映画 “東京暮色” 小津安二郎 | やまちゃん1のブログ

やまちゃん1のブログ

美術、映画、文学、グルメ関係のブログです。

日本映画、それも小津安二郎(あるいは溝口健二)の影響を受けたという、ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』とトラン・アン・ユンの『ポトフ』を続けて観たあとで、小津安二郎の『東京暮色』を語るのは気が重い。


『PERFECT DAYS』も『ポトフ』も、役所広司あるいはジュリエット・ビノッシュの※植物的態勢と※動物的態勢という違いはあるが、どちらにも「光」に溢れた世界がある。
それは、『晩春』の青空と晴天の世界と同じである。

※植物が根を下ろす場所の土、水、光、大気を循環させて成長する状態
※ポトフのジュリエット・ビノッシュもドダンのシャトーに根づき、様々な料理を追求する姿は、植物的態勢だともいえる


東京暮色』は、『晩春』の陰画として存在する。そこにあるのは、「夜」「冬」「雪」の世界だ。

東京暮色』の最初のシークエンスは、初老の笠智衆が池袋界隈の小料理で酒を飲む場面から、雑司が谷の自宅で原節子が出迎える場面につながる。


ここまで見ると、『晩春』の、早くに妻を失った大学教授の寡夫、笠智衆(曾宮周吉)と未婚の娘、原節子(曾宮紀子)と同じ設定に見えるが…


東京暮色』の笠智衆(杉山周吉)は妻に逃げられた銀行の監査役で、速記学校に通う次女の有馬稲子(杉山明子)と二人で暮らしている。

長女の原節子(沼田孝子)は結婚して2歳の娘がいるが、大学講師の夫(沼田)と不仲で、子供を連れて実家に戻っていた。

夜遅く、次女の有馬稲子が帰って来る、笠智衆を避けているようだ
 

長女夫婦の仲をなんとかしようと、笠智衆が夫(沼田)を訪ねる

沼田はシニカルなインテリ(大学講師)で不遇をかこつている
和解の進展はなく、降る雪を見る



有馬稲子は年下の大学生、木村の子供を妊娠しているが、木村は逃げ回っている。一人悩む有馬稲子。


深夜、一人で木村を待っていた有馬稲子は娼婦に疑われ?警察に補導される。姉の原節子が引き受けに来る。




原節子と有馬稲子の母親は、銀行員の笠智衆が京城(現ソウル)の支店に単身赴任中、彼の部下と不倫し、三人(山で遭難し死んだ長男がいた)の子供をおいて満州に出奔した。

その母親、山田五十鈴が帰国し、五反田で麻雀荘を開いていると、叔母、杉村春子から聞いた原節子は麻雀荘を訪ねる。

なぜか、怪しいマスク姿の原節子

娘と気づく山田五十鈴
山田五十鈴をことさら美しく撮っている

山田五十鈴は再会を喜ぶが、原節子は、妹の有馬稲子に母親だと名乗らないよう強く釘を刺す。


有馬稲子はなんとなく麻雀荘の女将が母親ではないかと思っている。
そして、父は笠智衆ではなく不倫相手ではないかと…


父親の友人から金を借りて中絶手術を受ける


有馬稲子は父親は誰かと山田五十鈴に詰め寄る


木村を探す有馬稲子


立ち寄ったラーメン屋に木村が現れ、有馬稲子は木村の不実に、怒りを露わに、木村を罵倒し、

激しく殴打し、店を飛び出す

ずっと、明るい沖縄民謡「安里屋ゆんた」が聞こえている
歌詞の「ツンダラ カヌシャマよー
」とは、八重山の古語で「本当に愛しい人」という意味

日本本土は1952年に主権を回復したが、『東京暮色』を撮影した1957年当時は、アメリカ軍による土地の強制収用に対して「島ぐるみ闘争」が激しさを増していた。


踏切の警戒音と悲鳴
有馬稲子は電車にはねられる…

 
病院に駆けつけた、笠智衆、原節子、ラーメン屋店主 

有馬稲子は「死にたくない、生きたい」とつぶやく


当直の看護婦が欠伸をするカットが入る


喪服を着た原節子(孝子)が麻雀荘に山田五十鈴を訪ね、「有馬稲子(明子)は死にました、お母さんのせいよ」と吐き捨て、早足で去る


