身近な自然観察 グレーチングや縁石付近の先駆種 自由主義について


 ずいぶんと更新まで日数が空きました。書いては止まりの繰り返しで遅々として進みませんでした。いろいろな要因によって様々な気力が減退していることが原因です。ブログを始めてから2年が経ちます。身近な自然観察については、近隣の山へ出かけてトレッキングするなどはなかなかできないため(経済的その他の事情)、ほぼ居住地から徒歩圏内の市街地の道端や川沿いの草木や昆虫や鳥を(一人きりで)観察してきましたが、ネタが尽きつつあります。定点観測的に同じものを観察するにしても、その対象も少なく、それだけでは間が持たないように思います。しかし、それはたいした問題ではありません。ブログを書く題材はほかにもいろいろとあります。
 さて、今回は、たまたま題材から派生した内容が、いつもの自然観察の記事ではないほうの記事の内容とつながってしまい、ボリュームが非常に大きくなってしまいました(私的には、どちらも自然観察、自然科学的ではある...と思ってきたのですが...。少し前にEテレでETV特集「ぼくはしんだ じぶんでしんだ 谷川俊太郎と死の絵本」の再放送を視聴しましたが、今の時代は何にでも「意味づけ」をしたがるが「ただ存在する」ことを静かに受け止めてもいいのではというようなことを谷川俊太郎氏は語っていて、自分の姿勢を考えさせられました。自然観察も、ただ「美しい」と感じたそのままを意味を加えず静かに提示する形も当然あるわけで、私がやっていることには「意味づけ」の要素がよく入り(というより備忘録や学習記録)、特に自由主義について継続的に書いているものでは顕著で、自分自身が、後述するような自由主義による何らかの「決めつけ」をしてしまっている可能性があるということです。「決めつけ」は責任転嫁でもあり(2年間考え続けたからその思考ができるのですが)、私のブログが好まれない理由の一つはこれかもしれません。好まれないことが気力を失う要因の一つにはなるでしょうが、それを気にし過ぎて過度になると他者依存の責任転嫁となり自由主義的になります(これに対し「協力し合う」というのは民主主義的)。しかし、好まれないからやる気を失うことについては、嫌がられても相手のためにはやらなくてはいけない類のものではない限り、それはそれでよしとしようと思います。人に好まれないことをいつまでも続けるというのは、ある意味自制心がない、「空気」を読めない(「空気を読む」も過度になると同調圧力という自由主義になります)ということでもあります。

 今回の記事は自然観察と自由主義の話のドッキングで非常に長くなりました。お時間をいただけるなら末尾の「自由主義の話の続き」の部分だけでもお読みください。
 
 今回も、基本は道端に生える先駆種と呼ばれるような植物が題材です。

①グレーチング
 車道や歩道の端にある暗渠の開口部であるグレーチングの蓋のところは、植物にとっては水分を得やすく格好の生息場所のようです。プランターのようになったりします。暗渠としての機能は阻害されるのかどうか、よくわかりません。
 真上に電線があることも多く、鳥により種子が散布されますし、風による種子散布の植物も入ってくるようです。鳥がグレーチングを狙っているわけではないとするなら、確率的に普段から相当糞を落としていることになりますが、果たしてそんなことはあるのか。

↓ニワウルシ(ニガキ科ニワウルシ属Ailanthus altissima (Mill.) Swingle)
↓ニワウルシ 2022/6/2撮影 (以降の道路と同じ。グレーチングの下、暗渠の深さはかなり浅く20㎝もない程度。)

 

↓ニワウルシ 2022/6/17撮影(同じ道路の同じ個体)


↓ニワウルシ 2022/5/29撮影 (全く別の道路で)



 見た目が似ているハゼノキ(ウルシ科)との分かりやすい違いはニワウルシの奇数羽状複葉の小葉は多めなことと接近した写真を見てわかるようにニワウルシの小葉の基部のほうに左右一対だけわずかに鋸歯があることです。

 見た目ではハゼノキなどに似ていますが、ウルシ科ではなくニガキ科です。ムクロジ目の系統としては両者は同じですが、ウルシ科から見るとニガキ科は系統樹上では親の兄弟の孫、ニガキ科から見るとウルシ科は祖父母の兄弟の子供のような関係※3でやや遠く、ウルシ科のほうが一つ分だけ上位の系統に近いです(系統樹はAPG体系でより正確になっていると思われます)。中国原産で雌雄異株。


