山野ゆきよし日記 -3ページ目

金沢美大の原智先生の作品が第71回日本伝統工芸展の総裁賞に選ばれる

 9月16日、日本橋三越本店で行われている第71回日本伝統工芸展へ。昨年は、石川県にゆかりのある作家さんの作品をすべてSNSで発信して応援しようと肩肘を張って会場に向かう。

 

 

 ただ、その石川県ゆかりの先生方の作品数があまりにも多く、これは無理だと途中で諦める。改めて、”工芸王国石川”の底力を痛感する。

 

 早朝、金沢駅から新幹線で東京駅へ。そのまま日本橋三越本店へ直行。11日に始まったばかりで最初の3連休ということもあってか、大変多くの鑑賞者、人出。


 文化的素養のない無粋な私ではあるが、じっくり堪能しているうちに、あっという間に2時間以上経ってしまう。やはり、石川県の作家さんの作品は数多くあった。私はよく知った作家先生の作品の前に立つたびにうれしくなる。ああ、楽しかった。

 

 特に今回の最高賞である「日本工芸会総裁賞」には金工の原智先生の作品が選ばれる。原先生は、石川県ゆかりどころか、金沢美術工芸大学の先生でもある。これは、本当にうれしい。先生の作品写真は投稿させてほしい。

 

 先生の作品の前には人だかりで、ちょっと離れて写真を撮らざるを得なかった。

 

 

 ぜひに、会場に行って多くの先生方の作品を観てほしい。9月23日(月)まで。

なぜか、「能登復興支援プロジェクトバスツアー」へ参加

 9月15日、急遽、「能登復興支援プロジェクトバスツアー」へ参加。でも、楽しかった。

 

 2日前、旧知の旅行者の方から電話。能登視察バスツアーのキャンセルがいくつか出た、山野さんはこれまで何十回と能登支援に入っていることはよく知っている、それだけ能登へのお気持ちもあるということも、どうですか?

 

 営業マンは営業に弱い。すでに、この日はある行事に出席する予定も入っている。正直、一瞬、迷いはした。ただ、能登への想いと言われたら、はい、わかりましたと返事をするしかない。

 

 日程を調整し、朝6時金沢駅出発、午後6時金沢駅着。よく状況がわかっているところがほとんどではあったが、少しずつ、公費解体が進んでいる様子も強く感じる。

 

 そんな中、「奥能登すず宿泊体験施設 木ノ浦ビレッジ」だけは、震災後、初めて足を運んだ。指定管理を受けている会社の山口侑香社長から、地震当日からエリアとして孤立していた数日間の状況をお聞きする。皆、身体を乗り出して聞き入る。

 

 

 私は能登の厳しい光景の写真は投稿しないようにしているが、この写真はいいかな。暖炉の煙突が外れてそのままの様子を、今となっては、笑い話として披露してくれる山口社長。彼女の明るさがそれを許してくれるような気がする。そんな暖炉も、もともとあったオブジェのように見えるくらい。

 

 落ち着いたら、ここにもう一度来たい。本当にそう思った。

 

 昼食は、例の「ココハサトマチ」。皆で例のポーズ。

 

 

 能登のことは忘れてはいけない。来週も再来週もこのテーマで講演が入っている。しっかりと伝えてくる。新しいネタも仕入れたし。

久しぶりの遠州流金沢真甫会でお茶のお稽古

9月10日、久しぶりの遠州流金沢真甫会でお茶のお稽古。

 

遠州流のお家元に金沢にお越しいただいてのお稽古。お家元をお迎えしてのお稽古に参加したのは久しぶり。まあ、いつも久しぶりだけど。

 

すっかりお作法を失念してしまっている私は、今日も、ほとんどゼロから、いやマイナスからご指導いただいてのお稽古。

 

あまりにもお粗末すぎるので少々自己嫌悪に陥る。ただ、仲間の皆、本当にいい人ばかりなので、次回へのモチベーションにつながる。

 

