5.善悪のジャッジは要らない | あなたの守護天使の絵 描きます♪ 多次元的ないしょ話

あなたの守護天使の絵 描きます♪ 多次元的ないしょ話

「行列のできる守護天使描き」ヤミコです。漫画家デビューを経て、ヒーラー・カウンセラーになり、宇宙意識を学ぶメタスピリチュアル講座もやっている国際催眠療法士。

 

 

苦しみから解放される、

唯一の方法。
 

 

それは…



許すこと

 

 

 


 

 

※制作中につき 2017年5月14日の過去記事を再掲載してます。

 

 

今日もめっちゃキツイです(`・ω・´)ゞ

衝撃に備えよ!!

 

 

前回からの続き。

1.この世界は幻想である

2.悲劇のヒロイン

3.バイアス(偏見)な生き物

4.時代は可視化へと移行している

 

 

 

 

「つらいことがあっても、私は強いから大丈夫」


「人に弱さを見せたら負け」
 

 

 

これは、

威嚇しながら生きて来た人が、

自分の身を守るために使う

「観念の鎧」です。

 


虐待されて育った人や、親との関係がギクシャクしてる人などがよく着用してます。


これも一時なら有効です。
心が壊れないよう自我を保つには、

こういう思い込みも時には必要でしょう。


しかし常時このままのスタイルだと、

基本「批判的に監視する正論の人」になりがちです。

 


こうして自分にニセの暗示をかけていくと、いつか本当の気持ちがわからなくなってしまうのです。

鎧を脱がなくては、素直な自分に戻れません。
 

 

親との関係の根っこにあるもの。
それは…

 

 

 

 

もっと 

愛してほしかった。

 

 

 

という気持ちなのです。

 

 

幼い頃の私は、

たぶんとても寂しかったんだと思う。

 

 

両親にも、兄にも、

できればもっと愛されたかった。
 

 

大事にしてほしかったし、

もっと私の気持ちを尊重してほしかった。



その頃はすごくつらかったせいか、

自分の本当の気持ちなんて

考えたことも無かったけど。。。

 


でも今、

大人になって振り返ってみると、

たぶんそうなんだと思います。


でもこれを認めることに、

自分の中でかなり抵抗がありました。
 

 

「メンタルの強い自分」

「人に弱い所を見せない自分」

 

 

こんな風に強がってたので、

どうしても「恥だ」とか、

「みっともない」とか思ってしまうのです。

 

 

そう。


以前の私のように、どちらかというと人に対して「怒り」の感情を持ち、

「攻撃姿勢」で「見下す」タイプの人は、プライドが高いので本音を吐くことを良しとしません。
 

 

正しい人のふりをして、

他者を裁くのです。

 

 

 

でもこういう人は、

ホントは悲しいのだ。

 

 

 

ちゃんと

「悲しかった」「寂しかった」って、

泣いて弱音を吐ければいいんだけど…


強がって斜に構えてるから、

それが出来ない。

 

 

それでも「悲しい」をちゃんと表現してあげないと、その頃の気持ちは浄化されません。
 

 

 

一方、

良い人を演じ、表面上では穏やかで物わかりのいい、良識人タイプ。

世の中いっぱいいます、我慢&義理立ての人。

 

 

こういう人は、

ホントはひそかに

怒ってる。

 

 

 

でも良い人の仮面かぶってるから、

怒っちゃダメだと思ってる。

 

 

「良い人は、ヒステリックな所を見せちゃいけない」
「レベルの高い人は声を荒げたりしない」

 

 

人に嫌われたり、険悪なムードになるのが耐えられなくて、温和な人のふりをしてるだけ。

八方美人で誰からも嫌われたくないだけ。

 

 

ちゃんと「怒り」を外に出してあげなきゃね。
「私には怒りの感情が無いんです」

とか言う人は、ただ気づいてないだけですよ。



「悲しい」を「怒り」に変換するのも、

「怒り」を「悲しい」に変換するのも、

自分を守るため。
 

 

でも、もう逆だから。


今度からは鎧を脱ぎ、

本音を出すことによって、

最大限に自分を守ることが出来ます。
 

 

 

 

綺麗事に聞こえるかもしれませんが…
結局は、

 

 

「絶対に許せない」

 

 

と思う人や出来事を、許せるかどうかだと思います。



「口で言うほど簡単にいかない」

というのもわかります。


でも、ホントは簡単なんです。
複雑にしてるのは自分自身なんです。

 

 

こんなに苦しい思いをしたのに!
私は何も悪くないのに!