 以下、命名者についての内容から派生し、かなり話が長くなります。お許しください。


 命名者フィリップ・ミラー(Philip Miller、1691-1771)は、スコットランドの園芸家、植物学者で 植民地で栽培するための綿花を品種改良しシーアイランドコットン(現存する高級な超長綿の品種の元になる品種らしいです)を生み出した人で、また、リンネの分類法には批判的だったようです※1。例えば、リンネはトマトをナス属に分類しましたが、ミラーは対抗しトマト属を作りその学名が一度定着したのですが、近年の解析で結局ナス属に戻ったという話※5もあるようです(トマト属のほうの学名はシノニムの扱いに)。
 1840年からのアヘン戦争やその後の香港割譲よりもフィリップ・ミラーの時代はずっと前ですが、Wikipedia「アヘン戦争」によれば、アヘン戦争に至る経緯の最初に、
「清は1757年以来広東港でのみヨーロッパ諸国と交易を行い、(中略)一方ヨーロッパ側で中国貿易の大半を握っているのはイギリス東インド会社」
 とあり、年代と国という点では、イギリスのフィリップ・ミラーだったから中国原産のニワウルシを分類できたのでしょう。
 リンネに批判的ということから、植物分類の世界でも、カルヴァン派で自由主義資本主義の国(イギリス)とルター派で現在の民主主義(社会民主主義)につながる国(スウェーデン)の対立のようなものが既にあったわけです(政治思想以前の文化や国民性の違いであり、遺伝的な構成が異なる集団の違いなのでしょうか)。スコットランドと言えば、Y染色体ハプログループR1b(Kの系統の子系統)の系統の人々が多いとされるわけですが、やはり植物の分野でも産業革命と同じ時期、全く同じように発明(綿花の品種改良)によって植民地を利用した資本主義の支配拡大を行っていたと知り、自由主義資本主義が濃厚な人たちは何をやってもそこへ向かうのかと思いました。他国(清)を食い物にして利を貪った末のアヘン戦争による攻撃というイギリスの姿は資本主義の本質そのものです(イギリス人は当たり前の感覚でそれをやるわけで、このことを考えると今の香港のことが微妙なものに思えてもきます)。もとはイギリスでの茶の需要が清へのアヘン貿易(清からの茶の輸入による輸入超過で銀が流出したため、インドで生産させたアヘンを清に密売してこれを逆転させ清から銀が流出。茶への欲求から、他国の人たちを麻薬漬けにして銀を奪うという行動を肯定するイギリス人だった。)と清の対応に対するアヘン戦争(横暴を曲げないイギリスは力で対処)を招いた訳ですが、アヘン戦争後の香港割譲と5港開港に伴いイギリスの園芸協会が清に派遣したのがプラントハンターのロバート・フォーチュン(Robert Fortune、1812-1880)で、彼は東インド会社社員としても派遣され、清からインドへチャノキを持ち出しました。フォーチュンは日本へも来て植物や昆虫を大量に採集しているそうです(ヨーロッパではアオキの雌株しかなかったので、雄株の入手が目的の一つだったとか)※4。また、これもイギリスでの発明である「ウォードの箱(木とガラス製で種子や苗を生きたまま長期保存し運搬できる容器)」を彼が初めて本格的に用いたとされます※4。このように、当時、イギリスで中国産の植物が盛んに分類されたのも頷けます。日本の場合は、出島に1年ほど滞在し国内旅行もしたツンベルク(スウェーデン人でウプサラ大学のリンネの弟子、オランダ東インド会社)や5年間滞在したシーボルトらのほうがたくさん分類していると思います。
 これまで書いてきたことはやはり間違っていないという確信につながります。というのは、農耕の発明は、Kの系統の人によるものであるとはどこにも書いてありませんが、農耕起源とされる中国(稲作)にしろ中東(ライ麦)にしろ、場所的に言ってもKの系統の人々が行い、「支配の拡大に利用した」に違いないということです。気候要素だけに要因を求めると、なぜこの2箇所で農耕が生まれたかの説明がつきません。日本にも朝鮮半島を経由して農耕が伝来すると同時にそれを伝えた人々(Kの系統の人々)が入ってきて、「権力を」支配するようになったと思われます。時代を下りますが桓武平氏は、桓武天皇の母が百済系渡来人和氏の娘であることから、渡来人の遺伝子を持ち、桓武平氏の血をひく河内源氏(頼朝を生んだ一族)も合わせ、その残虐な権力闘争は大陸の血の特徴ではないかと思われますし、もっと古くは農耕伝来の頃からこうしたこと(姻戚関係により権力に入り込む)は繰り返されてきたのではないかということです。武家による諸制度の発明は功績ですが、それは「支配」に利用されるものでもあります(自由主義に共通)。
 もう一つ、NHKの地球ドラマチック「太古のミステリー~消えた大型哺乳類~」(Eテレ2022年06月20日午前0:00 ~ 午前0:45)をたまたま視聴して、もう番組の最初のほうで番組が言いたい答え、後半の内容がわかりました。環境の変化にも柔軟に対応し生き延びていたマンモスなどの大型哺乳類が突如絶滅したのは「気候の変化だけでは説明がつかない」という話から始まり、アメリカ大陸のケナガマンモスなどの絶滅が1万2千年前頃の話だったということから、もうこれはアメリカ大陸へ渡った「人間」のうちKの系統の子孫であるQの系統の人々の仕業だと番組が言いたいのがわかりました。Qの系統の人々は先住民も征服して拡大し南北アメリカを圧倒しましたから、「人間」のしかもKの系統の人々の自由主義が原因ということになります。一方ヨーロッパで大量の(マンモスなどの)骨が見つかっている地域としてチェコなどが出てきましたが、この東欧地域もやはりKの系統の子孫R1aの系統の人々の地域です。もちろん番組では人間の先祖の系統の話や自由主義の話は全く出てきませんが、もし、人類が主要因だとするなら私はそこにカギがあると思います。自由主義が自然からの略奪を強め、資源としてのマンモスなどを完全に枯渇させたというわけです。しかし、大型哺乳類を絶滅させた人々はその後どうやって生き延びたのかという疑問が残ります。そういう情報は出てきません。大型哺乳類に依存し、そこから脂肪やビタミン類を得ていたと番組でも紹介していましたから、人々はそれが枯渇して困らなかったのか。中国や中東で農耕が起こったのはそれよりあとの1万年前から1万千年前くらいとされますが、アメリカ大陸ではもっと遅く5千年前以降です。最終氷期が終わったのは1万年前で、それ以降はほかのものを得ることができたかもしれませんが、大型哺乳類絶滅後からそれまでの間はどうしたのか。実は大型哺乳類絶滅の主原因は気候と人類のどちらなのか論争はまだ続いているようです。人類主原因説を否定する主張の一つに、どの集団の痕跡にもマンモスを食べていた痕跡があるわけではないというものがあるようです。私が思うに、過渡的にはKの系統の子孫の集団と先住の他の系統の集団が混在した中で、Kの系統の子孫は、その自由主義的傾向から「目先の効率」のため大型哺乳類を、戦略的な狩猟により選択的に狩ったのだろうと思います(既存のほかの集団はやっていなかったということ)。人類にも系統があることを無視するから「みんな食べていたわけではない」として話が矮小化されてしまうのだろうという私の感想です。ということは、大型哺乳類を狩らなくても他の動物などで細々と氷期を生きる手立てはあったのかもしれません。


