何でこんなに税金とか社会保険料とか高いかな。

 

サービスを使っている自覚がないと、使っている・使っていないに係らず、そう感ずるものです。ですが、一度でもそれなりのサービスを使ってみると、なるほど社会保障や税の分配機能とはこういうものだったのかと気付きます。これは、完全に教育に依存する問題です。

 

困ったことに、教育が行き届いていない、あるいはそういう環境に置かれている人たちは、もちろん例外はありますが(ほとんどの場合、自分で気付くもの)、大変残念ながらサービスを受けているという自覚がありません。いえ、それが誰がどのように負担し、しかも公共サービスを享受しているということにすら気付かない、わからないのです。

 

 

よく言いますが、高い高いと文句を言う人の負担は、ほとんどの場合、実は大した負担ではありません。にも係らず、仕組みや社会の構造がわからないため、あくまで自分の感覚(近視眼)のみでそれを言うのです。文句っぽく。

 

これも文句を言っているつもりはないのかもしれません。そういう話し方しかできないという可能性もあります。教育が行き届いていないと、基本、理性はありませんので、本能剥き出しの言質になりがちです。また、相手の立場など考えることも当然にできないので(おそらく自分のことすら理解できていない)、これを言ったら、こういうことをしたら相手がどう思うか、行動するかもわからない、つまりできないのです。こういう人にいくら理屈を言っても無駄だとなるだけでなく、わからないことを言われたと逆に不満や逆恨みを抱かれることでしょう。

 

本当に教育というのは重要で、一定割合、どうしようもないものを養うというキャパは、それこそ昔からずっと続いてきていますが、今のように養うべき人が増え続け、それが自覚を持たない無教養の人が増えてきたらどうなるか。恐ろしくて考えたくもありません。日本人だ、外国人だではなく、そういう人たちとは別の社会を望みたいもの。

 

とはいいつつも、不正というものも一方であるので、これを針小棒大化して批判すること(マスコミなどがよく使う手法)もありますが、制度が崩壊するようなもの(規模)でさえなければ、それほど問題視することもありません。問題視するか否かについても、適切な情報が公開されている必要があるものの、はやり判断する指標は教育に根ざしたものとなるのです。

 

そういうことを考えつつ、やっぱり教育は大事だなと思い馳せながら、今回はここまで。