「さて、今回が本題になるのかな。戦後に日本に在留した朝鮮人の法的地位についての話だよ」 「むっちゃ長い前フリやんw」 「内容としては『戦後朝鮮人の送還について7 』の続きと言うか補足発展みたいなものになるのかな? 「そうだねぇ。まず1946(昭和21)年3月~12月の計画送還に参加せず、47(昭和22)年1月以降の個別引揚にも参加しないで日本在留を選択した朝鮮人についてなんだけど、その在留資格を設定したのは昭和27年法律第126号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」の第2条第6項、よく短縮して126-2-6って呼ばれる法律なの」
1952(昭和27)年4月28日付官報(号外第48号)掲載 昭和27年法律第126号 ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律 6 日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力発生の日において日本国籍を離脱する者で、昭和二十年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二十年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む。) 「126-2-6ってそういう意味があったんやなぁ…「この法律施行の日」っていつなん?」 「サンフランシスコ講和条約の効力が発生する1952(昭和27)年4月28日だよ。そういうわけで法律126-2-6は戦前からの在住者及びその子孫に対して与えられる在留資格の根拠になるってわけ」 「あれ?戦前からの在住者の子孫で1945年9月2日から1952年4月28日の間に生まれた人はいいとして、52年4月29日以降に生まれた人はどうなるの?126-2-6の適用対象範囲外になってしまうよ」 「それはね、出入国管理令第4条第1項第16号による在留資格者になるんだよ」
1951(昭和26)年10月4日付官報(第4722号)掲載 昭和26年政令319号 出入国管理令 第四条 外国人(乗員を除く。以下この条において同じ。)は、この政令中に特別の規定がある場合を除く外、左に掲げる者のいずれか一に該当する者としての在留資格(外国人が本邦に在留するについて本邦において左に掲げる者のいずれか一に該当する者としての活動を行うことができる当該外国人の資格をいう。以下同じ。)を有しなければ本邦に上陸することができない。 (中略) 十六 前各号に規定する者を除く外、外務省令で特に定める者 「外務省令?」 「昭和27年5月12日の外務省令第14号「特定の在留資格及びその在留期間を定める省令」第1項第2号だよ。出入国管理令とこの外務省令を合わせて4-1-16-2って言われるね」
1952(昭和27)年5月12日付官報(第76000号)掲載 昭和27年外務省令第14号 特定の在留資格及びその在留期間を定める省令 二 ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二十七年法律第百二十六号)第二条第六項に該当する者の子で同法施行の日以後本邦で出生したもの 「だから正確には、戦前からの在住者及びその子孫の在留資格は126-2-6と4-1-16-2の2系統があったってことなの。それ以外にも4-1-16-3つまりこの外務省令の第3号「三 前二号に規定する者を除く外、入国管理庁長官が特に在留を認める者」ってのもあるんだけどね。『在留外国人統計』によると1959(昭和34)年の126-2-6資格者は507,634人、4-1-16-2資格者は89,195人となっているよ」 「この時点で戦前からの在住者及びその子孫は596,829人ってことやな」 「で、1964(昭和39)年には126-2-6資格者は422,368人、4-1-16-2資格者は136,815人になってるんだよ。そういうわけで、1965(昭和40)年までは、法律126-2-6資格者=戦前からの在住者及びその子孫って解釈は概ね正解なんだよ。ほんとは4-1-16-2資格者の存在を忘れちゃ困るんだけどねw」 「1965年までは?65年に何かあったのかな?」 「これはすぐわかるで。日韓基本条約の締結年や」 「そう。65年の日韓基本条約の締結に伴う昭和40年条約第28号『日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定』で協定永住者ってカテゴリーが設定されたんだよ」
