写経屋の覚書-なのは「今回はね、「在日朝鮮・韓国人の大多数が密入国による不法滞在者」って言説について見てみるよ。実はこれって応徴者245人って新聞記事の誤読に基づくものだと思ってたのでずっと放置してたんだけど、どうも意外と根が深そうなので、きちんと考察してみることにしたの」

写経屋の覚書-フェイト「応徴者って徴用された人のことだよね。それが245人ってどういう話?」

写経屋の覚書-なのは「うん。1959年(昭和34)年7月13日付の朝日新聞なんだけど、こんな記事なの」

写経屋の覚書-19590713朝日新聞(東京版)_在日経緯調査発表

1959(昭和34)年7月13日付 朝日新聞
大半、自由意思で居住
 外務省、在日朝鮮人で発表
  戦時徴用は245人
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行なっているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関―釜山間の運航が止るまでのわずか七カ月間であった。
一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配船、個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計約六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。

写経屋の覚書-なのは「二人とも、これを素直に読んでみて」

写経屋の覚書-フェイト「ええと…1959年の時点で、在日朝鮮人は約61万人いるってことと、その中で国民徴用令によって徴用されて渡航して残留した人は245人いたって書いてるね」

写経屋の覚書-はやて「ほんで応徴者のほとんどは戦後帰還したってことくらいかな」

写経屋の覚書-なのは「まぁそんなところかなぁ。でもね、3年くらい前から、この記事を誤読して『国民徴用令で徴用された朝鮮人は245人だ』とか『自由意思で残ったのは245人だ』なんて言い出す人を半年に一回くらいのペースで見るようになってるんだよね」

写経屋の覚書-フェイト「たしかに一瞬そう読めてしまうかもしれないけど、読みなおせばそうじゃないってことに気づくはずだよね」

写経屋の覚書-なのは「そう思うんだけどねぇ…で、その誤りを指摘するスレをKJCLUBに立てようかとか、『戦後朝鮮人の送還について』シリーズのコンテンツにしようかとか何回か思ったんだけど、大した話でもないだろうしって思ってずっと放置していたんだって」

写経屋の覚書-はやて「それがなんで今ごろ取り上げる気になったん?」

写経屋の覚書-なのは「うん、最初はtogetterの、代表戸締役氏の「在日朝鮮人Q&A」を見てて、備忘録のために送還の流れをまとめてつぶやいたんだけど、「戦後ほとんどが帰国、本来の滞在者は6000人 ほとんどが不法入国者」って言説を見て発言者に照会してみたの」

写経屋の覚書-はやて「本来の滞在者は6000人?それは初めて聞く言説やなぁ。根拠は何なんやろ?」

写経屋の覚書-なのは「それで照会したんだよね。そのあたりのツイッターでの一連のやりとりはこちらでまとめられているよ。で、この際その手の言説を検証しておくのもいいかなって考えて、徴用245人言説も取り上げることにしたんだって」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?徴用245人について変なのが絡んできたんだね。作者はむしろそれを否定する側なんでしょ?」

写経屋の覚書-なのは「うん。言ってもいないことを勝手に読み取ってるんだよねぇ(苦笑)実はそのつぶやきが作者のタイムライン上に出てこなかったんで、かなり後になって気づいたんだけど、ま、相手にしても知見の得られない輩だろうからって放置したんだって」

写経屋の覚書-はやて「そんなバカはほっといてええやんw ほんでやっぱりいつものように史料と照合しながら見ていくん?」

写経屋の覚書-なのは「当然そうするよ。ほんとは同日付の読売新聞と毎日新聞にも同じ内容の記事があって、そちらのほうが文章が整理されていて誤読しにくいんだけどねぇ」

写経屋の覚書-19590713読売

写経屋の覚書-19590713毎日

写経屋の覚書-フェイト「そうだよね。こっちのほうがきれいにまとまっている感じがするよ」

写経屋の覚書-なのは「うん。読売の記事が一番わかりやすくて朝日のが一番わかりにくいんだよねぇ…でも、世間的に最もよく知られているのが朝日の記事だから、そっちを見ていくことにしたんだ」

