クロモジの仲間(クロモジ属)に、シロモジ Lindera triloba があります。日本固有種で、しかも西日本にしか分布していない[1]ため、希少価値の高い樹木だと思います。その割には、(クロモジと比べると)地味で目立たない印象がありました。

そんな中、2022年3月、シロモジ精油に関する研究発表がありました。
"人工知能を用いた抗菌性植物抽出物のスクリーニング (第2報)
 ~シロモジ精油について~ "


シロモジについて文献を調べてみると、江戸時代の本草書『本草図譜』[2]や『重修本草綱目啓蒙』[3]には香木類として収載。両書とも烏薬(テンダイウヤク)の一種という扱いです。とすれば、根を薬用に使っていたのでしょうか。
古説ニハ、ウコンバナヲ以テ天台烏薬トス。然レドモ漢種ニ異ナリ。ウコンバナハ、一名ハタウコン、トモギ、ツラフリ(播州)、シロモジ(加州)、ノソバ(予州)、クロヂシヤ(信州)。山中ニ自生多シ。冬ハ葉ナシ。春初先花ヲ開ク。山茱萸ノ花ニ似テ色浅シ。葉ハ大サ三寸許円ニシテ三尖アリ。蔵器ノ説ニ高サ丈余、一葉三椏ト云時ハ、是モ亦烏薬ノ一種ナリ。天台ノ烏薬ニ非ズ。根ノ形モ連珠ヲナサズ、又円葉ノ者アリ。(『重修本草綱目啓蒙』より)

各地で呼び名が異なりますね。この他、シロキ、ミツデという呼び名もあります[2]。ただ、少しややこしいのが、ダンコウバイ Lindera obtusiloba も、葉の形が似ていて、ウコンバナなどと呼ばれていたこと。当時は、混同していた可能性があります。



和歌山県での呼び名は、葉の形から動物の手脚を連想して「サルデ」や「トリアシ」だったようです。
サルデノ木 奥熊野ニ多シ 樹高五七尺葉 ウコンバナニ似テ岐深クシテ三尖也 夏葉間ニ細花聚リ開 五弁淡黄色後実ヲ結テ茶子ノ小ナル如シ 熟テ淡茶褐色 冬葉落 (『熊野物産初志』より)

ちょうど今頃(3~4月)、かわいらしい黄色い花が咲きます。
また、秋には、高野龍神スカイライン付近でも、きれいな黄葉が楽しめます。

〇 参考文献
[1] PRDB:植物社会学ルルベデータベース, 森林総合研究所
[2] "本草図譜 第10冊 巻81香木類5" 国立国会図書館デジタルコレクション
[3] "重修本草綱目啓蒙 香木類" 国立国会図書館デジタルコレクション
[4] 畔田伴存, "熊野物産初志"
高野山の植物と聞いてまず思い浮かぶのは、
「高野六木」…スギ、ヒノキ、コウヤマキ、アカマツ、モミ、ツガ。
町のあちこちで見かけます。
特に、コウヤマキは、町木に指定されていますし、おみやげ屋さんでもよく見かけます。

では、江戸時代には、何が知られていたのでしょうか。
『紀伊続風土記 (高野山之部 草木の章)』に、高野山を代表する植物が挙げられています。

・木蜜 (シキミ)
・黒モジ (クロモジ)
・松 (アカマツ)
・婆羅樹 (ナツツバキ)
・骨路草 (?)
・松蘿 (サルオガセ)
・萬年草 (コウヤノマンネングサ)

