写経屋の覚書-なのは「今回はちょっと軽いのというか、ほったらかしにしてたネタを取り上げるよ。フェイトちゃんとはやてちゃんは閔妃って知ってる?」

写経屋の覚書-フェイト「高宗の王妃だった人だよね?」

写経屋の覚書-はやて「舅の大院君との権力闘争しまくって朝鮮滅亡の一因になったいうことで毒婦扱いされることもあるやんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。行状については措くとして、その閔妃の呼び名で『国母』っていうのがあるのは知ってるかな?」

写経屋の覚書-フェイト「うん。角田房子の『閔妃暗殺 朝鮮王朝末期の国母』いう小説もあったしね。それで、その『国母』がどうしたの?」

写経屋の覚書-なのは「ネット上で『閔妃が国母?国内をぼろぼろにしたヤツのどこが国母なんだ』っていう言説をたまに見かけるんだけどね…」

写経屋の覚書-はやて「あー、自分の勢力を保つために外国を引き入れたり、国内の利権を外国に売り渡し、病弱な王子の祈祷に大金をつぎ込んだとかいう話やな」

写経屋の覚書-なのは「うん…だけどね、そもそも『国母』っていったいどういうものなのかってことについて、日本人・韓国人双方から触れたり説明したりする言説を見たことが無いんだよねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「えっ?誰も国母の定義について触れてないの?」

写経屋の覚書-なのは「少なくとも作者は見たことがないよ。さっき言ったネット上言説では国母に尊敬や崇拝の意味がこめられているような理解をしてるようだけど…中国・日本の例(日本の場合は天皇の生母を指す)は省いて、朝鮮について見てみるね。最初は『宣祖実録』を見てみるよ」

写経屋の覚書-はやて「HPの三田渡への道の最初のほうでも出てきたところやね」

写経屋の覚書-なのは「そうだよ。西暦1600年、宣祖の王妃朴氏が死去したの。のちに「懿仁王后」という諡号を受ける人なんだけどね」

宣祖実録 宣祖33(1600)年6月27日
申時中宮朴氏薨

写経屋の覚書-フェイト「中宮?韓国ドラマだと『中殿媽々』って呼ばれるよね?」

写経屋の覚書-なのは「ああ、あれはね、史料に記録する公的なものじゃなくて、口語表現みたいなものなんだよ。中国で宦官が皇帝を『皇爺』って呼んだり、女官が天皇を『お上』と呼ぶのと似たようなものなの。で、朝鮮に滞在中だった明の将軍李承勛が弔問に訪れるの」

宣祖実録 宣祖33(1600)年7月3日
李提督承勛来弔而白衣烏黒帯提督曰早擬進弔而未果今始来拜未安上曰不穀不幸遭此迫切之喪痛苦不堪大人爲小邦下喪降屈陋地不勝感激提督曰国母有旧恙而専未聞知久闕一候昇遐之後始得知之失礼甚矣

写経屋の覚書-はやて「んーと、『国母に昔からの病気(旧恙)があるなんてずっと知らなかった。お亡くなりになってから初めて知るなんて失礼極まりない』って挨拶しとるんかな」

写経屋の覚書-なのは「うん。国母ってのは王妃朴氏のことだよ。つまり国母は固有名詞ではなく王妃の意味で使われているんだ。次は閔妃について見てみるよ」

高宗実録 高宗33(1896・建陽1)年2月29日
二十九日前司果沈相禧等疏略臣等不死於国家禍変之日待罪草野一縷尚存者上報国母之讎下済生霊之困敢出万死之計欲報国恩之万一

写経屋の覚書-なのは「以前に司果という役職にいた沈相禧たちの上疏文なんだけどね、『上は国母の仇を討ち、下は人民の困難を救う』ってあるよね。ここでいう国母は当然閔妃だよ」

写経屋の覚書-フェイト「でも、閔妃の復讐を狙う人たちが、閔妃を敬愛して尊称してるんだと言えるんじゃないの?」

写経屋の覚書-なのは「なるほどね。でも、あの一進会ですら国母と称しているんだよね」

純宗実録 純宗2(1909・隆熙3)年12月4日
一進会長李容九称以百万会員連名日韓合邦声明書発表於中外
(中略)
仍呈上疏其文曰(中略)日本天皇陛下之寬仁大度不我声討而兄第撫我而我不唯毎事自失信宝蔑棄太祖高皇帝之聖訓独恃其外交之詭変雖欲不拠于蒺藜其可得哉故致国母之変山河含憤抑亦誰之故也乎或不国其国而播遷俄館于租界或宣言中立而喜外交之巧妙故日俄約和先定我所服属而我之見剝外交権抑亦誰之故也乎

写経屋の覚書-はやて「『国母の変事があり世間は憤ったが、そもそもこれって誰のせいなん?』って言うとんのかな。ほんで『日本の天皇陛下の寛大さと大きい度量に対して信義を失い、太祖李成桂の訓戒を無視して外交の詭弁のみを信じる我らのせいなんや』って言うとるね」

写経屋の覚書-なのは「李容九・一進会が閔妃を敬愛していたのかな?上疏文だから礼に則った呼称を用いているわけだよね」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、国母って閔妃だけを指すんじゃなくて、国主(王・皇帝)の正妻(王妃・皇后)に対する呼称ってこと?」

写経屋の覚書-なのは「うん。国母は敬称だけど、それ自体に特別な敬愛の念などの意味は込められていないと考えるのが妥当だよね」

写経屋の覚書-はやて「ってことは、『悪事を働いたから国母にふさわしくない』とか『国母と呼ばれ国民から敬愛された』って論理はまちがいっちゅうことになるんやね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。閔妃を国母と呼ぶこと自体は不当じゃないんだけど、李朝史上、国母と呼ばれる女性はいっぱいいるわけで、閔妃は「one of them」に過ぎないんだよ。だから、無条件で『国母=閔妃』って認識は不当だし、歴史用語としては使用しないほうが妥当ってことなの」

写経屋の覚書-はやて「太閤さん言うたら一般的には豊臣秀吉やけど、本来は関白を子に譲った人のことで、厳密に言うたらぎょうさんおるから、歴史を論じる場合は無条件で「太閤=秀吉」いうのはちょっとどうかなぁいうんと似とるなぁ。まぁ太閤検地とか太閤蔵入地いう用語はあるけど」

写経屋の覚書-フェイト「歴史的に大阪人が太閤さんって言って親しむけど、秀吉だから親しみの意がこめられているわけで、太閤という呼称自体に特別な敬愛の意があるというわけじゃないしね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね…このネタは、KJCLUBで、きちんと閔妃について調べず、国母という呼称自体に対しても何も考察せずに言説を垂れ流していたバカな日本人を皮肉る意味でスレ立てしたものなんだけどねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「そのdisっとる相手からまじめにお礼言われるっちゅうニガワラなことになったんやねw」

写経屋の覚書-フェイト「で、そのままほったらかしにしてて、場つなぎというか穴埋め用に持ってきたんだねw」

写経屋の覚書-なのは「そういうことw」