写経屋の覚書-はやて「なんでいっちゃんわかりにくい朝日の記事がいっちゃん有名なんやろ?」

写経屋の覚書-なのは「一つは、朝日が良くも悪くも日本の知性を代表し最も売れていた新聞だから。もう一つは強制連行や従軍慰安婦ネタに関して日本批判を煽っている朝日ですら、強制連行由来の在日朝鮮人はいないって認めているヨって逆ねじを喰らわすことができるからじゃないかなぁ。ともかく、この記事の重要個所は後半の「一」2つなんだけど1個ずつ見ていくよ。まずは原文を再掲するよ」

一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関―釜山間の運航が止るまでのわずか七カ月間であった。

写経屋の覚書-なのは「まず、内務省警保局の調査だと1939(昭和14)年末時点での内地在住朝鮮人数は961,391人(出典:内務省警保局『社会運動の状況』昭和14年)だから、約100万人ってのは妥当だね」

写経屋の覚書-フェイト「この時点で、まだ国民徴用令による応徴者は来ていないんだね」

写経屋の覚書-なのは「うん、民間の労働者はね。で、1944(昭和19)年末時点で一般在住者1,693,030人・集団移入労務者243,813人で総計1,936,843人って統計があるの。1,693,030-961,391=731,639人になるから、増加した約70万人・総数約200万人っていうのも妥当っぽいんだけどね…」

写経屋の覚書-はやて「ん?出典は書かへんの?」

写経屋の覚書-なのは「それがね、一応の出典は金英達『在日朝鮮人の歴史』(明石書店 2003)p113なんだけど、ここでは1913~1943年までの在日朝鮮人数を内務省警保局の『朝鮮人概況』『朝鮮人近況概況』『在留朝鮮人の状況』『社会運動の状況』各年版から拾ってきて、1944・45年の数字については「森田芳夫「戦前における在日朝鮮人の人口統計」『朝鮮学報』第48輯(朝鮮学会、1968年)66頁、「内務省警保局史料による」と注記されているが、具体的な史料は不明」って注記がしてあるの」

写経屋の覚書-フェイト「出典元は担保できないって但し書きをつけているってことなんだね」

写経屋の覚書-なのは「ところがね、坪江汕二『在日本朝鮮人の概況』(厳南堂 1965)p10~13掲載の内務省警保局「終戦時在留朝鮮人戸口調査表」に全く同じ数字が出てるんだよ」

写経屋の覚書-はやて「っちゅうことは、森田は『在日本朝鮮人の概況』から数字を持ってったか、坪江と同じ史料を見て書いたんやろね」

写経屋の覚書-なのは「そうだろうとは考えるんだけどねぇ。金の『朝鮮人強制連行の記録』(明石書店 2003)p174には、「坪江汕二(坪井豊吉)『在日朝鮮人の概況』「終戦時の徴用斡旋募集労務者状況調査表」」を内務省資料として挙げているんだよ」

写経屋の覚書-はやて「坪江?坪井?いったい何なん?」

写経屋の覚書-なのは「同一人物なんだよ。本名の坪井豊吉で『在日朝鮮人の運動概況』(法務研究所 1959)、筆名の坪江汕二で『在日本朝鮮人の概況』(厳南堂 1965)を書いているの。名義も題名も酷似しているんでややこしいよね」

写経屋の覚書-フェイト「うーん…金は坪江名義の『在日本朝鮮人の概況』のほうは見てないのかな?坪江の方が坪井より詳しい内訳のある数字になってるのに…」

写経屋の覚書-はやて「出版年が、坪江『在日本朝鮮人の概況』は1965年、坪井『在日朝鮮人の運動概況』は1959年やから、後発の坪江のほうは史料的価値が低いって判断したんかな?」

