中国人民解放軍は2015年の軍制改革で新設したサイバー・宇宙担当の戦略支援部隊を分割し、「情報支援部隊」などを設立した。組織再編の目玉だった戦略支援部隊はわずか8年余りで解体。さまざまな軍事技術を担う寄せ集めの大部隊はまともに機能しなかったようで、中央軍事委員会主席を兼ねる習近平国家主席が力を入れた改革は失敗したことになる。

 

■情報・宇宙・サイバーが独立

 

 情報支援部隊の設立大会が4月19日、北京で開かれ、習主席や軍制服組の主要指導者が出席した。公式報道によると、大会で習主席は同部隊について「全く新しくつくり上げる戦略的兵種であり、サイバー情報体系の建設・運用を統括する要の支柱だ」と強調。情報リンクを整備し、情報防護を強化して、全軍の合同作戦体系に深く入り、正確で効率の高い情報支援を実施して、各方向・各分野の軍事闘争に貢献するよう指示した。

 この報道で公表された中央軍事委の決定によると、情報支援部隊は中央軍事委が直接指導・指揮する。戦略支援部隊は廃止され、その一部だった軍事宇宙部隊とサイバー空間部隊の指導管理関係を相応に調整する。

 同じ日に記者会見した国防省報道官の説明では、今回の改革後、解放軍は陸海空軍・ロケット軍(ミサイル部隊)という四つの軍種および軍事宇宙部隊・サイバー空間部隊・情報支援部隊・聯勤保障部隊(後方支援部隊)という四つの新型軍兵種で構成される。

 陸海空軍などと同格だった戦略支援部隊が解体されたため、軍種が一つ減って、4軍体制となった。新設の情報支援部隊などはそれらより格下となる。軍事宇宙部隊は宇宙戦、サイバー空間部隊はサイバー戦を担当するとみられる。いずれも設立大会は開かれなかった。

 

■「米軍より理念先行」

 

 戦略支援部隊は習主席1期目の15年12月、陸軍指導機構やロケット軍と共に設立大会が開かれ、発足した。陸軍指導機構は既存の地上部隊を統括するもので、ロケット軍は「第2砲兵」を改称した部隊。これに対して、戦略支援部隊は全く新たに設けられた。旧総参謀部の技術偵察部など多くの部署を統合したといわれる。

 習主席は大会で「戦略支援部隊は国家の安全を維持する新型作戦力であり、わが軍の新しい質の作戦能力の重要な成長ポイントだ」と述べ、強い期待を示した。翌16年8月には自ら戦略支援部隊を視察し、同部隊は「わが軍合同作戦体系の重要な支柱」だとした上で、「歴史的重責」を果たすよう求めた。

 この視察を報じた国営中央テレビは、習主席がいかに戦略支援部隊を重視しているかを強調。「米軍の戦略支援力は陸海空軍の中に分散し、経費や資源を奪い合っている。中国は世界で初めて戦略支援部隊を創設し、その理念は米軍より先行している」という軍事専門家の話を紹介。専門家はその一例として、米軍の監視衛星システム並立を挙げていた。

 分散が駄目なので、統一・集中すればよいだろうというわけだ。それにより、軍事力の質的向上を一気に進められるとの目算があったのだろう。

 

■歴代司令官は不遇

 

 戦略支援部隊がこれだけ重視されるのならば、その司令官も人事面で厚遇されると思われたが、実際は逆だった。

 高津初代司令官は就任時56歳で、このクラスの軍高官としてはかなり若かった。しかし、その後、中央軍事委後勤保障部(後方支援部門)の部長に異動。22年の第20回共産党大会で党中央委員に再選されず、第一線を退いた。

 2代目の李鳳彪司令官は西部戦区政治委員に転じた。形式上は横滑りながら、中央から地方への転勤。しかも、それまで指揮官を歴任していたのに、畑違いの政治委員となった。

 3代目の巨乾生司令官は昨年夏ごろから失脚説が流れた。今年1月、全国人民代表大会(全人代)代表(国会議員)としての活動が中国メディアで報じられ、失脚していないことが確認されたものの、情報支援部隊の初代司令官には起用されなかった。1月の活動は軍の元高官が参加する座談会だったので、この時点で既に戦略支援部隊司令官を退任していた可能性が大きい。

