あ〜忙しかった。

10月は毎年多忙になってしまう月なのですが、今年はさらにそれに輪をかけて多忙だった(ような気がする)。何とか10月最終日、無事にやりきったので、11月はそこまでではない見込み。趣味とか、私方面とかを充実させていきたいものです。

 

 

さて、11月に入っていきなりの3連休(そうでない方もいらっしゃるでしょうが)。天気は東京地方は昨日(10月31日)のようなことはないようですが、段々と涼しくなっていく傾向なので、体調には気を付けつつ愉しみたいもの。取り敢えず、今日(11月1日)は美味いものを食べに行こうかと目論んでいます(結局それかよ)。

 

11月のカレンダーを見ると、3連休は2回あるのですね。12月は祝日がなくなってしまったので(何年後かには復活する可能性大ですが)、年末までしっかり仕事が入りますが、多忙な10月と12月の間に挟まれた11月は、やはり多忙でないことがいいと月の巡りからいっても、ちょうどいいとも言えます。

 

ということで、朝からどこで何を食べようかなどと、のんびり構えている土曜の朝を愉しみつつ、今回はここまで。

今朝は「あつまれどうぶつの森」のバージョンアップとNintendo Switch 2版の発売プロモビデオで目覚めました。朝起きて、寝ぼけているところに懐かしい音楽が聞こえてきたと思ったら、上記プロモビデオが流れていた(苦笑)。おかげですっかり10月末日金曜日という多忙でないはずがない一日の朝が、良くも悪くもペース配分が狂い、のんびりほんわかムードでスタートした。

 

 

私も、当然に本作はプレイしたが、数年前のコロナ禍の期間が最も長時間プレイした時期。多くの方々もそうだと思うが、この期間が終わると沈静化し、いつしか心の中に埃が被った状態となってしまっていた(おそらく草ぼうぼうだろう)。なので、この大型バージョンアップは正直言って、今更プレイすることはないだろうというものと、嗚呼懐かしいなという想いが同時に去来するものとなったのです。

 

システムソフトウェアや日常業務で使用しているソフトウェアのバージョンアップであれば、そんなことはないのですが、長期間プレイしていなかったゲームのバージョンアップ。いくら機能等が追加されたからといってプレイに復帰するのか、という根本的な問いがあります。人それぞれだと思いますが、私の場合はおそらくプレイすることはないかなと。理由は、プレイを止めた理由(原因)を乗り越えるものではないからです。

 

ブームが過ぎたもの、というのはブームと関係なく好きな人であれば、過ぎた過ぎないは関係ないでしょう。ですが、私はブームに乗った口で、本作のような箱庭ゲームを好きというものではないという前提条件もあります。端的に言えば、旬を過ぎたものに対し、新たに彩りを添えましたとか、あるいは追加でおまけを付けましたと言われても、いやもう旬過ぎてるよね? で終わる話なのです。

 

このような、いわば寝ぼけたバージョンアップというのは、コア層には刺さると思いますが、そうではない人にはまったく刺さらないのではないかと思いつつ、忙しい今日を前にのんびり気分を味合わせてくれてありがとう、と感じながら今回はここまで。

日本全国には色んな地名があります。古いもの、新しいもの、同じ名称や字でも地域ごとに由来が違うなど当たり前かと思うのですが、そう思わない人もそれなりに多いようです(特に地名本を書かれるような方。地名の付け方に理論というか原則なるものがあると勘違いしている傾向が高い)。

 

例えば、自由が丘(自由ヶ丘、自由ケ丘)なる地名があります。これはおそらく今の東京都目黒区にある自由が丘(自由ヶ丘)が最初だと思いますが、今では全国にいくつか見られる地名です(きちんと数えたわけではないですが、目黒区以外に帯広市をはじめとして22ほどある)。では、最初の東京都目黒区にある自由が丘は、どういう由来を持つのでしょうか。

 

 

これは、地名として見るなら、駅名から採用となります。1932(昭和7)年、この地域が東京市に合併される直前、東京府荏原郡碑衾町大字自由ヶ丘として成立しましたが、その3年前、目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄の乗換駅が衾駅という予定だったものを地元住民の声を受けて自由ヶ丘駅として誕生していたので、これに由来するとなるわけです。