なかなか、渋いチョイスです。今回は、クロモジを取り上げます。
黒モジ 大和本草に云ふ 「黒モジ山中ニ生ス。葉ハ漆ニ似テ榎ニ似タリ。葉ニ大小ノ異アリ。冬ハ葉落皮黒クシテ香気アリ。故ニ是ヲ用テ牙枝トス、皮ヲツケ用ユ。又、ホヤウジト名ク。又其枝ヲ籬(まがき)トス。雅致ヲ助ク。二月ニ小黄花一所ニ多アツマリ開ク秋実ノル。榎ノ実ノ大ノ如シ。肉ニ油アリ。タブノ実ニ似タリ。云云」 此山渓畔嶺上に尤も多し。晩春の頃萌芽発るの時伐採て寺院園庭の籬(まがき)に造ることなり。(『紀伊続風土記』より)
籬(まがき)とは、垣根のことです。
ほかにも、高野山特有のクロモジの使い方として、箒(ほうき)があります。
箒といえば竹が一般的ですが、高野山で竹箒は忌み嫌われていました。
蛇原 伝人いふ此山開闢のとき此処に大蛇ありて人を害す。大師即ち竹箒を把めて是を払ひ終に大瀧に退けるに怨み竹箒にありとて山中今にいたって竹箒を用ひざるなりとぞ。(『紀伊国名所図会』より)

竹の代わりに使われるようになったのが、クロモジというわけです。そのおかげか、「高野にハブ(毒蛇)なし」として、高野の七不思議の一つとして言い伝えられています[3]。蛇は、クロモジの香りを嫌うのでしょうか。いちど試してみたいものです。


〇 参考文献
[1] "紀伊続風土記. 第5輯 高野山部 下" 国立国会図書館デジタルコレクション
[2] "紀伊國名所図会 三編(五之巻)" 国立国会図書館デジタルコレクション
[3] 高野山教報社(編) 島本芳伸(画) "高野山昔ばなし" (1981)
田辺市北新町は、中辺路と大辺路の分岐点に位置し、江戸時代の道路標識「道分け石」を今に残しています。

△西(写真右側)から来ると「左 くまの道」に従って左折し、中辺路(本宮方面)へ進みます。また、石の下側に小さい字で「すくハ 大へち」と書いてあり、直進すれば大辺路(串本方面)に進みます。逆に、北(写真左側)から来ると「右 きみゐ寺」に従って右折し、和歌山市方面へ進むことになります。

中辺路と大辺路の分岐点、そして、険阻な熊野路への入り口である田辺は、参詣者の宿場町として栄えました。そのにぎわいは、紀伊国名所図会や西国三十三所名所図会に記されています。

△道分け石も忠実に描かれています(紀伊国名所図会)
・・・熊野路の険阻を凌ぎ漸々に此の地に出て連日の労れを休む。別て東国の旅人は、熊野三山の霊場を拝し恙なく此の地に出るを歓び、山祝ひとて旅籠屋に於て餅を搗き、熊野権現那智山観世音をはじめ諸神仏に供じ、其の余り相客我同行旅籠屋の家内の男女に振舞ひともに食して祝ふを例ひとす。尤も其の製は好みに随ひ、雑煮あり善哉あり或ひは其の侭(まま)に豆粉に転がし、又、小豆の餡を円め食す。春の頃にいたりて日毎に祝ひの餅搗きありて旅籠屋の賑ひいと勇し。これ街道中に無双一奇なり(『西国三十三所名所図会』より)。

もち(餅)です。なぜ、もちなのかと言うと、
今関東より熊野に詣づるもの、弁慶の旧跡と称してかならずこれ(産湯の井)を見る。その夜この城下に宿して、餅を搗くを例とす、名づけて弁慶の力餅といふ(『紀伊国名所図会』より)。

力自慢である武蔵坊弁慶の生まれ故郷だから、のようですね(ちなみに、産湯の井は、田辺市役所の敷地内に復元されています)。力持ち→力餅ということでニコニコ
餅つきの様子も各図会に描かれています。


△なんだか楽しそうです。

田辺に来られた際には、ぜひ餅を召し上がってください。

〇 参考文献
[1] "紀伊国名所図会. 熊野編"
[2] "西国三十三所名所図会. 巻之三" 早稲田大学図書館 古典籍総合データベース
(前回のつづき)

