平安時代には公家
平安時代には公家と深いつながりのあった僧侶の日記も登場し、中世に入ると寺社の日記が発生するようになる。寺院の日記としては『東寺執行日記 』・『大乗院寺社雑事記 』・『多聞院日記 』、神社の日記としては『鶴岡社務日記 』・『春日社記録 』・『祇園執行日記 』などがある。更に鎌倉時代には武家の日記も出現し、『吾妻鏡 』は近年では御家人 などの日記を集成して作った記録集であったと考えられている。武家の日記は公家や僧侶のそれよりも伝わる数は少ないものの、室町時代 の蜷川親元 『親元日記 』や相良正任 『正任記 』、大館尚氏 『大館常興日記 』、戦国時代 から江戸時代 初期にかけての上井覚兼 『上井覚兼日帳 』や梅津政景 『梅津政景日記 』など優れた日記も伝わっている。
写本間の異同は大きくはない。
紙は貴重であったために、日記は具注暦などの暦の余白や裏側に記載したり、反故になった紙の裏側を用いられた例(紙背文書
)が多い。また、これを上手く利用したものとして、伏見宮貞成親王
の『看聞日記
』のように自らの和歌・連歌の書付の裏に日記を記して歌と日記の両方の保存を図ろうとした例や万里小路時房
の『建内記
』のように出来事に関連して遣り取りされた手紙や文書の裏側にその出来事に関する日記を綴った例もある。また、日記の著者が後日になって改めて文書を整理して清書した例(『後二条師通記
』・『兵範記』など)もある。なお、子孫が日記を書写・清書する例もあったが、その場合重要とは思われない部分が省略される場合はあるものの、原文に忠実に書写されることが多く、写本間の異同は大きくはない。