 

こう書くと、いや、そうではなくて東京横浜電鉄の九品仏駅が自由ヶ丘駅と改称されたのでは? と仰る方もあるでしょう。それは正式な駅名としてはその通りなのですが、実は現在の東急大井町線(当時の二子玉川線と大井(大井町)線)のうち、二子玉川線(二子玉川から現在の自由が丘)から東京横浜電鉄に接続する際、当時の九品仏駅(紛らわしいが、今の大井町線の駅ではなく、自由が丘駅の北側にあった東京横浜電鉄=今の東横線の駅)の位置では接続に難があったため、位置を南側に移設し、その際、九品仏(浄真寺)の最寄り駅が二子玉川線の駅(現在の九品仏駅で、予定駅名は九品仏前駅)になることから、駅名変更を計画し、それが衾駅だったのです。

 

つまり、東京横浜電鉄(東急東横線)と目黒蒲田電鉄二子玉川線(東急大井町線)の乗換駅名として、当時の九品仏駅を南側に移転することと同時に衾駅に改名する計画が、地元住民たちの運動によって、衾駅から自由ヶ丘駅に変わったのです。よって、正式名称では九品仏駅から自由ヶ丘駅なのですが、間に衾駅という予定駅名があって、そこから自由ヶ丘駅となったのです。仮に、現在の九品仏駅の場所に駅が設けられなかったとして(当時でもあり得ない話ですが)、乗換駅名が九品仏駅のままだったとしたら、そもそも改名するというキッカケがなかったので、自由ヶ丘駅という名称は誕生しなかったかもしれません。なので、上記のような書き方としたのです。

 

それでは、なぜ地元住民は、当時の大字名だった衾ではダメだったのでしょうか。碑衾町は、元々、碑文谷村と衾村が合併して成立し、一文字ずつをとって村名(のちに町制施行)としましたが、その大字は旧村名をそのまま継承し、最も新しく見積もっても江戸期からの歴史ある地名だったのです。

 

それを自由ヶ丘という駅名に変える住民運動を起こしたのは、多くが新興住民でした。衾村の時代など知らない、住宅地として分譲されたばかりのこの地域に住み始めたばかりの人たちが衾という田舎臭い名前に反対したのです。結果、この自由ヶ丘という名称は学校の名称からの拝借となったのです。大正期になって自由を標榜する教育者が増えた時代にあって、自由と名のつく学校が増えたのです。自由学園や自由ヶ丘学園などなど、いくつも数えることができるでしょう。

 

こうして、駅名が自由ヶ丘になると、次は新興住民の自宅の住所が問題となります。自由ヶ丘駅周辺の分譲地は、正式には東京府荏原郡碑衾町大字衾(さらに小字まで入れれば字権現台とか田舎臭いのがぶら下がる)◯◯番地としていたものを勝手に「碑衾町自由ヶ丘駅前◯◯番地」として手紙の差出人住所として記載するようになり、これが一人歩きして通用するというのは、他の分譲地でも似たような状況だったのです。

 

そして、正式に自由ヶ丘となり、東京市合併の際には、晴れて、東京市目黒区自由ヶ丘となったのです。こういう経緯を踏まえると、まず学校名として自由ヶ丘があり、それが駅名に採用され、さらには地名となっていく流れとなります。

 

これが後付けの解釈になると、自由を謳歌した人たちが多く住んでいたためとか、銃ヶ岡だったものが転じてとか、わけわかなものが出てきて、本来の流れが失われてしまう格好となるのです。

 

さらに、目黒区以外の自由が丘(自由ヶ丘)については、由来は異なるものと思われます。このように、同じ地名であったとしても、地域が異なる場合、すべてが同じ由来とするのが無謀とも思えますし、さらに古い地名というのは、その当時、何と呼ばれていたかというところと、それが文字情報として記録されたところと、さらにそれがどのように継承されたかなど、同じとは考えにくいものも多いかと思うのです。

 

