ドラッカーは言っています。
「利潤動機説」は間違っていると。
確かに闇雲に利益を追求することには無理が伴います。
その上で「道徳なき経済は害悪であり、経済なき道徳は寝言である」という
二宮尊徳翁の言葉も浮かんできます。
そのような中で「儲け」という言葉について
改めてよく見て、よく考えてみますと
なかなか含みのある漢字であることに気が付きました。
「信」と「者」とも見ることができますし、
「ニンベン」に「諸」と見ることもできます。
「ニンベン」に、「言」と「者」と3つに分けて見ることもできます。
漢字のヘンやツクリというのは、面白いものです。
その上で、いろいろな解釈を施すことができます。
「信じる者」については、「救われる」と続きやすいです。
「信じる者」「信者」は、ファンということも言われます。
「儲ける」ということは、
信者、ファンを増やすことであり、信じる者である、ということができます。
自分を信じる。お客様をほ信じる。人を信じる。
そういう「信じる者」でありたい、ということです。
「ニンベン」に「諸」は、「人、それぞれ」、
「人には個性があり、みんな違ってちょうどいい」というように
解釈することができます。
なるほど、その通りです。
それで、結果として「儲かる」ということです。
そして、「ニンベン」に「言」と「者」。
「者」というのは、「一角のもの者、プロフェッショナル」を意味するのだそうです。
「人は、言葉によって、プロフェッショナルになる」、
つまり、「言葉」を上手に活かすことで、人はプロフェッショナルになれる、
というように解釈できそうです。
いずれにしても、漢字というのは、とても面白いものです。
こんなにも一つの文字でイメージや内容を膨らめることができるのですから。
このように「儲ける」「儲かる」という言葉を解釈しなおすことで、
心の底から「大いに儲けようではないか」、
そして、「大いに儲かるようになろうではないか」と言えるのです。
私の中で、大きな変化が起きました。
「儲ける」、そして「儲かる」。
それをお客様に提供することが本来の経営コンサルタントの業務であったと
得心できた次第です。
「儲」→「「儲ける」は、意識改革と行動改革。意識と行動の問題。
「儲ける」→「儲かる」は、構造改革、仕組み・仕掛けの問題。
「金儲け」「物儲け「人儲け」。
そして、単なる利益に振り回されることなく、
「儲ける」「儲かる」の世界で、大欲を満たしていきたいものだ、
と思った次第。
大欲は、無欲に似たり。
これが、ブログのタイトルに込めた意味です。