山野ゆきよし日記
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「海の日」の由来を話してくる

 7月21日、勝兵塾金沢支部で講演。アパグループの元谷外志雄会長が主宰する勉強会「勝兵塾」、私は市長時代から、声をかけていただき、何回か出席。

 

 この日は、一週間遅れではあったが、「海の日」の由来から始まり、祝日の意味の大切さを出席者とともに共有させていただく。

 

 

 祝日「海の日」、簡単に時系列に沿って整理していく。

 

 平成8(1996)年、祝日法の改正により、7月20日が「海の日」として祝日とされる。

 

 平成15(2003)年、天下の悪法である、いわゆる「ハッピィマンデイ法」により、7月の第三月曜日が「海の日」とされる。

 

 そもそも、なぜ、祝日「海の日」を設けるに際し、『7月20日』が選定されたのか。

 

 明治9(1876)年、明治天皇が明治丸で東北地方巡幸の際に青森から函館経由で横浜へ海路で戻られた。その明治天皇の横浜御帰着の日が7月20日であった。
 

 そのことをもって、昭和16(1941)年、当時の逓信大臣村田省蔵の提唱で、その7月20日が「海の記念日」と制定された。


 そして、その「海の記念日」をもって、平成8年から7月20日が「海の日」と決められた。

 

 「7月20日」の意味を持つ明治9年から、65年の時を経て、昭和16年に、その日が「海の記念日」とされることになった。

 

 さらに、「海の記念日」から祝日「海の日」になるのに、55年を要することになる。

 

 つまり、「7月20日」のことが起こり、祝日「海の日」になるのに、なんと、120年もの時間を要したことになる。

 

 その経緯、出来事、私の思いを話をする。実は、このことは、2003年7月21日の、私のブログ「海の日」にまとめてある。そのことをできるだけ簡潔に申し上げる。ご興味のある方はぜひにリンクから入って読んでほしい。なかなかいいことが書いてある。

 

 この話、好評だったようで、懇親会でも何人もの方から声を掛けられる。よかったよかった。

 

 日本人として祝日の意義は大切にしたいし、その意識をあいまいにさせようとする、ハッピィマンデイ法が天下の悪法と私が考える所以である。

「『金沢縁の人』東京本部」発足

 7月18日、「『金沢縁の人』東京本部」発足。

 

 金沢市には多くのナショナルカンパニーの支社、支店、営業所がある。そのトップは、その会社のリーダーであり、近い将来、業界のリーダーになり得る方たちばかりである。民間企業のエース。

 私が市長に就任してすぐにそんな方たちに集まってもらっての意見交換会を作る。言ってしまえば、行政が主宰する異業種交流会といったところか。

 「雪吊り会」と名付けてもらう。彼ら彼女らが転勤する際には、引き続き金沢市の応援団になっていただきたいとの思いから、「金沢縁(ゆかり)の人」という制度を作り、そこに登録してもらう。

 

 今年1月、首都圏に勤務する「金沢縁(ゆかり)の人」の何人かが集まって、ミニ同窓会を行う。私からは、地震に見舞われた能登を応援すべく、ぜひに、金沢や加賀に来てほしいと強くお願いする。

 

 今回、金沢市の村山市長の東京出張に合わせて、「『金沢縁の人』東京本部」を発足とする。まあ、本部でも支部でもなんでもないが、単なる同窓会。

 

 

 近況報告と同時に、やはり、能登を応援すべく、金沢、加賀に行ってお金を落とすこと、さらには、できるだけ能登に足を運び、経済を回すことに寄与してほしいとお願い。

 

 皆、意識が高い。しかも、彼ら彼女らの後輩たちも、現在、石川県で頑張っている、その後輩たちの激励を兼ねて、すでに何度も、石川県に行ってくれて、お金を使ってくれている人たちばかり。今一度、お願いする。

 

 今度は、秋に集まろう。それまでに、最低一回以上、金沢に行き、そのまま能登に足を運んでもらうことを約束し合う。

 

 それにしても、一月に集まった時の私のSNSでの発信の表題が、「まずは、金沢と加賀に来てほしい その2」であった。すでに私はリーダーではないが、その矜持をもって震災対応に向き合っていた。

 

 石川県内にいなくても、できることはまだまだある。

あのTSMSで有名な菊陽町で講演

 7月12日、熊本県菊陽町で講演。現在、日本で一番元気な地方都市と言っても過言でなかろう。なんといっても、台湾の半導体製造企業のあのTSMCが進出してきた町。絶好調。その様子は報道でもよく知られている。

 

 

 菊陽町役場。町が元気なうちに、庁内DXを徹底的に進め、働く職員の負荷を減らし、ひいては町民に対する行政サービスを高めていこうというもの。もちろん、これからの若い人に選ばれる職場になるためにも、ここは避けて通ることはできない。