お稽古の後の、勉強会。江戸時代の懐紙和歌をお軸にしたものを、それぞれ拝見しながら、お家元のご教授。すみません、全部忘れてしまったのでここで解説はできないが、すごくおもしろかった。

 

 

毎回、知的好奇心が大いにくすぐられる。懐紙和歌は「3行3文字」で書くということだけは覚えた。次回も頑張ろう。

栃木県と福井県

現在、金沢の住まいと東京のマンションとのいわゆる二拠点居住というやつで、それぞれを拠点に、全国を出張で回っている。

 

全国を回っての楽しみの一つは、仕事を終えた後、地の食べ物を肴に地のお酒をいただくこと。

 

ところが、金沢と東京に住まいがあるため、北陸や首都圏の出張は日帰りを余儀なくされる。特に、なまじっか、公共交通が充実しているだけに、首都圏と言っても、栃木県、群馬県、長野県あたりも”首都圏”に入ってくる。

 

”首都圏”出張で日帰りとわかっていると、逆に、時間がもったいないので、それらの帰りすがらに、本当の首都圏で他の訪問先を入れたりする。

 

ということで、先般、栃木県内に出張で行った際、仲間の皆と、やはり、昼食は餃子だろうと、がっちりといただく。

 

同様、つい先日、福井県内に行った際も、小浜港近くのお店で、新鮮な「いか丼」を昼食にいただく。

 

いずれも、首都圏、北陸の日帰りエリア。しかも、夕方までに、東京、金沢で他のアポも入れてしまう。地のお酒はいただかなかった。記録に残しておく。

令和の仕事と昭和の仕事後

金沢のスタバで次のアポまでの時間調整。
 
民間に戻ってやがて2年。カフェやコワーキングスペースで仕事をすることが当たり前になっている。ときには、くつろぎながら、あるときは、あわただしく。
 
特に、今回のような出張(金沢での仕事が『出張』という表現もふつうになった!?)の際、小間切れ時間では本当に多くなった。
 
市役所、県庁の職員もそんなふうになれば、もっと生産性も高まるし、職員のメンタル安定にも寄与する。
 
そんな思いも込めて、金沢市は2020(令和2)年度に本庁舎はすべてフリーアドレスにした。課題もまだまだあるが、職員の皆さんが、さらなるブラッシュアップを重ねてくれている。
 
余談。そもそも、日曜日に仕事をしていること自体がいかがなものか・・・。続けて言い訳。出張ではどうしても時間外でやることが多く残る。その理由。仕事の後、地のもので楽しく一献傾けるから。ここは昭和のまま。

 

 

金沢大学の学生さんが、ソフトバンク本社視察及び研修

 8月30日、金沢大学の学生さんがソフトバンク竹芝本社に視察及び研修に来てくれる。

 



 柄にもなく、私は金沢大学の客員教授という任もいただいている。今年の6月下旬に久しぶりに講義をしてきた

 学生さんたち皆、びっくりするほど真剣に聴講してくれる。レベルの高い質問も。あまりにも前向きな姿勢に、その後、先生とも話をして、私から、ソフトバンク本社訪問を提案すると、学生さんたちに呼びかけてくれることになる。

 急な企画、まったく予算化していないことでもあり、交通費宿泊費等すべて、学生さんたちの自己負担となる。当然、単位になるものでもない。現地集合現地解散の視察及び研修。

 意欲はあるが日程が合わなくて参加が叶わなかった学生さん、台風の影響で残念ながら来ることができなかった学生さんもいたが、学生9名、教職員2名でお越しくださる。

 詳細はここでは書かないが、実は、横で研修内容を聴いていた私自身も大変勉強になった。私も学生時代にこれくらいの学びに浴していれば、もっと、違った人生が送れていたのではと忸怩たる思いに浸ってしまった。

 この中から、日本を牽引していく新たなリーダーが一人でも生まれてくれればうれしい。

片町の「夢拾い」

 9月1日、片町の「夢拾い」に、本当に久しぶりに参加する。早朝のおまいりを終え、大急ぎで着替えて、片町へ向かう。

 

