写経屋の覚書-なのは「さ、テキストB0の検証の続きをするよ」

 東京東部(中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆ゐなくなった
當時、あの辺は畜力として農耕牛を使ってゐたが、深夜、不逞鮮人が侵入して盗み出し、河原へ牽いて行って塗擦した 牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが銃砲刀剣で武装してゐるので追ふ訳には行かなかった 永年愛育し、慈しんだ牛が悲しさうに泣きながら引き出され殺されるのは無念で耐え難かったがどうにも出來なかった
 斯うして流域一帯の牛は皆、不逞鮮人に盗まれ、殺され、闇市で賣られた 關東から、牛はゐなくなった

写経屋の覚書-はやて「これ、前々回もふれたやんなぁ。結局担保となる史料等が無いからどうとも言えへんって」

写経屋の覚書-フェイト「具体例もないしね…前々回に出てきた農林省獣疫調査所から炭疽菌を接種した牛が盗まれた事件くらいだし…それに関東から牛はいなくなったなんてさすがにありえないと思うんだけど…」

写経屋の覚書-なのは「70歳地方議員がそう思うのならそうなんだろうね、彼の中(・・・)ではねw」

写経屋の覚書-はやて「発言者が自分の身の回りだけであった話を、どこでもあったんやって勝手に地域規模と被害程度を拡大して思いこんだり、なんか別の事件と取り違えたり改変して記憶してもおとるっちゅう可能性はあるやんねぇ」

 家畜相手ならまだしも、人間に對しても、關東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つやうな勢で数多犯罪を重ねた
 其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に對する傷害事件がある
 翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢切符も買はずに押し入って來て、俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!と追ひ立てた
 其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、忽ち飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした 幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷高だか忘れたが、血に塗れた顔で帰京した

写経屋の覚書-フェイト「鳩山一郎って鳩山由紀夫元総理大臣の祖父だよね?ほんとにこんな事件があったの?」

写経屋の覚書-なのは「これについてはね、既にこういう検証をしている人がいるんだよ。『鳩山一郎回顧録』の1945年12月東北へ遊説に出かけた際のトラブルの記述がネタ元じゃないかって」

 その時上野の駅で、二等車の隅つこに坐つていた。そうすると中華民国人が数人でもつて二等車の中に「この車は占領す」という旗を立てた。そして十人位の第三国人が
 「この部屋をみんな出て下さい」という。出ない爺さんが一人いた。そうするとこれを私の前で殴るのだ。私は体の大きな力の強い書生を連れていたがそれが
 「危険ですから出ましょう」
 というので出てしまつた。青森に行く約束の時間はその汽車に乗らなければ間に合わないものだから、もうセッパ詰つて列車の先から尻まで駈けて歩いたが空いている席は一つもないし、窓は閉まつている。みんな窓から入るので内側から閉めちやつて入れないようにしている。そんでよんどころなく進駐軍の車に飛び込んで
 「自分はこういう身分で遊説に行くんだがこの汽車に乗らなければ行かれないんだ」と頼むと「こゝへ坐つて行きなさい」といつてくれた。全く有難かつた。しかもほかの車は寒いのに進駐軍の車だけは暖かくてまるで極楽みたいだ。
 私がその中に入つたので貴族院の誰だつたか
 「私も何うか乗せて下さい」と頼んだら
 「この人の従者なら入っていゝ」という。そうなると私も〱という奴が出て来たが「そう沢山はいけないが、六、七人までなら許そう」と先方がいつてくれたので、結局五、六人の人が私の従者ということになつて喜んで乗り込み仙台までたどりついた。
 仙台に行つて演説をして、仙台から青森に行くためにも散々苦労した。 青森から帰る時も朝鮮人が列車を占領して駅長に向つて「この列車は朝鮮人だけに限ると声明しろ」と強談判している。駅長が「それは断じて出来ない」と拒絶した。
 「断じていけない」といえばそれが通るのに、その点、東京の駅はだらしないとその時思つた。

