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抗がん剤の副作用のため自然妊娠は難しいと
診断され体外受精することを決めて病院通いをはじめます。
とても傷つけられた病院だったけれど、不妊治療で有名だったし、田舎なので他には選べる病院がなかった。
はじめての採卵では、1個しか採卵できず、
『この年齢で誘発して1つしか採卵できないのはかなり悪い。今度は違う採卵方法をするから、一度移植してしまおう』
先生はリセットして
またやってみようみたいな雰囲気でした。
このはじめて採卵した
たった一つの卵が
顕微受精で受精し着床し
お腹の中で育ち
娘が産まれました。
妊娠がわかったとき、とても嬉しかった。
でも、病院を出て車に乗り込んで
次の瞬間に襲われたの
不安や悲しみでした。
がんを繰り返す私が妊娠を望むことを
両親も義理の両親も賛成はしてくれていなかったから。
お腹のなかにいるこの子は
誰にも祝福されないのではないか。
誰からも望まれない子なのではないか。
そう考えて、涙がでました。
ダメですね。
母になる覚悟できてなかったのかな。
嬉しいはずの報告なのに
不安や申し訳ない気持ちでの報告でした。
でも、1回の採卵で、
たった1つの卵が、
1回の移植で妊娠出産に至った。
これは奇跡だったと思っています。
そして、出産予定日は私たち夫婦の結婚記念日でした。こんな奇跡ってありますか?
苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、たくさんあったけれど、こんな奇跡もあるんだな。
人生って辛く苦しい事もあるけれど、良いことだってある。これが、生きているっていうことなのかもしれません。
息子は自然妊娠でした。
娘が産まれて1年。
第二子をどうするか?
これもまた悩みました。
もし望むなら年齢的にも、がんのことを考えても早くしたほうがいいのだろう。
がんで私にもしものことがあれば、二人の子どもを育てることは、金銭的にも、物理的にも大変。
でも、もしものことがあったとき、兄弟がいることが支えにもなるのではないか。
また体外受精するにはお金もかかる。娘の時のように1度で授かる保証はないし、何回までなら挑戦するのか?
こんなことを夫婦で話し合い
2人目は欲しかったけれど、体外受精はしないことに決めました。
自然に任せて、運命に任せることにしました。
そして、すぐにやってきたのが息子です。
『抗がん剤の副作用で自然妊娠は難しい』
『いつ閉経してもおかしくない状態』と言われた母のもとに急いでやってきてくれた。
これもまた、奇跡のように思っています。
がんになり
転移を繰り返し
死ぬかもしれない
もう子どもは授かれないかもしれない
そんな私の人生だったけれど
生きていて
2人の子どもに恵まれた。
私は、やっぱりがんとは離れられない運命なのかもしれないけれど、私たち夫婦も両親も義理の両親も、皆で子どもたちを守っていく覚悟はできている。
何度だって私は立ち向かえるし、立ち上がれるし、生き抜ける。
もう、絶対がんにはなりたくないけれど、絶対がないことも私はよく知ってる。
できる限りのことをして、後悔のないよう毎日を送る。それが、未来になるから。
明日も明後日も、ずっとずっと、
子どもたちと一緒にいたい。
子どもたちの成長を見届けたい。
子どもたちの幸せを見守りたい。
ブログを書くことで
色々と思い出して、感じて、
また毎日の大切さに気づく。
今日も明日も大切を噛みしめたい!!