日本映画、それも小津安二郎(あるいは溝口健二)の影響を受けたという、ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』とトラン・アン・ユンの『ポトフ』を続けて観たあとで、小津安二郎の『東京暮色』を語るのは気が重い。
『PERFECT DAYS』も『ポトフ』も、役所広司あるいはジュリエット・ビノッシュの※植物的態勢と※動物的態勢という違いはあるが、どちらにも「光」に溢れた世界がある。
それは、『晩春』の青空と晴天の世界と同じである。
※植物が根を下ろす場所の土、水、光、大気を循環させて成長する状態
※ポトフのジュリエット・ビノッシュもドダンのシャトーに根づき、様々な料理を追求する姿は、植物的態勢だともいえる
『東京暮色』は、『晩春』の陰画として存在する。そこにあるのは、「夜」「冬」「雪」の世界だ。
『東京暮色』の最初のシークエンスは、初老の笠智衆が池袋界隈の小料理で酒を飲む場面から、雑司が谷の自宅で原節子が出迎える場面につながる。
ここまで見ると、『晩春』の、早くに妻を失った大学教授の寡夫、笠智衆(曾宮周吉)と未婚の娘、原節子(曾宮紀子)と同じ設定に見えるが…
有馬稲子は年下の大学生、木村の子供を妊娠しているが、木村は逃げ回っている。一人悩む有馬稲子。
深夜、一人で木村を待っていた有馬稲子は娼婦に疑われ?警察に補導される。姉の原節子が引き受けに来る。
原節子と有馬稲子の母親は、銀行員の笠智衆が京城(現ソウル)の支店に単身赴任中、彼の部下と不倫し、三人(山で遭難し死んだ長男がいた)の子供をおいて満州に出奔した。
その母親、山田五十鈴が帰国し、五反田で麻雀荘を開いていると、叔母、杉村春子から聞いた原節子は麻雀荘を訪ねる。
有馬稲子(明子)の死を契機に、原節子は、子供には両親が必要だと家に戻る決意を固める。笠智衆もそれに安堵する。
一人になった笠智衆は、いつものようにスーツを着て銀行に向う。
帰りには、池袋の小料理屋で一杯やって帰るのだろう。
戦争中、植民地に単身赴任中の笠智衆、日本にいた妻が部下と不倫し、3人の子供を置いて満州に出奔。
男手一つで3人の子供を育てるが、長男は山で遭難し死亡。速記学校に通う次女は笠智衆をさけ、不良仲間と遊び、大学生の子を妊娠している。結婚した長女は、夫と不仲で、子供を連れて実家に戻っている。
出奔した母親が、新しい男と日本に戻って、次女と長女の前に現れる。次女は墮胎した後、自暴自棄になり事故で亡くなる。
なんとも、救いようのないストーリーであるが、笠智衆は、自らが根を下ろす場所に育つ植物が、土、水、光、大気の循環態勢を繰り返して成長するように、状況を受け入れ、苦難に耐え、生きている。
一方では、悲劇な状況にありながら、周囲に目を向けると、有馬稲子と大学生の修羅場に明るい沖縄民謡が流れ、死に向かう有馬稲子の病室の外では、欠伸をする看護婦の日常の現実があり、喪服を着た原節子を追いかける山田五十鈴をからかう男がいて、別れを言いに来た母を許さない無表情の娘、上野駅の列車で来ない娘を探す母親…
もはや、ホラーのようなショットが挿入され、悲劇の外にある喜劇に背筋が寒くなる…
『東京暮色』の撮影は1957年、前年に盟友の溝口健二が58歳で死去している。原節子は1954年に白内障の手術をして、撮影当時、左目はほぼ失明していたらしい。原節子の無表情と無縁ではないだろう。
小津安二郎は、『東京物語』1953 年当時に知り合った、戦争未亡人の村上茂子を恋人にしていた。『晩春』の頃の原節子への恋情は消えていただろう。
1949年の『晩春』の晴天の青空、輝く陽光、原節子を覗くだだ漏れのエロティシズムは枯れ、夜の闇に湿潤な雪が降る『東京暮色』はシニカルで、反エロティシズムで、失明している。
それでも、「植物的態勢の循環」は「無常迅速」在るもの一切は止まることなく変化する。
役所広司が運転する車のカセットテープから流れる、オーチス・レディングのドック・オブ・ザ・ベイ
中程で、こう歌う
“Looks like nothing's gonna change
Everything still remains the same
I can't do what ten people tell me to do
So I guess I'll remain the same, listen”
『ぼくは例えば豆腐屋なんだから次の作品といってもガラッと変わったものといってもダメで、やはり油揚とかガンモドキとか豆腐に類したものでカツ丼をつくれったって無理だと思うよ。』小津安二郎戦後語録集成より
という有名な発言がある
ニーナ・シモンの
“Feeling Good”
“ It’s a new dawn, it’s a new day,
it’s a new life for me
And I’m feelin’… good”
「無常迅速」(在るものの一切は止まることなく変化する)という言葉も好きだった。