔽し、嘘をついています。マスコミは権力に屈して彼らの悪事を徹底的に追及して報道しないし、権力者の利益になって大衆に不利益になる重大なことを隠すために有名人の不祥事を事件化して大々的に報道する「スピン報道」で大衆の注意を逸らしています。国民は彼らの悪事に対して何もできずに黙って耐えるしかない、若しくは改善のために何の努力もせずに諦めており、せいぜいネット上で文句を言っているだけで終わる人がほとんどです。

(真の聖書福音と預言「自由と律法に対する誤解」より引用)

 

約二千年前の時代も現代においても、ごく一部の人々が特権を握り独裁体制(寡頭制)を構築し、民衆を統治している事に変わりはありません。下記は太陽暦の二千十七年に、安倍政権が「戦争できる国」へ暴走しようとしていると、警鐘を鳴らす記事から抜粋した項目です。

参考記事:初期ファシズム、14の兆候/米博物館に展示(機関紙連合通信社)

 

日本では大東亜戦争以降、女性の人口が常に男性より多くて数的に優位であるにも関わらず、女性の権利を声高に主張する女ばかりであることから「五、女性差別の蔓延」、そして労働組合の在り方は職場によってまちまちであるため「十、労働組合の弾圧と排除」、「十一、知識層と学問に対する蔑視」は聖書の真理ではなく、世にある無駄な学問や知識の事を示しているため当てはまりませんが、その三点を除く十一の項目はすべて日本の現状と合致しています。独裁者ヒトラーのように振る舞い、日本で最も長く総理大臣の地位に居座り続け、昨夏には元統一教会の信者に暗殺されたとして政治の表舞台から姿を消した安倍元総理。真偽の程は定かではありませんがこちら(ツイッター)には、彼は現在サウジアラビアに居るとの投稿がありました。先日は安倍元総理の襲撃茶番とそっくりの岸田首相襲撃の事件が報じられましたが、今回も茶番劇であることは明白です。(参考記事:「泣いて生まれてきたけれど」アメブロ)支配層と呼ばれる科学技術系大企業の経営者や世界各国の首相や国王、社会的な影響力の大きい芸能人たちは、ゴム人間であったり複数の影武者が居たりするため、本物が誰で何処にいるのかを我々庶民が特定することは不可能で、政治に関係する報道は今後益々嘘だらけになって行くのでしょう。

また、ローマ帝国が目指していた「多文化共生」という政治的な目標は、今日における持続可能な開発目標(SDGs)と同様、属国の文化を肯定するふりをして、徐々にローマの文化を浸透させた手口と酷似しているように思います。反日連合国(UN)が策定したSDGsを太陽暦二千三十年に向けて世界が合意した「持続可能な十七の開発目標」として推進しているのは日本だけで、海外では「多様性と包括性(D&I、ダイバーシティとインクルージョン)を考慮した持続可能な開発目標」としている国が大半です。支配層の目標は「誰一人取り逃さず庶民に番号を付与し、大量生産・大量消費社会をいつまでも続けられる(全体主義化、共産主義化)」と民衆を洗脳し、世界の人口を現在の十分の一以下である五億人程度まで削減した上で、新世界秩序(New World Order)に基づく世界連邦政府を樹立する事です。支配層は、SDGsと掛け合わせて昆虫食を強く推奨したり(参考資料:「ムーンショット型農林水産研究開発事業」農研機構)、動物の体細胞を体外で培養して食肉の代わりにしたり(参考記事:「楽しく悩んで、食の未来を変える ~「培養肉」研究の最前線~」サイエンスポータル)、三次元印刷機(3Dプリンター)で食品を造形したりして(参考記事:「食べ物を3Dプリンターで出力!3Dフードプリンターの特徴や用途とは?」FLASHFORGE)、食糧難を演出し、庶民に有害物質や遺伝子組換え食品を摂取させ、一人でも多くの人間を滅びの道連れにしようとしています。

 

