12人産んだ助産師HISAKOさん、昔の出産を解説し、そこからの気付きを述べるテイのブログは、ふぃっしゅさんのまねでした。
ふぃっしゅさんの緻密な記事を一本にまとめるのは困難なようで、今回も2本立てです。
これまでのまねはこちら。
・まねブログ ”カンガルーケア(1)(2)
・骨盤ベルトとか骨盤矯正とか。
「わたしたち」助産師。
ふぃっしゅさんの言う「わたしたち」と
HISAKOさんの言う「わたしたち」。
助産師資格を持つ人、という意味では、ふたりは同じ「わたしたち」。
だけどその立ち位置は。
かたやお産の現場に長年携わり、気付きや疑問を得ては文献をひもとき、言語化を重ねてきた助産師さん。
かたやお産の現場経験はおそらく2年に満たず、そうと悟らせないプロフィールを掲げ、現場の助産師さんの言葉をまねして経験値と見せる助産師さん。
「わたしたち」でくくるには、あまりにも、あまりにも遠いひとたちです。
2019-10-01
元記事
ふぃっしゅさん
2016-02-15
2012-11-24
青 元記事
トリアゲバアサンは「数多くの出産に関与し、技術力も高く、体験豊富な先輩」(p.99)として信頼されていた反面、「きれいな仕事ではなかった」というトリアゲバアサンの言葉が引用されています。
赤 12人産んだ助産師HISAKOさん
でも考え方によっては
お産の場は決して美しいとは言えないでしょう。
また児娩出が近くなると胃が引っ張られて突然嘔吐したり、
胃が刺激されて
突然嘔吐する産婦さんだっています。
あるいは児娩出とともに血液や羊水がドッと飛び散るように出てくるのがお産です。
赤ちゃんが生まれる瞬間に血液が飛び散ることもあるし、
産婦さんが立った姿勢では、介助者はそれらを浴びる可能性もあります。
助産師はお産を介助するときに
羊水やら血液やら
かぶってしまうこともありますが、
大歓迎です!
新生児と分娩介助者を不必要な細菌汚染から守ることも、看護の基本として大事ではないかと思います。
現代の日本の分娩施設は
なるべく周囲を汚染しないようにという意味と、
赤ちゃんを細菌に晒させないという意味で
防水吸水、衛生機能は完ぺきです。
2012-11-26
青 元記事
その教科書に載っている、家庭分娩の準備物品のリストや写真をみると、わずか二十数年でも日本はさらに物質的に豊かになったものだとあらためて驚きます。
現代の日本は、
なんて恵まれた環境で出産できるのでしょうね。
これを読むだけでも、防水のための準備がどれだけ重要か理解できるのではないかと思います。
分娩する場所を準備するとき、
なによりも防水と吸水が重要ポイントになると思います。
いきなりバシャッと着ているものがびしょぬれになる量の、血液の混じった羊水が出て驚いた経験を持つ方も多いのではないかと思います。
急に破水して羊水が大量に噴出することもあるし、
あるいは赤ちゃんが生まれる直前に、産婦さんが自由に立ったり座ったりした姿勢をして介助者が手探りの状態で児娩出を介助するとなれば、羊水や血液だけでなく産婦さんの便がどこに落下するかもわかりません。
ときには産婦の便や尿が出ることもあります。
現代では、防水性の優れた分娩時用の下着や大きめの分娩用ナプキンも何不自由なく準備できます。
分娩用パンツ、大きな分娩用ナプキン、
足を汚さず済むように、足カバーまで
セットされていて、完ぺき!
