訪問して下さり

ありがとうございます


ブログ更新が遅れて

大変申し訳ございません


本日もどうぞ宜しくお願いします




イエスは彼らの会堂に入られた

するとその時に片手の萎えた人がいた


人々はイエスを訴えようと思って「安息日に人を癒してもさしつかえないか」と尋ねた


イエスは彼らに言われた

「あなた方の中で一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら手をかけて引き上げてやらないだろうか、人は羊よりもはるかに優れているではないか、だから、安息日に良いことをするのは正しいことである」


そしてイエスはその人に「手を伸ばしなさい」と言われた


そこで手を伸ばすと他の手のように良くなった


パリサイ人達は出て行って、何とかしてイエスを殺そうと相談した


イエスはこれを知ってそこを去って行かれた


ところが多くの人々がついて来たので彼らを皆癒し、そして自分のことを人々に言わないようにと彼らを戒められた


これは預言者イザヤの言った言葉が成就するためである


「見よ、わたしが選んだわたしの心にかなう愛する者、わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう


彼は争わず叫ばず、またその声を大路で聞く者はない、彼が正義に勝ちを得させる時まで傷められた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない、異邦人は彼の名に望みを置くであろう」






人々はイエス様を

訴えようと思って

「安息日に人を癒しても

さしつかえないか」

と尋ねました



イエス様を裁判にかけるために

試したのです



訴えて殺そうとすることが

目的ですから

イエス様が正しいことを

行って教えても

彼らには正しいことは

伝わりません



ユダヤへ遣わされたのに

イエス様の御名に

望みを置くのは異邦人です



イザヤの預言も

イエス様によって成就します



イエス様に従うなら

イエス様の言う通りになります



萎えた手も他の手のように

良くなります



パリサイ人のように

イエス様を試したり

殺そうとするなら

イエス様はそれを知って

そこを去って行かれます



イエス様がいない世界は

救いのない世界です



イエス様の救いは

罪の許しですから

イエス様がいないならば

罪だけが残ります



生きているうちは

悔い改めるチャンスなのですが

死んでからは

悔い改めることができません



生きているうちに

イエス様の御言の種を植えて

用意をしないと悔い改めの実を

結ぶことはできません



良い麦は良い種からです

しかし良い種があっても

準備の整った良い畑がないと

良い麦は育ちません



良い畑は良い心からです

イエス様が良いと思う

心から受け入れる



パリサイ人はイエス様を

良いと思っていません


良いとか正しいとか

思っていないから

妬み憎しみに繋がるのです



イエス様を良い心で受け入れる



イエス様が正しいと思って

受け入れないなら正しい方は

その人から過ぎ去って行きます



イエス様の御国が来ますように


イエス様の御心のままに

なりますように


多くの人々に

祝福がありますように


本日は以上です

ありがとうございました