山中伊知郎の書評ブログ -231ページ目

幕末維新埼玉人物列伝

幕末維新埼玉人物列伝/小高 旭之
¥2,100
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 歴史小説の醍醐味が、ヒーローたちの縦横無尽の活躍にあるのは否定できない。龍馬や信長や秀吉が、時代いを動かすような大活躍をしてこそ、読者のニーズにハマるというものだ。

 ただ、実際には世の中の大多数の人間は龍馬のようになれるわけもなく、『龍馬伝』における脇役クラスの人達ほどにも歴史に名を残すことはできない。偶然、ヒーローになれるチャンスの多い時代に生まれても、ちょっとしためぐりあわせでヒーローになりそこなう人たちの方がずっと多い。

 地元の図書館で借りてきた『幕末維新埼玉人物列伝』を読んで、つくづくそう感じた。

 この本には、今の埼玉県内出身で、幕末維新に活躍した47人の人物が登場する。処刑された人あり、戊辰戦争で戦死した人あり、明治になって政府で働いた人あり、 剣術の指導者として暮らした人あり、熱い時代を熱く生き抜いた人たちばかりだから、それは誰をとっても一人ひとりに強烈なドラマがある。

 だが、本を開いて、最初に目次を見た時、私はそのうちの2人しか名前を知らなかった。日本の資本主義の父ともいわれる「渋沢栄一」と、その従兄で彰義隊や振武隊の結成に関わり、官軍と闘った「渋沢成一郎」。それ以外の人たちは、ほぼ始めて見る名前だ。

 読んでいくと、その多くが「彰義隊」や「新徴組」、ないしは「水戸天狗党」などに参加した人たちだったのがわかる。たとえば「新徴組」なんていったら、もともとは清河八郎が結成した浪士隊の分かれで、京都に残ったのが「新撰組」、江戸に帰ったのが「新徴組」でしょ。新撰組が京都の治安維持に働いたように、新徴組も江戸の治安維持のために活動したことは知っている。

 ところが新撰組は、誰もが知る歴史のヒーローになったのに対して、新徴組の人って、びっくりするほど知名度がない。「小澤勇作」「関口光房」「中村定右衛門」といわれて、わかる人はいるかな。やってることは永倉新八なんかと、そんなに変わらないのに。

 埼玉県のもつ宿命的な「地味さ」が、幕末維新にも出ているってことか。同じ武州でも、いいトコはぜんぶ武州日野あたりにもってかれて、埼玉人からは、どうも華やかな時代のスターが生まれない。

 埼玉出身者がNHK大河ドラマの主役を飾るとしたら、渋沢栄一に期待するしかないかね。


浦和レッズのミカタ

今年の浦和レッズは、残念ながら、思い出に残りそうなシーンが非常に少なかった。どちらかといえば、ピッチの中というよりスタンド側。レッズのゴール裏に、去年まではなかった空席ができ始めた方が光景として強烈に頭に焼き付いている。

 天皇杯は残っているものの、ほぼシリーズも一区切り、といったあたりで読んだのが『浦和レッズのミカタ』だ。「ミカタ」は「味方」と「見方」をかけたのだろう。著者は、試合会場内で売っているマッチデープログラムの編集長をJリーグスタート当時から続けている人物で、埼玉縣信用金庫のHPの連載コラムを単行本化したもの。いわば、レッズを最も長く、ディープに知っている人物のエッセイ集だ。

 掲載されているのは2005年から2010年までの分。当然、レッズの試合内容や戦術についての記述も多いわけだが、私は、そうした本筋から離れた、何げない一言に、より興味が惹かれた。たとえばリーグ優勝した2006年、「レッズの場内放送を担当した岩澤慶明氏のクラい声をあまり聞かなかった」という一節。どこもそうだろうが、ホームチームに得点が入ればはしゃいだ声になるが、相手チームの得点の際はクラい放送になる。つまりそれだけあの年は、レッズばかり得点していたというわけ。

「そうか、確かに、場内放送も、あの年は景気が良かったな」

 華やいでいた2006年の埼スタの「空気」が、その一言で蘇ってくるのだ。

 一方で、盛り上がりに欠けた今年の様子を「空席が空席を呼ぶこともある」と、さりげなく指摘もしている。これもまた、今年の「空気」をよくあらわした言葉だと言える。

 佐藤慶明や、河野真一や、千島徹や、瞬間的に光彩を放って、やがてレッズを去って行ったOBたちが、まるで点景のように登場するのも趣深い。

 ぜひ試合の模様だけでなく、プラスアルファの余韻を楽しんでもらいたい本だ。

浦和レッズのミカタ WEPSうち明け話/清尾 淳
¥1,500
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ミカドの肖像 プリンスホテルの謎

先日も、ある忘年会の帰り、ついタクシーに乗って、運転手さんと、かつてのバブル時代の話になった。「いやァ、あの頃は年末、タクシー拾えなかったですもんね。仕方なく、飲んでる先から仕事やってた出版社に戻って、そこでタクシーチケットもらって帰ってましたよ」と私がいうと、運転手さん、「まったく、あの頃は儲かりました」。ほんとにバブル期を気力も体力もある30代で過ごせたのは幸せだったと思う。