人間の行動原理の正し手(善悪の判断基準)を宗教に求めたユダヤ人、哲学に求めたギリシア人、法律に求めたローマ人

ローマの悪については上述したので、ここではギリシアの悪について言及したいと思います。ギリシアが哲学発祥の地であることについては、おそらく多くの方がご存知だと思います。一般に哲学は最強の学問と認識されていて、企業の経営者や地方自治体の首長の人々などは、座右の銘として自分の好きな哲学者の言葉を標榜したり、それを参考に独自の言葉を作り出している場合もありますね。まずは代表的な哲学者の一人、プラトンの残した言葉について考察してみようと思います。

「プラトンいわく、民衆の階層は最も多数を占め、いったん結集されると、最強の勢力になります。しかし、蜜の分け前にあずかるのでなければ、あまり集まろうとはしない。そこで、先頭に立つ指導者たちは、持てる人々から財産を取り上げ、その大部分は自分で着服しながら、残りを民衆に分配するというのです。つまり、よく信じられているように、指導者はカリスマだけで民衆に担ぎ上げられるのではなく、そこにはいつも『甘い蜜』がある、ということです。たとえば、ヒトラーのナチスがユダヤ人を徹底的に収奪し、多くの人がそこから利益を得たことが思い起こされます」。

プラトンいわく、そうして権力を握った「独裁者」は、初めの何日かは誰にでも優しくほほ笑みかけて、自分が「独裁者」であることを否定し、私的にも公的にもたくさんのことを約束する。けれど、その後は絶えず何らかの戦争を引き起こす。それは民衆が指導者を必要とする状態におくためなのだという。そして、有能な人材を粛清するようになる。

(朝日新聞GLOBE+「民主主義が独裁政治へ転落する道とは」より引用)

 

前述した内容と重複する部分がありますが、プラトンが生きたおよそ二千四百年前の時代も今も変わらず、民衆は目に見えない神ではなく、自分の目の前にいる人間を信用し、その人を先生や指導者として敬意を示し、目上の人の指示を受けていた方が楽だと考えていたのでしょう。また、為政者たちは民衆の性質を利用し、彼らから搾取する事を生業とし、時々戦争を起こすのです。この世から戦争が無くならない理由は、他者を支配したい人間と支配された方が楽だと考える人間が、いつの時代も多数派だからなのでしょう。

 

次に考察する人物は「医学の父」と呼ばれ、ヒポクラテスの誓いで有名な医師ヒポクラテス(Ἱπποκράτης)です。

ヒポクラテスの誓いとは
『ヒポクラテス全集』中に収められているもので,ギリシアの世襲医家の子弟が修業を終え,正式にその一員に加えられるときに行われた宣誓。現在でも大学医学部の卒業式などで朗読されている。医神アポロ,アスクレピオス,ヒュギエイア,パナケイアおよびあらゆる男神女神の前に,この誓約,この義務を,わが力,わが誠をもって履行することを誓うで始り,業務上の見聞や他人の私生活の秘密は口外しない。もしこの誓いを固守し破らない場合には,世の信頼のもとに長くわたしの人生と術とを楽しましめよ。もし破った場合は,逆の報いを与えよ」と結んでいる。

(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典、コトバンク)

 

太陽神アポロやその他の神を崇める行為はモーセの十戒の一項目と二項目に違犯する、冒涜的な行為です。また、神に仕えることよりも世俗の業務を重視する行為も、神の目に適った正しい生き方ではありません。ギリシア語のヒポクラシス(ὑπόκρισις)は「役者」「偽善者」「猫かぶり」を意味する言葉です。現代社会に目を向けると、医者の多くはヒポクラテスの誓いを金科玉条の如く振りかざし、西洋(ロックフェラー)医学を信仰し、様々な医薬品を処方しています。要するに彼らは、患者の命よりも自分の稼ぎや名声を重視する、極めて背徳的な人間だと言えるのです。

参考記事:真の聖書福音と預言「今後の社会情勢と神の裁きへの備え

 

上記の画像に示した通り、医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。(マタイによる福音書九章十二節、ルカによる福音書五章三十一節参照)この御言葉はあらゆる職業や事柄に適用できる聖句であると手前は思います。