鳩山一郎『鳩山一郎回顧録』(文芸春秋新社 1957)p41~42

写経屋の覚書-はやて「確かにこれを改変した蓋然性が高いかなぁ。検証しとるサイトではデマって断定しとるけど、さっきも言うたように、発言者の70歳地方議員が素でまちごうて覚えとったり脳内で変換しとる可能性もないわけではないやんねぇ。ま、かなり確率は低い話やとは思うんやけどね」

写経屋の覚書-フェイト「本当にこういう事件があったけど回顧録には書かなかったっていう可能性もないことはないけど…ちょっと無理があるよね。やっぱり実在が限りなく疑わしい話だよ」

 直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 況や庶民に於てをや 土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 殊には、空襲や疎開で一時的に空いて飽いてゐる土地が片端から強奪された

写経屋の覚書-はやて「これも前々回でふれたやんなぁ。持ち主が不在もしくは不明な土地を不法占拠した事実はあるけど、朝鮮人・台湾人だけやのおて日本人もやっとったって」

 堪りかねた警察が密かにやくざに頼み込み、「濱松大戦争」になった

写経屋の覚書-フェイト「『浜松大戦争』?」

写経屋の覚書-なのは「1948(昭和23)年4月4・日5日に在日朝鮮人集団とヤクザ小野組との間に起きた『浜松乱闘事件』のことだろうね」

 新警察制度発足後間もない昭和二十三年四月四日、五日の両日、浜松市の中心街において地元香具師と在日朝鮮人が抗争、けん銃や猟銃を乱射し日本刀を振回すなど、市街戦さながらの流血闘争を繰り広げ、死者三人、傷者一四人を出すという事件が発生した。
 浜松市警察署では、静岡以西の各警察署から多数の応援警察官の派遣を求め、鎮圧捜査に当たった。この結果、一八人を逮捕し、回転式けん銃四丁を押収した。
 同年八月四日静岡地方裁判所浜松支部は、無罪一人を除く一七人に対して懲役四年~同六か月を言渡した。

静岡県警察史編さん委員会『静岡県警察史 下巻』(静岡県警察本部 1979)p772

写経屋の覚書-フェイト「警察が小野組に依頼したり、何かの交渉したかなんてわからないよね?まぁ事実であっても警察資料には載らないと思うけど」

写経屋の覚書-なのは「だいたい、朝鮮人側が小野組長の自宅を襲撃したのこの事件の始まりなんだしねぇ…朝鮮人VS小野組&警察という図式じゃないんだよね」

写経屋の覚書-はやて「つーわけで、確認取れへんし妥当性もむっちゃ疑わしい言説ってことやね。小野組の組長小野近義って現役の県議会議員やったんやな…」

 其で米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担當してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將が、關東と言はず關西と言はず、不逞鮮人活動地域に大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機關銃を構へて不逞鮮人にピタリと狙ひをつけ、漸く鎮圧した

写経屋の覚書-フェイト「…すごく大きな話になってるけどほんとにこんなことあったの?」

写経屋の覚書-なのは「はっきり言って、どうみてもあり得ないの。こんな事態の起こった時期日付がないから確認できないし、警察資料にも、新聞にも、GHQ史料にも該当しそうな事件は見当たらないしね。GHQの検閲下で報道規制された可能性もないとは言わないけど、ここまで大きな事態なら全国紙は規制されても地方紙のどこか一紙は報道するだろうし、他の証言や書籍に記録されてるだろうしね。そんなものが一切ないんだよ」

写経屋の覚書-はやて「たしか非常事態宣言の出た『阪神教育事件』ってあらへんかった?ひょっとしたら、その事件を脳内でいい具合に改変して記憶してもぉたんかもしれへんで」

写経屋の覚書-なのは「にゃははは。あり得るかもしれないね。文部省は朝鮮人学校に対して教育基本法・学校教育法に従って知事の認可を受けるよう通達して、従わない学校に閉鎖勧告したんだけど、大阪市・神戸市ではそれに反対する朝鮮人たちが抗議やデモをやって、1948(昭和23)年4月23日~27日、大阪府庁・兵庫県庁に乱入して勧告撤回を強要したり警察官隊に投石・暴行したりしたんだよね、これが『阪神教育事件』っていう事件なの」