1965(昭和40)年12月18日付官報(号外第135号)掲載 昭和40年条約第28号 日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定 第一条 1 日本国政府は、次のいずれかに該当する大韓民国国民が、この協定の実施のため日本国政府の定める手続に従い、この協定の効力の発生の日から五年以内に永住許可の申請をしたときは、日本国で永住することを許可する。 (a)千九百四十五年八月十五日以前から申請の時まで引き続き日本国に居住している者 (b)(a)に該当する者の直系卑属として千九百四十五年八月十六日以後この協定の効力発生の日から五年以内に日本国で出生し、その後申請の時まで引き続き日本国に居住している者 2 日本国政府は、1の規定に従い日本国で永住することを許可されている者の子としてこの協定の効力発生の日から五年を経過した後に日本国で出生した大韓民国国民が、この協定の実施のため日本国政府の定める手続に従い、その出生の日から六十日以内に永住許可の申請をしたときは、日本国で永住することを許可する。 3 1(b)に該当する者でこの協定の効力発生の日から四年十箇月を経過した後に出生したものの永住許可の申請期限は、1の規定にかかわらず、その出生の日から六十日までとする。 4 前記の申請及び許可については、手数料は、徴収されない。 「永住許可申請についての法律は、昭和40年法律第146号『日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定に伴う出入国管理特別法』なの」
1965(昭和40)年12月17日付官報(第11706号)掲載 昭和40年法律第146号 日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定に伴う出入国管理特別法 (協定に基づく永住) 第一条 日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「協定」という。)第一条1及び2に規定する大韓民国国民は、法務大臣の許可を受けて、本邦(出入国管理令(昭和二十六年政令第三百十九号)に定める本邦をいう。)で永住することができる。 2 法務大臣は、前項に規定する者が協定第一条1から3までに定める期間内に前項の許可の申請をしたときは、これを許可するものとする。 「で、これは自動的に適用されるものじゃなくて申請許可制だったから、126-2-6と4-1-16-2資格者が協定永住資格を得ようとしたら、この協定の効力が発生した1966(昭和41)年1月17日から5年間という期間内に申請しないといけなかったの」 「ってことは、その期間内に申請しないで資格を切り替えないままでいた人たちもいたんだね?」 「うん。虚偽申請ならともかく申請自体をしないことについての罰則もないしね」 「つまり1965年以降は、戦前からの在住者及びその子孫の在留資格は、協定永住・126-2-6・4-1-16-2の3種類が併存したってことになるんやね」 「そういうことなんだよ。戦前からの在住者及びその子孫=126-2-6・4-1-16-2資格者って無条件に言えなくなったんだよね。結局、1991年の特例法で、協定永住者・法律126-2-6・4-1-16-2資格者は全部一括して「法定特別永住者」カテゴリーに自動的に切り替わったんだけどね」 「いろんな経緯があるんだねぇ…」 「発端になったtogetter では、件の代表戸締役氏が『アボジ聞かせてあの日のことを』掲載の統計表を引用して、協定永住許可:87.3% 一般永住許可6.6% 法律126-2-6に基づく資格者(戦前からの在住者及びその子孫)1.8% 不明3.1%だから、126-2-6に基づく戦前からの在住者及びその子孫は総人口の1.8%で約7000人(不明分を含めても最大で4.9%約20000人)、そのうち強制徴用者は245名だけという解釈をしているけど、これは126-2-6と1965年の日韓基本条約に関連して定められた協定永住資格との関係、自動切替じゃなくて申請許可だったっていうファクトが欠落しているの」 「重要なファクトが欠落してると、正しい思考回路の持ち主でも間違った解を出してしまうって好例だね」 「そうだろうねぇ。こういった経緯に対する知識が欠落してて、戦前からの在住者及びその子孫はずっと法律126-2-6資格者だと考えてると、それ以外の在留資格者は法的根拠に瑕疵があるって結論になっても仕方ない、むしろ論理的展開としては妥当なものになるんだよねぇ…それにね、『アボジ聞かせてあの日のことを』p18の書き方も悪いんだよ。「在留資格は、日韓法的地位協定(1965)による協定永住権を取得している人が一番多く、9割近い。(中略)「法律126-26」に該当する人(戦前からひき続き1952年4月28日まで日本に在住した者とその子で、この時までに日本で生まれた者)は1.8%にすぎない」なんて書くんだもん」
