安重根について纏めていたところ、散歩道さんに先に取り上げられて焦っているdreamtaleです。
溶けそうに暑い中、皆さん如何お過ごしですか?(笑)
まぁ、安重根については、来週からでもぼちぼち投下しますので、興味ある方はお楽しみに。
さて、NAVER総督府ホームページのID紹介において、私の項目では「zeongの一番弟子」とされているわけですが、「師匠!弟子にして下さい!」と押し掛けたのでは当然ありません。(笑)
しかし、彼が以前日韓翻訳掲示板NAVERで述べていた事を、なるべく意識してこのブログを書いているという点においては、正に彼は私の師匠と言えるでしょう。
ということで、私が意識している彼の叙述を、改めて書いておきたいと思います。
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=804407
○歴史議論とは?
史料や資料を根拠として歴史的事物に関する主張の妥当性を検討する事。
○史料と資料
史料:主に当事者や同時代人が記した文書記録。(但し、後代に編纂された書籍や遺物、絵画や写真等も含む)
資料:史料を根拠として構築された叙述物や図表。
史料に対してはそれがどの程度事実を反映しているかを検討する必要がある。
これを「史料批判」と呼び、歴史的象徴や叙述を行う際には、必須の事柄である。
だからと言って、全ての資料が充分にこれを行っているとは言えないし、必ずしもその主張が正しいとは限らない。
なぜなら、資料は特定の関心や要請に基づいて作成されるからである。
故に、必然的に情報の取捨選択が行われたり、筆者の価値観が混入する。
中には明らかな錯誤に基づくものや、意図的に読者を一定の結論に誘導するものさえある。
歴史議論がこれらの物の上に立脚している以上、それには一定の前提条件を満たす必要があるだろう。
○資料と歴史議論の前提
資料とは筆者の経験や思考を追体験するために存在する。
故に、資料には再現可能性を担保するために、出典、或いは根拠となる史料そのものが提示されていなければならない。
これがない資料は歴史議論における主張の根拠としての価値が極めて低い。
また、資料が筆者の思考の追体験である以上、これを根拠として何かの主張をする者は、この資料の記述を真とし、受け入れた理由、言い換えれば資料の主張を妥当として判断した理由を、論理的に相手に対して説明する責任がある。
この点に関して合意が無ければ、歴史議論は不毛なものにならざるを得ないし、議論そのものが不成立となるだろう。
私が評価するのは国籍を問わず、この点を満たしている論者であるし、私が軽蔑するのはこの点を満たさずして他の目的の為に邁進する者である。
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=625348
史料学の基本事項。
一)文献資料の種類
1.一次史料
古文書 :特定の相手に対する意思表示を目的とした史料
記録 :日記などの記録
2.二次史料
編纂物 :古文書等を元にして作られた記述
文学作品:物語・詩等
ただし、何れの史料においても、その記載事項の事実関係について確認する作業、つまり史料批判が必要な事は言うまでもない。
また、これら史料から出来得る限り多くのinformationを取り出し、整理・検証をしてintelligence化するべく努力すべきである。
以上の作業を行う上で重要なのが文書学的知識である。
※但し、史料の等次が情報の正しさを必ずしも担保するとは限らない。
極言すれば史料批判がなければ一次史料であっても信頼するに足りない。
二)文書学
1.歴史学の補助学
2.(文書学の自立を説く立場からすれば)文書史
3.文書の整理・保存法の研究
三)文書学の範囲・観点
1.伝来
2.差出人と受取人
3.発給の日付
4.内容
これらの情報は史料の正確を規定し、主張の根拠としての有用性を担保する最も基礎的な作業である。
※文字を読む事=史料を読むことではない。
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=630394
歴史が歴史になるまで
1.史料 →a)報道
↓
2.論文・調査報告・学会発表等 →b)報道
↓
3.教科書・小説等 →c)報道
↓
4.一般化
史家が主に扱う領域は①、②
歴史愛好者が扱う領域は③、④
多くの方が既にこの話を心得ていると思いますので、今更の感が無いわけでも無いですが、常に心の中で意識していたいですね。
というわけで、他人の良い話をそのまんまパクると、非常に楽だ&自分も偉くなった気になるという話でした。(違