写経屋の覚書-フェイト「それで非常事態宣言が出たんだね」

写経屋の覚書-なのは「うん。神戸基地司令官のメノア代将が非常事態宣言を宣告したんだよ。第8軍司令官のアイケルバーガー中将も横浜から神戸に来て、暴力と強制のもとに行われた知事等との協定・約束は無効だ、朝鮮人の行動は占領政策・占領軍の安全に脅威を及ぼすものだから軍事委員会・軍事裁判所にまわすって宣言して朝鮮人の検挙と処理を命じたの。大阪府警察史編纂委員会『大阪府警察史 第3巻』(大阪府警察本部 1973)p246~249、兵庫県警察史編纂委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p654~657に詳しく載ってるよ」

 此時聯合國軍總司令官ダグラス・マックアーサー元帥の發した布告が、「朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり」と言ふ声明で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、この声明というのも事実かどうかかなり怪しいよね?いつ発されたかすらもわからないし」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。まず、マッカーサーやGHQがこんな声明をした事実は発見できないの。朝鮮人の地位取扱について発表したのは、前々回もふれた1946(昭和21)年11月の朝鮮人・台湾人には治外法権はなく、日本の法規に服すべきだっていうの以外にないし、この阪神教育事件の際にも朝鮮人の地位に関する声明なんてしていないんだよね」

写経屋の覚書-はやて「つまり、完璧に事実無根っちゅうわけやね」

写経屋の覚書-なのは「そう考えるのが妥当なの。これでテキストB0の検証は終わりだけど、実在が証明できない言説と、実在の事件に対する誤った理解把握、実在の事件を改変したような言説で構成されていることがわかったと思うの」

写経屋の覚書-フェイト「聞き書きって形式だから、発言者の記憶違いや勘違いがあっても聴取者があえてそのままにしただけ、っていう逃げ道はあるよね?」

写経屋の覚書-なのは「事実関係について明らかにまちがっている認識が出てきても、発言を改竄せずそのまま記録するっていうのはいいことなんだけど、それなら注釈のかたちでツッコミ入れたり訂正や補足の説明をしたらいいよね」

写経屋の覚書-はやて「そうやんなぁ…史料写経する時は明白な誤字があっても、勝手に改めないで「ママ」ってルビ振るし、『1944年の終戦後』なんてあったら欄外で『※正しくは1945年』とか注釈するやんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そういうことだよ。今話していることはテキストB1を検証する時に大事になってくるから覚えておいてね。じゃ、今回はここまでにするね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)
『朝鮮進駐軍』の初出について(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)

写経屋の覚書-なのは「さて、今回はテキストBの中で最も早く登場したB0について見ていくよ」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、2000年6月9日付配信「五百羅漢ネットワーク・プロジェクト」(GNP)に掲載されたものだね」

表題の件に付ては既に一通り書いたつもりであったが、本日郷土葛飾に赴いたところ、老人達が本件を論じてゐた 中にも地方議員の七十翁の回顧は愚生の筆より数段迫力有りし故、(帰宅早々、記憶により再現し)記して御参考に資せむとするものである

写経屋の覚書-はやて「ここでは『南十字星』の証言やのおて、70歳の地方議員から聞いた話の聞き書きっちゅうかたちやねんな」

終戦後の第三國人どもは本當に酷かった軍の兵器を盗んで來たらしく、三十八式歩兵銃や拳銃で武装し、銃には着剣して強盗強姦、時には殺人まで重ねてゐた
銀座浅草新宿は朝鮮人、澁谷は臺湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いてゐた

写経屋の覚書-なのは「『兵庫県警察史 昭和編』p448・449や『新編広島県警察史』p896を見ると、朝鮮人・台湾人集団が拳銃・日本刀・棍棒で武装したっていうのは確認できるんだけど、三十八式歩兵銃を装備したっていう記述のある史料はないんだよねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「んー、「政府も警察も動揺し、手を拱いてゐた」っちゅうのはどうなん?」

写経屋の覚書-なのは「これはね、前回渋谷警察署襲撃事件にふれたとき、はやてちゃんが言った「なぜ米軍憲兵に事件が引き継がれて軍事裁判になったか」という話に大きな関係があるの。まず、ポツダム宣言受諾終戦によって朝鮮人・台湾人が「解放民族」として扱われることになったってのは以前に触れたよね」