そんなことを多忙な朝に考えつつ、今回はここまで。

何でこんなに税金とか社会保険料とか高いかな。

 

サービスを使っている自覚がないと、使っている・使っていないに係らず、そう感ずるものです。ですが、一度でもそれなりのサービスを使ってみると、なるほど社会保障や税の分配機能とはこういうものだったのかと気付きます。これは、完全に教育に依存する問題です。

 

困ったことに、教育が行き届いていない、あるいはそういう環境に置かれている人たちは、もちろん例外はありますが(ほとんどの場合、自分で気付くもの)、大変残念ながらサービスを受けているという自覚がありません。いえ、それが誰がどのように負担し、しかも公共サービスを享受しているということにすら気付かない、わからないのです。

 

 

よく言いますが、高い高いと文句を言う人の負担は、ほとんどの場合、実は大した負担ではありません。にも係らず、仕組みや社会の構造がわからないため、あくまで自分の感覚(近視眼)のみでそれを言うのです。文句っぽく。

 

これも文句を言っているつもりはないのかもしれません。そういう話し方しかできないという可能性もあります。教育が行き届いていないと、基本、理性はありませんので、本能剥き出しの言質になりがちです。また、相手の立場など考えることも当然にできないので(おそらく自分のことすら理解できていない)、これを言ったら、こういうことをしたら相手がどう思うか、行動するかもわからない、つまりできないのです。こういう人にいくら理屈を言っても無駄だとなるだけでなく、わからないことを言われたと逆に不満や逆恨みを抱かれることでしょう。

 

本当に教育というのは重要で、一定割合、どうしようもないものを養うというキャパは、それこそ昔からずっと続いてきていますが、今のように養うべき人が増え続け、それが自覚を持たない無教養の人が増えてきたらどうなるか。恐ろしくて考えたくもありません。日本人だ、外国人だではなく、そういう人たちとは別の社会を望みたいもの。

 

とはいいつつも、不正というものも一方であるので、これを針小棒大化して批判すること(マスコミなどがよく使う手法)もありますが、制度が崩壊するようなもの(規模)でさえなければ、それほど問題視することもありません。問題視するか否かについても、適切な情報が公開されている必要があるものの、はやり判断する指標は教育に根ざしたものとなるのです。

 

そういうことを考えつつ、やっぱり教育は大事だなと思い馳せながら、今回はここまで。

今日は出社せず、一日出張の日です。甲子園球場に行くわけではないですよ。大阪方面の出張には違いないですが。

 

さて、出張といえば、私は新幹線利用の人(空港行くの面倒くさい派なのです)なので、昨日のうちにのぞみ号を往復で予約し、大阪名物を食べる、もといビジネス優先で時間設定はしたのですが、以前の出張では新幹線が一時的に止まるというのを体験して、やや早めの時間に設定するようにしています。

 

 

ただ、それをやってしまうと時間が中途半端に余ってしまい、その時間を何に使うかというのに頭を悩ませることになります。天気がよければいいのですが、そうでない場合はなかなかに悩んでしまうのですね。下手に面白いところに行ってしまうと、ビジネスそっちのけになってしまうので(苦笑)、本当に悩みどころなのです。

 

しかも時間が朝の9時とか10時だと、なかなか。ビジネスの時間を早くしてもいいのですが、これも相手のある話で、しかも会食を兼ねてみたいな話になると、朝早いというのは論外となる。今日の出張はそういう内容ではないので、まだいいのですが、相手のある話というのは常に相手優先で考えていかなければならないので、制約はあって当たり前としつつも…。

 

とはいえ、新幹線乗車時間は2時間半ほど。開始時間からまだ1時間程余裕があるので、いつもの出社時間よりも余裕があります。とはいえ、のんびりしているのも何なので、いつもの時間で準備を始めようとしつつ、今回はここまで。

いきなりですが、寒い土日を乗り超えたと思ったら、10月最終週という多忙な時期に入りました。月末というのは基本多忙なのですが、上半期を終え、最初の下半期の1か月目というのもあって、細々としたことが多いのが理由です。ふぅ。

 