 さて、話を少し戻し、分類法を創始したスウェーデンのリンネ、植物の品種改良で資本主義による支配拡大に寄与した(農耕の発明と全く同じことです)イギリスの園芸家という対比により、民主主義と自由主義では「発明の生かし方」が違うということがはっきりとわかります(この場合は発明の種類も違うということになりますが)。発明というもの自体はそもそも平和的自由にも破壊的自由にも区別なく利用可能であるわけですが、どちらに多く利用するかが違うということです。米英がだんだんと嫌いになってきますね。
 実はロシアや中国も、全体主義という強烈な自由主義です。もちろん、共産主義もその潔癖さ不寛容さゆえに他者の自由を奪おうとするので共有を志向する本来の社会主義などではなく、資本主義を批判しながら実は自由の独占が起こり自由主義資本主義に自らなるという完全な自己矛盾です(自由主義によって平和的な自由の破壊が急激に進むと「マイナスの平和的自由」とでも言うべき「他者からの強制(マイナスの自由)を無抵抗自発的に(平和的に)受容する状態」、即ち全体主義となり、これは「超自由主義」と言うべきものです。自由主義の延長に全体主義があることが明瞭にわかります。共産主義は「超民主主義」のようなものを志向しますが、共存第一である民主主義には自由主義の完全排除はなく民主主義は中庸であるため、そのような「マイナスの破壊的自由」的な「超民主主義」は存在せず、この「虚構」の追求とでも言うべき極端な志向性自体が自由主義、全体主義と同じになるということです。)。イギリスのカルヴァン派ピューリタンも潔癖という自由主義です。アメリカのかつての赤狩りも全体主義と同じ不寛容さで、共産主義を批判しながら自ら共産主義と同じような強い不寛容になっています。この自由主義の状況は、鏡像認知できない種の生き物が鏡の自分を見て同種の他者(敵)と思い攻撃する姿と似ています。他者を鏡とした自己認識ができない。自由主義の不寛容さのヒートアップは自己喪失を招き普遍的なモラルも自己認識能力も失うということです。ろくなもんじゃありません。・・以前の記事に繰り返し書いています。