写経屋の覚書-フェイト「うん。たしか日本国民でもないし連合国軍参加国民でもない立場になったんだよね」

写経屋の覚書-なのは「そうそう。占領下の日本では刑事事件について、連合国軍参加国民だったら連合国軍の法律が適用されて裁かれるし、日本国民だったら日本の法律に従わなきゃいけないよね。じゃ、朝鮮人・台湾人はどうするの?」

写経屋の覚書-はやて「え?あれ?解放民族やから日本国民っちゅう感じちゃうし、連合国軍に参加どころか国なかったわけやから連合国軍側でもあらへん…どっちの法律に従ったらええん?」

写経屋の覚書-なのは「で、解放民族なんだから、少なくとも日本の法律には従わなくていいって解釈して行動した朝鮮人・台湾人たちがいるって話になるの。GHQも内務省もそのへんの線引きについて不明確なままだったしね」

写経屋の覚書-フェイト「だから警察も、日本の法律を適用して検挙・起訴できるのかどうかあやふやなまま取締をしていたんだね」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。このへんの話は作者が以前サイトで触れているんだけど、1946(昭和21)年2月19日付SCAPIN756「刑事裁判権の行使」SCAPIN757「朝鮮人及びその他の国民に言い渡された判決の再審理」で、朝鮮人・台湾人に対しては日本警察の警察権・司法権が行使されるってことが明言されるんだけど、それまでは不明確な状態だったから警察が取締を躊躇したり朝鮮人・台湾人の不法行為を助長する一因になってたんだよね」

写経屋の覚書-はやて「ちゅうことは、政府・警察が手を拱いてたいうんは、動揺してたからいうより、取締権限が不明確やったからいうことやね。ほんで、その状態はどう長く見ても1945(昭和20)年8月15日から1946(昭和21)年2月19日までの間やったいうことやな」

写経屋の覚書-なのは「そう考えるのが妥当かな。まぁ、敗戦による動揺とか士気低下も一因だったかなとも思うけどね」

写経屋の覚書-フェイト「でも、渋谷警察署襲撃事件は台湾人の犯罪なのに進駐軍が扱うことになってるよ」

写経屋の覚書-なのは「これはね、『占領目的の阻害行為』と解釈されたから、進駐軍の捜査・裁判の管轄になったってことなの。それと、朝鮮人・台湾人が参加する闇市が賑わっていてその経営に大きな影響力を持っているってことで、銀座や渋谷の土地そのものが支配されたってことは言えないんだよ」

食管法は朝鮮人には適用されなかった だから彼等は堂々と闇商賣を行ひ、派手に稼いでゐた そりゃ儲かるだらう 取締を横目に犯罪のし放題なのだから

写経屋の覚書-はやて「食管法て朝鮮人に適用されへんかったん?」

写経屋の覚書-なのは「適用されているよ。だから闇米の買い出しも取り締まってるんだよ。こんな感じにね」

 主食の買い出しの場合もこの態度がいっそう露骨となり、取締り警察官の命令をきかずしてこれに抵抗し、各種の事犯を惹起した。
 すなわち、昭和二一年(一九四六)八月二日の鶴岡警察署襲撃未遂事件、同月二九日に発生した同署の朝鮮人強制送還途中における護送警察官のけん銃奪取事件、さらに同年一〇月二日楯岡警察署管内尾花沢巡査部長派出所襲撃事件などがそれである。
 彼らが米の買い出しのため集団で殺到した地域は、庄内地方では東田川郡藤島町方面、置賜地方では東置賜郡糠野目・小松方面、村山地方では北村山郡尾花沢・大石田方面、最上地方では及位方面である。朝鮮人の集団計画的米の買出しがいかに多かったか、例を赤湯(現南陽)警察署管内の奥羽本線糠野目駅にとると次のとおりで、同駅は米の買出人以外は格別の乗降客がないところであるが、昭和二一年一〇月には二二、一三六人も訪れている。
 警察としてはこれら買出人に対し、所持米の没収あるいは住居地への強制送還など、直接違反者に対する取締りをしたが、さらにこれが完封のため、闇の根源を衝き、強力な取締りを実施した。(中略)
 なお、昭和二二年一〇月二〇日発生した日ごろ闇米の取締りに不満を持つ朝鮮人金達俊(二六)ほか六名による尾花沢巡査部長派出所襲撃事件(詳細は、戦後編第二章第一節第五の四(ママ)米買い出しの朝鮮人による尾花沢巡査部長派出所襲撃事件の項参照)を反省し、朝鮮人の買出しが殺到するおそれのある尾花沢・大石田・及位・小松・糠野目方面、特に糠野目においては、買出人は警察の手薄になるのをねらっているように見受けられたので、常時数名の警察官を駅に派遣し、徹底した取締りを行なった。
 この朝鮮人による闇米買出しの取締りは、戦後の警察活動の中で最も苦労したものの一つである。