そういう時に、何を愉しみとするかとなると、昼飯や夕飯をどうしようかというところ。私の勤務地は都心の都心なので、食べるところに事欠くことはなく、おそらく1年に異なる飲食店という条件を課しても回りきれないほどの店がありますが、それでも定番になってしまうという現実があります。やはり、常連になるとならないとでは、店舗側の扱いも心なしか変わってくるので、新しい店舗を開拓したいという意欲よりも、安定した所でというのもあります。

 

 

ですが、いつも行くところだろうが、そうでないだろうが、常に求めているものは「おいしいもの」です。最近は、それに加えて健康志向も加味されていますが、それでもおいしいということを譲ることはできません。とはいえ、数多ある店舗からどこを選ぶか。さすがに時間の限られる昼休みに開拓するのは、なかなか無理があります。また、人気店はランチでも予約を必要とするので(飛び込み可のところもありますが)、そうなると店頭で気になるから入ってみようとならない(というかできない)ところもあったりで。

 

月末で多忙だと思いながら、一方で新たな店舗開拓をしようというのが、そもそも無謀ではないかと思いつつ、今回はここまで。

大阪(方面)出身者の場合、家庭環境によって異なるのは当然だが、それなりの人数は子どもの頃、いや乳幼児の頃から、阪神タイガースへの洗脳教育を施される。子どもの頃の写真には、タイガース関連グッズを身に纏った写真が結構残っているが、三つ子の魂百までという昔からの言葉があるように、今でもその頃の環境が今も残っている。

 

21世紀に入って、タイガースは大きく変わった。特に金本監督が就任して以降は、育成に力を入れ、外から買ってくるということを止めた(止めていないところの凋落が目立つので正解だったといえます)ことが、現在の好成績に繋がっている。そして、優勝という経験は理屈ではなく、それを成し遂げた者にしかわからないものなので、長いシーズンの戦い方が身をもってわかっている。このことは、個々の選手の理解度(解像度)の高さも相俟って、強いチームとして機能するようになる。

 

 

もちろん、弱い時代も知っている。1985年の日本一からの凋落の速さも知っている。先輩達は、村山、江夏らの読売V9に対峙した素晴らしい時代を語っていたが、私の幼い頃の記憶は、1973年のあの引き分けでも優勝というシーズン、上田次郎と江夏の登板順(中日戦に上田次郎、読売戦に江夏となるべきを逆にした。胴上げ投手を誰にするかとかあったのかな?)問題の余波を受け、結局連敗。甲子園球場での0−9という敗北が鮮明に残っている(この時、連れて行ってくれた親共々、グラウンドになだれ込む勢いだったと聞いている)。

 

そういう歴史があって、今年90年という記念すべき年にリーグ優勝し、そして、制度的にどうしようもないクライマックスシリーズを勝ち抜け、日本シリーズの舞台へ。昨日(25日)、ホークスとの初戦を2−1で勝ち、幸先のいい一歩を踏み出した。応援しがいがあるというものです。

 

というわけで、幼き頃の影響は大きいなと思いつつ、今日の日本シリーズ第2戦を愉しみに待ちながら、今回はここまで。

何とか、ほぼ毎日書く練習も兼ね、1か月継続することができました。唯一のお休みは1日だけで、この日は前Blogの完全終了によりネット上での死亡(Webサイトの消滅)が確認できたので、供養の日としてお休みとしました。あとは、駄文ばかりですが、年1更新程度だった前Blogの二の舞とならぬよう、更新癖を付けていこうということで、とにもかくにも書くことをリハビリとしました。結果、こうして1日のお休みだけでここまで継続できたことは、ご覧いただいている皆様をはじめとして、周囲の有形無形の協力を得たからできたともいえます。本当にありがとうございます。

 

 

このアメーバブログに移ってきた経緯は、前Blogのサービス終了により、消滅の危機を迎えた前Blogに掲載されていたコンテンツを移行させるため、として、移行先を探していた時、前Blogのメッセージ(掲示板)機能でやりとりしていた方との話の中で、移行先としてここに当たりを付けて移ってきました。こうして1か月、無事に継続できたことで、いよいよ旧コンテンツの移行を始めようと目論んでいるところです。