「独裁者を必要とするのは、賢い民衆ではなく愚民です。」

「人工知能を必要とするのは、調べたり考えたりする事を楽しみとする人ではなく、考えない人間です。」

「生物兵器ワクチンを必要とするのは、人類の繁栄ではなく、人口削減を是とする悪魔崇拝者です。」

「憲法改悪を必要とするのは、平和ではなく、戦争を愛する狂人です。」

ワクチン推進派は勿論、反ワクチン派にもまともな医師が、一人もいない事実、与党にも野党にも憲法改悪を止めようとする国会議員が一人もいない事実を、読者の皆さんにご理解いただけましたら幸甚です。

聖書よりも人間の言うことを頼りするから騙されるのです。主イエスも「人に惑わされないように気をつけなさい。」(マタイ24:4)と警告なさいました。なぜなら、世の多くの人間は聖書を曲解して真理を語ることができないからです。そして、パウロも以下のように述べました。

 

新約聖書 コロサイの信徒への手紙 2章8節

人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。

(真の聖書福音と預言「無神論者の問題、偽りの聖職者と教会制度」より引用)

 

現代人は聖書を読まぬが故に、善と悪、聖と世俗、義と不義の判断が出来ない、恥知らずな人間ばかりです。この世に存在するいかなる学問を学ぶことよりも、聖書を研究することの方が間違いなく遥かに有益です。
 

人間はありとあらゆる統治形態を考え出したが、支配階級の存在しない統治形態だけは考え出せなかった。

政治はあくまで結果論。動機が善意か悪意かは無関係

今回記事を書くに際し、「情治国家」という言葉が存在していることを初めて知りました。

情治国家【じょうちこっか】

国家権力が厳格に法に基づき行使されているとは言いがたく、むしろ感情論に大きく左右され、世論や国民感情に沿うような形で行政や司法の判断が下されている、といった印象を与える国の在り方を意味する俗な表現。

近代以降の国の在り方は基本的に法律の枠組みを礎とする「法治国家」である。時の政権が法を超越して判断を下す様子を「人治国家」と呼ぶことがある。「情治国家」はこれらの表現をもじった言い方で、情(感情)が指針にあることを意味する。成熟した法治国家でないことを暗に示した揶揄混じりの表現といえる。

(出典:実用日本語表現辞典「情治国家」)

 

日本の国会議員の殆どは、明治維新という名の国家転覆事件の前後に支那か朝鮮から渡って来た異邦人の末裔です。彼らは国会という名の劇場で、議論する振り、国民の感情に訴える振りをして、高額な給与を搾取する詐欺師です。日本は人治国家かつ情治国家で、決して法治国家ではありません。生物兵器ワクチンの薬害により、今年度は日本の人口が桁違いに減少することが容易に想像できます。政治家たちを操る官僚たちは、人口だけでなく地方自治体の数も削減し、道州制を導入するつもりなのでしょう。道州制の詳細についてはこちら(アゴラ 言論プラットフォーム)や、道州制特別区域推進本部(首相官邸)の記事でご確認ください。

 

今回は「統治する」という言葉に着目し私見を述べさせていただきました。最後に統治という言葉が含まれる、イザヤ書の聖句を紹介させていただきます。

 

イザヤ書 四十章十~十一節(拙訳)

見よ、主なる神を。彼は力強くあられ、その御腕をもって統治される。見よ、主の報酬は彼と共にあり、主の働きの報いは彼の御前にある。主は羊飼いのように群れを御腕の中で養い、小羊たちを集めるであろう。そして乳を与える養母のように小羊たちを抱かれ、優しく導かれるであろう。

 

この世には主イエスの教えに従順である真のキリスト者か、人間が作った教えに従う者か、二者択一で中途半端はあり得ません。肉の思い(物理的欲求)に従うのではなく、霊の思い(神の御心)に従い、生きる意味を見出し、キリスト道の門を叩かれる方が一人でも増えることを心から祈願しております。

最後までご覧いただきありがとうございました。