麻雀をしていた明子の不良仲間が、原節子(孝子)を追いかける山田五十鈴を見て「孝子さん〜、孝子さん〜か」とおチャラける

 
花を持った山田五十鈴が線香をあげにくる
麻雀荘をたたみ、明日、北海道に移住すると告げる


鉄仮面のように表情を変えない原節子、山田五十鈴が帰ったあと一瞬、号泣するが…


上野駅、原節子が最後に見送りに来てくれるのではと何度もホームを探す山田五十鈴…

しかし、原節子は来なかった


読経をあげる笠智衆

有馬稲子(明子)の死を契機に、原節子は、子供には両親が必要だと家に戻る決意を固める。笠智衆もそれに安堵する。

一人になった笠智衆は、いつものようにスーツを着て銀行に向う。
帰りには、池袋の小料理屋で一杯やって帰るのだろう。

戦争中、植民地に単身赴任中の笠智衆、日本にいた妻が部下と不倫し、3人の子供を置いて満州に出奔。
男手一つで3人の子供を育てるが、長男は山で遭難し死亡。速記学校に通う次女は笠智衆をさけ、不良仲間と遊び、大学生の子を妊娠している。結婚した長女は、夫と不仲で、子供を連れて実家に戻っている。
出奔した母親が、新しい男と日本に戻って、次女と長女の前に現れる。次女は墮胎した後、自暴自棄になり事故で亡くなる。

苦難を受け入れ、日々の暮らしを淡々と繰り返す笠智衆


なんとも、救いようのないストーリーであるが、笠智衆は、自らが根を下ろす場所に育つ植物が、土、水、光、大気の循環態勢を繰り返して成長するように、状況を受け入れ、苦難に耐え、生きている。

一方では、悲劇な状況にありながら、周囲に目を向けると、有馬稲子と大学生の修羅場に明るい沖縄民謡が流れ、死に向かう有馬稲子の病室の外では、欠伸をする看護婦の日常の現実があり、喪服を着た原節子を追いかける山田五十鈴をからかうがいて、別れを言いに来た母を許さない無表情の娘、上野駅の列車で来ない娘を探す母親… 

もはや、ホラーのようなショットが挿入され、悲劇の外にある喜劇に背筋が寒くなる…

東京暮色』の撮影は1957年、前年に盟友の溝口健二が58歳で死去している。原節子は1954年に白内障の手術をして、撮影当時、左目はほぼ失明していたらしい。原節子の無表情と無縁ではないだろう。
小津安二郎は、『東京物語』1953 年当時に知り合った、戦争未亡人の村上茂子を恋人にしていた。『晩春』の頃の原節子への恋情は消えていただろう。
1949年の『晩春』の晴天の青空、輝く陽光、原節子を覗くだだ漏れのエロティシズムは枯れ、夜の闇に湿潤な雪が降る『東京暮色』はシニカルで、反エロティシズムで、失明している。



それでも、「植物的態勢の循環」は「無常迅速」在るもの一切は止まることなく変化する。




役所広司が運転する車のカセットテープから流れる、オーチス・レディングのドック・オブ・ザ・ベイ


中程で、こう歌う

“Looks like nothing's gonna change
Everything still remains the same
I can't do what ten people tell me to do
So I guess I'll remain the same, listen”


『ぼくは例えば豆腐屋なんだから次の作品といってもガラッと変わったものといってもダメで、やはり油揚とかガンモドキとか豆腐に類したものでカツ丼をつくれったって無理だと思うよ。』小津安二郎戦後語録集成より
という有名な発言がある


ニーナ・シモンの
“Feeling Good”

“ It’s a new dawn, it’s a new day,
 it’s a new life for me
 And I’m feelin’… good”

「無常迅速」(在るものの一切は止まることなく変化する)という言葉も好きだった。
 




ランキングに挑戦中
下のボタンを2つ、ポチッ、ポチッと押して頂けると嬉しいです!