宿泊は川湯へ。地名のとおり、川から湯が湧いていて、こちらも、江戸時代以前から知られている名湯です。
河温泉・・・川は至つて清冷の水流なるに、その川端に鍬もて穴を掘れば、ここより温泉涌出して、冷熱の加減も善し、熱き時は柄杓を以て河水を自由に汲み入れて浴す。かくて幾所にても穴を掘りて思ひの儘に入湯するを得べし。…中略…纔かに二尺ばかりを隔つれば、清冷の水流れて温暖の湯の涌くこと甚だ奇なり。この温泉内に小魚多く、湯は諸瘡に最も験しありて、身体不随の人には効能いよいよ速かなりと云ふ。(『紀伊国名所図会』より)


上図では、川から湯気が上がっていますが、ちょうどこの辺りに仙人風呂が作られます(冬季限定)。また、右側に見える「薬師堂」では、川湯温泉の守り本尊である十二薬師が祀られていて、1月には川に揚げ物が供えられます。

△揚げ物は、仙人風呂と並んで、川湯の冬の風物詩の一つ

△河原の一部が温泉。川に浸かっている人もいました。

さて、紀伊国名所図会の本宮温泉の頁には、湯宿の様子も描かれています。

△客室を区切るものが、障子やふすま。開放的な作りで、相部屋になることも多かったようです。現代で言うドミトリーのようなものでしょうか。

現代の旅館は、他人の目を気にせず、誰にも煩わされず、家族だけでのんびり過ごせます。とても便利になったものだなぁ、としみじみ感じました。

〇 参考文献
[1] "紀伊国名所図会. 熊野編"
[2] "西国三十三所名所図会"
[3] 鈴木一夫 "江戸の温泉三昧" (岩田書院)
久々の家族旅行は、じもたび(地元旅)です。今日の行き先は、田辺市本宮町。

この地は、古くから多くの人が熊野参詣に訪れ、温泉を満喫しました。今回も、江戸時代まで遡ります。

まずは、湯の峰へ。
西国三十三所名所図会を見てみると、

画面中央に「王子社」(湯の峰王子)、右側に浴場(現在の公衆浴場の辺り?)、左側に大きな湯宿が見えます。そして、湯宿のふもとを拡大してみると…

△湧き立つ湯口の傍で、座り込んでいます。何をしているのでしょうか。

紀伊国名所図会を読んでみると、
温泉 …わけてこの湯口は湯気甚だ強くして、その辺り深霧の如く、雨気には殊に甚しくて、近きわたりさへ見えかぬるなり。湯口にて粥を炊ぎ食すれば、痞(つかえ)または不食の者に善しと云ふ。また米を布に包みて少時湯口に置く時は飯となり、あるいは独活(うど)・蕨等を籠に入れ置けば、暫時にして煮熟す。里人は常にここにて湯煮すと云ふ。(『紀伊国名所図会』より)
紀伊続風土記にも、似た記述があります。
其の他、澗底極熱の涌く處一所あり。井欄を作りて其の上に置き、村中物を湯引く所とせり。諸の菜蔬は爰(ここ)にて湯引くもの気味最佳なり。(『紀伊続風土記』より)

これに近いものが、今も残っています。いざ「湯筒」へ。

△源泉が90℃前後であるため、ゆで玉子は10分、芋や根菜は1時間くらいで茹で上がります。


△近寄ってみると、皆さん、みかんネットに入れて茹でています。私は、蒸し布を巾着状に編みましたニコニコ


△家族で味見。息子は、ゆで玉子が気に入ったようです。


(本宮の旅 つづく)

〇 参考文献
[1] "紀伊国名所図会. 熊野編"
[2] "紀伊続風土記. 第3輯 牟婁,物産,古文書,神社考定" 国立国会図書館デジタルコレクション
[3] "西国三十三所名所図会. 巻之三" 早稲田大学図書館 古典籍総合データベース
家族で田辺梅林へ行った帰りに、久しぶりに龍神温泉へ。しっとり感のある、いい湯です。
さて、元湯の休憩場で、木製の絵図の展示を見つけました。

