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日記というものの表面的な部分

日記というものの表面的な部分しか説明していないようである。例えば、今日の場合でも、何をもって日記と見なすことが可能なのであろうか。毎日ある一定期間、日記帳というものに、ある分量をもって記し続けたものが日記とするならば、手帳家計簿カレンダー の空白に書き込まれたメモの類いなどは日記ではないのだろうか。さらに言えば、テープビデオ に日々出来事を記録したものは日記と言わないのだろうか。文学的なジャンルの問題でも自伝私小説 などと何処で区別するのだろうか。またそもそも日記が文学 の一ジャンルとして見做されるようになったのはいつからなどはまだ明らかになっていない。

岩波書店

岩波書店 の『日本古典文学大辞典』の「日記」の項(土田直鎮 執筆)を引くと、「個人や公私の機関が、日ごとに出来事を記したものを日記と呼ぶ。またこのほかに、文学作品 としての日記や、ある特定の事件に限っての記録・調書 の類を日記と称している例もある。国史学の世界においては、日記をさして記録と称することが一般的に行われているが、これは史料として用いられる各種の記録の中で、特に日記がその量も多く、また過去を調べる上に抜群に有用であるからである」とある。

このような意見

このような意見については、例えば『土佐日記 』や『蜻蛉日記 』などを例に挙げて反論される者も多い。確かに古典 として認められている、これら平安時代 の日記については実に数多くの研究がなされている。しかし、これらの少数の著名な日記は、周知の通り作者が同時性をもって記していったものではなく、後のある時期に一つの作品として仕上げられたものである。また、同時代に作成された日記のごく一部に過ぎないはずで、これらの作品を花開かせた数多くの無名の日記群が、これらの土壌として存在する。

次に日記についての一般的な理解を示しておく。まず試みに小学館 の『日本国語大辞典 』の「日記」の項を引くと、「 (1) 事実を記録すること。またその記録。記録。実録。にき。 (2) できごとや感想を一日ごとにまとめ、日づけをつけて、その当日または接近した時点で記録すること。またその記録」とある。