防水シーツも一見普通の布地と同じ感触のものもあり、快適性も損なうことなく防水効果を得られるものも準備可能です。
しかも、そのパットやシーツは
肌に触れたときにふわっと柔らかく
快適な感触のものになっています。
まさに至れり尽くせり
今は感染予防のために使い捨ての防水シーツを使用し、さらに分娩直前には吸水力のある滅菌した使い捨ての分娩マットを使い、二重の防水対策をしているところが多いと思います。
分娩台は染み込まない仕様になっているし、
使い捨ての防水と吸水力のある滅菌パットやシーツが
分娩セットの中にちゃんと組み込まれています。
こうした優れた防水製品、あるいは羊水や出血を受け止める質の良い分娩用のナプキン類がない時代には、お産の場というのは本当に汚れたのではないかと思います。
昔は、今のような防水製品や
羊水や出血を吸収して封じ込める
質のよいパットなんか存在しませんでした。
そんな時代、
お産の現場は汚染との壮絶な戦いだったと思います。
物のない時代にはそうした汚れを考えて、お産は汚れてもよい場所で、そして汚れて捨ててもよいものを利用して行っていたことでしょう。
お産は、盛大に汚れることを前提で
汚れても大丈夫な場所で
ひっそりと行われました。
そしてもうひとつ、出産の汚れとともにケガレという捉え方で、出産後に褥婦さんが横になれない習慣があったことが、「叢書 いのちの民俗学1 出産」(板橋春夫著、社会評論社、2012年9月)に書かれていました。
当時、赤ちゃん誕生という
本来幸せに満ちているはずの出来事は
「汚いもの」「けがれたもの」と考えるのが
一般的だったそうです。
2012-11-26
青 元記事
昔は産むときはたしかに立位や座位のお産が主流だったようです。
でも、それは産婦さん自らの意思や選択だったのだろうか。
それしか選択がない、横になりたくてもできない選択のない状況もあったのではないか。
そんなことを何回かに分けて考えてみようと思います。
赤 12人産んだ助産師HISAKOさん
それら、レパートリーに富んだ分娩姿勢は、
産婦の意思で自由な姿勢を選んで産む
現代の『アクティブバース』の意味合いとは
ちょっと異なりました。
前回の記事に書いたように、トリアゲバアサンは「いきむと、大便はでるし、きれいな仕事ではなかった」とあるように、出産の場は汚れてもよい場所で行わずにはいられなかったのではないでしょうか。
土間や納戸といった汚してもいい場所、
そういう分娩介助が主流の時代というのは、産む場所には汚れたら捨ててよいものしか使えなかったのではないでしょうか。
分厚く敷いた藁なら、羊水や血液など
吸水性に富む上、お産が終わったら全部まとめて捨てる
ことができますね。
今のように防水シーツなどもなかったことでしょう。
ビニールシートでもあれば便利だっただろうけど、
そんなものさえもない時代には、
産婦さんが自由に動けたというよりも、汚れたら捨ててもいいように藁などを敷き詰めた土間や床で、体を横たえる場もなかったのではなかったのではないでしょうか。
だから物理的に
身体を小さく縮こめて、
身体が狭い床になるべく接触しないような姿勢でしか
産めなかったのではないでしょうか。
2012-11-28
青 元記事
どの文献に書かれていたのか手元にはもうないのですが、特に産後、1週間ぐらい褥婦(じょくふ、お産を終えた女性)さんが体を横たえることもできすになにかに寄り掛かって座って過ごしていたことは驚きでした。
わたしがびっくりしたのは、そのあとです!
