長期的視点で東京マラソンを振り返る | いい天気 ~目指せ エイジランニング~

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マスターズ1500mからウルトラマラソンまで

東京マラソン2024 を走ってきた。
タイムは
3時間23分51秒

 

 

記録を狙う走りではなかったがサブ3.5を達成。

かつてサブ3を目指したランナーとしての意地で成し遂げた形だ。

そんなレースについて左アキレス腱を痛めてからの長期的視点で書き残すこととした。

 


【故障のこと】
2022年の10月に左アキレス腱を痛めて満足に走ることができなくなってしまった。

ここまで長期に渡って治らないとは思っていなかった。

すでに1年5ヶ月が経過したのに今も完治はしていない。

故障の原因はシューズサイズが小さ過ぎたから。

27cmを履いていたがぴったりと履くのが好みだったので26cm~26.5cmを履くようになった。

そしてこのサイズでウルトラマラソンの2連戦を走ったのが致命傷となった。

それでも1ヶ月後のつくばマラソンでは左アキレス腱を引きずりながらも3時間31分で完走をしていた。

目的であったウルトラマラソンで脚作りができたのだろう。

 

その後も対外衝撃波治療をしながら走り続けていたが2023年3月に衝撃的な出来事が起こった。

マスターズ陸上に向けてドラゴンフライで走ってみたのだが全くスパイクに乗り込めない。

頭の中では前傾姿勢でスパイクの反発を感じてと分かっているものの、身体の防衛本能がこの動きを拒否した。

これ以上走ると危険だと。

 

これではマスターズ陸上は走れない。

生き甲斐が失われてしまった。

 

ネットでアキレス腱の治療を検索すると3ヶ月しっかり休めば治り再び走れるようになると。

2023年3月~5月の3ヶ月間を休養に充てて6月の信州安曇野ハーフマラソンを走ってみた。

左アキレス腱の状態は想像以上に良くならなかった。

 

3ヶ月休んだのに治らなかったのはショックであったが、ある意味開き直りができた。

また、白馬クロスカントリー駅伝のお誘いを受けたので治療をしながら再び走り始めることとした。

マッサージガン、マイクロカレント治療器、超音波治療器を購入して自宅治療を開始。

 

ここまで長期的になるとアキレス腱との付き合い方も分かってきた。

タイムを狙う走りはハーフまではなんとか行けるが、30kmを超えるとその痛みは1週間も続く。

つまりタイムを狙うフルマラソンを走ることはできない。

サブ3達成と自分のアキレス腱を天秤にかけるとアキレス腱の方が大事だ。

もうフルマラソンで記録を狙うことはあきらめた。

あきらめるとサバサバしたものでサブ3に魅力を感じなくなっていた。

 

2023年10月 金沢マラソンを走ったが無理のないペースで。

猫ひろしさんがサブ4のペースメーカーで記録を狙わない走りながらも、ものすごく楽しかった。

 

 

【当選してからのこと】

東京マラソンは7年間隔で当選している。

今年が7年目であったためそれなりに期待をしているとやはり当選をした。

当選をしてから先ずしたことはホテルの予約。

ホテルは安さを最重視。

前回は新宿バスタ横のカプセルホテルがすごく快適に過ごせたので今回もと思ったが満室で新大久保のカプセルホテルとなった。

 

次に有名なアキレス腱専門の鍼灸院の予約をした。

幸いにして東京マラソン翌日に予約を取ることができた。

 

鍼灸院についてはアキレス腱を押して痛い症状の治療をするとのこと。

予約を取った昨年は押して痛かったのだが、今年になると走ると相変わらず痛いが普段は押しても痛くなくなった。

結果として鍼灸院の予約はキャンセルとなってしまった。

押しても痛くなくなり良かったような、治療の機会を失って残念のような複雑な心境だ。

 

アキレス腱の治療で効果的なものはアイシングと自然治癒力だという。

押しても痛くなくなったのは自然治癒力のおかげだろう。

 

金沢マラソンの走りを成功体験として、東京マラソンも記録を狙わない観光ランをメインとして走ることとした。

 

練習は30km走1回のみ。

タイムは2時間27分27秒

記録を狙う大会なら5回以上30km走を行い脚作りをしながら調子を上げていく。

完走目的なので1回で十分だろう。

 


【レースのこと】

東京マラソンのウェアは何を着て走ろうか?

