右脳左脳
自分の頭の中では、中学2年より、数学的な学習が止まっている。
実際、授業を聞いても、中学3年以降となると、何を言っているのかチンプンカンプン。
そのまま大学までいってしまったのだから始末が悪い。
数学は特に、積み重ねがものを言います。
基礎を学び、応用へと、一つ一つの積み重ねがあって、
初めて理解し、実践へとつながるのでしょう。
手前味噌になりますが、我が長男が、算盤の暗算試験で6年生の部で、全国3位になりました。
どんな脳の構造をしているのかわけ分かりませんが、
確かに、スーパーでの買い物をするとき、レジでの計算(暗算)は、機械よりもはやく正確な答えを言います。
でも、実社会の中で、どれほど役に立つのかわかりません。
右脳左脳でいうところの、自分はイメージ先行型であることは間違いないようです。
長男は、理論型ということなのでしょう。
今日、たまたま読んだ本で、マーケティングとマネージメントの相違が書いてある本があり、
マーケはイメージ先行、マネージメントは理論、という内容でした。
自分はやはりマーケ主導を否めず、発想から行動までイメージ先行であるようです。
んで、次男は完璧なイメージ先行。
三男は???まだ、素質が開花していないようです。
これからが楽しみですね。
大阪エリアマーケ
阪神大震災から、十数年が経とうとしています。
数年前、仕事で関西に行く機会が多く、
震災あとの復旧した町並みを、複雑な思いで見たものです。
心なしか、街を歩く人々も、下を向いているような気がしてなりませんでした。
しばらくぶりに、大阪の町を眺めてみましたが、
街を闊歩するOLにしても、自転車をこいでいるおばちゃんにしても、
なんとなく、少しずつ元気が出てきているような気がしました。
若い子たちも、それなりに楽しんでいる光景も見られましたし、
地下鉄の中でも、結構明るい話題が聞こえてきました。
大阪エリアでの独特のマーケがあることは認識しています。
ただ、昔自分がかかわったときの「大阪」と、今の大阪とで、
ちょっと違うイメージを感じたことが、とても不思議でした。
雑踏の中から聞こえてくる関西弁も、妙に懐かしく、
もっと、もっと元気になればいいのにな~と、
思いました。
将来の夢
小学6年生の頃、将来の夢という卒業文集に寄せる文書の中で、
自分がなにを語ったのかを、覚えていません。
特に、男の子の場合、将来は○○になりたいと、職業を語るケースが目立つようです。
女の子の場合は、自分を中心とした立場を夢として語るケースが多いようです(たとえばお嫁さんとか、保母さんとか)。
そして、今の自分は現在の職業を通じて、
「マーケター」になりたいと思っているのです。
いろいろな境遇の中で、市場のニーズを察知し、
数字をもとにした分析を行い、検証、実施を繰り返しながら、
勝利の方程式を完成させる。それがマーケターの仕事だと思っています。
マーケターが知るべきカテゴリーはとても多く、
特に、心理学や、行動学、会計や科学なども関係する非常に幅のひろい分野といえます。
小学生の頃に抱いていた夢もそうですが、
現実の世の中に生きながら、夢を持っていないと、やっぱり目的意識がなくなるな~と思います。
若いとか年配とかではなく、生きている限り、夢を持つことはとても重要なことだと思います。
さて、政権も交代し、新しい世の中作りが始まりますが、
マーケターとしても、早く一流になれるよう、日々精進していきたいと考えます。
小学校6年生になる長男に、将来何になりたいのか?を、
週末にでも聞いてみたいと思っています。
生意気になっていく息子
長男が六年生となりましたが、最近、だんだん生意気になってきました。
なにかと、言い返すようになり、理論で対抗しようという傾向が見られます。
様々なことを知識として覚えていく中で、自分の考え方というものがめばえつつあるのも事実でしょう。
得た知識からくる理論に対して対応するのは、結構骨の折れることとなります。
現実の世の中、理論だけでは通じないのにな~と思うことも多々ありますが、
今の彼にとっては、理論で思考を構築するのが基本のようです。
理論は、知識があれば成り立ちますが、
人々の中で、知識だけで会話が成り立っているかといえば、
必ずしもそうではありません。
結構、感情の部分が占めていることにも気づきます。
目先の課題を、いかに理論的に考え、解決の筋道をたてるかが大切ですが、
実際の行動には、「やってやろう!」という、感情が絶対条件になると思います。
頭を、楽しいことだけが支配してしまうと、他人からの助言などが聞けなくなります。
頭を、理論だけが支配してしまうと、他人がらの助言の正しいか、間違っているか?を
考えてしまう傾向にあります。
最初の部分は、感情的に受け入れられることができるのか?に
かかっているのだと思います。
生意気になっていく息子を見るたび、
小さい頃の、自分を思い出します。
姑と嫁
姑と嫁の問題って、なんでいつの時代にも語られるのでしょう?
違う環境で育った姑と嫁が、ある日同じ家に住むこととなるのです。
これは、制度とはいえ、大変な問題となるのは間違えないのでしょう。
そして、姑と嫁の間をウロチョロして、情けない夫。
これもまた、永遠のテーマなのでしょう。
姑と嫁に代表されるように、女性は、とかく表面的にはとても仲良くなれるみたいです。
しかしながら、本音の部分では、別のことを考えることもあるようです。
そんな中、お互い、あまり干渉もせず、それなりに暮らしていけることもあるのでしょう。
ある程度の距離感が、なんともいえない継続的な力になったりして、
微妙なバランスをとりながら、関係を保っていける環境って場合もあります。
合わないひととは、絶妙な距離感を保つことも、一つの選択肢となるのでしょう。
うろうろしませんが、姑と嫁の会話には、とてもナーバスになりそうです。