子どもを授かった話です。
続きです。

① 



抗がん剤の副作用のため自然妊娠は難しいと

診断され体外受精することを決めて病院通いをはじめます。


とても傷つけられた病院だったけれど、不妊治療で有名だったし、田舎なので他には選べる病院がなかった。




はじめての採卵では、1個しか採卵できず、

『この年齢で誘発して1つしか採卵できないのはかなり悪い。今度は違う採卵方法をするから、一度移植してしまおう』


先生はリセットして

またやってみようみたいな雰囲気でした。         





このはじめて採卵した

たった一つの卵が

顕微受精で受精し着床し

お腹の中で育ち

娘が産まれました。





妊娠がわかったとき、とても嬉しかった。






でも、病院を出て車に乗り込んで

次の瞬間に襲われたの

不安や悲しみでした。





がんを繰り返す私が妊娠を望むことを

両親も義理の両親も賛成はしてくれていなかったから。





お腹のなかにいるこの子は

誰にも祝福されないのではないか。

誰からも望まれない子なのではないか。

そう考えて、涙がでました。





ダメですね。

母になる覚悟できてなかったのかな。




嬉しいはずの報告なのに

不安や申し訳ない気持ちでの報告でした。





でも、1回の採卵で、

たった1つの卵が、

1回の移植で妊娠出産に至った。

これは奇跡だったと思っています。

そして、出産予定日は私たち夫婦の結婚記念日でした。こんな奇跡ってありますか?




苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、たくさんあったけれど、こんな奇跡もあるんだな。


人生って辛く苦しい事もあるけれど、良いことだってある。これが、生きているっていうことなのかもしれません。



息子は自然妊娠でした。


娘が産まれて1年。

第二子をどうするか?



これもまた悩みました。



もし望むなら年齢的にも、がんのことを考えても早くしたほうがいいのだろう。


がんで私にもしものことがあれば、二人の子どもを育てることは、金銭的にも、物理的にも大変。


でも、もしものことがあったとき、兄弟がいることが支えにもなるのではないか。


また体外受精するにはお金もかかる。娘の時のように1度で授かる保証はないし、何回までなら挑戦するのか?




こんなことを夫婦で話し合い

2人目は欲しかったけれど、体外受精はしないことに決めました。

自然に任せて、運命に任せることにしました。





そして、すぐにやってきたのが息子です。





『抗がん剤の副作用で自然妊娠は難しい』

『いつ閉経してもおかしくない状態』と言われた母のもとに急いでやってきてくれた。




これもまた、奇跡のように思っています。




がんになり

転移を繰り返し


死ぬかもしれない

もう子どもは授かれないかもしれない


そんな私の人生だったけれど

生きていて

2人の子どもに恵まれた。





私は、やっぱりがんとは離れられない運命なのかもしれないけれど、私たち夫婦も両親も義理の両親も、皆で子どもたちを守っていく覚悟はできている。



何度だって私は立ち向かえるし、立ち上がれるし、生き抜ける。

もう、絶対がんにはなりたくないけれど、絶対がないことも私はよく知ってる。



できる限りのことをして、後悔のないよう毎日を送る。それが、未来になるから。



 明日も明後日も、ずっとずっと、

子どもたちと一緒にいたい。

子どもたちの成長を見届けたい。

子どもたちの幸せを見守りたい。



ブログを書くことで

色々と思い出して、感じて、

また毎日の大切さに気づく。

今日も明日も大切を噛みしめたい!!