 読者が非常に少ない当ブログですから、せっかくですのでここでもまた、長いですが書いておきます。
 「自由」とは自分の意思で決定可能で実行可能な選択肢の多さや大きさだとします。人々が自己を保ち共存しそれぞれが主権者として社会や自由や責任を共有するのが民主主義(共有するには寛容さ、抑制が必要)、不寛容に(「潔癖」を含む。相手の自由を許さない。「決めつけ」により責任転嫁。)他者の自由を奪い独占し強者だけが得すればいいというのが自由主義で、自由主義は資本主義と一体です。資本主義の基礎は私的所有という排他的独占支配ですが、この自由主義資本主義の背景には「強い不安」があります。自由主義には、米英のように各々が自分勝手で他者に対して無責任な自由主義と、奪うと奪われるは表裏一体であり国民が自ら喜んで熱狂(=強烈な依存心=無責任)とともに自己の自由を放棄し自ら家畜化しながら同時に独裁的指導者に全て責任転嫁して(放棄と同時に責任転嫁)、国家としての強烈な自由主義(無責任)を発揮する全体主義(強きを助け弱きをくじくような状態・・虚実を問わずたいていは強く見える権威が存在)があるわけです。
 前者の米英ほうが個人というものがいくらか残り、いくらかは民主主義的な要素も持ってはいますが、自由主義資本主義のほうが勝り、その勝ることによって自由主義は自己増殖的に拡大するために「過度」や戦争を招き「及ばざる」になります。その「過度」には植民地などからだけではなく自然からの略奪も当然含まれます。
 後者の全体主義は、資源などが逼迫して争奪になると優位となり(奪った者勝ちになるから)、今のロシアはおそらく戦略的にそれを狙ってやっているのでしょう(困っている人を見てますます困らせようという心理は破壊が破壊を生むメカニズムで、自由主義の原理・現象です)。ロシアがやっている「(相手の)自作自演だ」という情報の拡散も破壊行為であり攻撃です。その理由は、真偽不明性は「共有できない」ため民主主義に属さず自由主義となり、また責任転嫁でもあり、分断と破壊を起こす工作だからです(2020年のアメリカ大統領の例のとおりで、真偽不明が分断と議事堂襲撃という破壊まで生みました。「真偽不明」だけで破壊を生む兵器になるということです。ロシアは一貫して戦略的であると考えれば、おそらく嘘の情報拡散による分断破壊工作でしょう。全体主義なんて信用できません。)。プーチンは柔道有段者ということですが、柔道が掲げる根本精神「精力善用、自他共栄」を知らないようです。「そういう感化を与えられなかった柔道は...」という話でもあり、プーチンは柔道を貶めたとも言えます。他者や他の集団と敵対し攻撃性を発揮する様子は、最も基本的な脊椎動物である魚類のうち、浅いところで群れで暮らし縄張りを持つ種が「同種で見知らぬ他者(ホンソメワケベラの鏡像認知を発見した大阪市立大学の幸田正典教授によれば、これらの魚は顔の模様で相互に個体を正確に識別している)」を攻撃する様子と似ているようではありますが、私が異なると思うのは、人間の(特に自由主義の)場合は昨日まで交流していたのに突如「あんた誰?」のような態度になり攻撃することです(恩知らず?)。
 日本人は弥生以降の渡来人とかなり混血しており、後者(全体主義)に近いと言えます・・Kの系統よりずっと古いDの系統の縄文人の遺伝子は今や影が薄く、憲法が辛うじて自由主義にブレーキをかけており(侵略戦争や全体主義を起こすことなどに対して)、また戦争体験者は自由主義(戦争)の実被害者として自由主義へのブレーキとなる存在でしたが失われつつあります。なお、近畿四国地方は他の地域より遺伝的に北京の漢民族に近いとされます(東京大学大学院による全ゲノムの一塩基多型の多変量解析から。かつて権力が存在した地域だからなのでは。)。日本の米国追従は「自ら家畜化」の現象の一つですし、バブルや拝金主義も、顕著な同調圧力も、「潔癖(つまり不寛容)」や過剰サービスも自由主義からきており、国民性としては自由主義です。かつてエコノミックアニマルと揶揄され1980年代からは政治でも新自由主義路線が始まりました。「国際貢献」とは名ばかりの技能実習制度は酷い搾取と人権侵害であり(困っている人を見てもっと困らようという自由主義の精神がこの制度の悪用を拡大させました)、かつて「アジアを欧米から解放する」と言って侵攻し、破壊と略奪を行った時と変わりません(恨みを買い、それが将来の足枷になるでしょう)。戦勝国側と日本人自身の側の双方が自由主義(戦争)の実害を踏まえることでできたに違いない現行日本国憲法は、自由主義抑制にある程度寄与し、特に政治的には破廉恥な自由主義とは一定の距離を保てたのだと思います(経済面ではあまり抑制が効かなかった)。現行憲法が一字一句この精神で検討されたとするなら、現行憲法を変えるということは戦争を「する・したい」国になることを意味するということに一理はあると私は思います(左翼の偏見によらずとも)。憲法を変えたがり「国を守る」と声高に主張する人たちは自由主義(全体主義を志向)という無責任に立脚しており、私はその主張に対して非常に懐疑的です(まず全体主義では守れなかったという明らかな実績があります。新自由主義と呼ばれるものも含め自由主義を志向し、現行憲法を無力化すれば特に日本人は必ず超自由主義である全体主義へ向かいます。国民全体が自発的に家畜化し、また何でも責任転嫁し、総無責任国家になります。)。自由主義の行動により一時的な勢いを得たとしても長続きしません。敗戦にしろ自滅にしろ国が一度滅んでも、自由主義的な人々なのだから自由主義は何度でも再生してしまいます。自由主義の暴走を防ぐ手立てはいずにせよ必要です。
 民主主義(正確には社会民主主義)の国民性が辛うじてまだ残っているのはY染色体ハプログループI1の系統の遺伝子の影響が残る北欧くらいでしょう。ドイツは北部のみに残っています。アフリカは本来はKの系統以前の地域なのですが、植民地支配の影響を強く受けてよくわからない状況です(古くは何千年も前に、やはりRの系統が農耕を携えてアフリカに進出し、バントゥー族を拡大させています)。
 (もっと続きますが、続きは末尾に)


 さて、ようやくニワウルシの話に戻ります。
 ニワウルシの種子は、ネット検索で見ると翼を持ち、風で飛ばすタイプで、鳥に食べさせるタイプではないようです。マツのような遷移上のパイオニア樹種も風散布型です。それにしてもどれくらい飛ぶのでしょう。つまり、近くにニワウルシが生えていないようなのに、このようにあちこちの道端のグレーチングで生えているというのはどういうことなのか、疑問です。遷移初期のパイオニア樹種に風散布があるということは、かなり遠くまで飛ぶのでしょうか。人間の生活圏には電柱や電線が至る所にあるため鳥散布型の種が至る所に生えてきますが、草原しか無ければそのようなことは起こらず、初期には風散布が優位なのか。しかし、パイオニア樹種の代表格アカメガシワは鳥散布型です。ちなみにハゼの実は鳥が食べて散布するため、ウルシ科のほうは鳥散布型ですし、これもパイオニア樹種と言ってよいでしょう。昔、仕事で空き地のようなところを歩いた時にウルシでかぶれた経験があります(あとで「そういえばウルシの幼木があった」という感じでした)。風散布か鳥散布かでパイオニア樹種かどうかというのは一概にどちらとは言えないようです。
 ニワウルシのことだけで思いもよらず長くなりました。

 ここからいくつかは、このニワウルシがあった同じ道路で30メートルそこそこの範囲のグレーチングにあった植物です。覗いてみると暗渠はかなり浅かったです。
↓道路の様子 2022/6/5撮影  

 

↓エノキ(Celtis sinensis Pers.)とセンダン(Melia azedarach L.)
 私が鳥散布で道端に生える木6強としているもののうちから2種がありました。この真上に電線があるからでしょう。東アジアのセンダンをどういう経緯でリンネが分類したのか気になるところです。ツンベルクやシーボルト、もしくは中国のものとしてイギリス人ならわかりますが。
↓エノキとセンダン 2022/6/2撮影  


↓メリケンガヤツリ(Cyperus eragrostis Lam.)
 和名のとおりアメリカ大陸原産。Wikipedia「メリケンガヤツリ」※6により、

「日本にはまず沖縄に第二次世界大戦後に侵入、本土では1959年に四日市市で記録されたのが最初らしく、当初はいくつかの地域に点在する状態だったようであるが、1990年代から急速に広まったという。」