「あー、これは誤解してもしゃぁない書き方やわ」 「『アボジ聞かせてあの日のことを』の元データとなったのは、1910年から1945年8月15日までの間に満12歳以上で渡来した在日一世を対象にしたアンケート調査なんだけど、そのアンケートが実施された1982年10月25日~1983年1月15日と編集出版された1988年当時は、協定永住者・法律126-2-6・4-1-16-2資格者が混在している時代だったんだよ。それなのに、協定永住と法律126-2-6や4-16-2の関係もきちんと書いてないしねぇ。入国管理局の出している『在留外国人統計』を見ていくと、協定永住者・126-2-6・4-1-16-2資格者の変遷はこんな感じなの」
調査年度 登録総数 在留資格 126-2-6 4-1-16-2 協定永住 特定永住 1959(昭和34)年 607,533 507,634 89,195 1964(昭和39)年 578,572 422,368 136,815 1969(昭和44)年 603,712 324,968 156,237 100,297 1974(昭和49)年 638,806 149,076 121,217 342,366 1984(昭和59)年 687,135 39,483 16,067 350,067 1986(昭和61)年 677,959 18,884 2,424 341,016 1988(昭和63)年 677,140 17,541 2,207 328,934 1990(平成2)年 687,940 17,424 2,125 323,197 1992(平成4)年 688,144 585,170
「あ、4-1-16-3資格者と出入国管理令第4条第1項第14号「本邦で永住しようとする者」に基づく4-1-14資格者、その他の資格による韓国・朝鮮人の数は省いてあるから注意してね。それと『在留外国人統計』の昭和44年版・49年版の実物を見ると、在留資格欄に「不詳」っていうのがあるんだけど、これは登録写票の該当欄に記載がない者であって実質的に126-2-6該当者を指すっていう欄外注釈があるから注意してね」 「不詳やから正当な在住権利資格のないもんや!って早合点しそうな人多いやろなぁw ま、そんな連中はそもそもこういう史料現物を調べたりせえへんかw」 「126-2-6・4-1-16-2資格者がどんどん減っていって、協定永住が増えていってるね。資格切り替えや死亡による減少が主因だろうけど」 「この変化を見るだけでも、「戦前からの在住者及びその子孫はずっと126-2-6資格者に限定される」いう解釈に疑問を持つと思うんやけどねぇ。正味の話」 「うーん…それ以前に、126-2-6の条文を理解把握していないか、そもそも条文自体を読んでないのかもしれない…あと、『アボジ聞かせてあの日のことを』はアンケート結果を集計したものだから、そこから割り出せる人数は所詮精度の高くない概算でしかないんだし、直接、在留資格別人数の正確な数値のある『在留外国人統計』にあたらないってのもどうかと思うんだけど、これは少し厳しい見方になるかな」 「そうだね。条文をちゃんと読んでいれば、1952年4月28日以降に生まれた戦前からの在住者の子孫はどうなるのか?とか、協定永住者資格の定義運用ってどうなってるの?って疑問を持って調べていくようになると思うんだけどね…」 「126-2-6とかの基本的用語の説明すらしていない書籍が多いんだし、法律や統計を自分で調べるのがいちばん確実なんだよね」 「そやけど現実にはやな、2ちゃんのまとめサイト を見ると、まだ学習してへんというか、作者の言うたことを何一つ受け入れもしてへんどころか、理解すらもしてへんみたいやねん」 「…あーあ、せっかく、最大限に好意的にとって「ファクトが欠落しているだけ」だと考えてあげたのにダメだったみたいだネェ…もう、悪魔らしいやり方で話を聞いてもらうしかないのかな」 「ちゅうか、もう話を聞いてもらう必要もあらへんって思っとるやろ、この作者w」 「…ねぇ、少し頭冷やして一次史料読んでみようか…」戦後の日本在留朝鮮人(1) 戦後の日本在留朝鮮人(2)