山形県警察史編さん委員会『山形県警察史 下巻』(山形県警察本部 1971)p922~925


写経屋の覚書-なのは「闇米買出しや闇商売の取締については、以下の警察資料にも記述があるね」

秋田県警察史編さん委員会『秋田県警察史 下巻』(秋田県警察本部 1971)p498~504
山形県警察史編さん委員会『山形県警察史 下巻』(山形県警察本部 1971)p922~933、p944~951
宮城県警察史編さん委員会『宮城県警察史 第2巻』(宮城県警察本部 1972)p122~129
神奈川県警察史編さん委員会『神奈川県警察史 下巻』(神奈川県警察本部 1974)p400~401
瓜生俊教『富山県警察史 下巻』(富山県警察本部 1965)p374~380
三重県警察本部警務部警務課『三重県警察史 第3巻』(三重県警察本部警務部警務課 1966)p526~527
大阪府警察史編集委員会『大阪府警察史 第3巻』(大阪府警察本部 1973)p110~113
山口県警察史編さん委員会『山口県警察史 下巻』(山口県警察本部 1982)p546~548
長崎県警察史編集委員会『長崎県警察史 下巻』(長崎県警察本部 1979)p1051~1061

写経屋の覚書-フェイト「ってことは朝鮮人に食管法が適用されなかったというのは事実じゃないし、取締を横目に派手に商売をしてたっていうのもおかしいんだね?」

写経屋の覚書-なのは「うん。だけど、警察権行使の範囲の曖昧さや集団の威を借りた行為のせいで、取締が甘かったり見逃したりすることはあったみたいだね。でもだからといって取締がされてないとは言えないけどね」

 二十二年二月十九日、総司令部覚書「刑事裁判権ノ行使ニ関スル件」によって、それまで不明確だった朝鮮人に対する刑事裁判権は日本側にあることが確認されたが、勢いづいた鮮人の暴状は、ますます激化する一方であった。
 警察としては、主要駅等における彼らの主食買い出しに対する取締りも徹底的に徹底して実施したし、個々の犯罪に対しても、その都度強い態度で臨んだのであるが、彼らは数を頼んで逆に取締り警察官をおどし、被疑者を検挙され物が押収されると、警察署、駐在所等に押し寄せ奪還を企て、反面日本人の非はどんなさ細なことでも厳重な警察措置を強要するような始末であった。
 こんな状態であったから、特に集団的不法事案に対する警察の態度も自然消極的になりがちで、検挙は二の次にしてまず自体の穏びん解決を図ろうとする風潮になり、場合によっては彼らの要求をのまざるを得ないこともあった。警察官の定員が少なく、警察装備はほとんど無に等しい状態に加え、進駐軍警備に大量の警察力を投じていた当時の情勢下においては、やむを得ないことでもあった。

