貨幣国定説とナショナリズムの関係性 | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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貨幣も国債もバランスシートで考える

 機能的財政論で知られるアバ・ラーナーは内債を「右ポケットから左ポケットに移すようなもの」と例えましたし、コールリッジも「内債は家庭でポーカーをするようなもの」と表現しました。

 これは端的にいえば「誰かの負債は誰かの資産」であり、それが国内で回っている限りにおいてはなんら問題がない、という認識を示したことといえます。

 統合政府論という論がありますが、これは日銀と政府は一体のものであるとする考え方であり、現在は一般的にもそのように受け取られているでしょう。昔は「日銀の独立性が!」などのバカバカしい議論もあったのですけれども(笑)

 統合政府論に基づけば「政府が国債を発行し、それが市場に流通できる形にするために、日銀が日本円に変換する」と表現できます。言い方を変えれば「日銀の負債側に日本円を計上して、資産側に国債を計上する」というわけです。

 何にしても「右ポケットから左ポケットに移すだけ」が国債であり貨幣ですから、国家全体としては「政府の負債が増えれば増えるほど、民間の資産も積み上がる」のでして、それはつまり「経済規模が大きくなる」のと同義なのです。

※ただし国債は発行した時点で「使用する、消費か投資をする」と決まっているわけですが、通貨は「当座預金に豚積み」という状態があるので必ずしも経済に使われるとは限らない。

貨幣国定説とは?

 G・F・クナップが提唱した貨幣論なのですが、非常に簡潔に言うのならば「その国家で使用される貨幣は、その国家が決定する」というだけの話。現在、仮想通貨なる「貨幣でない何か」が出てきておりますけれども、将来的には無理が来て破綻すると思われます。

 

 ではなぜ「国家しか貨幣を設定できない」のか?国家には特権があるから、といえます。この場合の「国家」とは「政府、企業、国民をすべて含む共同体」として使用します。その国家の差配をするのが政府ですので、帰結としては「政府には特権がある」といえます。

 通貨発行権、警察権、外交権(軍事含む)、徴税権などがその特権に挙げられるでしょう。

 

 簡単に言えば通貨発行権を自国で持っていなければ、通貨を例えばドルや元に頼ることになる。ドルや元は他国が発行するものなので、金融政策、財政政策の主権がなくなるというわけで、主権国家ならば保持しなければならない。

 警察権がなければ当然ながら治安が悪くなり、治安が悪い国家に強い政府がいるわけがない。容易にクーデターなり革命なりが起きて、通貨発行権を失うでしょう。つまり主権の転覆が起きる。

 外交権にしても同様に、他国から攻められて軍事的に自国を守れない国家は、他国に主権を侵される。

 

 徴税権については租税貨幣論として、後日に譲ります。

 

 要するに国家として必要な機能はすべからく主権を守るために存在し、主権があるからこそ通貨発行権が認められている。つまり「国家が貨幣を決定するのだ」というわけです。

 そして政府・企業・個人のありとあらゆる負債や資産は「国家の指定する単位によって、数字として表される」「物の値段を表記する計算貨幣として国内に行き渡ること」が貨幣国定説の概要と言えるでしょう。

 昔、秦の始皇帝は升や行政文書の形を統一したといわれています。貨幣も一緒だろ?というのが貨幣国定説というわけ。

 少し表現を変えれば「国家の権威と権力(統治能力)が、貨幣という形式を定義する」というのが貨幣国定説といえます。

 

貨幣論の各種説について詳しく見たい方は参照

国家と貨幣

 国家とはなにか?というと「同様の国民意識をもつ人たちの共同体」といえます。この「国民意識」は別に同一民族であらねばならないというわけではありません。ただし、同一民族のほうが繋がりが強固になる、ということは否定をしませんけれども。

 では国民意識とはなにか?というと、そこに生まれ育った郷土愛をもう少し拡大したものであろうと思います。東日本大震災の時に東北のために予算を組むことに、反対をする人は殆どいなかったと思います。チーム意識と言っても良いかもしれません。

 「同じ、チームジャパンなのだから困っている人がいたら助けよう。負担もしょうがないだろう」という意識が国民意識といえます。

 

 このようなある種の連帯感が存在するから、国家というのは成り立っているといえます。循環的なのですが、例えば統治が行き届かずに治安が悪くなったりすると、国民意識というのは希薄化されて、個人主義に極端に走りがちになるのではないか?と思います。

 アラブの春を見ても分かるとおり、民主制国家が誕生しては消えていった。おおよそ失敗であったことは、国民意識がまだ希薄であるのに自由という名で制限を外しすぎたと言えるんじゃないでしょうか?

