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日本史における日記

近代以前の日本の史料の代表的なものとして挙げられるのが、古文書 と日記を中心とする記録類である。

日本において記録に残る最古の個人の日記は、遣唐使として唐に渡った伊吉博徳 によるもの(『日本書紀 』斉明天皇紀)とされるが、航海日誌、もしくは遣唐使としての職務の報告書の材料として作成された可能性が強く、個人の日記とは見なさない方がよいと思われる。現象的には、六国史 の編纂が絶えてしまった10世紀以後に、天皇や貴族の日記が出現し、「発生」したように見えるが、もう少し前の時代にさかのぼって想定すべきであろう。朝廷の政務や行事の儀式化が進行し、それらを殿上日記や外記日記などの公日記で記録する一方、それらを上卿などの立場で運営・指導する廷臣や皇族たちの間で、次第に習慣化していったものと考えられ、初期のものとして、例えば、宇多醍醐村上 3代の「三代御記 」などの天皇の日記や重明親王の『吏部王記』などの皇族の日記、藤原忠平の『貞信公記』、同実頼の『清慎公記』、同師輔の『九暦』(九条殿御記)など上級貴族の日記が知られている。

ここでキーン

ここでキーンが戦場に遺棄された日本兵の日記を翻訳する職務の経験から達せられた結論の一つは、「日記を付けるという行為が、日本の伝統 の中にあまりにも確固たる地位を占めている」というものであるが、恐らく本質をついた指摘であると考えられる。ただしこの点についてキーンの著書の本論の部分でより明らかにされたかというとそうではないようである。それはキーンの責任ではなく、これまでの日記研究の蓄積の浅さが原因となっているのである。

日本人は日記好きとよくいわれるが

日本人は日記好きとよくいわれるが、なぜだろうか。例えば、日記専門の出版社 があり、年末になると多種多様の日記が書店 の店頭を飾るのは日本だけということである。この点、多田道太郎加藤秀俊 の対談による「日記の思想・序説」では、その理由として個人的な会話 が下手なことや、欧米諸国と異なり、夜寝る前の神に対するお祈り がないことなどが挙げられているが、原因はそのような表面的なものではなくもっと深いところにあると考えられる。この点について最も印象深い指摘は、ドナルド・キーン が『百代の過客ー日記にみる日本人ー』の序の中で触れられている第二次大戦 中の日本兵の日記(米軍ではつけることが禁じられていた)の話である。