今年もまたこの時期が巡ってきた。

 

大学4年生が取り組んできた日本語教育実習が終わり、実習生たちの書いた実習報告を読んで、感動して、勝手に震える季節。

 

毎年、実習準備を始める10月頃に教育理念(「私にとって教育とは」)を書かせ、教壇実習がすべて終わった4月末に改めて同じ作文を書かせることにしている。10月の作文には、単なる理想論を語っているような(時にはネットかどこかから探してきたような)表面的な言葉が並んでいる。それが4月になると、経験に裏打ちされた「自分のことば」に変わっている。語られているのは、実習中の迷いや葛藤、苦悩であり、試行錯誤のプロセスであり、困難を乗り越えた時の喜びだ。

 

実は学生たちのこういう思いは、教壇実習を観察しているだけではわからないことも多い(私の観察眼が良くないだけかもしれない)。飄々としているように見えた学生が実は子供との距離感に悩んでいたり、楽しそうに子供たちと過ごしていた学生が実はクラスのペースを乱す子供に心を砕いていたりする。

 

そうかと思うと、準備はサボりがちだった学生が教壇では一番教えるセンスが光っていたり、準備や模擬授業ではほとんど何も発言しなかった学生が実習が始まると途端に中学生の人気者になったりする。今年、子供たちとの関係づくりに悩んでいた学生を救ったのは、そんな(授業中は一番わかっていなそうな)学生の一言だったそうだ(それも作文に書いてあった)。

 

日本語の教室の中で見えている学生の姿なんて、その人のほんの一面なのだと、特に日本語能力だけで学生を判断してはいけないと、毎年この時期、実習報告を読みながら自分を戒める。

 

あと1ヶ月もすれば、鳳凰木の花が咲き始める。今年も4年生が旅立つ季節が近づいてきた。

 

【小学校での実習風景】