 湿地に生えるとされ、グレーチングの下には水があるでしょうから適地なのでしょう。しかし、アスファルトの歩道で生えているのも見かけます。
 地下茎でも増えるようですが、種子がどのよう運ばれるのか情報がみつかりません。水田などなら種子や地下茎を土と一緒に人間が運んでしまうことがあるのでしょうが、道端にポツンと生えているものはどのようにそこに来たのか謎です。種子自体は小さいため風で運ばれることはもしかするとあるのかもしれませんが、わかりません。
 イネ科とカヤツリグサ科はともにイネ目で、系統樹ではイネ科の4代前、カヤツリグサ科の5代前が共通です。小穂をつけることや、種類が多くて同定困難なものが多い点は似ています。
↓メリケンガヤツリ 2022/6/2撮影  (左はマルバヤナギ)


↓マルバヤナギ(Salix chaenomeloides Kimura)
 Kimuraとは木村有香(1900-1996)のことです。
Wikipedia「木村有香」※8によれば、

「初代園長を勤めた東北大学植物園(現・東北大学学術資源研究公開センター植物園)には木村の蒐集した世界のヤナギ科植物の標本木の充実したコレクションが栽培されており、木村は定年退官後も死去の前年まで、この植物園のヤナギ園で研究を続けた」

 ブログを始めた頃から、この道路の信号機のポールの脇にあるグレーチングに生えているのを見つけ、確か今年の冬くらいには刈り取られましたが、再び伸びてきたと同時に、少し離れたグレーチングでも生えてきました。
Wikipedia「ヤナギ」※10、「蒴果」※9によれば、

「果実は蒴果で、種子は小さく柳絮(りゅうじょ)と呼ばれ、綿毛を持っており風に乗って散布される。」
蒴果(さくか)(capsule)とは、
「果実の型の1つであり、複数の心皮(雌しべを構成する葉的要素)からなり、果皮はふつう乾燥しており、裂開して種子を放出する果実」

 とあり、風による散布ということです。確かに信号機の脇のグレーチングの上には電線がないのです。電線があると鳥散布のほうが先に占めてしまうのでしょうか。

「柳は解熱鎮痛薬として古くから用いられてきた歴史がある。(中略)サリシンが柳から分離され、より薬効が高いサリチル酸を得る方法が発見されている。その後アスピリンも合成された。」※10

 とあります。植物は素晴らしいです。
↓マルバヤナギ 2022/6/2撮影  5



↓ガマ(Typha latifolia L.)
 昨年ここでガマの穂を確認していますからガマに間違いありません(→昨年の記事)。
 北半球に広く分布しリンネ命名です。Wikipedia「ガマ」※11によれば、

 

「雌花は結実後は、綿クズのような冠毛を持つ微小な果実になる。この果実は、長い果柄の基部に穂綿となる白い毛がつき、先端の花柱が色づく。晩秋になると、ガマの穂がほぐれて風によって飛散し、水面に落ちると速やかに種子が実から放出されて水底に沈み、そこで発芽する。また、強い衝撃によって、種が飛び散ることもある。」

 風に乗ってこのグレーチングにやってきたということです。
↓ガマ 2022/6/2撮影  1


↓イヌホオズキ類
 イヌホオズキ類の見分けも微妙な部分があり、以前の記事でも書きました。今回はイヌホオズキ類とだけしておきます。(種としての)イヌホオズキの場合、学名がSolanum nigrum L.でリンネが命名していますが、ナス属のSolanumもリンネが命名し、これは有毒成分のソラニンから来ていて、有毒なのに全草を煮て食べる地域があるといい、例としてケニアのキクユ人とあることから※7、nigrumはそういうことなのかと一瞬思いかけましたが、単に黒いものにその名がつく(Piper nigrumはコショウ)ので違います。イヌホオズキの実は黒くなりますから。
 この種子は鳥が食べるようです。スズメが食べている画像をネット検索で見つけました。鳥散布なので、電線の下によく生えてくるということになります。
↓イヌホオズキ類 2022/6/2撮影  
↓同じ場所 2022/6/17撮影


↓イヌホオズキ類 2022/6/19撮影 全く別の場所ですが、やはり電線下のグレーチングでした。

↓(左はオニアザミでしょうか)


↓トゲチシャ(Lactuca serriola
 これはグレーチングではありませんが、先ほどの信号機のところのマルバヤナギの横のアスファルトの地面に昨年生えていたものが、刈り取られ、近くで生えてきていました。タンポポのように果実に冠毛があり風で運ばれます。遠くまで運ばれそうです。チシャはレタスのことでレタスの仲間ということです。
↓トゲチシャ 2022/6/2撮影  1


↓アレチヌスビトハギ(Desmodium paniculatum (L.) DC. (1825))か?
 3小葉の感じからアレチヌスビトハギかと思いましたが自信がありません。アレチヌスビトハギだとすると、マメ科なので種子は莢から弾け飛ぶのでしょうが、どうやって遠くに運ばれるのでしょうか。アレチヌスビトハギも結構あちこちで見かけますが、この場所に昨年もあったかどうか覚えていません。
↓アレチヌスビトハギか? 2022/6/4撮影   


↓以下は上記の道路とは別の場所のグレーチングです。


↓コムラサキ(Callicarpa dichotoma
 これは鳥により散布されるパターンです。園芸的に流通している「ムラサキシキブ」は実際はコムラサキのことが多く(見分けは以前の記事)、その種子が鳥に散布され道端のグレーチングに生えているわけです。写真は以前の記事から再掲。
↓コムラサキ 2022/6/9撮影

 

