冬に重宝するアイテム。 | 女浪士 あずみ

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1560年頃、イギリスのエリザベス女王1世に贈られたという手編みの絹靴下の写真もありました。

初めてこの靴下を履いたエリザベス女王1世は、「これよりあと、布地の靴下を廃した」とか。つまり、編み物の靴下以前に、布地でできた靴下も存在していたということです。

また、女王が認めるほど、手編みの靴下は、布地のものより快適だったということもうかがえます。

イギリスで手編みの靴下が普及していったのも、当然のことかもしれません。

靴下の「形」。

「直角」の形をしているのがわかるでしょうか!?。

工業化以前の手編みだった時代、靴下は足の形に合わせた「直角」だったのです。 

では、靴下の形は、いつ頃から120度に変わっていったのでしょう!?。

イギリスの牧師、ウイリアム・リー(1563~1610)によって靴下編機が発明されたのは、エリザベス女王時代の1589年。

手編みの熟練者の6倍の速さで編めたというその機械は、当時としては革命的な発明でした。

その後、編み機の普及や、改良が進むにつれ、靴下の主流は手編みから機械編みへ。靴下の形も120度に変わっていきました。

靴下の形は、工業化と深い関係があったのです。
日本最古の靴下と言われているのは、外国製品として水戸家へ献上され、水戸光圀(1628~1700)が使用したとされる靴下です。

江戸中期には、すでに手編みの方法が日本に入ってきており、足袋の代用品として靴下も編まれていたとか。

その後、明治初期には手回しの靴下編み機が輸入され、日本でも本格的に靴下工業が始まりました。

以降、工業製品としての靴下は、技術革新とともに、編地や編み柄、素材などについてめざましい進化を遂げましたが、形については多くの靴下が120度のまま現在に至っています。

これは、前述のイギリス同様に、効率を上げる機械化のためという理由によるものです。