宮城県警察史編さん委員会『宮城県警察史 第2巻』(宮城県警察本部 1972)p124



 二十年十二月の通常府会で多くの議員が警察に関する質問を行なったが、その内容を大別すると
 「戦時中民衆を抑圧して戦争への協力を強いた警官は、今こそ態度を改めて民主的公僕の精神に徹せよ」
 「ヤミの取り締まりが手ぬるい。特に第三国人に毅然たる態度を示せ」
 という二つの筋になる。前者はほとんど抽象論で、この場合論議は主としてヤミ市の取り締まりに集中した。
(中略)
 中川源一郎『私は駅でこういうのを見受けた。帰還軍人が世話になった主人のもとへみやげに持って行こうと、田舎から柿やイモを背負って駅へ来たら巡査につかまり、柿もイモも取り上げられてしまった。その巡査が、取り上げた柿をかじりながら駅に立っていると、朝鮮人が重い米をかついでやって来る。巡査は見て見ぬふりをしている。聞いて見ると、朝鮮人は巡査くらいボロクソにいう、だから相手にせんのであると、汽車の中で申しておりました。一体半島人に致しましても支那人に致しましても勝手放題なことをして闇取り引きを助長させているかの如くでありますが、この状態をどこまで黙視しておくお考えであるか、あるいは徹底的に取り締まられるお考えであるかどうかをお尋ねしたいのであります』

京都府議会史編さん委員会『京都府議会史 昭和二十年八月~昭和三十年三月』(京都府議会 1971)p25~26


写経屋の覚書-フェイト「70歳の地方議員が住んでた葛飾の方では事情が違ったのかな?」

写経屋の覚書-はやて「まぁ、思い違いや勘違いいうんはあるんかしれへんねぇ。70歳地方議員とその発言の実在が前提やけど」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。今シリーズの考察は、『南十字星(北斗星)』という当時を体験した人が実在して、70歳地方議員が実在して、本当にそういうことを発言して南十字星が記録した、という前提でやっているんだよねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「人物も発言も実在していたとしても、その発言内容の信頼性とは別の問題だよね。はやてちゃんが言ったように、思い違いをしてたり詳細を知らなかったり、意図的に嘘をついたりしてるかもしれないし」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。そのへんは最後にまとめてふれてみようかなって思ってるの。じゃ、今回はここまでにして、引き続き次回もテキストB0を見ていくね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)
『朝鮮進駐軍』の初出について(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)

写経屋の覚書-なのは「さ、今回もテキストAの続きを見ていくね」

 闇市でも暴力沙汰多く、其仕入に至っては全く強盗でした 小生の生ひ立った東京下町から直ぐ北、埼玉縣北葛飾郡三郷町辺の知人達は口を揃へて、深夜朝鮮人が牛小屋に侵入して屠殺解体して行った 怖いから寝た振りをして立ち去るのを待った、等々

写経屋の覚書-はやて「牛を盗んで肉を売った?あり得ない話やないとは思うけど」

写経屋の覚書-なのは「うーん…史料による裏付けができないんだよねぇ…ただ、こういう事件もあったから、じゅうぶんあり得る話ではあるのかなぁ」

『朝日新聞』(東京版)1946年10月29日付
炭疽牛肉、桜上水に投込む 水道は飲んでも大丈夫 犯人捕る
【府中発】昨報北多摩郡田無町農林省獣疫調査所の〝炭疽牛〟を盗み出し密殺した犯人が二十八日朝九時府中署に捕つた、都下国分寺町本町二ノ二八三〇無職岩本太郎こと李昌寛(三一)で、去る二十三日夜半、単身毒牛とは知らずに盗み出し、自宅の小屋で密殺(後略)

『朝日新聞』(東京版)1946年10月31日付
毒肉のほうが顔負け 買つてたべた十人がぴん〱
(前略)二十四日夕澁澤さん方へ犯人岩本が安い牛肉だがと売りに来たもの 府中署では三十日この毒肉闇売の事実を突きとめ、関係者を調べてゐるが、一貫匁二百五十円で相当広範囲にばら撒いてゐる模様である(後略)

写経屋の覚書-なのは「あと、東京じゃなくて広島の話になるんだけど、こういうのもあるんだよねぇ」

 終戦直後の広島県下在住朝鮮人は約六万人と推定されるが、終戦と同時に帰還を急いで混乱状態を呈したことは全国的傾向と同様であつた。これら朝鮮人は、或は帰還のための旅費の捻出を目的とするのか、或は途中の食糧確保のためからか、終戦後牛の密殺等によつて暴利を得、又は米麦等食糧の闇売買、集荷等を敢行する傾向が顕著となつた。