あんなヒドイことをされたのに!
なぜ許さなきゃいけないの!?

 

 

そう思うかもしれませんが。。。
でもホントに苦しいのなら、

手放してしまえばいいですよね。



そんなに苦しいなら、

もう要らない思いでしょ。

 


要らないし、邪魔でしょ。

捨てればいいじゃん。
苦しい思い出なんて、別に好きこのんで持っていなくていいんですよ。



だけどなぜか、

「そんなに簡単に忘れられるものじゃない!」と言い張る人もいます。


 

自分で自分を縛っているのです。
恨む気持ちが強いと、

どうしてもその「思念」を離すことができません。
 

 

 

これを「執着」

言います。

 

 

 

 

仏教では『成仏』を説きます。

 

 

本来『成仏』とは「仏に成る」という意味。

 


しかも、

「この身のままで仏になる」という、

生きている身での成仏(悟りの境地)を説いています。



“死んだらこの世に未練を残さず スンナリあの世に行くこと” 

という意味にもなってますが、

 

 

ではなぜ未浄化の思念体が、

いつまでも現世に留まってしまうのか。

 

 

それは、

成仏しきれない「無念な思い」や

「執着」があるから。


本当は人は皆、

「生きてる間に成仏すること」

目指して生まれてきているのです。



ずっと誰かを、もしくは何かを、

許せないままの気持ちでいると…

 


そのつらく悲しい思いは、

「まだ成仏できていない念」

ということになります。



癒されてない、未浄化のエネルギーをずっと抱えているわけです。
 

 

ということは?

 

 

本当はもう解放した方がいいんですよね。



まずは、

自分は未浄化の思いを抱えてる、

ということを自覚すること。

 


そして、癒して浄化して、手放す。



自分を浄霊するのです。

 

 

 

いくら正しさを強要しても、

人は思い通りにはならない。

 

 

私も、自分がホントに鬼になるんじゃないかと思った時もあった。

一生こんな思いをして死んでいくのかと、絶望しかけてた時もあった。

 

 

その思いはハンパなかったです。
でも、もう手放しました。


「良いか、悪いか」

「正しいか、間違ってるか」
「レベルが高いか、低いか」

 


こんな測りようのないことを基準に、

人様をジャッジするのはやめました。
 

 

あ、
勘違いする人がいるかもしれないので、一応言っておきましょう。


「許す」なんて言うと、

良い人ぶってるように思われるかもですが…

 

 

ぜんぶ自分のためだよ。

 

 

嫌いな相手のため?

まっさか~~!おいでニヤニヤ

 

 

自分自身の為に決まってるよ。

自分が一番かわいいんだよ。

 

 

真に苦しんでいるのは誰なのか?

 

 

自分がどんなに苦しんでいても、

相手はちっとも苦しんでないし、

悩んでもいない。

 

 

苦しんでいるのは自分だけゲロー

 

 

勝手に相手をコントロールしようとして、勝手に執着して、勝手に怒って苦しんでいるだけ。

 

 

好きで自分を縛ってるだけ。

好きでドМごっこしてるだけ。

 

 

 

自分の心が

自分の世界を

創造してる。

 

 

 

耳の痛い話盛りだくさんでスンマセン汗

でもこれ、以前の私ですから(/ω\)

 

 

もちろん時間が必要な人もいるだろうし、心の整理が必要な場合もあるだろうし、人によりけりなので。

 

 

ただこんな意見もあるよっていう、

一つの参考にでもなればいいかなと。

 

 

もちろん、

すぐには許せなくてもいい。

 

いつかふっ切れるタイミングが来たらでOK牧場☆グッ

 

 

次回で終わりです~~( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

 

 

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