↓ナンキンハゼ(Triadica sebifera (L.) Small)
 これも私が呼ぶ「道端の木の6強」の一つ、鳥散布型です。この写真の2日後になくなっていました。店舗敷地に隣接した場所なので刈られたのでしょうが、刈った人は放置すると木になると知っていたのでしょうか。根が残っていればまた生えてきそうです。下の写真のような川岸や、水田付近(たいてい小さいやつですが、下の写真のように大きくなったものもありました)でもよく見かけるので、実は水辺が好きなのかもしれません。
Wikipedia「ナンキンハゼ」※12より、

「ムクドリなどの鳥類がこの種子を摂食し、蝋状物質を消化吸収して種子を排泄することで、種子分散が起こる。」
「よく紅葉することから、庭木、街路樹、公園樹の用途で使われている。種子から蝋(ろう)や油がとれ、種子の油脂の烏臼油は、石鹸・蝋燭の原料や、薬用(腫物、皮膚病)とされる。」

 とあります。これは電柱そばのグレーチングです。
↓ナンキンハゼ 2022/6/17撮影

↓(参考)ナンキンハゼ 2022/6/19撮影 これは川岸ですが放置されるとこんな風に「木」になっていきます。

↓(参考)ナンキンハゼ(だと思います。やや自信なし。違っていたら後から訂正します。) 2022/6/19撮影 水田(河岸段丘の上からの眺望)



②植え込み
 植え込みからもよく植栽とは別の木が飛び出ています。
↓アラカシ 2022/5/28撮影 植え込みから


↓ニセアカシア 2022/5/28撮影   植え込みから


 植え込みから顔を出す樹木はいろいろありますが、たまたま撮ったものを載せます。アラカシ(Quercus glauca Thunb.)のようなドングリをヒヨドリやムクドリが食べるとは思えないので、カラスが「遊び」感覚で運んだのではないかと想像します。ニセアカシア(Robinia pseudoacacia L.)はマメ科で、莢のついた実です。一般的にこのようなマメ科の豆果は、莢からはじけ飛んで種子が散布されるようですが、ニセアカシアの場合、莢に比べて種子が小さく、莢が風に乗って風散布もするのではないかと書かれた記事がいくつかありましたが、どれも想像、推測になっていました。またニセアカシア(=ハリエンジュ)は河川ではセイタカアワダチソウやオオキンケイギクなどと並び対策が必要な外来種の括りになっています(ということは分布を拡大する特徴があるということでしょう。単に種子がはじけ飛ぶ程度ではないのか、もしくは根茎で広がっていくのか。)。
 この植え込みのすぐそばにニセアカシアがあるのか(または近年まであったのか)確認はしていないため何とも言えませんが、近くにあれば落ちてきたのでしょうが、ない場合にどうやってここに生えたか謎ということになります。


③縁石付近
 アスファルトの上で土壌と直に接触がなくても芽生えて育つ強さがある植物です。


↓アメリカオニアザミ(Cirsium vulgare (Savi)Ten.)
 種子はタンポポのように綿毛によって風で運ばれます。割と遠くまで運ばれそうです。

↓アメリカオニアザミ 2022/5/27撮影  1

 

↓ヨウシュヤマゴボウ(Phytolacca americana L.)
 食用のヤマゴボウと全く無関係です。種子は有毒ですが、キジバト、カラス、ヒヨドリなどが食べるという情報があります。鳥散布型なのでとまり木代わりになるものがあればどこでも生えてきそうです。子供の頃、この実を潰すと赤紫の汁が出るので「ヨウシュ」からどうしても「洋酒」をイメージしてしまっていましたが、単にアメリカ原産による和名でした。道端の草本を取り上げ出すと、やはりリンネ命名が多くなります。平場の草本は外来種だらけです。
↓ヨウシュヤマゴボウ 2022/5/27  2



④法面
 おまけ的に載せます。河岸段丘を斜めに横断する道路の法面です。

↓イタドリ(Fallopia japonica (Houtt.) Ronse Decr.)
 日本から欧米に渡り、その繁殖力と破壊力から悪魔のように嫌われているイタドリです。分類命名はマールテン・ホッタイン(1720-1798、オランダの医師、博物学者でリンネの影響を受けた人)です。どうやって、イタドリを手にしたのか。シーボルト(1786-1866)が鑑賞用に日本からヨーロッパに持ち込んだとされるので、まだヨーロッパに来ていない段階で分類したことになるのですが...。
Wikipedia「イタドリ」※13から、

「雌株は、花が終わるとハート型の3稜ある果実ができ、秋に熟する。果実は翼果で、種子を包む薄い3枚の翼は、雌花の花被片(萼片)3個が痩果を包み込んで翼状に張り出したもので、風によって散布される。」
「春に芽吹いた種子は地下茎を伸ばし、各所に芽をだし、群落を形成して一気に生長する。」

 とあり、風散布です。通常は法面の上には電線はありませんから、鳥散布より先に入ってきます。
↓イタドリ 2022/5/27撮影  1 法面



↓アカメガシワ(Mallotus japonicus
(Thunb.) Müll.Arg.)
 私が呼ぶ「道端の雑木6強」のうち最強の木です(カラスあっての話ですが)。ツンベルク命名だからでしょうが、学名に「日本」がつきますが、中国や台湾にも分布します。典型的なパイオニア植物で、草のような雰囲気で生えてきます。以前の記事で参照した研究によれば、カラスなどが好んで食べ散布します。アカメガシワの外種皮に含まれる脂肪分への嗜好性が考えられるとされ、可食部が少ないので大量摂取するそうです。この調査では、カラスの排泄物中、アカメガシワの種子が最も多く、エノキが続くとありました。
 これは法面上のガードレールにとまったカラスが散布したのでしょう。何年か放置されるとどうなるかをお見せするため載せました。根元には直径10㎝程度の幹が数本集まっています。
↓アカメガシワ 2022/5/27撮影   法面