△江戸時代の全景を描いたもの。かなり細かく書かれています。

そう、龍神温泉は、当時の温泉番付にも登場する名湯です。

△この番付では、「行司」という別格の存在

当時どれほど高名であったか、紀伊名所図会に説明されています。
かたへの山もとに、湯の涌き出づる口ありて、大なる樋を懸けわたして、浴室に通はして、五区の湯口より漲り落つるが最潔にして、熱からず寒ならず、ただ温かにして臭気なく、湯船の底まで透き通りて見ゆ。此の温泉いづれの病にも験あれども、わきて揚梅瘡にて年久しくなやめるには、奇しきまで功験あれば、かかる深山の奥なれども、峰をこえ谷をわたりて、国々より来る人、四時絶間なく、春秋はことに賑しくして、岩間をくだす筏師の藤衣、里に落ちくるむささびの声なども、自ずから見なれ聞きなれて、日を重ね月を経る者多ければ、雑謡・散楽などにすぐれたるものを招きて、客人の心をとり、あるは琴碁書画の風流にふけり、或は釣り糸をたれて川辺に立ち、鉄砲を携へて山路を分けなど、おのがじしの興あまたあれども・・・(『紀伊国名所図会』より)

「揚梅瘡」とは、梅毒のこと。江戸時代には、一般庶民にも湯治の文化が広がりました。龍神にも、全国から湯治客が訪れ、何か月も滞在することもあったようです。挿図も豊富で、

△大浴場は大賑わい。しかも、混浴! ただ、ちょっと人が多すぎるのでは…


△まったりした客間。新緑の季節でしょうか、つつじが咲いています。現代の旅館は完全に個室ですが、挿絵はとても開放的で、自由奔放な印象です。屋根にいるのは、もしや龍神地鶏?
湯に霞む 谷の気を蒸す つつじかな ―橘仙



△龍神全図
図中で、湯屋(浴場)は右下、宿場は左下に位置します。紀州藩主の宿として建造された「上ノ御殿」「下ノ御殿」の表記も見えます。
右端には、龍神村の名の由来と関連する「難陀龍王」があります。また、図の中央には「温泉寺」と「薬師」の文字が見えます。薬師堂には、弘法大師が彫ったとされる薬師如来(医王)像が安置されていたそうです。
古ヘ役ノ小角中ノ峯修業ノ時始テ泉地ヲ開キ、弘仁中僧空海高野山ニ入リ、難陀竜王ノ夢告ニ因リテ衆庶ノ来浴ヲ導キ、医王ノ像ヲ自鐫シテ草堂ニ安置ス。此擧龍王ノ告ル所ナルヲ以テ龍神温泉ト称シ、即チ村名ト為ス。(『日本鉱泉誌』より)

さらに、図中では階段を登ると「ワカ宮」「南龍公」「弁財天」が見えますが、これらは現存しないようです。全体的に現在よりも鳥居や寺社が多く確認でき、湯治だけでなく(湯垢離のように)温泉で身を清めるという意味合いも強かったのかもしれません。また、温泉寺の前に見える「やうき桜」は、楊貴妃伝説と関連する桜の木。龍神地方は、高野山や本宮と比べて史料が少なく、謎が多いエリア。なかなか奥が深いです。



〇 参考文献
[1] "紀伊国名所図会. 後編(五之巻)" 国立国会図書館デジタルコレクション
[2] "日本鉱泉誌 : 3巻. 中" 国立国会図書館デジタルコレクション
[3] 村川 実 "楊貴妃と熊野信仰" 熊野学研究, 7, 70-85.
今年は、年号が平成から令和にかわり、多くの皇位継承式典がとり行われました。

