写経屋の覚書-フェイト「今回はどうするの?」

写経屋の覚書-なのは「私立学校に関する史料の整理中に見つけて気になったことを取り上げるんだけど…まずその史料、1909(隆煕3・明治43)年10月6日付の憲兵報告『憲機第1949号』をあげるね」

憲機第1949号 排日派李東暉の私立学校巡徊演説要旨報告件(十月六日附元山内報)

     京城 李東暉 四十四年
 右者排日派にして各地方の私立学校を巡視し排日を鼓吹する者なる由なるか近来財産を失ひ衣食に窮したる為め今回在城津某宣教師の聘に応し同地に赴く途中客月二十七日顕益丸にて元山に来り本月五日迄滞在同日出帆の俊昌号にて城津に向けけ出発せり依て其滞在中に於ける行動に注意したるに韓人の有力者及私立学校教師等と往復したる外別に過激なる行動を認めすと雖とも本月二日元山里倉前洞耶蘇学校に於て左記要旨の演説をなしたり
 而して該演説を聴く為めに集りたるものは各耶蘇学校生徒約三百名耶蘇信者百名(内女約五十名)にして該演説は聴衆一般に感動を与へたる状ありたり
   左記(演説要領)
 我韓国は今日に至る迄未開国てありて諸外国と対等の交際をなす能はさるは勿論他国の保護に依らされは一国を支ふる能はさるの窮境に陥りたるは誠に残念否な憫然てありませんか之れは我国民の凡てか文明を見習はんとするの感念なく唯た旧慣のみ保守せは足れりとし夫れを甘して居るからてあります現に教育の如きは如何試みに見よ今尚旧慣に依り多くは漢字を学ひつゝあるに非らすや又就学者を見るに如何之れも実に少数なものてあります田舎に行かは全く西も東も又は自己の姓名をも書き得ぬものか多ひのてあります故に文明の域に進むのは甚た遅々てあります否進まぬのてあります我々の如きも四、五年以前迄は頑迷て我国の事は何んても善しと思ふて決して他国の風習を見習はす事に努めしか今となりて大なる者違ひなる事を自覚し後悔に堪へぬ次第てあります故に我国も今後諸氏と共に相一致して英国や米国其他の文明国を師とし善を取り悪を避け開明の域に進まねはなりませぬ
 就ては第一教育の如きもも独り漢学のみに止めす数学、語学、政事、財政、博物、修身其他凡ての学問を子弟や後進会を教育しなけれはなりません斯くするときは後には英国其他文明国と肩を並へて交際する事か出来ます元来何事をなすにも十人か十人各個別にして相一致せさるときは成(ママ)は臨む事は出来す故に協同一致と云ふ事は尤も大事であるから何卒一致して国家の為めに勉励せられん事を望む(中間欠文)
 李東暉は咸鏡南道端川産にして現に西北学会々員たり元陸軍参領なり目下は基督教に身を置き教育家を以て自任し時に田舎に出張演説す排日的の似而非慷慨家なり(本部主任附記)

写経屋の覚書-はやて「李東暉いう人の活動の話やな。どんな人なんかな?元陸軍参領ちゅうたら陸軍少佐に相当するんやろけど……」

写経屋の覚書-フェイト「困った時は獄長日記に立ち戻って検索っと…あ、このエントリーがヒットしたよ」

三派合同(九)

一.在上海閔泳翊、在浦鹽李相卨(咼の上にト)、李範晋等は、安重根の弁護費用として上海、浦鹽在留韓人より義捐金を募集しつつありとの説あり。
又間島に在る李範允も、目下咸鏡北道に滞在せる李東暉をして、安重根の為めに義捐金を募集せしめつつありと云ふものあり。
尚ほ内偵中。

写経屋の覚書-はやて「あれ?これだけかいな?一緒に出てくる人名を見たら、独立運動とか上海臨時政府の関係者なんかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。それっぽいんだよね。というわけで、フェイトちゃん、ウィキペディア程度でいいから検索してみて」

写経屋の覚書-フェイト「う、うん…あれ?ウィキペディアの大韓民国臨時政府の項目だと、李東暉じゃなくて李東輝って人が出てきたよ」

1919年6月、内務総長に安昌浩が着任し、連通制(朝鮮内地との秘密連絡網)の組織化や機関紙『独立新聞』の発行、各種の宣伝活動が展開された。しかし、臨時政府はシベリア派と上海派の対立、安昌浩等の「民力養成論」派と李東輝等の「即戦即決論」派の対立、さらに李承晩と安昌浩の対立など、指導者間の対立によって混乱し、1923年の国民代表会議の決裂以降は急速に勢力が弱まった。1925年の李承晩臨時政府大統領の弾劾以降、金九が指導者の地位に就く。金九は1932年、相次ぐ抗日武装闘争を実行し、1933年には蒋介石と対日戦線協力で合意した。

写経屋の覚書-はやて「ほんなら、獄長日記を『李東輝』で検索してみよか…あった、あったで」

梁起鐸事件(一)

義捐金の募集状況は、申報にて順次広報されていたが、そのうちに、梁起鐸が国債報償金を使い込んだ形跡があるので、取調べしてくれと言う者が少なくない数出てきた。
後の調査報告には、李東輝・鄭永沢・李星鎬の三名が連署し、内部大臣に調査を請願した事が記されている。
もしこれが本当だとすれば、身内からの告発という事になるであろう。

写経屋の覚書-フェイト「でも、李東暉と李東輝って同じ人なのかな?別人なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「今回はここまでにして、それへの解答は次回にするね」