30年数年ぶりに、東急世田谷線に乗る
5月23日、30年数年ぶりに、東急世田谷線に乗る。以前、やはり都電荒川線に30数年ぶりに乗車したことを投稿した。荒川線以上に久しぶりだと思うので、40年ぶりくらいであろうか。
『都電荒川線(東京さくらトラム)とともに東京都内に残っている軌道線であるが、全線が新設軌道となっており、都電とは違い、道路上を走行する併用軌道はない。駅間距離はすべて1km未満。全区間乗車した場合の所要時間は17 - 18分である。』(「Wikipedia」より引用)
なるほど、都電荒川線よりはレトロ感が伝わってこないのは、『全線が新設軌道となっており、都電とは違い、道路上を走行する併用軌道はない』というところからか。それとも、荒川区と世田谷区とのイメージの違い?都電と東急電鉄との営業形態の違い?いやいや、それでも十分すぎるほどノスタルジック。
私は、「乗り鉄」でもなんでもないが、思わず、胸弾むような思いで電車に乗り、写真も撮る。
久しぶりの静岡県、すみません、まったくまちを歩いていない
5月15日、静岡市で講演。そもそも静岡県にお伺いしたのは何年ぶりだろうか?
さて、ネットで調べたら、金沢駅から静岡駅まで4時間以上かかるという。私の講演はDX戦略セミナーの一環であり、そのセミナーの開始自体が午後3時。それではと、ちょっと寄り道をすることに。
金沢を早朝に出て、静岡県裾野市へ。東海道新幹線三島駅から、タクシーで30分弱。その場所に行きたかったのではない。人に会いたかったのだ。いろいろと話をしたかった。一時間あまりの短い滞在であったが、実りある意見交換が出来た。
講演会場は静岡駅前のホテル。開始一時間前に入る。リハーサルのリハーサル。50人少々が入るくらいか。これくらいの会場がマイクもいらないくらい(使ったけど)で、聴衆全員の表情もうかがえることもでき、緊張感をもって話すにはちょうどいいかな。
今回、私の写真はない。私の次の方が話されている様子を撮る。懇親会もそこそこに、会場を出て新幹線に飛び乗る。本当に、飛び乗るという感じの旅であった。
翌日、東京のソフトバンクオフィス31階。あっ、富士山だ。昨日、富士山の文字通り裾野にある「裾野市」に行ったのに、天候に恵まれず、その雄姿を拝むことはできなかった。それなのに、翌日、東京で遠望できてしまう。
そんなこんなも含めての「静岡県講演始末記」でした。
山形市はきれいなまちだった
5月12日、山形市で講演。そもそも山形県にお伺いしたのは何年ぶりだろうか?
さて、ネットで調べたら、金沢駅から山形駅まで4時間53分かかるという。この日の前後にいくつか日程が重なっていたこともあったので日帰りにしようかと思ったが、これでは講演時間以外は新幹線に乗っているだけになりそう。幸い、前日の夜、山形在住の仲間との時間調整ができた。おいしい地酒をいただくことに。
行きの山形新幹線乗車中、急遽、車両点検が入り、30分少々新幹線内で待機することに。山形駅に着いた頃には、気持ちも含めて一丁上がり状態になってしまう。それでも、地元の方がよく行かれそうな庶民的なお店につれて行ってもらい、ここは予定通り、おいしい地酒をいただく。
いろいろな種類のお酒を飲もうということで、そこそこの左党3人ではあったが、あえてすべて一合ずつにして、何種類も。食事の写真をあまり撮ることのない私だが、いただいたもののうちの有名どころいくつかのラベルを撮る。
翌日の講演は午後であることをいいことに、ちょっとずつ10銘柄くらいを皆でいただいたのでは。もちろん、もうすでに味はわかってはいない。すべてがおいしかったことだけ。
翌朝、早くにホテルを出て、まちなかをあてもなく歩く。地方に出たら、そうすることが多い。どこに出すわけでもなく、気になったところをスマホで撮る。何かのタイミングで、後日消してしまうことがほとんどなんだけど。山形市、今さらながらきれいなまちだなあ。今度はゆっくり来てみたい。
その後、打合せ、昼食会での意見交換を経ての講演。大きなテーマは、金沢市で取り組んできた事例を中心に自治体DXの進め方について。一時間の講演、休憩をはさんで質疑応答。いやあ、皆さん、まじめで熱心。自治体DXのみならず、連携中枢都市圏を含めた広域連携のあり方についてもいくつもやり取りをさせてもらう。連携中枢都市に真っ先に手をあげた金沢市長としての経験談も。あっという間のお約束の2時間。
ちなみに、スーツの胸ポケットに入っているのはチーフではなくマスク。こっちはマスクをしている人が多かった。郷に入れば郷に従う。
駅であわてておみやげを買う。
5月1日、白山比咩神社へのおついたちまいり
5月1日、白山比咩神社へのおついたちまいり。先々月3月1日以来。GWで帰省中。もちろん、合間に仕事も入れているし、ネットで結構ふつうに仕事もしている。
3時50分、私の自宅に迎えに来てくれたソーイチローのクルマに私と妻とダイスケとが乗って神社へ向かう。今月、コーヘイはお休み。4時30分からの日供祭(にっくさい)及び「おついたちまいり」。写真はおまいり前と後。
今月の言葉。
「福(さいわい)は徼(もと)むべからず」(菜根譚)
次のように解説がされている。
「幸福はこちらから求めて求められるものではない。ただ楽しい気持ちを養い育てて、苦境を脱したときに、幸せが訪れます。」