写経屋の覚書-なのは「坪江の方を1965年に厳南堂から復刻出版としてるからその存在は知ってるはずだし、本来の出版は1949年ってのは承知しているみたいだから、二人の言う理由ではなさそうなの」

写経屋の覚書-フェイト「…ひょっとして、単に両者を混同して一つの書籍と考えてしまったんじゃないかな…」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。金は「坪江汕二(坪井豊吉)『在日朝鮮人の概況』「終戦時の徴用斡旋募集労務者状況調査表」原著は一九四九年「特審資料第一輯」、復刻版は<厳南堂書店 一九六五年>」と書いているから、どうやら名義も書名もごっちゃにして認識把握してるっぽいんだよねぇw」

写経屋の覚書-はやて「名義も書名もほとんど一緒やし、ややこしいんはわかるけど、それはそれであかんやん」

写経屋の覚書-なのは「で、ただ坪江の表も数の辻褄が合わない箇所が多くて困るんだよ。合計欄の数字と各道府県の数字を合計した実際の数字が合ってないし、更に言うと表中の数字を合計しても合計欄の数字と食い違ってるんだよねぇ…」

写経屋の覚書-終戦時在住者数_坪江1
写経屋の覚書-終戦時在住者数_坪江2
写経屋の覚書-終戦時在住者数_坪江3

道府県昭和18年末昭和19年末
(下段は実計算)
一般人合計
徴用斡旋人自由募集人合計
(下段は実計算)
東京123,12697,63291,8245,808 5,808
神奈川54,79562,19759,0293,073953,168
新潟7,5609,7486,9242,3235012,824
埼玉7,14711,20611,137 6969
群馬11,93412,356
(12,354)
9,3922,962 2,964
(2,962)
千葉9,70712,763
(14,559)
12,7111,848 52
(1,848)
茨城9,48213,149
(12,521)
10,7861,2205152,363
(1,735)
栃木5,5489,906
(10,252)
7,2251,5661,4612,681
(3,027)
静岡20,94822,418
(20,978)
20,2951265572,123
(683)
山梨5,8986,502
(11,807)
6,2475,431129255
(5,560)
長野13,35625,466
(33,181)
19,74313,1462925,723
(13,438)
大阪395,380321,484
(321,553)
308,33813,215 13,146
(13,215)
京都74,07967,41167,292 119119
兵庫135,170139,179125,94313,2152113,236
奈良10,80613,05012,98070 70
滋賀11,17312,78312,6291513154
和歌山21,37022,86522,5523058313
愛知126,325137,411136,0211,379111,390
三重17,00125,160
(28,143)
26,8021,2291121,341
岐阜27,07128,143
(25,160)
24,48064040680
福井18,05119,86419,349515 515
石川7,3648,5358,28222429253
富山6,0583,842
(13,842)
9,4354,407 4,407
広島68,27481,86375,9195,8351095,944
鳥取6,3997,1227,054 6868
島根12,32519,118
(14,118)
13,64641260472
岡山24,52135,22534,41176747814
山口132,526139,163
(139,164)
132,7695,8155806,394
(6,395)
香川3,1615,9535,81723113136
愛媛9,50314,99814,595 403403
徳島1,8601,7951,75638139
高知5,4229,7925,4181,0063,3684,374
福岡172,199178,136130,33047,7208647,806
佐賀20,69923,63914,9897,7598918,650
長崎47,41559,57339,09919,62185320,474
熊本16,87518,84417,0101,793411,834
大分24,71329,93228,8131,024951,119
宮崎9,22411,95010,8507063941,100
鹿児島9,67117,93016,6921,219191,238
北海道82,95092,78035,97250,3286,48056,808
宮城6,4058,5226,8221,5511491,700
福島12,14818,1338,4229,1235889,711
岩手10,94611,6806,1304,8187325,550
青森2,2543,144
(3,244)
2,0249682521,120
(1,220)
山形2,8872,1281,170790168958
秋田3,6106,8163,6703,092543,146
沖縄102102    
樺太27,00925,434    
合計1,832,456
(1,832,447)
1,936,843
(1,925,104)
1,693,030
(1,642,794)
224,300
(237,261)
19,513243,813
(256,774)