式典のひとつ、大嘗祭は、応仁の乱の後に何百年も途絶えていたのですが、桜町天皇の即位の時(1736年)に復活し、現在まで続いています。その復活にあたり、儀式に使う衣装や道具について宮中で議論され、熊野(新宮)産のヤマアイで染めた小忌衣(おみごろも)が採用されたと記されています。
山藍 此の辺りに自生する山草なり。熊野社家にては、往古より此の草を以て祭服の紋様を摺染にす。これを青摺の衣といふ。此の事後に禁中に聞こえ、元文三年の大嘗会の節この地の山藍を採用ひられたる由、山藍の事中古其の伝を失ひて異説多かりしも、前記元文年間その道にたづさはれる諸公卿等の人々によって評議一決、時の関白一条兼香公より国君に請ひ得て、熊野山の山藍を以て此の大典に用ひらるべき小忌の青摺を作らる、故実の復古またよろこばしき限りと云はん。(『紀伊名所図会』より)

古事記にも登場する「青摺の衣(あおずりのころも)」は、どうやら平安時代には庶民の着用が禁じられ、祭事の浄衣として用いられたそうです。そして、大嘗祭のたびに、南紀熊野ほか、神域のヤマアイが献上されたのです。

△青摺の衣を着けたる東遊舞人の図
もろふりの 山藍の袖に あらはれて
いまをむかしに かへりつるかな  為恭(『紀伊名所図会』より)


さて、ヤマアイ(山藍、Mercurialis leiocarpa)は、中国からアイ(藍、Persicaria tinctoria)が伝わる前から、国内で染め物に使われていたとされる植物です。名前の由来は、山で自生しているアイ、といったところでしょうか。万葉集や源氏物語などの文学作品にも登場します。
しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただひとり い渡らす児は 若草の つまかあるらむ(『万葉集』巻9-1742)
山藍に摺れる竹の節は、松の緑に見えまがひ、插頭の色々は、秋の草に異なるけぢめ分かれで、何ごとにも目のみまがひいろふ。(『源氏物語』若菜下)

図会(上図)の紋様は白黒ですが、本物は一体どんな色だったのでしょうか。藍色ではなく緑色だったという説が有力のようですが、いちど自分の手で染めてみたいものです。

〇 参考文献
[1] 紀伊名所図会 第四巻 (高市志友 編、歴史図書社)
[2] ものと人間の文化史 藍 (竹内淳子 著、法政大学出版局)
今年度上半期は、仕事で県内の植物資源を探し回っていて、更新が止まっていました。
さて、有田のニッケイ(肉桂)について以前に取り上げましたが、戦後の文献を更に見つけました[1][2]。さて、どう整理しようかなぁと考えていたところに、「マツコの知らない世界(火曜夜8:57-10:00、TBS系)」でウィキペディアが紹介されていて、そういうまとめ方もできるなぁと思い立ち、Wikiに寄稿してみました。

Wikipedia: ニッケイ

採算が取れるのか判断が難しいのですが、ニッケイの利用価値を見直すきっかけになればと考えています。

〇 参考文献
[1] 渡邊、後藤「日本産肉桂の研究(第1報):和歌山産肉桂に就て~」生薬, 2, 6-11 (1948) 国立国会図書館デジタルコレクション
[2] 渡辺、後藤「日本産肉桂の研究(第2報): 和歌山産並に鹿児島産肉桂に就て」生薬学雑誌, 6, 35-37 (1953) 国立国会図書館デジタルコレクション

寒い日が続きます。体を温める道具といえば、こたつ、ストーブ、湯たんぽなどがありますが、昔の人は、温石(おんじゃく)という石を温めて使っていたようです。
諸国より出す。色かたち一ならず。火をもって焼き、病ある所をおしあたたむる石なり。(『雲根志』より)

延喜式では、温石の(唯一の)産地として紀伊国が記載されています。
温石 延喜式諸国貢薬中に紀伊国温石一百二十斤とあり。今、名草郡大野荘藤白峠の産上品なり。那賀郡上倉荘上三毛村の産下品なり。一説に温石は熨病の用ありて服餌の方なし。(『紀伊続風土記』より)