 国民意識、共同体意識がない場合には、成熟するまでは統治側が強権的にならざるを得ないというのは、近代国家の成立からも見て取れます。

 そしてそのような脆弱な”国家”の場合、政府の指定する貨幣も権威、信用がないので容易に例えばドルが流通する、ということになるわけです。

 

 つまり日本円を流通貨幣(通貨)として支えているのは、本質的にはナショナリズム(国民意識、国民主義、共同体主義)であると言えるでしょう。

 従ってナショナリズムを希薄化するグローバリズムが極端に進めば、ナショナリズムの喪失、政府の弱体化(小さな政府)となり国定貨幣に対しても破綻するという帰結になり得るし、それは財政主権、金融主権の喪失となって現れるといえます。

 EUなどはその端的な例でして、政治と経済の辻褄が合っていないので迷走しているわけです。この矛盾を抱える限りにおいて、EUは凋落をしていくと見て間違いないといえます。

 だからこそエマニュエル・トッドは「ナショナリズムを窓から投げ捨てたと思ったら、玄関から帰ってきていた」という言い回しで、国家への回帰がほとんど感情的には必然であろうと言っているわけですね。

 まあ、EUが今さらそのシステムを捨てられるかどうか?は別問題ですが。

 

 現代貨幣論(MMT)・国定信用貨幣論を突き詰めていくと、「EUがどうしてこうなった!」という理屈も説明がついてしまう、というお話でしたとさ。

 

P.S

 ちなみに流通貨幣(通貨)ですが、日本では日本円が日銀のバランスシートの負債側に計上されます。国債も発行して市場に出回る時には、政府小切手→通貨の形に変換されます。これは貨幣が市場取引にて、一番便利な形態だと国家が決定しているから、そして浸透しているからであります。

 そして仮に国債を償還するとなると、これまた一般的には通貨が使われるわけですが・・・国債は負債ですが、その償還に通貨を使わなくても例えば国のインフラという資産での支払いも想定は可能なのです。

 例えば簡略な仮の想定として「政府が国債を償還する代わりに、国債を保持していた企業にインフラという資産を払い下げる」とすると、このように表現することも可能です

企業:国債を政府に”支払って”インフラを購入する

政府:国債を企業から受け取って、対価としてインフラを払い下げる

 

 上記の取引には通貨は介在しませんが、代わりに国債という”負債”が媒介していると考えることが可能です。

 国債と通貨の違いは「一般的に市場取引の媒介として使用されているかどうか?」だけであると、ご理解いただけると思います。

 表現を変えますと、国債と通貨の違いは「国家が市場取引に何を用いることを選択(決定)したか」だけの違い、といえます。

 

 ちなみに国債(円建て内債)も通貨(もちろん日本円だから内債)も、返済義務(負債性)は存在しません。なぜならばどちらも、「国家の権能」によって発行されているからです。

 合理主義的言い回しをするのならば「国家の権能という無形で(循環論的に)無限の資産を物質的にするために、国家の権能を差配する政府<<日銀含む>>は、負債側に国債や通貨という形で計上しているに過ぎない」というわけ。

 

 「通貨は単なるツール」と捉えるのは、端的にいえば「国家(国民含む)の権能を発揮せよ」という政治方向のアプローチであり、政治を重視している姿勢といえます。

 逆に「通貨=負債」と捉えるのは「構造論的な探求、もしくは主流派経済学への反論」という学術方向のアプローチといえます。

※主流派経済学は単なるフィクションですが、幅を利かせているのだから反論せざるを得ないわけですね。

 

 まぁ最初からここまでを組み立てて書いたわけではないんですが・・・租税貨幣論を残して、うまくまとまったようで(笑)

※まだ残っているのに、まとめてしまったのかorz ですけどね(笑)

富国と強兵から学ぶ、ないし一般イメージと逆説・政治と学問

現代貨幣論の誤解と貨幣と国債

 

 上記が関連エントリーです。

 明日は租税貨幣論と機能的財政論になるかと思います。多分・・・・ですけれども(笑)一回、別のテーマの記事を挟むかもしれません。

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※脳みそが疲れるんですよ、貨幣論は。時間もめっちゃかかりますし・・・(笑)

 

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