↓アカメガシワ 2022/5/27撮影   道端




(自由主義などの話の続き)

 約7万年前に人類存亡の危機でたまたま生き残ったのが「社会的協力」をする人々だったとされます(頭骨の眼窩上隆起の消失という変化がテストステロンの抑制つまり攻撃性の抑制だったと考えられているため)。Y染色体ハプログループDの系統の縄文人は、その当時の人類にかなり近い系統です。Kの系統よりずっと古いです。
 この「社会的協力」と自由主義における「自発的家畜化(全体主義)」との明瞭な違いは「生得的で普遍的なモラル(=憐れみや自制心)を持った自己」を保っているか否かです(これを失うと無責任な他人任せ、熱狂のような強烈な依存心が出てきます)。社会的協力への勧誘を巧みに装って自発的家畜化を誘導するものには、例えば愛国教育があります。個人よりも国を大切にするとか、自国は素晴らしい(はずだ)という内容を含みます。愛国心や郷土愛は強要された瞬間に危うい全体主義につながります。「濃厚な自由主義=全体主義」を拡大する際の常套手段です。日本でどういう人たちがそれをやろうとしているかを見ればわかります。自由主義濃厚な保守派です。「国を守る」と勇ましいですが、全体主義のような我を失った無責任さで守れるものでしょうか。強制、強要は自己を喪失させ、生得的普遍的モラルを失わせますから、軍隊における規律の乱れは必然です。自己責任の強要も同じことで、これは自由主義の最たる特徴の一つです。
 保守の人たちには嫌韓嫌中の人もいるのでしょうが、この全体主義の志向性は彼らと同類になることだと理解しているのでしょうか(もしくは同類だからこそ嫌いなのか)。
 自民党の2012年の憲法草案には、「個人の尊重」の「個」を削除し、「公共の福祉」を「公益、公の秩序」に変えるという部分がありました。重要なことは細部に宿ると言いいたくなりますが、この変更だけで、民主主義の排除、個人の否定、滅私奉公という完全な全体主義を成します。「公益」という言葉で巧みに、社会的協力の気持ちを自発的家畜化に振り替えさせるものです(愛国教育と同質)。たったこれだけの変更で、中国やロシアのような国を志向することになり得ます。変えたら最後、後戻りはできません。2012年の自民党の政権復帰は、このことが象徴するように寒気がするほど気持ちの悪いものでした。憲法草案で全体主義を志向することを公然と明言したわけですから、「戦後から脱却して」「戦前に回帰する」を明確に示したことになります。現在進行中の「デジタル化」も、北欧のような民主主義によるデジタル化ではなく、全体主義志向によるデジタル化なのですから、信用できず福祉の向上より抑圧のほうが大きいに違いない、そう感じる人もおそらく一定数あるでしょう。
 選挙が近づいていますが、内閣支持率なども見れば自民党や是々非々とか言っている保守系の政党が議席を増やしそうで、とても憂鬱な気分になります(憲法を変える動きが活発化する)。拮抗によってちゃんとチェックがなされ、暴走が防がれる体制であってほしいと願うからです。前述のとおり日本人の大半は自由主義なので基本的に政治的な拮抗がありません(民主党政権も自由主義的でした。つまり自由主義どうしでは単なる不毛な権力闘争になります。基本的に何も変わらない。)。政治的拮抗はないため小選挙区制では独占が強まるばかりです(参院選も1人区は小選挙区制と同じことです)。本来の民主主義の政党はどこなのかわかりにくいです(形式的には社会民主主義を掲げる政党が民主主義の政党です)。多くの人が、物事がスパスパと決まって政策が素早く実行されるのがいいと思うのでしょう(自由主義の国民性ですから)。特にパンデミックや戦争の影響があればなおさらでしょう。しかし、暴走を可とする体制は取り返しがつかない事を起こす可能性があります。プーチンが強烈な自由主義である戦争を起こし自由を大量に奪っているため、自由主義が自由主義を自己増殖的に拡大させ(資本主義と同じですから)、その余波で日本でも自由主義がますます強まり保守派が躍進する可能があります。もう少し具体例で言えば、戦争なども影響を与えているコストプッシュ型の悪いインフレの物価高で各党が軒並み税の軽減を訴えていますが、例えば一律な消費税の減税でより得をするのは消費額が多い(ことが可能な)富裕層なので、格差は拡大しこれは自由主義になります(消費税は上げても下げても富裕層に有利という不思議さは、自由主義的な国民性も含めて資本主義下では、無税でも消費税でも一律なものには格差是正の機能がないためで、そのまま資本主義の格差拡大が進行するのでしょう。)。同様に財政出動を訴える声も高まっていますが、一律のバラマキでは格差縮小にはならず、格差の放置につながり自由主義に寄与してしまいます(どのように分配するのかが肝心で注意が必要です)。フランスの選挙では極左が躍進したそうですが、不寛容な極左はすなわち自由主義です。このように自由主義が強まるということは、「困っている人をますます困らせ、強きを助け弱きをくじく」という世の中にどんどん染まっていくということになります。社会不安がますます社会を不安定化させるということです。かつて、イギリスがアヘン戦争で清を困らせたという情報は日本に伝わり、既存の国学や水戸学という国粋主義に火がついて、クーデターにより自由主義=全体主義(軍国主義)の政権(明治政府)ができたわけです(自由主義が自由主義を増殖させた)。
 右翼も左翼も極端に近づくほど危ない自由主義となるので、中道がいいわけですが、「自称中道」では心許なく信用できません。最低限の見分けてしては、一つは、政党の代表者が「断言=決めつけ=責任転嫁」の言葉を多用しているかどうか、使っていたら自由主義ですし(「あの政党が悪い、あの政策が悪い」ばかり言っていたら明らかに自由主義。「それもいいけど、こういうのはどう?」と提案するのは断言とは別の自由を創造するあり方で良いのですが、戦略的にそのふりをする・・岸田政権も?・・場合があり見分けが難しい。)、もう一つ、選挙の「風」は人々の自発的家畜化による熱狂(強い依存心)ですから、それは人々の自由主義が過熱した(我を失い、理性や生得的普遍的モラルを失った)状態であり、その「風」の中心、熱狂の対象も、人々自身も自由主義です。(追記)ニュースで候補者の演説が流れ始めましたが、表面的に訴えていることからは政党の本質的な部分がさっぱりわからなくなっています。政党の公約集などを読み、さらにその裏側まで読み取る必要があります。候補者の訴えることをそのまま鵜呑みにしていたら何もわかりません。

