私たちが日記をつけておいてよかった
河盛好蔵 は「日記について」という文章で、「私たちが日記をつけておいてよかったと思うのは、自分の古い日記を読むとき」であり、そのことによって「自分の人生について多くのことを反省させ」ると述べられている。また、ある人の説として日記は三つの会話、つまり「自己自身との会話、友人や肉親との会話、偉大な創造者との会話」から成り立っているとして個々の場合について例を挙げ説明を試みられている。
記す人に対して以下なる役割・機能
日記は、それを記す人に対して以下なる役割・機能を果たしているのか。逆に言えば人々は日記を記すことによって何を得ようとしているのか。この点についてもディディエが分析している。まず、「日記は手紙と同様、久しい間、他の表現手段を奪われた女性の創作力の避難場所であった」とするように、時代によってもその役割が異なること、また芸術家にとって「日記は、自分の経験や計画を報告する場所として、あるいは芸術理論を表明する場所」として存在することを指摘し、作成者の地位や性別・職業によってもその役割に違いがあることなど明らかにしながら、「なぜこのように多種多様な人々が日記をつける気になったのだろうか」と疑問を発し、これに対して、「ひとつの記憶装置」「一種の倫理的習練」「自己監視」「有益な練習」(ピアニスト
にとっての音階練習のようなもの)「古典的な『相談相手』」などの例を挙げている。
日記はいかなる状況の下に作成
日記はいかなる状況の下に作成されるのか。この点については、西欧 の日記について独創的な日記論を展開されているベアトリス・ディディエの『日記論』に幾つかの指摘が成されている。「監獄的な状況」(獄中日記 など)とそれと正反対の未知の旅へ出た時(旅日記)、さらに「病にとらわれ、自分自身の危機的状況を旅する人」を含めて、特殊な体験をしている時、またはした時(自分自身や時代・社会全体に大きな変化が起こりつつある時、例えば恋愛・革命・戦争など)などを挙げている。「人間の歴史の中で日記の時代があったとすれば、個人の一生においても日記表現にむいた時期がある」として「青春 の危機の数年間」をあげ、ひとの一生の中にも変化を見出だしている点も参考になる。