写経屋の覚書-フェイト「昭和19年末の合計数欄は1,936,843人だけど各道府県欄の数字を足すと1,886,306人になるね。だけど一般人と労務者の各欄を実計算すると1,925,104人…わけがわからないよ」

写経屋の覚書-はやて「富山の19年末総数は万の位の1を抜かしてもおとるんやね。あと3と5を読み違うような間違いが多いみたいやで。漢数字だからかすれ具合で別の数字に見えるし。ま、この戦況の時点で正確な数値が出せとったら、大日本帝国は敗戦してへんってことかもw」

写経屋の覚書-なのは「はやてちゃん、それ吉田茂のネタだよw ま、この表の場合、元データの時点で間違ってるのか、坪江の書き間違いが原因なのかはちょっとわからないけど。一応個々の数字を積み上げると、一般在住者1,642,794人・集団移入労務者256,774人で総計1,925,104人って数字になるね」

写経屋の覚書-はやて「警保局の元データを確認できたらええのになぁ。まぁ約200万人いう話に変わりはなさそうやね。応徴者の人数約30万いうんはどうなん?」

写経屋の覚書-なのは「それがね、応徴者そのものの人数は正確な統計が出ないんだよ。『在日本朝鮮人の概況』掲載の諸表だと官斡旋と徴用を合算しているしねぇ…」

写経屋の覚書-フェイト「さっき出てきた集団移入労務者243,813人(積み上げだと256,774人)って数字がそうなんだね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。把握できていない統計漏れを合わせると約30万に近くはなりそうかな。読売の記事では「国民徴用令による徴用労務者はごく少数(約九万六千人)」ってしてるんだけど、現時点でその根拠は分からないんだよねぇ…終戦後、内地在留朝鮮人の送還計画について日本政府がGHQに提出したCLO349『Repatriation of Koreans 朝鮮人の送還』では、内地在住朝鮮人総数を1,668,000人、集団移入労務者を336,000人としているね」

写経屋の覚書-はやて「こっちも総計約200万人やね。っちゅうことは、人数について朝日の記事はほぼ妥当やと考えてもええんやね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。次に国民徴用令についてなんだけど、少しややこしくなりそうなんで次回にするね」
写経屋の覚書-フェイト「今回は何を見るの?」

写経屋の覚書-なのは「一応『朝鮮進駐軍』関係ってことになるんだろうけど、山口組三代目組長の田岡一雄の自伝『山口組 田岡一雄自伝 電撃篇』(徳間書店 1973)って書籍があったでしょ」

写経屋の覚書-フェイト「『朝鮮進駐軍』の横暴とか、三国人の傍若無人ぶりを紹介する時によく引用される書籍だよね」

写経屋の覚書-はやて「まぁ、一連の検証でもで見たように『朝鮮進駐軍』実在の証拠にはならへんかったんやけどね。ほんでそれがどないしたん?」

写経屋の覚書-なのは「はやてちゃんの言うように、『朝鮮進駐軍』実在を担保するものにはならないし、個人の証言記述だから、朝鮮人台湾人の不法行為の証拠としてはそのまま使えるものでもないんだけどね、1点だけ確実な信頼性を担保できる記述があったんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「どんな話なの?」

写経屋の覚書-なのは「警察官暴行殺害の話なの。まず田岡自伝を引用するね」


写経屋の覚書-田岡214
写経屋の覚書-田岡215

 昭和二十一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
 そればかりではない。警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである。
 さらに彼らは水上警察署を急襲して留置されていた同胞全員を釈放し、水上署の全監房は彼らの手によって開放されるという不祥事件にまで発展した。