 

 調子がいいときには、それをできるだけ持続させようと守りに入るリーダーが多い中、この𠮷本町長は、こんな時こそ、将来のあるべき姿を目指して、新たな挑戦をしていこうとしている。流石だ。

 

 私は、講演に招かれた際、団体名はともかく企業名や自治体名は、基本的には明示しないようにしている。ただ、菊陽町役場は、記者クラブに今回のことを案内をし、取材を促している。実際、地元報道機関も取材に来られる。ならば大丈夫。名刺交換。えっ、本当に本当なんですか・・・。まあ、講演を最後まで聴いてくれたらわかるよ。はい、わかりました。

 

 

 前日の夜は、仲間と一緒に食事へ。私は、地方に行った際、乾杯のお酒は地元の日本酒にこだわる。菊陽町に酒蔵はないということで、熊本県のお酒。変わったラベル。美味しかった。講演をするのは翌日の午後ということもあり、皆と一緒にしこたま痛飲。

 

 

 美味しかった。楽しかった。

7月6日、ソフトバンク若手と能登へ

 7月6日、ソフトバンク若手と能登へ。

 ソフトバンクは全国のいくつかの自治体から、若い職員の受け入れを行っている。ソフトバンクにいる間に様々な経験をして、ITリテラシー、DXリテラシーを高めてもらい、本庁に戻った後も、その若手リーダーとして自治体のDX化を進めていってもらおうという趣旨。

 今回、そのうち6名の有志で休日を利用して能登に入ることになった。特筆すべきは、会社から言われたわけではなく、自分たちの意思で準備を重ね、この日に至ったということ。まるっきりプライベート。意識が高い。

 ソフトバンクはスターリンクやWOTAさらには、ヤフーの検索やGPSによる人の流れ等を分析することによって、復興支援に大きく寄与している。

 そんなところに出向している地方自治体公務員としては、その状況をリアルで体感しておきたいとうことであろう。

 何度も能登に足を運んでいる石川県民である私からは、二つの助言、提案を行う。

 一つ目。昼食は、ぜひに、「ココハサトマチでとるとようにとのアドバイス。代表の奥田氏は、本当にいい男。こんな人間が能登の復興に力を尽くしてくれる。

 

 


 二つ目。同じ行政の現場を経験して、現在、陣頭指揮を執っておられる輪島市の坂口市長に面談の機会をお願いする。坂口市長、全国の自治体からの支援により、少しずつではあるが、復興が進みつつある。そのお礼も伝えたいと、もったいないお言葉もくださる。

 



 いずれも、彼ら彼女らにとっても、貴重な経験になったと思うし、翌7日も、彼ら彼女らのできる能登復興支援をしてくれていると思う。

 人財は、地方にいる。

7月1日、白山比咩神社へのおついたちまいり

 7月1日、白山比咩神社へのおついたちまいり。今月もお詣りができてうれしい。3時50分、ソーイチロー、ダイスケと合流。コーヘイは出張でお休み。4時半からの日供祭(にっくさい)及び「おついたちまいり」。

 

 6月30日の夕刻、夏越(なごし)の大祓(おおはらい)の祭典。夏越の大祓とは?白山比咩神社のHPより引用。

 

『日頃、無意識のうちに犯している過ちや罪穢れを、大神様の大御稜威によって祓い清め、明るく楽しく、大晦日まで健康に過ごせるように祈る神道行事です。人の形をした紙を撫で、息を吹きかけて罪穢れ・諸病・その他災害を移し、古歌を唱え、茅の輪を3度くぐって神前にお参りします。』

 

 その唱える古歌とは、「白山(しらやま)の夏越(なごし)の祓(はら)いする人は、千歳(ちとせ)のよわい延(の)ぶというなり」。申し訳ない、その歌を覚えて口ずさみながらとはなかなかいかない。

 

 毎年7月1日のおついたちまいりでは、この「茅の輪くぐり」を行う。写真はおまいり前と後のもの。それにしても激しい雨。

 

 

 今月の言葉。

 「己を克(せ)せめて礼に復(かえ)る」(論語)

 

 次のように解説がされている。

「他者を責める前に、自らを自省し、礼節を失わぬ慎みの心が大切であります。引くことを知らぬ正義の争いは世の中を乱す原因となります。気をつけましょう。」

 

 「克己(こっき)」なる言葉はここから来たもの。

 

 さて、そのまま金澤神社のおついたちまいりへ。金澤神社でもやはり「茅の輪くぐり」を。国産の真榊もいただく。この真榊は東京のマンションの神棚にもお供えをしている。金沢でも東京でも毎日、感謝の気持ちでお水を替える。