医療が発達していない江戸時代では、痛む場所を直接温める温罨法(おんあんぽう)による治療がよく行われていたようですが、現代でも、肩こり・腰痛などの対症療法として体を温めることがあります。
そして、現在の和歌山県では、お風呂で体を温めるための医薬部外品「入浴剤」が盛んに製造されています。体を温めて、寒い冬を乗り切りましょう。

〇 参考文献
[1] 木内小繁重暁 著 "雲根志. 前編1-2巻" 国立国会図書館デジタルコレクション
[2] "紀伊続風土記. 三編(一之巻)" 国立国会図書館デジタルコレクション

【※本ページは、調査事項が多いため、整理の都度、随時更新します】

平安時代の書物『延喜式(えんぎしき)』には、各地から朝廷に献上された薬用作物の一覧が『諸国進年料雑薬』としてまとめられており、各地域における薬草栽培の歴史を裏付ける貴重な史料となっています。気になる和歌山(紀伊国)からは、35種の記載があります。

・独活 ドッカツ ... ウド Aralia cordata の根茎・根
・松脂 ショウシ ... マツ属 Pinus の樹脂
・牛膝 ゴシツ ... ヒナタイノコズチ Achyranthes fauriri の根
・楡皮 ユヒ ... ハルニレ Ulmus davidiana の樹皮
・厚朴 コウボク ... ホオノキ Magnolia obovata の樹皮
・卑解 ヒカイ ... オニドコロ Dioscorea tokoro の根
・白朮 ビャクジュツ ... オケラ Atractylodes japonica の根茎
・藍漆 オオハマボウ
・五茄 ゴカ ... ウコギ Acanthopanax gracilistylus の根皮
・地楡 チユ ... ワレモコウ Sanguisorba officinalis の根
・菖蒲 ショウブ ... ショウブ Acorus calamus の根
・玄参 ゲンジン ... ゴマノハグサ Scrophularia ningpoensis の根
・葛花 カッカ ... クズ Pueraria lobata の花
・苦参 クジン ... クララ Sophora flavescens の根
・白芷 ビャクシ ... ヨロイグサ Angelica dahurica の根
・躑躅花 テキチョク ... ツツジ の花(?)
・木斛 モッコク ...
・石斛 セッコク ... セッコク Dendrobium moniliforme の茎
・大青 タイセイ ... ホソバタイセイ Isatis tinctoria・タイセイ Isatis indigotica の葉
・茯苓 ブクリョウ ... マツホド の菌核
・栝楼 カロ ... キカラウスリ Trichosanthe kirilowii var. japonica の種子
・升麻 ショウマ ... サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎
・葛根 カッコン ... クズ Pueraria lobata の根
・天門冬 テンモンドウ ... クサスギカズラ Asparagus cochinchinensis の根
・夜干 ヤカン ... ヒオウギ Belamcanda chinensis の根茎
温石 オンジャク
・薯蕷 ジョウヨ ... ヤマノイモ
・桃仁 トウニン ... モモ Prunus persica の種子
・牡荊子 ボケイシ ... ニンジンボク の果実
・車前子 シャゼンシ ... オオバコ Plantago asiatica の種子
・蜀椒 ショクショウ ... サンショウ
・兎絲子 トシシ ... ネナシカズラ Cuscuta japonica・ハマネナシカズラ Cuscuta chinensis・マメダオシ Cuscuta australis の種子
・麻子 マシ ... アサ Cannabis sative の果実
・亭歴子 テイレキシ ... イヌナズナ Draba memorosa の種子
・秦椒 シンショウ ... フユザンショウ

現代の地域資源とずいぶん面子が違いますね。今後、各作物についてとりあげてみます。

〇 参考文献
[1] "延喜式. 巻三七典薬寮式" 国立国会図書館デジタルコレクション