牛乳苦手。 | 女浪士 あずみ

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日本の歴史で牛乳が登場するのは、飛鳥・奈良時代の645年。大化の改新のころ、呉国(後の中国)の主・照淵の子孫で百済からきた帰化人、智聡の子「善那」が孝徳天皇に牛乳を献上したといわれています。

(古代の日本では、牛は田畑を耕す労働力としての利用がほとんどで、また頭数も少なかったため、乳を利用することはほとんどなかったようですが、「日本書紀」の中で神武天皇の東征の折り、弟猾(おとうかし)という者が『牛酒』(ししさけ)を賜ったという話があることから、弥生から古墳時代にかけて、牛乳が飲用されていた可能性もあるといわれています。)

701年に制定された大宝律令では、官制の「乳の戸」という酪農家が都の近くに設けられ、三宮(天皇、皇后、皇太子)に毎日三升一合五勺(2.3リットル)を供御し、余りは煮詰めて濃縮した練乳のような「酥」に加工され、さらに「酥」を精製した「醍醐」(チーズやバターのようなもの)へと加工されました。

その後牛乳は貴族用の飲用として広まりましたが、平安時代以降、仏教での殺生の禁止や朝廷の衰退により次第に廃れ、歴史上からもしばらくの間姿を消しました。

江戸時代になり、1727年に8代将軍吉宗がオランダ人から馬の医療用として牛乳の利用をすすめられ、インドから3頭の白牛を輸入すると、近代酪農の始まりといわる牛の飼育が千葉県安房郡で始められました。

日本の開国後に多くの外国人がやってくると牛乳の必要性がさらに高まりました。

牛乳・乳製品が大衆の間に普及しはじめたのは、明治に入ってからです。

文久三年(1863年)、千葉県長生郡関村の前田留吉がオランダ人から搾乳技術を学び、横浜で牧場と牛乳搾乳所を開き民間の牛乳販売業者第一号になりました。

その後、前田は牧場を拡大し明治8年には88頭もの牛を飼育。この頃にはすでに、前田以外にも160人以上の販売業者ができていました。

この文明開化の新商売となった牛乳屋さんには、禄を失った武士たちが大勢いたといわれており、明治2年(1869年)6月に横浜で「あいすくりん」(アイスクリーム)を販売し成功した町田房造も元は旗本でした。

明治政府は、殖産興業の一環として酪農を取入れ、そして牛乳の栄養価値のある優れた食品であることを説きました。

当初の販売方法はブリキ缶に入れる秤売りでしたが、1889年に『牛乳搾取規則』ができると、牛乳はガラスびんで売られるようになりました。

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