この言葉に触れ、さらには、宮司さんの説明を聞いていて思い出した言葉がある。森信三先生の、あの有名な言葉である。
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない。』
『縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくば、たとえその人の面前にありとも、ついに縁は生ずるに到らずと知るべし。』
表面的な言葉だけを見ると反対のこと言っているように見えるかもしれないが、そうではない。解説部分にある『ただ楽しい気持ちを養い育てて』が、森先生のおっしゃる『内に求める心なくば』に相通ずるものと言えよう。
想いを心に期して行動に移そう。心に期しても行動に移さなければ、『その人の面前にあ』ったとしても、『縁は生ずるに到』ることはない。心に期すことがなく行動をとっても、『縁は生ずるに到らず』に終わってしまいかねない。
そんなことを考える。
さて、そのメンバーのまま金澤神社のおついたちまいりへ。金澤神社で国産の真榊もいただく。いったん家に帰り、自宅の神棚にその真榊をお供えする。実は、この真榊は東京のマンションの神棚にもお供えをしている。
その後、すぐに、夫婦で自宅の氏神様の長坂埜神社へおついたちまいり。次いで、山野家本家のお墓、私の両親が眠るお墓、妻の実家のお墓におまいりする。
長年の毎月1日、山野家の恒例行事。
新しい国旗を掲揚その2
4月29日、「昭和の日」。「国民の祝日に関する法律」によると、この日は、『激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。』なのだそうだ。で、なぜにこの4月29日なのかというと、昭和生まれの人間ならだれでもご存じだと思うが、言うまでもなく、今上天皇のご祖父にあたる昭和天皇の誕生日。
ならば、素直に、「昭和天皇誕生日」としたほうがいい。なぜ、そうしないのか。まあ、有体に言えば、皇室制度に対していろいろなことを言う輩もいて、理路整然と説明納得させるのに骨が折れるということであろうか。
ちょっと違う視点から見てみたい。昭和21(1946)年の昭和天皇誕生日である4月29日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、いわゆるA級戦犯28名が起訴された日なのである。単なる偶然であろうか?
さらに言えば、そのA級戦犯のうち7人が処刑されたのが、先代の天皇陛下、現の上皇陛下の誕生日である昭和23(1948)年12月23日であることを知って、それでも、偶然なんて言えるのか。
しかも、その12月23日午前0時1分30秒に東条ら4人、残る3人に対しても0時20分に絞首刑が執り行われた。なぜに、深夜であったもこの日に行わなければならなかったのか。アメリカ人にとって大切であろうクリスマスイブの12月24日の前日に慌てて行ったのか。
そんなことも考える日であってもいいかもしれない。結論は出ないが。
新しい国旗を掲揚
4月29日、「昭和の日」。新しい国旗を掲揚。まぶしい白さが目に付く。
前にも書いたが、長年愛用してきた国旗のポールがちょっと具合が悪くなる。いよいよ、と新しいものを用意する。従前のものと比べると、白さも赤さも、その違いが明瞭。
30年近く、山野家を守ってくれた国旗。ちょっと間が空くが、来年の左義長で感謝の気持ちを込めて焼くことにしよう。ありがとうございました。
【広坂ハイボールと抹茶カクテル】
4月23日、ジャズ喫茶「もっきりや」
広坂ハイボールのマスターは、
マスターは遠州流教授という肩書を持つ。その看板(?)
洋酒が並ぶ棚に、茶道教授の看板か掲げられ、
思い出のホテルロビーラウンジでオンライン会議
都内ホテルの一階にあるロビーラウンジにて、オンライン会議。
先日、そのホテルの大会議室において行われた、
今、都心のホテルはどこもいっぱい。
実は、このホテルには思い入れがある。長女が大学に入った直後、
時間の余裕もあまりなく、
【「亡母からの腕時計」(2013年4月10日 投稿)】
この腕時計は、すでに私のもとに返ってきている。今日も、この腕時計をして私は仕事に行く。
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【「亡母からの腕時計」(2013年4月10日 投稿)】
4月8日、長男の高校、長女の中学校の入学式。私は公務が重なり出席できなかったが、妻が両方ともに出席。
さて、入学式に際し長男が腕につけた時計は、私が高校一年の時、今は亡き母が買ってくれたもの。35年の年季もの。これまで何度も紛失しかけたり、全く動かなくなって、完全分解し直してもらったりしたことも再三再四。電池交換やベルト交換なんて一体何回しただろうか。
白状するが、決して大事に使ってきたとは言えないかもしれない。しかしながら、やはり亡母に対する想いは強い。
長男は入学式からしばらくはその腕時計をして学校に通うと言ってくれる。その間、私は他の腕時計をする。
彼からすれば、一度も会ったことのない祖母が今の自分と同じ年齢の父に買ってくれた腕時計をして、父と同じ高校に通う。私からすれば、息子としても、父としても嬉しい。
4月10日、今日は長男の誕生日。