 ちょうど、『ミカドの肖像 プリンスホテルの謎』という本を読み返して、また改めてバブル期の賑やかさを思い出した。もともとの原本『ミカドの肖像』が出たのが、昭和61年だから、バブル前夜くらいか。しかし、私が読んだ記憶があるのはバブル期真っ盛りだった。

 この『プリンスホテルの謎』は、いわばその中の抜粋で、西武が終戦直後、元皇族の土地を買いあさるあたりがメイン。しかし、それでも、西武の幹部から、かつての皇族の執事のような人物から、まるでパラノイアのようにそこら中、取材しまくっている様はよくわかる。とにかくクドい。よっぽど好きなんだな、調べるのが。

 また、出版社も調べさせるだけの取材費を出していたってことだろう。今、こういう企画が出ても、果たしてこれだけの取材費が出るものだろうか? そちらの方が疑問に思えてくる。やっぱりいい時代だった。

 東京大空襲の真っ只中、何台もの電話を並べて土地を買いあさっていたという堤康次郎の描写も、なかなか迫力があったな。「土地」が至上の価値を持っていたバブル期だったから、余計に説得力があった。

 またああいう時代が来て欲しい気もするが、すでに自分には30代のパワーはない。来ても、そうは楽しい思いはできないかもしれない。

ミカドの肖像―プリンスホテルの謎 (小学館ライブラリー)/猪瀬 直樹
¥935
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麻生太郎の原点 祖父吉田茂の流儀

最近の総理大臣は、お笑いの一発屋芸人よりもインパクト弱いんじゃないか? 

 今の菅総理だって、このままじゃそう長くは持ちそうもないし、その地位から離れたら、名前は加速度的に人々から忘れられていく気がする。たぶん、ダンディ坂野や波田陽区ほどにも記憶に残らない。

 それをつくづく感じたのが、古書店の店頭で、ある文庫本を見かけた時だった。『麻生太郎の原点 祖父吉田茂の流儀』。あー、麻生太郎っていえば、だいぶ前に総理をやった人だったな、漢字が読めなくてカッコ悪かったな、とそれだけはかろうじて覚えていた。ところが、あとで調べたら、その在任期間は去年の9月までだったのを知って、ビックリ。ずっと昔のように錯覚していたが、つい最近だったんだな。

 本の中では、終戦直後の日本を担った吉田茂が、どれほど人間的魅力にあふれていて、しかもシャレのわかる人物だったかが列挙されている。「あなたの健康法は?」と聞かれて、「強いてあげれば、人を食っています」と答えた、なんて有名なエピソードをまじえ、確かに麻生のお祖父ちゃんは、相当面白い人だったらしいのはわかる。だが、当の麻生本人については、アキバで人気があったとか、若者の気持ちがわかるとか、そんなんだったら、小泉進次郎のがよっぽど上だろ、と言いたくなるような自慢話が多かった。

 まァ、忘れられるのも無理はないわな。

麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀 (徳間文庫)/麻生 太郎
¥580
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S・セキルバーグ関暁夫の都市伝説3

 世の中、バランスが大事だ。AKB48にしたって、「トップアイドルでありながら、ライブに行けばすぐに会える身近な存在」という絶妙なバランスが成功したから、今の大ブレイクがあるのだろう。

 出版の世界で、そうした絶妙なバランスでうまくいった代表は、『関暁夫の都市伝説』シリーズだ、と私は思う。

うまいんだよな、「ほぼ事実であろう話」「事実の可能性もあるが、ちょっとマユツバ臭い話」「完全にマユツバとしか思えない話」が、微妙な配合で混ざり合って、ついついすべてを「なるほどー」と受け入れそうになってしまう。

類似本の多くが「マユツバ」に傾きすぎて興ざめしがちなのと比べて、この「真実」っぽい部分のうまい味付けが、さすが本家なのだ。

 『関暁夫の都市伝説3』も、たとえば「フリーメーソン」についての記述で、そのバランスが絶妙に生かされている。その歴史をかたり、東京タワーの近くに日本の支部があるのを語るあたりは完全に「事実」。それがだんだん「マユツバ」度が上がっていき、あげく、野口英世はフリーメーソンとも関連する秘密結社・イルミナティの手下としてウィルス兵器製造にたずさわっていた、とエスカレート。ようやく、ここらで、「そりゃねーだろ」と一段落する。

すると、またまったく別の話題を語り始めて、読者をさらなる「伝説」ワールドに誘い込んでいく。

 鮮やか! すでにシリーズ3作目にして、この語り口は完成の域に達した感がある。古典落語みたい。

 ただ、付録についていた3Dメガネは、それでグラビア部分を見ても目が疲れるだけで、私ゃさほど感心しなかった。

S・セキルバーグ関暁夫の都市伝説3/関 暁夫
¥1,365
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