前々回は松本山雅FCユニフォーム、前回は激沈上等Tシャツであった。
かなり迷ったがサッカーシーズンが始まったばかりで期待を込めて松本山雅コンフィットTシャツで走ることとした。

 


スタートエリアの1時間待ちは寒さで苦痛であった。

寒くなることを想定してビニールポンチョとビニールカッパの2枚重ねであったがそれでも寒かった。

雨が降ったらさらに寒くてどうなったことだろうか。

 

 

スタートをすると東京を走れる喜びよりも走って身体が温かくなることの方が嬉しかった。

スタート直後は下りなので4分30秒くらいで走ることを考えていたが4分40秒ペースでしか走れない。

改めて記録よりも記憶の観光ランを認識させられた。

 

15km付近であろうか?

前方に見慣れた全身牛の着ぐるみで走るランナーを発見した。

もしやと思い並走して顔を覗き込むとやはりIさんであった。

以前に同じランニングクラブに所属しており、同じチームで駅伝も走った。

挨拶をして帰ってきた第一声が『太った?』

まったく正直な人である。

 

沿道の応援はすごい、切れ目がない。

山雅がんばれ~と各所で応援を受けすごく力付けられた。

松本山雅FCウェアを選んだことは大正解であった。

 

マラソンのセオリー通りに30kmまでは寝ているつもりで走った。

走り込み不足でペースが落ちていくが記録を狙っている訳ではないので気にしない。

 

いよいよ30km。

ここから気持ちよくペースを上げたつもりであったが実際には10秒/kmしか上がらず、それも40kmで脚売り切れとなってしまった。

練習をしていた今までのマラソンよりもラスト2.195kmはとてつもなく長かった。
Finishすると疲れ切ってしまい、振り向いて東京駅を眺めることを忘れた。

 

完走メダルとフィニッシャーローブをもらい荷物受け取りまで延々と歩いた。
1km以上歩いた感じだ。

ここも雨が降っていたら凍えてしまうだろう。

 

荷物を受け取り男子更衣室に向かうが、ここで汗でまみれた着替えをするのが申し訳ないくらいのきれいで素晴らしいビルの中であった。

 
 

【これからのこと】

東京マラソンを走って身体の一番痛いところは左アキレス腱ではなかった。

左アキレス腱の弱さをかばうために右膝が痛くなるので右膝にはサポーターを巻いていた。

しかし痛くなったのは今まで何ともなかった左膝であった。

東京へは高速バスで移動をしたが、帰りのバスの階段は左膝が痛くて降りられない。

他の乗客に迷惑をかけながらゆっくりと半歩ずつ降りるしかなかった。

 

幸いにして左アキレス腱は全体に鈍痛があったが激痛ではない。

鍼灸院の予約がキャンセルになったのも納得の鈍痛であった。


どんなに楽しい東京マラソンでさえ42.195kmを走ることは苦しいことであった。

観光ランのつもりで臨んでもこの苦しさである。

記録を狙った走りならばこの苦しさは何倍にもなるだろう。

 

自分にとってこの苦しさはもう十分味わってきた。

このあたりで味わい収めをしてもいいのではないだろうか。

 

だがこの半分、ハーフまでなら耐えられる。

ハーフマラソンを今よりももっと速く走りたいしそのためのトレーニングを積んでいきたい。

 

そして左アキレス腱も鈍痛に落ち着いてきたのでウルトラマラソンを無事に完走をしてリベンジをしたい。

くびき野の借りはくびき野でしか返せない。

 

毎年何らかの種目で自己記録更新を続けてきた。

昨年はこの足でさえ1500mの自己記録を更新できた。

今年もどの種目でも構わないので自己記録更新を続けていきたい。

 

もう少しの間は年齢を言い訳にしたくはない。

 

そのためには左アキレス腱を含めた身体のケアを今以上に時間をかけて気を付けていきたいと思う。