広島県警察史編修委員会『新編広島県警察史』(広島県警察連絡協議会 1954)p895


写経屋の覚書-フェイト「警察の記録や新聞記事に載ってないからって、そういう事実がなかったとは言えないよね?」

写経屋の覚書-なのは「それは作者も承知しているよ。記録などの史料と照合して実在が明言できるなら明言するし、状況証拠などから察して、明言まではできないけど高確率であったと言えそうなら、但し書きをつけて言うしね」

 此でも警察は手が出せませんでした うっかり逮捕したりすると警察署が襲撃され、犯人も奪還されました(富坂警察署事件) 酷い時はついでに警官が殺されました(澁谷警察署事件) 殺されても殺され損でした 占領下でしたから

写経屋の覚書-なのは「一つずつ説明していくね。まず『冨坂警察署襲撃事件』は、昭和21(1946)年1月3日、拳銃強盗事件の容疑者として朝鮮人3人が逮捕されて、1人が冨坂警察署留置場に留置されたの。すると80人の朝鮮人がトラックで冨坂署に乗り込んできて、署長・署員に釈放を迫って押し問答になったんだけど、結局留置場の錠を破壊してその朝鮮人を連れ出して逃走したっていう事件なの。根拠史料は、警視庁史編さん委員会『警視庁史 第4巻』(警視庁史編さん委員会 1978)p719~721だよ」

写経屋の覚書-はやて「止められへんかったんやなぁ…そのあとの朝鮮人らは?」

写経屋の覚書-なのは「逃走に成功して捕まらなかったの」

写経屋の覚書-フェイト「手出しできなかったんじゃなくて、捜査はしてたってことだよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。『渋谷警察署襲撃事件』は、昭和21(1946)年7月19日、新橋マーケットの利権抗争に絡んで、台湾人集団150人がトラック等で渋谷警察署に向かって発砲して銃撃戦となった事件なの。渋谷警察署側はの芳賀弁蔵巡査部長が死亡して重傷者1人、軽傷者2人、台湾人側は蔡竜登以下27人が現場で逮捕されて、范姜利康以下4人が死亡して軽傷者14人が出たんだよ。根拠史料はさっきと同じ『警視庁史 第4巻』のp722~727なの」

写経屋の覚書-はやて「両方に死者が出たんか…ほんで、逮捕された連中はどないなったん?」

写経屋の覚書-なのは「10数人がさらに逮捕されて、米軍東京憲兵司令部に事件を引き渡して軍事裁判になったんだけど、朱徳高に懲役3年重労働、蔡竜登ほか37人に懲役2年重労働の判決が下されたんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?ちゃんと逮捕できて裁判にかけてるよね?ってことはやっぱり「警察は手が出せませんでした」なんて嘘になるよ」

写経屋の覚書-はやて「そうやんなぁ。ん?なんで米軍憲兵に事件が引き継がれて軍事裁判にかけられたん?」

写経屋の覚書-なのは「そのへんはね、テキストBの考察時に触れるから今回は待ってね」

 其処でやくざの出番です 今でも古いやくざは警察に恩を着せた事を言ひますが、トラックで出動し、不逞鮮人をやっつけました 日頃やくざなど全く見下す人々まで喝采しました 警察が密かに通じてゐる、との噂でした 小生もさうであったらうと思ってゐます 何しろやくざが警察署を護衛してゐましたから

写経屋の覚書-なのは「たしかに、ヤクザや侠客、香具師・テキヤが朝鮮人・台湾人団体と対立衝突したり、警察側に加担して衝突した事件は存在するんだよね。新橋マーケット事件や京都七条警察署事件が有名かな」

写経屋の覚書-フェイト「ほんとにあったんだ」

写経屋の覚書-なのは「『新橋マーケット事件』は、昭和21(1946)年6月に東京の省線(山手線)新橋駅前の広場に、露天商をまとめる松田組という組がマーケットを建築したの。そこに台湾人集団が出店を申し込んだんだけど、要求出店数の多さが原因で話がこじれて抗争になったんだよ。死者も出たんだよね。この抗争がさっき言ってた『渋谷警察署襲撃事件』の発端になったの。根拠史料も同じ『警視庁史 第4巻』のp722~727だよ」