 

ただ、一つだけではないですが、悩んでいることがあります。どのようにして移行するか。一切何も手を加えず、掲載当時のまま注意書き(初出 ○年○月○日として付言)を加えて載せる方法と、連載記事をある程度まとめ直して載せる方法と。当然、前者の方が簡単なのですが、数年かけてその日その日の状況で記事を書いていたため、重複があったり、その後の発見や見直しなどで見解等が変わったりもあります。そして、乗せる順番も時系列順とするか、内容毎にまとめた順とするか。なかなかに悩ましいところです。

 

そして、これを丁寧に編集し直すとなると、相応の時間が必要となってくるので、それこそ新規記事を書くくらいの規模にもなってくるので、どうせ時間をかけるなら編集し直した方がいいような気もしてくるのです。

 

そんなわけで、Blogを開設、継続して1か月経ち、今後のことをそう展開していくかを考えつつ、冷たい雨の朝を眺めながら今回はここまで。

今日(24日)は例によって、タイトルを決めずに書き始めています。書き終えたらそれとなくタイトルを付けるつもりでいますが、今朝思っていることを何となく書いていこうというスタンスで進めていきます。

 

今朝はですね、いきなりですが寝違えたわけではないのですが、首が回りにくくなっているみたいで、上下はまだしも左右が動かしにくい状態になっています。何かしたかな〜と思い当たるものはないのですが、朝起きたらそんな感じで。あまり無理せずに動かしているようにしているので、徐々によくなってはいるような気がしますが、違和感は残ったままです。出社して仕事をしているうちに、忘れてしまう可能性もありますが。

 

 

こういった些細な身体の不調は、若い頃からあるものですが、若くなくなってくると色々と心配事になっていくものです。気にすること自体がストレスになってマイナス要因にもなるでしょうが、逆に身体の不調の予兆を見逃す蓋然性も捨てきれません。何事もバランスだとしつつも、自身の身体の状態は自身にしか分からないので、そこはそれ、慎重に当たりすぎて悪化することはあっても、無視して重症化するよりはマシとも言えます。

 

とどのつまり、これもリスク管理に通ずる話で、警戒は必要ですが不安にしないことが大事です。朝からそんなことを考えつつ、今回はここまで。

昨日(22日)、会社近くのAppleストアに、M5搭載の新しい iPad Proを見に行ったんですね、発売日だったので。iPhoneとは違い、そんなに人気商品ではないので当然に在庫はあったのですが、あれこれ検討した結果、見送りました。

 

理由は、当然に色々とあるのですが、今持っている iPad Proとそんなに変わらないというのが最大の理由です。行く前からわかりきっていたことですけどね。でも、それを超える何かがあれば、衝動買いしてしまう私なので、ワンチャンあるかな?と思って出かけて、現物見て、さわってみて、でしたが、まぁそういう結果になったわけです。

 

 

アピールポイントは、例えば M1搭載モデル(2020年モデル)と比較すれば、確かに画面周りや基本能力など、大きく上回っていますが、Macほどそのパフォーマンスを使う、使い切るかといえば、ほぼそういうシーンはありません。無理矢理探せばあるでしょうが、そういったものは Mac(PC)で行うものなので、それこそ無理矢理感が否めません。

 

ましてや、手元にあるのが M4搭載の iPad Proであれば、Appleですら AI性能とやら(普段使いします?)しかウリがありません。画面周りは同じで大きさ・重さも同等、周辺機器等も同じであれば、手を出す方がどうかしてます(若い頃は手を出していただろうが・苦笑)。

 

そして価格は MacBookより高い。いや、わかるんですけどね、高いのは。それでも私の狙うモデルは50万円弱になるので、さすがにどうなんだ?となります。5万、10万なら行ってみるかとなる場合もありますが(さすがに微妙ですが)、ねぇ。手、出さないかな。

 

そんなわけで、散歩がてらなので無駄足にはなりませんが、現物をわざわざ見に行って手を出さないということは、現在持っているものが故障や破損とかしない限り、手を出すことはないだろうなぁと思いつつ、今回はここまで。