写経屋の覚書-フェイト「今回は朝日記事の国民徴用令の箇所についてだったね」

写経屋の覚書-はやて「たしか『国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関―釜山間の運航が止るまでのわずか七カ月間であった』ってとこやな」

写経屋の覚書-なのは「うん。朝鮮に対する国民徴用令の適用時期の話としてよく出てくる箇所なんだよね。実は国民徴用令が1939(昭和14)年7月15日から内地に施行されたのは事実だけど、朝鮮・台湾等についても同じ年の10月1日から施行されてるの」

写経屋の覚書-国民徴用令_施行時期

写経屋の覚書-フェイト「え?1944(昭和19)年9月じゃないの?」

写経屋の覚書-なのは「うん。正確に言うと、1939年10月1日に施行されたけど、実際にそれを適用して一般民間人を徴用して内地に送り出すようになったのは1944年9月以降ってことなの」

写経屋の覚書-はやて「あ、そやから記事では「朝鮮への適用はさしひかえ」って表現になっとるんやろね」

写経屋の覚書-なのは「多分ね。おそらく記者は正確に把握して書いているんだろうけど、前後で「施行」じゃなくて「実施」って表現を使っているからややこしくなってると思うんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「「実施」だと「国民徴用令に基づく徴用の実施」じゃなくて「国民徴用令そのものの施行」と誤解しそうだよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。きちんと書くなら『国民徴用令は昭和十四年十一月に朝鮮に施行されたが、その適用による徴用実施は昭和十九年九月からであり、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関―釜山間の運航が止るまでのわずか七カ月間であった』ってところだね」

写経屋の覚書-はやて「そやけど、記事を読むほうがそこまで読みとれへんかったり、背景の知識がないために「1944年まで朝鮮に対しては国民徴用令は実施されなかった」なんて早合点する人も出るんやろね」

写経屋の覚書-なのは「そうだろうね。それともっと正確に言うと、1944年9月まで差し控えられていたのは『国民徴用令を適用して、一般民間朝鮮人を内地の工場等に徴用すること』なんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「え?どういうこと?」

写経屋の覚書-なのは「軍そのものに直接関係する徴用は1939年から実施されてるし、一般民間人じゃなくて工場等勤務者を朝鮮内の工場等へ徴用することは1944(昭和19)年2月から、一般民間人を朝鮮内の工場等へ徴用するのは8月から開始してるんだよ」

写経屋の覚書-議会説明資料_徴用

(一)現員徴用
重要工場鉱山の一般徴用実施の前提措置たらしむる目的と併せて労務移動防止を期する為本年二月以降鮮内重要工場事業場の現員徴用を実施したるが(後略)
(二)一般徴用
一般徴用は従来に於ては軍要員のみに付発動し来り、其の数十月末現在に於て三一、七八三名に達したるが民間要員に付ては本年八月鮮内鉱山二ヶ所に対し一、二〇〇名の徴用を実施したるを初めとし十月末現在に於ては一〇工場二、五二〇人、一五鉱山七、六〇〇人に達し尚今後順次他の鮮内工場鉱山に対しても徴用を実施する方針なり而して近時内地労務需要急を告ぐるに至りたるを以て内地送出労務者に付ても可及的徴用に依ることに内地側と協議調ひ其の第一として九月以降海軍艦政本部所管海軍管理造船工場二十一箇所の所要員数三九、五〇〇名の徴用を行ひたるを初めとし工場石炭山、金属業等の要員に付ては原則として徴用に依る方針の下に取進め居れり