 そう考えていくと投票先がなくなってしまいますが、あとは消去法になります。全体主義(超自由主義)により近い人たちにはNOというほかないということになります。明らかに新自由主義を掲げていたり、声高に「国を守る」とか、国粋主義的で濃厚な保守の人たちに対してです。単純に言えば、ロシアや中国のように(全体主義に)なるのかならないのかですが、注意すべきは、これらに対して強い敵対心を持つことで実は同じになってしまうという自由主義の妙があります。一方で実は同じだからこそ無自覚に敵対心を燃やす場合もまた多く、自由主義では「あんたがそれを言うのか」ということがしばしば起こります。それに飲み込まれないためには「憎しみの連鎖」みたいなものを断ち切らなくてはいけません。冷静にならなくてはいけないということです。候補者が感情に訴えていることに対して、「ちょっと待てよ」と考えなくてはいけません。

 

 ちょっと突飛ですが、納豆や赤味噌の摂取を推奨してセロトニンを増やし、精神を安定させて、不安が起源である自由主義を抑制できないものかと個人的には思います。
 大阪での自由主義の躍進は遺伝子のなせる業なのでもう防ぎようがないのでしょう。大阪の人は全体主義が好きなのかもしれませんが、この政党の国政への影響力が増すことで国中が影響を受けます。
 選挙ドットコムによる「投票マッチング」なるサイトがあり、若い人たちが多く利用するようです(朝の民法のニュースで聞いて知りました)。途中まで見てみましたが、政策に関して20個の質問(簡単な解説はついていて、一応、中立的には見えました)に賛成の度合いを答えていくというものでした。ただ、当たり障りのない解説により政策の背景にあるものが見えないと、どう答えるかを間違うような気がします。何も考えないよりはましなのか、おかしな誘導になってしまうのかは真偽不明、ということは自由主義的なツールになるでしょう(自分の頭で考えない。私は危うさを感じます)。質問の最後のほうにあったベーシックインカムですが、特に新自由主義を強く掲げる大阪の政党が主張しています。新自由主義ということは資本主義による強い支配ですから、これは格差是正の話ではなく、「生かさず殺さず」にして搾取は強化することを意味します(国民を家畜化するのと同じ。また、中国が途上国に投資して依存させ相手国の自由を奪うのとほぼ同じです)。そんな解説はされていませんでしたよ。一般的な解説としては、一律型の給付では莫大な費用がかかるというのはありますが、ここからもう一歩突っ込んで考える必要があり、この「一律」というのは消費税減税と同じで、一見公平だと錯覚しますが、格差を少なくする再分配にはなりません(つまり自由主義)。これと異なるものに負の所得税という考え方、所得の少ない人に政府が給付するものがあります。

 規制緩和は既存の秩序の破壊なので戦争と同類です。搾取が一層強まり、新たな独占が生まれるだけです。成長に最も必要な発明・イノベーションは既存の規制の枠外にあると見るべきで、既存の規制を破壊しても出てこないでしょう。緊縮財政も「この支出が悪い、この課税が足りない、または多い(例えば消費税一択になってます)」という「決めつけ(責任転嫁=無責任)」となり、浮いた分は資本家の独占に吸収されるだけで、財政は健全化しません。このように、規制緩和が成長戦略というのはおかしく、「身を切る改革」も意味はないでしょう。新自由主義、自由主義資本主義の進展は幸福をもたらすのかどうか「真偽不明」ゆえに(「真偽不明」は共有されず分断を生み、民主主義でなく自由主義に寄与するため)、破壊が破壊を生み、資本主義は進展してしまいます。新自由主義の(大阪の)政党の躍進により、まさにそれが進んでしまいます。

 


(引用、参考)
※1:「フィリップ・ミラー(園芸家)」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/4/14  15:07 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※2:「アヘン戦争」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/6/3  14:31 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※3:「ムクロジ目」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/3/11  12:35 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※4:「ロバート・フォーチュン」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/6/8  15:36 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※5:『トマトの学名 “Solanum lycopersicum” について』2017/10/2
https://agriculture-shop.com/tomato/98
※6:「メリケンガヤツリ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/2/20  17:43 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※7:「イヌホオズキ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/6/13  12:37 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※8:「木村有香」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/1/1  13:20 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※9:「蒴果」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/6/18  03:52 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※10:「ヤナギ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/5/14  01:50 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※11:「ガマ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/5/6  06:50 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※12:「ナンキンハゼ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/6/9  09:31 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※13:「イタドリ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/5/24  21:20 UTC 版)https://ja.wikipedia.org