 

 何度か書いているが、このグループの皆さんは、毎週日曜日朝6時半から片町近辺のごみ拾いをしている。ごみを一つ拾えば、まちが一つきれいになる、ごみはそのきっかけを与えてくれるものとばかりに、「ごみ拾い」ならぬ「夢拾い」と名付けて20年近く片町清掃を続けておられる。私も市長時代から、今日に至るまで、誘われるまま何回か参加している。いや、そろそろ、十何回かと書いてもいい感じかな。

 

 実は、毎月第一日曜日は、片町商店街の方たちも清掃活動をされている。今月は、この日がそう。よく知っている方たち何人かにお会いする。ということで、毎月第一日曜日は、表通りは、片町商店街の方たちに任せて、夢拾いの仲間は一本裏側の道の「夢拾い」をする。

 

 一本裏側の道ということを考えても、これまでよりもごみが少ないように感じた。台風が近づいているとの報道からか、もしかしたら、昨晩は片町の人出が少なかったのか。

9月1日、おついたちまいり

 9月1日、白山比咩神社へのおついたちまいり。先月はお休みをしてしまったので、二か月ぶりのお詣り。それだけにうれしい。3時50分、ソーイチロー、ダイスケと合流。コーヘイはお休み。4時半からの日供祭(にっくさい)及び「おついたちまいり」。

 

 おまいり前と後の写真。

 

 

 今月の言葉。

 「風に順(したが)いて事(こと)を発(はつ)す」(論語)

 

 次のように解説がされている。

「風上から声をかければ聞く人も明らかなように、他の助けを得て勢いに乗じ、速やかに物事を成し遂げられます。」

 

 何事も自然体が大切ということを、改めて教えていただく。

 

 さて、そのまま金澤神社のおついたちまいりへ。8月は暑さのためであろうか、早くに元気がなくなってしまう。この真榊、東京のマンションでも神棚にお供えし、毎日、感謝の気持ちでお水を替える。

 


 その後、夫婦で、自宅の氏神様の長坂埜神社へおついたちまいり。次いで、山野家本家のお墓、私の両親が眠るお墓、妻の実家のお墓におまいりする。

 長年の毎月1日、山野家の恒例行事。

青森県の翌日は沖縄県で











8月28日、沖縄県で講演。「防災大会議」と大仰に銘打たれたセミナー。3キャリアそろい踏みとのことで、ソフトバンクは私が登壇することに。ドコモさんは旧知の金沢支社長さん。久しぶりにお会いし、いくつか懐かしい話題も。


意見交換会の後、仲間と沖縄の食を供してくれるお店に。やはり、オリオンビールと泡盛。当然、この日の昼は、沖縄そば。それで、十分仕事をした気分。

前日の青森県から、一旦、東京に戻り沖縄県へ。台風で飛行機も心配であったが、大きく迂回して無事に沖縄県に。帰りの飛行機も大幅に遅れる。なかなかシュールなスケジュール。

あっ、正装のかりゆしで話す、呑む。

青森県にて講演

8月27日、青森県にて講演。翌朝の地元紙にも掲載されるということなので、ここでも書く。青森県の宮下知事をはじめ防災担当職員の皆さんの前で、能登半島地震対応について話をしてくる。

今回、復興の進捗は、半島ゆえの地理的な要因にも大いに左右されていることは否めない。

下北半島、津軽半島と二つの半島を持つ宮下知事及び青森県ご当局の危機感、本気度は並々ならぬものがある。約束された時間を過ぎてもいくつも質問をされる、いただく。私も真摯に答える。

決して長い時間ではなかったが、充実した議論。今後、広くさまざまなことが展開していくことを予感させるものであった。

ご当局の皆さんに、これまで能登を支援くださったことへのお礼を申し上げるとともに、改めての能登への来訪をお願いする。

当然、前日は、仲間とともに地酒を痛飲。