問答式 第八六回(昭和十九年十二月)帝国議会説明資料 鉱工局、逓信局、交通局
*『朝鮮総督府 帝国議会説明資料』(不二出版 1994)第10巻所収

写経屋の覚書-坪江_徴用18
写経屋の覚書-坪江_徴用19

四.国民徴用令による動員
 日本において国民徴用令が発動されたのは、昭和十四年であり、朝鮮でも仝年十一月一日(ママ)から施行されていたが、それはただ軍用員関係にだけ適用するに止まっていた。
 戦争の最終段階にいたるとともに、日本における朝鮮人労務者の需要はますますつよくなった。昭和十八年末までにはすでに四十万を越える人員が動員されていたが、仝十九年度にはさらに二十九万名が要望され、さらに十万名の追加要求があつた。このほか朝鮮内の労務動員計画をふくめると、合計百二十四万の労務者を必要としており、以上の要求を満たすためには従来のような「斡旋」などのなまぬるい方法では円満な遂行はとうてい不可能であつた。
 そこで総督府は昭和十九年二月に、朝鮮内重要工場事業場の現員徴用をおこない、また従来軍用員のみにおこなつていた一般徴用を、八月以後鮮内鉱山工場に実施し始めたが、仝九月以降は日本おくり出しの労務者も土建関係をのぞき一般徴用によることとなつた。そして第一回として、海軍艦政本部所管海軍管理造船工場二十一ヶ所に三九、五〇〇名の動員がおこなわれたのをはじめ、各工場、炭坑、金属などに陸続として送りこまれた。ただし総督府としては労務管理の悪いところへは、徴用令によることをさける方針をとつた。
(中略)
 戦局の不利は日本の都市の爆撃の激化となり、在日朝鮮人で空襲のない朝鮮へ疎開するものも多くなつたが、二十年三月には関釜連絡船も就航できなくなり、国民徴用令による日本への労務動員も、その以降はまつたく不可能な段階になつていた。

坪江汕二『在日本朝鮮人の概況』(厳南堂 1965)p18~19


写経屋の覚書-はやて「徴用いうても、きちんと見ていくと細分化されとるんやなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。だから厳密に言うと、国民徴用令自体は1939年から朝鮮に施行されていて軍属は徴用されているし、1944年9月以前にも一般民間人の徴用はあったってことなんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「そうなんだ…「徴用」の定義を一般民間人の内地工場等への動員に限定するなら、世間に流布している解釈で妥当だし、この朝日記事も間違ってはいないってことだね」

写経屋の覚書-はやて「ああなるほど。一般人を狩り集めて内地の工場や炭鉱に送り込む『強制連行』のイメージが頭にあるせいで、無意識のうちにその定義に限定してもおとるんかもしれへんね。肯定派否定派関係なく」

写経屋の覚書-なのは「そうかもしれないね。じゃ次の箇所に行くね」

一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配船、個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計約六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。

写経屋の覚書-はやて「終戦後の計画送還については作者のHPの『戦後朝鮮人の送還について』で見たとおりやしな」

写経屋の覚書-なのは「『History of the nonmilitary activities of the occupation of Japan 1945-1951 vol.16 Treatment of Foreign Nationals』によると、1945(昭和20)年9月から46(昭和21)年3月までの送還者は815,851人、森田芳夫『在日朝鮮人処遇の推移と現状』(法務研究所 1955 復刊:湖北社 1975)によると1945(昭和20)年8月から46(昭和21)年3月までの送還者は940,438人だけど、これらは自力で帰還した人数は入ってないよ」

写経屋の覚書-フェイト「「政府の配船」での送還だね。自力帰還が「個別引揚げ」になるんだね。そっちのほうは?」

写経屋の覚書-なのは「事情が事情だけに正確な統計は不可能なんだけど、梁永厚『大阪府朝鮮人登録条令制定の顛末について』(「在日朝鮮人史研究」第16号所収)では、日本政府発表・厚生省引揚援護局統計として両者の総計を約130万としてる、つまり個別引揚は40万から50万って見積もる統計はあるんだよね」

写経屋の覚書-はやて「うーん、元ネタが確認取れてへんし、鵜呑みにはでけへんよね」

写経屋の覚書-なのは「でも、終戦当時の在留朝鮮人約200万から46年3月時点の在留者646,711人を引くと約130万になるから根拠のない数字とは言えないし、一応信用していいかなとは思うんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「646,711人?46年3月からの計画送還の希望調査に出てきた在留朝鮮人総数だね」

写経屋の覚書-なのは「うん。北部朝鮮への送還者350人っていうのは、『戦後朝鮮人の送還について6』で見たように正確には351人なんだけど、これも妥当だね」

写経屋の覚書-はやて「そやね。あと245人の話は、徴用で内地に来た応徴者で戦後残留した人が何人かおったけど、その人らは59年時点で245人しかおらへんってことやったね」

写経屋の覚書-なのは「そういうことだね。応徴者は終戦直後の送還でほとんどが帰還してるし、それに参加しないで日本在留を選択した人も何人かはいるけど、46年3月~12月の計画送還と47年1月以降の個別送還で帰還したり死亡してその人数は漸減して、59年時点では245人しかいないってことなんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「ってことで、朝日記事はほぼ妥当な認識を示していると考えていいんだね」

写経屋の覚書-はやて「ま、朝日の依拠した外務省発表が妥当ってことやねんけどねw」

写経屋の覚書-なのは「じゃ、今回はここまでにして、次回からは日本在留を選択した朝鮮人の地位取扱などについて見ていくよ」

戦後の日本在留朝鮮人(1)