写経屋の覚書-はやて「利権争いのもつれが原因やんなぁ。日本人が不逞朝鮮人集団をやっつけるいう義憤とか義侠心から来たいう話やなくて、基本的にただの抗争やん」

写経屋の覚書-なのは「『七条警察署事件』は、昭和21(1946)年1月18日、闇米運搬中に七条署員に逮捕された朝鮮人が連行中に逃走して朝鮮人連盟京都府本部出張所に逃げ込んだんだけど、連盟は引き渡し要求を拒絶したの。しかも20日になって、七条署員が京都駅構内の連盟出張所の看板を壊したって七条署に抗議のため押しかけたんだよ。そこで博徒やテキ屋の団体と衝突して日本人1人、朝鮮人数人の死者が出た事件なの。根拠史料は、京都府警察史編集委員会『京都府警察史 第3巻』(京都府警察本部 1980)のp589~592」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?この事件って『映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―』で出てきたよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。あの事件だよ。『戦後京の二十年史』(夕刊京都新聞社 1966)だと、ヤクザの方には朝鮮人への反感と警察に力を貸して恩を売っておこうという思惑もあったらしいんだけどね」

 こうした朝鮮人を中心とした第三国人と七条署の対立はいちはやく塩小路高倉付近のヤミ市を支配するヤクザの耳にも入った。
 「朝鮮人が大挙して日本人の店をつぶす」
 「日本人が朝鮮人の店をつぶす」
 デマが乱れ飛んだ。
 ヤクザらは
 「なにを……やるなら、やってみろ」
 と集まったわけだが、その裏にはここで力を貸して諸事大目にみてもらおうという気持が働いていた(当時の関係者の談)。

『戦後京の二十年史』(夕刊京都新聞社 1966)p35


写経屋の覚書-はやて「まぁ、見返りいうか利益求めるんはしゃーないわなぁ。っと、『大阪・焼跡闇市:かつて若かった父や母たちの青春』p215~216にも、証言やなくて地の文にこんなんあったで」

(前略)二〇年末ごろから米軍・大阪憲兵隊は市内警察署と連携した。武器、無線機を装備したジープを巡行させている。昭和二一年には警官の武装が認可され、同じ年の七月には、土地不法占拠に関する占領軍指令がでて、闇市封鎖作戦を全面展開してゆく。
 だが、こと「暴力」に対しての警察・取締る側の姿勢には、どこか徹底を欠くものがあった。面前で集団暴行をうける民衆がいても、事をおこさぬ場合が再三あったし、敗戦直後、日本人業者と三国人業者の利権をめぐっての騒ぎが頻発したとき、警察は紛争鎮圧の用兵として、暗黙ながら暴力団の実力をアテにしている。(後略)

写経屋の覚書-なのは「あとね、田岡一雄『山口組 田岡一雄自伝 電撃篇』(徳間書店 1973)p214~217にも、朝鮮人集団の兵庫警察署襲撃に備えて、兵庫警察署長が幹部や市長たちと相談して警護を山口組に依頼して、迎撃のてはずや逮捕された場合の身柄釈放などについて打ち合わせを行なう場面があるんだよ」

写経屋の覚書-はやて「それってほんまなん?山口組の方で勝手に言うとるとかないん?あ、でも警察はそういう話がほんまにあったかて、公式に認めるわけにはいかへんやろしなぁ…」

写経屋の覚書-なのは「これでテキストAはおしまいなんだけど、他の史料と照合して妥当かなと言える記述と、ほんとかウソか確認の取れない記述、それと時系列が不明で不正確な説明が混在しているっていうのはわかったと思うの」

写経屋の覚書-フェイト「そうだよね。腕章や不法占拠、不動産侵奪罪、警察署襲撃事件やヤクザの警察加担は妥当と言えそうなんだけど、かんじんの『朝鮮進駐軍』や牛の強奪は確認が取れないし、警察が手を出せないっていうのは明らかにおかしいね」

写経屋の覚書-なのは「まぁ、『北斗星』個人の情報量や記憶、認識の問題かなと見ることもできるんだけど、全体的には、これじゃぁ記述の信憑性に疑義があるって考えるしかないよね。次回はテキストBの検証に入るね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)
『朝鮮進駐軍』の初出について(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)