災害大国日本で常在戦場という長岡藩の教え | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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4月20日午前1時くらいに緊急更新しました。以下の記事もご覧いただけたらと思います。
【緊急拡散】安倍政権のショック・ドクトリン
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前に山本五十六のドキュメンタリーを見ていたのですが、山本五十六は旧長岡藩の出身であるようです。
そして長岡藩の教えにまず出てくるのが、常在戦場の精神というものです。

「いつでも戦場にいるくらいの心構えであれ」
ということだそうです。
ここ何日間か「日本は災害大国である!平時から備えなければならん!認識を新たにする必要がいい加減にある!」と書いております。
これは正に常在戦場とまったくもって一緒だなぁ…と色々思案しているうちに思いました。

日本の過去の四文字熟語というのは、中々示唆に富んでいまして「富国強兵」「臥薪嘗胆」「経世済民」「常在戦場」等々…
今の日本にこそ必要な教えを先人は、四文字熟語として世に残したのだと思います。
古典や大古典と言われる名著には、非常に学ぶところが多いのですが、これは何故でしょうか?
コテヤンの知っているだけでもクラウゼヴィッツの戦争論、ランチェスターの法則、トクヴィルのアメリカのデモクラシー、ハンナ・アーレントの全体主義への考察(著書名忘れた…)など。
これらは人間の本質や、ものごと、現実の本質をえぐりだし、精細に観察し、それを論のもととしているからだろうと思います。
何時の時代においても、人間の本質とはそう変わりがなく、よって名著、古典、大古典と言われる書物が出てくるのだと思います。

我が日本においては、本質的かつ現実的な教えを四文字熟語にしてあるものが多いようです。
それが先ほど上げた「四文字熟語の大古典」とも言えるべき「富国強兵」「臥薪嘗胆」「経世済民」「常在戦場」だったりするのではないか?と思うのです。
(他にも色々ありましょうが、まぁそれは置いておいて…)


施光恒(せ てるひさ)先生のご著書「英語化は愚民化」を現在読んでおります。
その中に出てくるのは「リベラル・ナショナリズム」という最近進んでおります学問がありました。
まだ仔細について読んでいるわけではありませんが、リベラリズムの本質である「人権」や「自由」はネーション、つまり共同体の連帯意識によってのみ発生するものである、というようなものだそうです。

では共同体としての意識を、その国が持ちえるには何が必要か?というとまずは「国語」だそうです。
例えば中世あたりのヨーロッパでは「高尚な知的議論」は全てラテン語、庶民は土着言語のドイツ語やフランス語、英語をしゃべっていて「知的議論」への参加の壁として言語がまずあったそうです。
つまりこの時点で「国という共同体意識」は言語によって分断されていた、という解釈が成り立つそうです。

日本においては明治の時代に先人たちが、大学教育を英語のままにしておくのではなく、日本語を発展させて語彙を増やし、知的議論に耐える言語にしようと様々な努力が行われました。
その結果として日本語が「土着言語」ではなく「国語」となり、日本語のみでの高等教育が可能となったようです。

さて、リベラル・ナショナリズムの話しに戻りますと、災害大国という現実を見つめなおした時に、この論は非常に説得力があるのだと思います。
人権や自由という観念は決して「普遍の真実」などではなく、共同体意識や仲間意識、つまりナショナリズムから発生しているわけです。
これは憲法に「生命と財産の権利」と掲げても、一度災害は発生すれば容易にそれを犯される、という現実を示唆しているのではないか?
ならばこそ、富国強兵や経世済民、常在戦場等の「国民と国家を重視して、安心安全に暮らせるよう平時にも有事を想定しておく」という姿勢が必要なのではないか?と思うわけです。

自由や人権、国民の生命や財産を国家という共同体が守らねばならないのは、共同体意識、ナショナリズムにこそその源泉があるからなのだと思います。
そして災害は自然現象ですので、国家にだって限界はありましょうが、それでも共同体意識、仲間意識があるのならば全力で被災地に支援をし、事に当たらねば「国家としての意味が失われる」のだと考えます。

本日はかなり硬い記事になってしまいました(汗)
熊本地震後、政府にしてほしい具体策はある一定、論じましたので、本日は思想面で「政府は何が何でも被災地を救うこと、日本国民はそのために出来ることを協力するという仲間意識」が大事だと、そういう思いで論じてみました。

P.S
三橋貴明氏が「日本国民は自粛とか言って、消費を減らさないように!貴方の消費が誰かの所得になって巡り巡り、それが被災地への支援にもなるのです」という趣旨で記事を書かれておりました。
まことに持ってその通りで、微力ながら…いや本当は微力というより無力感はあるのですが、それでも被災された方たちに我々が何が出来るのか?私が何が出来るのか?少しでも考えたいと思います。

熊本ではまだ震度5以上の余震が多発しているようです。
被災地の方々の気持ちを考えると、相当にストレスや不安そういったものがあるのだと思います。
早く収まって欲しい…そう祈るような気持ちで日々を送っております。

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4月20日午前1時くらいに緊急更新しました。以下の記事もご覧いただけたらと思います。
【緊急拡散】安倍政権のショック・ドクトリン
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本日の男の料理~明太パスタ~

本日はお手軽明太パスタ。クリームやバターを入れる明太パスタのレシピは好きじゃないです。気取り過ぎです。脂っこいです(汗)
日本人の口にあうのはやはり、さっぱりとした素材の持ち味を活かしたパスタでしょ!

あとパスタを作るにあたって「アルデンテ」を勘違いされておられる方や、店がたくさんあります。
アルデンテとはイタリア語で「コシがある」という意味です。つまり茹で過ぎない。
なので茹で上がりに僅かに芯を残すのは、食卓に供するときに「芯がなくなったちょうど良い状態」にするためです。

芯があるパスタを平気で出す店は、アルデンテをわかっていないと思って間違いありません。
ちなみに芯を残したまま食べるのは「イタリアの貧民の知恵」です。芯があるので噛む回数が多くなり、満腹感が得られるというわけです。
「イタリアの貧民のパスタ」にならないようにw

これを知っているだけに、芯ありパスタを出してくる店に行きますと殺意の波動に目覚めますww「誰だ!このパスタを作ったのは!」と海原雄山よろしく、心のなかでは思っています。
しかしまぁ、未だにそういう店の多いこと。正直芯ありパスタなんて美味しくないでしょ…博多ラーメンのハリガネとかバリカタじゃねーんだからさぁ…


材料
・パスタ
・明太子
・大葉
・本だし(顆粒)
・刻み海苔

1)明太子はチューブの業務用があればそれでもOK。無いなら明太子の皮を開いて、包丁の背でこすりとるように中身を出す
2)パスタを茹でる。茹で時間は表記されているものより1分短く。
3)鍋に水を少々(50ml~70mlくらい?)入れて、沸騰したら本だしを小さじ1杯くらい(適量)、明太子の中身適量投入して混ぜる。
4)茹で上がったパスタのお湯を切って、鍋に投入。弱火~中火でさっとソースに絡める
5)パスタをもって、刻んでおいた大葉と刻み海苔をのせて出来上がり!

あら?えらく簡単ね?奥さん?と思われた方はクリック!w
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