 以上のような歴代司令官の処遇から、習主席は戦略支援部隊の活動ぶりに不満だったことが想像できる。習主席には、自分や党中央への忠誠心が足りないと見えたのだろう。そのためか、習主席は情報支援部隊の設立大会で「党の軍隊に対する絶対的指導」や「絶対的忠誠、絶対的(政治面の)純潔、絶対的信頼」の重要性を強調した。

 巨氏の失脚説が広がってから、戦略支援部隊の解体説も流れていた。「無関係の部門が集まった部隊で、司令部はお飾りになっている」(香港紙・明報)というのが理由。人工衛星発射基地、サイバー戦基地、通信基地などを単純にまとめて、一つの大部隊にした結果、統制が困難になってしまったとみられる。

 このような状況は部隊のガバナンスを弱め、汚職を悪化させる恐れもある。実際に、軍内の反腐敗闘争では戦略支援部隊の関係者も対象になっている。

 経済・社会に大打撃を与えたゼロコロナのように、習主席の政策は現実よりも政治的理念や理想が先行して混乱を招くことが多い。戦略支援部隊の解体は軍人の無能や怠慢ではなく、習近平路線自体の失敗と言うべきだろう。(2024年4月26日)

1日 空母「福建」、初の試験航海◇米政府─ロシア軍需産業支援で中国企業など制裁

5日★習主席、仏・セルビア・ハンガリー訪問(~10日)◇星島─習夫人、軍事委の要職に

8日 香港高裁、「香港に栄光あれ」の演奏禁止

10日 中国外為管理局─1~3月期の対中投資、前年同期比6割減

13日 中韓外相会談

14日★米、中国製のEV・半導体・鉄鋼などに対する制裁関税の大幅引き上げ発表◇米中、初のAI対話◇道新─長春市法院、反スパイ法違反の罪で元北海道教育大教授に懲役6年(1月31日付)

15日 台北市長来日

16日★ロシア大統領訪中(~17日)

18日★中央規律委─唐仁健農相を調査

20日★台湾の頼清徳総統就任

23日★中国軍、台湾周辺で演習(~24日)

26日★日中首脳会談◇★中韓首脳会談

27日★日中韓首脳会談

29日 岸田首相、中国中連部長と会談

30日 中国筆頭外務次官訪米(~6月2日)◇★香港民主派14人、国安法違反で有罪─2人無罪

31日★米中国防相会談

 

 中国でこのところ、「琉球」(沖縄)に対する日本の領有権を疑問視し、中国との歴史的関係の深さを強調する主張が目立つ。共産党政権の公式シンクタンクに所属する専門家が相次いで論文を発表。「琉球独立」をあおるかのようなキャンペーンを展開している。

 

■公式研究機関の論文相次ぐ

 

 中国歴史研究院は3月下旬、SNSを通じて、琉球に関する論文3本を紹介した。いずれも、同研究院が出版する「歴史評論」(隔月刊誌)の今年第1号に掲載されたもので、同国最大級の公式シンクタンクである社会科学院日本研究所の専門家が執筆。歴史研究院の別の専門誌「歴史研究」の昨年第6号、日本研究所の「日本学刊」の昨年第6号なども琉球を取り上げ、今年2~3月にSNSに転載された。

 歴史研究院は習近平国家主席2期目の2019年成立。社会科学院に属するが、院長は閣僚級で格が高く、中国における歴史研究の最高峰と言える。

 これらの論文は以下のような見解を示した。

 一、琉球は昔から日本に属していたというのは、日本の統治を合法化するための偽の歴史だ。(江戸時代になっても)薩摩藩の琉球に対するコントロールは限定的で、琉球は中国の属国だった。

 一、琉球人は南方や大陸の影響を受けながら、独自に発展した。「日琉同祖論」は成り立たない。

 一、明は琉球への支援を通じて、東海(東シナ海)に対するコントロールを常態化していた。中国の東海に対する権利には完全な証拠がある。

 一、日本の琉球併合は近代日本軍国主義の侵略・拡張の第一歩だった。

 一、琉球諸島は「地位未定」の状態にある。カイロ宣言、ポツダム宣言などに基づく第2次世界大戦の国際秩序は、琉球を日本領として認めていない。中国を除外したサンフランシスコ講和条約体制は本質的に非合法である。

 いずれも「琉球は中国のものだ」とは言っていないが、琉球は歴史的に日本より中国との縁が深かったという主張は共通している。共産党の指導下で統一見解がまとめられていると思われる。