田岡一雄『山口組 田岡一雄自伝 電撃篇』(徳間書店 1973) p214~215


写経屋の覚書-なのは「ここに出てくる岡政雄巡査部長の殺害事件について、『兵庫県警察史 昭和編』と新聞記事で確認が取れるんだよ」


写経屋の覚書-兵庫448

二月二十八日、生田署の岡政雄警部補(当時巡査部長)が北長狭通の台湾省青年隊事務所で、数名の者から殴る蹴るの暴行を受けて人事不省となり、手当の甲斐もなく絶命した。

兵庫県警察史編さん委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p448


写経屋の覚書-461206朝日新聞(大阪)_台湾人強盗団

1946年12月6日付朝日新聞(大阪版)
阪神を荒したギヤング団
    五十余名ことごとく捕わる
一味五十数名からなるピストル大強盗団が府刑事課、福島署の捜査陣によりこのほどことごとく捕えられ近く送局されることになつた、この強盗団は大阪阿倍野区万代町西三丁目元中日大衆新聞社取締役社長柯万隆、陳文慶こと柯柄林(二七)を首領とする一派で

さる九月一日昼生野区猪飼野町西三丁目ミシン加工職池田健雄氏(三五)上ほか四名から港区新池田町附近の焼跡で現金五十二万円を強奪したことから福島署では府刑事課の応援をえて五十二万円事件として首領と目される柯柄林を曽根崎署管内で捕え十一月末まで係員は不眠不休の捜査を開始して、いもずる式に団員五十数名を捕えたもの

この一味は二月二十八日神戸市生田北長狭通三丁目台湾青年隊事務所で生田署岡政雄巡査部長に暴行を加へ死にいたらしめたほか殺人、強盗、きようかつ三十三件を働き現金六十五万円、綿布二十八包、米七十表、トラツク一台など公定価格で約百五十五万八千円を強奪していた。

なおこれに関連して捕われた東淀川区塚本町同新聞社主幹松尾重成こと王明訓(二六)を首領とする別派はきようかつ専門に城東区関目町二丁目大阪相互タクシー黒田辰五郎氏より乗用車一台を強奪したほか新聞巻取紙二十本、サツカリン百錠入七千個電鉄、劇場などの優待券を強要し三十数万円を取つていた


写経屋の覚書-フェイト「台湾人の犯行だったんだね。『三国人』には違いないけど」

写経屋の覚書-はやて「ちゅうことは、この事件については田岡自伝の記述は事実を伝えとるって考えてええわけやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。でもこの事件について紹介するなら、まず新聞記事を根拠として挙げて、田岡自伝は『田岡自伝にもこうある』って程度で扱うんだけどね」

写経屋の覚書-フェイト「ソースの信頼度順に紹介引用するんだね。でもどうしてこの事件の新聞記事を発見したの?」

写経屋の覚書-なのは「戦後の新聞を虱潰しに読んでいて、たまたま目にとまって「あれ?どこかで見た記憶のある事件だ」って気付いて複写したんだよ。それで帰宅後に手元の史料を調べたら兵庫県警察史と田岡自伝に該当事件があったの」

写経屋の覚書-はやて「このあとに書いてある兵庫警察署と水上警察署の襲撃事件の方は信頼性を担保でけへんの?」

写経屋の覚書-なのは「これねぇ、史料に明記されてないからねぇ…直接担保できるかどうか…『兵庫県警察史 昭和編』にはこんな記述はあるんだけど、具体的じゃないしねぇ…」


写経屋の覚書-兵庫455
写経屋の覚書-兵庫456

 ところが、十二月に入って県下各地を荒し回った強窃盗団のほとんどが拳銃・日本刀などの凶器を持ってしており(中略)こうした状況下に発生したのが、第三国人による生田・兵庫署襲撃事件である。