そんな過酷な環境で、
産後の女性はなんと
1週間も座ったままで過ごさなければならなかったそうです。
ヨトギとは、睡魔放逐の手段として産婦にとって身近な女性が産室で火を焚いて一緒に一夜を過ごすものである。火を焚くのは単に暖をとるというものではない。夏場でも火を焚くのであるから当然別の意味があると思われる。
真夏の出産であろうと、
身内の女性たちが産後の女性のそばで火を焚きました。
そして夜通し付き添い、眠らせないようにしました。
出産が済んだばかりの産室には獣を始め、目に見えない魔物たちが、誕生したばかりの赤子を狙う。
生まれたばかりの赤ちゃんと産後の女性は
魔物に狙われると考えられていたので
火はその襲来から除ける機能を持つとされる。
火を焚くことで魔物を寄せ付けないようにする
オカルト的な意味があったようです
誕生したばかりの赤子を獣や魔物から守る。
この場合の「魔物」というのは、現代でいえば早期新生児期の母胎外への適応のためのさまざまな変化なのではないかと推測できます。
産後1週間までの赤ちゃん。
現代でいう早期新生児期です。
おなかの中から外の世界で生まれ出て、
胎外環境への適応するまでの数日間は
出生直後の新生児の呼吸や体温が安定しないことも、哺乳力が不十分で体重減少が激しいことも、
不安定な呼吸や体温、未熟な哺乳力、
生理的体重減少、黄疸の出現など
いろんな問題が起きやすいとてもデリケートな時期です。
あるいは黄疸や感染その他の異常により胎外の生活に適応できずに病気になったり亡くなったりすることも、昔は「魔物によるもの」として諦めざるを得なかったことでしょう。
さまざまな異常により、
出生早期に亡くなる子が多かったはずです。
現代でも新生児というのは生後7日までの早期新生児期と生後28日までの後期新生児期に分けて捉えられていますが、私たちにとっては生後数日の赤ちゃんというのはなにか無事に乗り越えたというような安堵感を感じさせるものです。
生後5日目、退院の頃になってやっと
赤ちゃんは胎外適応の最初の山を越えます。
わたしたち産科医療従事者がホッと一安心できる瞬間でもあります。
眠らせない行為は現代の感覚では拷問のように見える。
「産後の女性を眠らせない」なんてただの拷問やん!
と思ってしまいますが、
しかし、当時はそうしなければ産婦は血のケガレから逃れられないと信じられていたのである。
当時は、『魔物』から逃れるために
横になってはならないし、
眠ってはいけないと信じられていたようです。
この出産と血のケガレという考え方から産婦を7日間動かさない風習が、地方によっては1940年代(昭和10年代)頃までの記録に残っていることが書かれています。
「けがれ」が浄化するまでの産後1週間ほどは、
産んだ場所から出ることも許されませんでした。
2012-12-10
青 元記事
こうしていくつかの昔の資料を読むだけで、昔の女性は出産時に「自由に主体的に動き回っていた」のではなく、「横になることも許されない」環境で出産をしていたのではないかと思えています。
赤 12人産んだ助産師HISAKOさん
だから物理的に
身体を小さく縮こめて、
身体が狭い床になるべく接触しないような姿勢でしか
産めなかったのではないでしょうか。
出産場所として、血液などで汚れてもよいような場所が選ばれていました。
土間や納戸といった汚してもいい場所、
また納戸であったり、狭い場所が選ばれています。
土間や納戸といった汚してもいい場所、
家の中でも隠の要素の強い場所には
どこにも陣痛で疲れた体を横たえるようなスペースも、あるいは快適な敷物もなかったのではないかと想像します。
産婦が好きな姿勢で自由に産めるような
ゆとりあるスペースも、
好きな姿勢をサポートする
お布団や枕、クッションなどの用品も
なかったと思われます。
2012-12-03
青:元記事
昭和初期には、ふとんを丸めてそれに寄り掛かり、伏せた姿勢になっていきんだのである。
赤 12人産んだ助産師HISAKOさん
昭和の前半までは丸めた布団を抱え込む姿勢で
寄りかかったまま産むことが多かったようです。
まず、藁のやわらかいものを敷いて、その上に洗ったふとん皮を敷いた。さらに油紙を敷いた上で産んだ。
冷たい床に藁を分厚く敷きつめ
その上に、よしず、花ござのような
草で編んだ敷物などを置いて、
さらに上から布をかけ、その上に油紙を敷いて
産んでいたようです。
ふとんまでいかないね。お産したらそっくりそのまま捨てるの。藁といっしょに全部捨ててね、
分厚く敷いた藁なら、羊水や血液など
吸水性に富む上、お産が終わったら全部まとめて捨てる
ことができますね。
※藁に吸水性はないと思う。