 

■習主席が言及、馬英九氏も

 

 中国共産党は前近代の中国が治めた、もしくは関わった地域を自分たちの縄張りと見なす傾向があるので、同党指導下の研究機関が中国・琉球関係の歴史を重視するのは不思議ではなく、公式メディアが過去に同じような見解を示したこともある。それにしても、今ここまで力を入れるのはなぜか。

 思い当たるのは習主席の「琉球」言及だ。習主席は昨年6月、古文書などを収蔵する北京の国家版本館(中央総館)と歴史研究院を視察した。党機関紙の人民日報によると、版本館の職員は明代の文書「使琉球録」(写本)を、「釣魚島」(沖縄県・尖閣諸島)が中国に属することを示す早期の史料として紹介。元福建省長の習主席は同省勤務時代を振り返り、省都の福州と琉球の交流が盛んだったことを知ったと述べ、史料の収集・整理を強化して中華文明をきちんと伝承していくよう指示した。琉球を中華文明の中に含めたようにも聞こえる。

 さらに翌7月、福建省は玉城デニー沖縄県知事の来訪を受け入れ、同省指導部トップの省党委員会書記が会談に応じるなど厚遇した。

 こうした動きを機に、シンクタンク側が党からの指示、または習主席の意向への忖度(そんたく)に基づいて、琉球関連論文の量産を始めた可能性がある。「琉球ですら日本の領土かどうか怪しいのだから、釣魚島が日本領であるわけがない」と言いたいのだろう。

 「使琉球録」という史料は中国で非常に重視されているようで、訪中した台湾の馬英九前総統が4月6日、西安(陝西省)の国家版本館を訪れた際も紹介された。馬氏は「釣魚台(台湾での呼称)は琉球に属していないことが証明された」と語った。

 また、琉球の地位未定という中国側の主張が台湾地位未定論とよく似ているのも興味深い。台湾地位未定論は台湾独立につながるので、中国共産党はこれを一貫して拒絶しているが、日本に対しては同じ理屈を使っているのだ。

 習主席が同10日、馬氏との会談でも言及したように、中国は台湾独立を「国家分裂」と見なして、絶対に容認しないと強調。ウクライナに侵攻したロシアを事実上支持しながらも、ロシアのウクライナ領土併合は明確に認めないなど、他国の分裂についても慎重な態度を取ってきたが、日本だけは例外になっている。

 以上のような中国の琉球論は現在、インターネット上で一般の人々も盛んに取り上げており、全く規制されていない。日本をけん制する愛国的言論と見なされているようだ。しかし、自国の分裂反対を日々叫びながら、隣国の分裂をあおるのは矛盾した姿勢であり、中国自身にとって危険な「火遊び」をしているように見える。(2024年4月10日)

 習近平中国国家主席の彭麗媛夫人が政治的な存在感を増している。習主席は3期目に入る際の指導部人事で非主流派を徹底的に排除したにもかかわらず、自分が抜てきした外相や国防相を更迭せざるを得なくなるなど、政局は不安定。このため、個人独裁体制を強化するため、最も信頼できる身内の要職起用を考えているではないかとの見方が出ている。

 

■異例の地方視察

 

 最近注目されたのは彭氏の地方視察。国家衛生健康委員会が3月24日、公式ウェブサイトで、彭氏が世界保健機関(WHO)結核・エイズ防止親善大使として湖南省の省都・長沙市を訪れたことを公表し、その扱いが共産党・国家機関の指導者のようだったからだ。

 彭氏はファーストレディーとして、これまでも単独でイベントに出席したり、外国要人と会見したりしてきたが、今回は何の行事も会見もない地方視察。公式発表文では、指導者の視察で使われる「調査研究」という言葉が使われた。

 また、国家疾病予防対策局長(国家衛生健康委副主任兼任)や湖南省常務副省長(副知事に相当)といった高官が同行して、それが公表されたのも珍しい。いずれも次官級の幹部なので、彭氏は閣僚級以上の待遇を受けたことになる。

 彭氏は同28日、ドイツから来た中国語合唱団と北京で会見した。ファーストレディーとして外国ゲストを歓迎したのだが、これを報じた国営通信社・新華社の記事はまず、彭氏が合唱団側から「温かい歓迎を受けた」と紹介し、指導者視察のような記述だった。

