聖書を理解する 70号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

●疑問点➡わたしの他に神があってはならない

●考察➡聖書が伝える神様とは①永遠の生命②善悪の知恵の両方を持たれていることが理解出来ました、その結論として「わたしの他に神があってはならない」となります、この内容は矛盾していないと考察されます、アダムとエバは善悪の知恵の木を食べ、さらに生命の木を食べると神のようになってしまう、アダムもエバも神様のようになると神様の位置につくことになります、アダムとエバは人として創られたので、人でなければなりません、人は神様に仕えて褒めたたえるという役目があります、人が造られた目的は神に仕えて信奉(奉仕と信仰)するとなっています、アダムとエバは善悪を知る木を食べたので生命の木は食べることは出来ないのです、人は神様のようになってはいけない、創造の神だけが神であるというのが聖書の理解です、創造の神以外は絶対に神にさせないので生命の木と善悪を知る木の両方を人には食べさせない、ですから善悪の知識を持っている人は生命の木は食べれないことになります、永遠に生きることは出来ない、必ず死ぬ者となってしまうのです、掃除機が掃除機でなければ故障となります、人が善悪の知恵の木と生命の木を食べたら人でなくなり神となるので故障となるのです、本来の役割りを果たせないので人生は終わりです、世界はイエス様をひとりの主(王)として治める仕組みになっていますから、あちこちに神がいたのでは統治出来ないことになります、善悪の知恵の木を食べたアダムとエバが生命の木を食べないようにされた神様が4000年後にイエス様を天から遣わされて、イエス様を食べるようにされました、人が死なずに永遠に生きるようにされたのですが、善悪の知恵の木を食べる者には永遠の生命の権利はありません、どちらも食べることは出来ません、どちらか一つしか食べれません、欲張りな人はパウロの教えもイエス様の教えも取り入れて混ぜこぜにしているのですが、イエス様の教えだけに集中しないと永遠の命は得ることは出来ません、イエス様を裁いた十字架の教えで人を救おうとしても永遠の命は与えられません、人は絶対に裁いてはいけないのです、善悪の判断はイエス様に「ゆだねる」という絶対の法則なのです、人を裁いて永遠の命を得ることは出来ないのです、人を裁いてはいけないという律法は守るべきです、裁く人は死にます。