兵庫県警察史編さん委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p455・456


写経屋の覚書-フェイト「事件の正確な日時と規模まではわからないんだね…」

写経屋の覚書-なのは「1945年の12月中というところまでしか絞り込めないんだよ。生田警察署襲撃事件のほうは『兵庫県警察史』と新聞記事にちゃんと載っているんだけどね」


写経屋の覚書-兵庫447

昭和二十年十二月二十四日の夜半、僅かな時間とはいえ生田警察署が暴徒に占拠されたのである。この事件は生田署が岡山県警察部の捜査に協力したことが発端となっている。同署では岡山市内で発生した七人組の拳銃強盗犯人を追って神戸に出張してきた岡山県の捜査員に協力した。ところが午後九時頃「岡山の刑事を出せ」と叫びながら、突然乱入してきた五〇人をこえる朝鮮人の一団が、拳銃・日本刀・匕首を突きつけて署員を軟禁状態に置き、署内の捜索を始めた。岡山の捜査員は幸い脱出に成功したが、暴徒は電話線を切断し、外部との連絡手段を絶ってしまった。

兵庫県警察史編さん委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p447


写経屋の覚書-451227朝日(大阪)_生田署襲撃

1945年12月27日付朝日新聞(大阪版)
強盗犯を一味が奪ひ返す
これはまた警察署に留置中の強盗犯が一味によつて強奪されたといふ無警察ぶりが神戸に起つた――

岡山市南方酪農林三郎方へ去る二十三日夜十数名の集団強盗が押入り、日本刀、ピストルなどで脅迫、家人を縛りあげて現金五千円、衣類、時計などを強奪一同車座となつて飲酒ののち逃走したが、このうち数名を二十四日岡山県刑事課員が神戸市で逮捕、生田署に留置取調べにかゝつたところ、同夜五十余名の一味が生田署を襲撃、犯人のうち二、三名を奪還して逃走した

一味の強盗団は大掛りなものらしく兵庫、岡山県警刑事課が目下全力をあげて犯人検挙につとめてゐるが右につき生田署では言明を避け、たゞ奪還された事実を認めてゐる

写経屋の覚書-フェイト「兵庫警察署襲撃事件の詳細が兵庫県警察史に載ってないのは不思議だよね…」

写経屋の覚書-なのは「当時刑事課長だった秦野章の自伝『逆境に克つ―「一日生涯」わが人生』(秦野章 講談社 1988)は生田警察署襲撃事件については兵庫県警察史を引用してるんだけど、兵庫警察署襲撃事件については、p136の秦野が進駐軍MP司令官シュミット少佐(兵庫県警察史p456では憲兵分隊長シンプソン少佐)に警察の拳銃武装許可を要請した箇所で『私は「第三国人」による生田、兵庫両署襲撃事件を例にあげ、言葉に誠意と気迫をこめて訴えた』と書いているだけで、事件の中身については一切書かれてないしねぇ…」


写経屋の覚書-秦野自伝136

写経屋の覚書-はやて「そやけど、なんで岡政雄巡査部長殺害事件をここで取り上げようって思たん?著名な事件いうわけでもないし、朝鮮人やなくて台湾人の犯行やのに」

写経屋の覚書-なのは「事件自体はテーマから外れるかもしれないんだけど、史料の取扱についていいサンプルになると思ったんだよ。田岡自伝のような個人の記述証言であっても、他の史料によってその信頼性を担保することは可能だし、信頼性を担保できれば言説の根拠として扱うことも可能だってことを示そうって考えたの」

写経屋の覚書-はやて「逆に言うたら、一次史料の記述でも信頼性の担保できへん記述はあり得るし、信頼性の担保できへん限りは言説の根拠として使われへんってことになるやんなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「一次史料だからと言って、無条件・無批判で使えるわけじゃないってことだね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。史料の検討作業、当然の手順としていつもやってることなんだけどね。実在した朝鮮人の集団不法行為について見ていくことになるんだけど、こういうふうにして警察や公安の史料を基本にしながら、新聞記事、関係者の著作証言を校勘して検証していくことになるんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「ある意味、関係者の証言ほど怪しいというか、まる呑みにしてはいけないものはないよね…」