 その後、夫婦で、自宅の氏神様の長坂埜神社へおついたちまいり。次いで、山野家本家のお墓、私の両親が眠るお墓、妻の実家のお墓におまいりする。

 長年の毎月1日、山野家の恒例行事。

この日は、大阪府内において講演

 6月27日、大阪府内において講演。今日は、本職の自治体DX推進について。いや、もちろん前日の能登半島地震対応の講演も本職でした。

 

 リアルで100名弱。カメラもあり、オンラインで他の会場でご覧いただくのかと思ったら、録画をして後から研修で使うとのこと。なるほど、いろいろなやりかたもある。そんな時代。

 

 

 

 夜は、仲間で集まって自分たちで作るたこ焼き屋で。もちろん、私は見てるだけで作りはしない。皆で相当飲み食いしたように思うが格安。

 

 しばらく関西は続きそう。楽しみだ。

久しぶりに、金沢大学で講義

 6月26日、金沢大学で講義。金沢市長時代から毎年一回は講義をしてきた。その流れで、私は金沢大学客員教授の任も受ける。定期的なコマを持つというものではなく、大学の求めに応じ、都度、内容や日時を決めていきながら講義をするというもの。

 

 160名余りの学生を前に本年度第一回目の講義。能登半島地震でソフトバンクをはじめとした通信事業者が果たしてきた役割から導き出される学び、さらに話を敷衍させてスタートアップに至る話。

 

 

 60分の講義のあと、質疑応答が30分。皆、熱心に聴いてくれた。学生さんの質問も途切れることがない。それにしても、レベルの高い質問が続く。

 

 

 最後は、ソフトバンク竹芝本社訪問の案内も。

 

 この中から、一人でも有為なリーダーが誕生することを願う。

 

 夜は、大学の先生方と懇親。多くの学びをいただく。

金沢真甫会にてお稽古

 6月21日、金沢真甫会にてお稽古。

 

 金沢真甫会とは、遠州流茶道宗家十三世お家元小堀宗実先生を金沢にお迎えしてのお稽古する仲間の会。この日は、月一回の自主稽古。地元の先生方にご指導いただいてのお稽古。

 なかなか日程が合わず、久しぶりの参加。毎回、久しぶりなので、毎回、一からやり直すことに。いや、ゼロからか。

 

 この日、スコーンとスケジュールがはまり、お稽古が始まる前に会場に入る。こんな感じ。

 

 

 お稽古の後、先生から、だいぶん身体が覚えていましたねとのお言葉をいただく。そうか、こんなペースでも続けていけばいいんだとうれしくなる。今度は、いつ行けるだろうか。

仙台市へ日帰り出張

 6月18日、宮城県仙台市へ日帰り出張。

 

 

 私は、講演依頼等県外出張の予定が入った際、加えて、近場のクライアントもしくは見込みクライアントのどなたかのアポを入れるようにしている。少々無理をすることもある。

 

 時間や出張費等のお金がもったいないと思うと同時に、なんとなく不完全燃焼の念が強く感じられてしまうから。うまく日程が重なると仮に日帰りであっても、仕事をした気分になれる。

 

 今回、いろいろな事情が重なり、仙台市まで行き一件だけの訪問で、即、帰京することに。本当に即。写真もこんなものしかない。めちゃくちゃ損したような気分。地酒どころか、地の食もいただかなかった。

 

 市長時代、市内のどこかに公務で出かける。時間があれば、その前か後の時間に、近くの、小・中学校、公民館、児童館、市公共施設等々に飛び込みで訪問する。関係者と意見交換。楽しかった。その癖がまだ抜けないんかな。

スターリンク撤去とスターリンク設置

 6月14日、輪島市内でスターリンク撤去とスターリンク設置。

 輪島市立門前東小学校で設置していたスターリンクの撤去回収。この小学校は、避難所にもなっていたこともあり、4基設置していた。撤去回収を終え、校長先生にあいさつに職員室にお伺いする。何人もの先生方から本当に助かりましたとお礼を言っていただく。よかったよかった。

 

 小学校の廊下の先に、ソフトバンクが避難所に設置した災害対応キットののぼり旗を見つける。多くの方にご利用いただいたならばうれしい。

 

 

 一方、輪島市内で新たにボランティアの方たちの拠点施設にスターリンクを設置する。この施設、これまでの利用者は少人数でもあったので、各々、テザリングでネット対応をしてきたという。ところが、7月からはすでにいくつかの大学の学生さんたちがまとまった人数で入ってこられる予定。そんなこともあり、スターリンク設置の要請を受ける。すぐに対応する。

 



 学生さんたちがたくさんボランティアで来てくれるのはうれしい。ただ、反面、この時期でもスターリンク設置の要請が新たに寄せられるということに、改めて、いろいろな意味での、”長丁場”が感じさせられてしまう。
ちょっと複雑な思いも持つ。

 

 先日、本当にネットのスピードが速く、助かる、うれしいとのお言葉。引き続き、できる限りのことをしていこう。

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