写経屋の覚書-なのは「関係者には利害関係が発生するから、その発言記述はどうしても公正無私なものとはなりにくくなるしね。『意識』で獄長が引用してるzeongさんの叙述と同じというか実践例みたいなもんかな」

写経屋の覚書-はやて「zeongさんの話のパクリかいなw ま、他人の良い話をそのまんまパクッたら、ごっつぅ楽やし自分も偉くなった気になるっちゅう話にもなるやろけどw」

写経屋の覚書-フェイト「はやてちゃん、その台詞自体参考エントリーのパクリだよ…」

写経屋の覚書-なのは「今回はちょっと軽いのというか、ほったらかしにしてたネタを取り上げるよ。フェイトちゃんとはやてちゃんは閔妃って知ってる?」

写経屋の覚書-フェイト「高宗の王妃だった人だよね?」

写経屋の覚書-はやて「舅の大院君との権力闘争しまくって朝鮮滅亡の一因になったいうことで毒婦扱いされることもあるやんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。行状については措くとして、その閔妃の呼び名で『国母』っていうのがあるのは知ってるかな?」

写経屋の覚書-フェイト「うん。角田房子の『閔妃暗殺 朝鮮王朝末期の国母』いう小説もあったしね。それで、その『国母』がどうしたの?」

写経屋の覚書-なのは「ネット上で『閔妃が国母?国内をぼろぼろにしたヤツのどこが国母なんだ』っていう言説をたまに見かけるんだけどね…」

写経屋の覚書-はやて「あー、自分の勢力を保つために外国を引き入れたり、国内の利権を外国に売り渡し、病弱な王子の祈祷に大金をつぎ込んだとかいう話やな」

写経屋の覚書-なのは「うん…だけどね、そもそも『国母』っていったいどういうものなのかってことについて、日本人・韓国人双方から触れたり説明したりする言説を見たことが無いんだよねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「えっ?誰も国母の定義について触れてないの?」

写経屋の覚書-なのは「少なくとも作者は見たことがないよ。さっき言ったネット上言説では国母に尊敬や崇拝の意味がこめられているような理解をしてるようだけど…中国・日本の例(日本の場合は天皇の生母を指す)は省いて、朝鮮について見てみるね。最初は『宣祖実録』を見てみるよ」

写経屋の覚書-はやて「HPの三田渡への道の最初のほうでも出てきたところやね」

写経屋の覚書-なのは「そうだよ。西暦1600年、宣祖の王妃朴氏が死去したの。のちに「懿仁王后」という諡号を受ける人なんだけどね」

宣祖実録 宣祖33(1600)年6月27日
申時中宮朴氏薨

写経屋の覚書-フェイト「中宮?韓国ドラマだと『中殿媽々』って呼ばれるよね?」

写経屋の覚書-なのは「ああ、あれはね、史料に記録する公的なものじゃなくて、口語表現みたいなものなんだよ。中国で宦官が皇帝を『皇爺』って呼んだり、女官が天皇を『お上』と呼ぶのと似たようなものなの。で、朝鮮に滞在中だった明の将軍李承勛が弔問に訪れるの」

宣祖実録 宣祖33(1600)年7月3日
李提督承勛来弔而白衣烏黒帯提督曰早擬進弔而未果今始来拜未安上曰不穀不幸遭此迫切之喪痛苦不堪大人爲小邦下喪降屈陋地不勝感激提督曰国母有旧恙而専未聞知久闕一候昇遐之後始得知之失礼甚矣

写経屋の覚書-はやて「んーと、『国母に昔からの病気(旧恙)があるなんてずっと知らなかった。お亡くなりになってから初めて知るなんて失礼極まりない』って挨拶しとるんかな」

写経屋の覚書-なのは「うん。国母ってのは王妃朴氏のことだよ。つまり国母は固有名詞ではなく王妃の意味で使われているんだ。次は閔妃について見てみるよ」

高宗実録 高宗33(1896・建陽1)年2月29日
二十九日前司果沈相禧等疏略臣等不死於国家禍変之日待罪草野一縷尚存者上報国母之讎下済生霊之困敢出万死之計欲報国恩之万一

写経屋の覚書-なのは「以前に司果という役職にいた沈相禧たちの上疏文なんだけどね、『上は国母の仇を討ち、下は人民の困難を救う』ってあるよね。ここでいう国母は当然閔妃だよ」

写経屋の覚書-フェイト「でも、閔妃の復讐を狙う人たちが、閔妃を敬愛して尊称してるんだと言えるんじゃないの?」

写経屋の覚書-なのは「なるほどね。でも、あの一進会ですら国母と称しているんだよね」

純宗実録 純宗2(1909・隆熙3)年12月4日
一進会長李容九称以百万会員連名日韓合邦声明書発表於中外
(中略)
仍呈上疏其文曰(中略)日本天皇陛下之寬仁大度不我声討而兄第撫我而我不唯毎事自失信宝蔑棄太祖高皇帝之聖訓独恃其外交之詭変雖欲不拠于蒺藜其可得哉故致国母之変山河含憤抑亦誰之故也乎或不国其国而播遷俄館于租界或宣言中立而喜外交之巧妙故日俄約和先定我所服属而我之見剝外交権抑亦誰之故也乎

写経屋の覚書-はやて「『国母の変事があり世間は憤ったが、そもそもこれって誰のせいなん?』って言うとんのかな。ほんで『日本の天皇陛下の寛大さと大きい度量に対して信義を失い、太祖李成桂の訓戒を無視して外交の詭弁のみを信じる我らのせいなんや』って言うとるね」

写経屋の覚書-なのは「李容九・一進会が閔妃を敬愛していたのかな?上疏文だから礼に則った呼称を用いているわけだよね」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、国母って閔妃だけを指すんじゃなくて、国主(王・皇帝)の正妻(王妃・皇后)に対する呼称ってこと?」

写経屋の覚書-なのは「うん。国母は敬称だけど、それ自体に特別な敬愛の念などの意味は込められていないと考えるのが妥当だよね」

写経屋の覚書-はやて「ってことは、『悪事を働いたから国母にふさわしくない』とか『国母と呼ばれ国民から敬愛された』って論理はまちがいっちゅうことになるんやね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。閔妃を国母と呼ぶこと自体は不当じゃないんだけど、李朝史上、国母と呼ばれる女性はいっぱいいるわけで、閔妃は「one of them」に過ぎないんだよ。だから、無条件で『国母=閔妃』って認識は不当だし、歴史用語としては使用しないほうが妥当ってことなの」

写経屋の覚書-はやて「太閤さん言うたら一般的には豊臣秀吉やけど、本来は関白を子に譲った人のことで、厳密に言うたらぎょうさんおるから、歴史を論じる場合は無条件で「太閤=秀吉」いうのはちょっとどうかなぁいうんと似とるなぁ。まぁ太閤検地とか太閤蔵入地いう用語はあるけど」

写経屋の覚書-フェイト「歴史的に大阪人が太閤さんって言って親しむけど、秀吉だから親しみの意がこめられているわけで、太閤という呼称自体に特別な敬愛の意があるというわけじゃないしね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね…このネタは、KJCLUBで、きちんと閔妃について調べず、国母という呼称自体に対しても何も考察せずに言説を垂れ流していたバカな日本人を皮肉る意味でスレ立てしたものなんだけどねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「そのdisっとる相手からまじめにお礼言われるっちゅうニガワラなことになったんやねw」

写経屋の覚書-フェイト「で、そのままほったらかしにしてて、場つなぎというか穴埋め用に持ってきたんだねw」

写経屋の覚書-なのは「そういうことw」