 昨年12月、李克強前首相の告別式に彭氏が習主席と共に参列した時は、李克強氏が江沢民元国家主席や李鵬元首相と異なり、習指導部の一員で、彭氏自身もよく知っていたからか、ぐらいにしか思わなかったが、今振り返ってみると、政治的プレゼンス拡大の一環だったのかもしれない。

 李鵬氏の告別式(2019年7月)は参列・花輪ともに習主席だけ、江氏の告別式(2022年12月)は習主席だけが出たが、花輪は夫婦連名になった。そして、李克強氏の告別式は夫婦で参列しており、彭氏の格が徐々に上がっているのは間違いない。

 

■毛沢東夫人の前例

 

 人民解放軍所属の大物歌手だった彭氏は習主席より9歳若い61歳。ファーストレディーになる前から、中華全国青年連合会(全国青連)副主席、中国音楽家協会副主席、解放軍総政治部歌舞団団長、解放軍芸術学院長など多くの公職を歴任し、軍内では少将クラスの高官だった。共産党系の主要団体である文学芸術界連合会(文連)副主席は今も務めている。若い頃の知名度は、習氏より彭氏の方がはるかに高かった。

 以上のような経緯から、インターネット上で在外中国人らが彭氏について「近く要職に就く」「習主席の後継者になるかもしれない」などという臆測を流布。1989年の中国民主化運動リーダーで、天安門事件後に海外へ逃れた王丹氏も、長沙を視察した彭氏の待遇は「官僚のごますり」だと指摘する一方で、台湾やシンガポールを含む華人政治文化の伝統などを理由に「彭氏後継の可能性はある」との見方を示している。

 彭氏の具体的な職務としては、党中枢の事務を取り仕切る中央弁公庁主任が挙がっている。党総書記である習氏を直接支えるポストだからだろう。今は、幹事長に当たる党中央書記局の蔡奇筆頭書記が兼務しているが、これは異例の体制で、同主任の仕事を習主席に近い誰かに任せてもおかしくはない。

 このようなうわさが広がったのは、習主席が模範とする毛沢東が文化大革命(66~76年)で江青夫人を重用した前例があるからだろう。毛と同じ個人独裁志向の左派で、自分を終身指導者とするため憲法改正まで強行したのだから、妻の大抜てきもあり得ると考える人が少なくないようだ。非主流派を排除し過ぎて、人材が足りないという事情もある。

 ただ、昔から歌手として有名だった妻を政権の宣伝戦略に利用するだけならまだしも、実際に権力を行使する要職に就けた場合、ゼロコロナなどで強まった習政権の閉鎖的な左傾イメージが決定的になり、改革・開放推進にはマイナスとなるだろう。(2024年4月1日)

1日 台湾前総統訪中(~11日)◇中仏外相会談◇RFA─元AIT幹部「6月に3中総会」

2日★米中首脳電話会談─米財務、国務長官訪中へ◇★党規律委─唐一軍・前司法相を調査◇越・ラオス・東ティモール外相訪中(~5日)

3日 米中海上軍事安全協議─2年4カ月ぶり(~4日、ハワイ)

4日★米財務長官訪中(~9日)

7日★李首相、米財務長官と会談◇日米豪比、南シナ海で海上共同訓練

8日★AUKUS─日本との協力検討◇岸田首相訪米(~14日)

9日 習主席、ロシア外相と会談

10日 習主席、台湾前総統と会談◇台湾次期行政院長に元民進党主席の卓栄泰氏◇日米首脳会談

11日★全人代委員長訪朝(~13日)◇天津市党書記、日本大使と会談◇SCMP─中国首相、6月訪豪◇★初の日米比首脳会談

12日 中国国防省─南部戦区とベトナム海軍、ホットライン開設の覚書署名

13日★独首相訪中(~16日)

16日★1~3月期中国成長率5.3%◇★中独首脳会談◇★米中国防相電話会談◇中ロ海警、初の事務レベル会議(~18日)

18日 中国外相がインドネシア・カンボジア・パプア訪問(~23日)◇グローブ・アンド・メール─中国駐カナダ大使、突然離任

19日★中国軍「情報支援部隊」設立大会─戦略支援部隊解体、宇宙・サイバー部隊独立

20日 党政法委書記訪ロ(~28日)

24日★米国務長官訪中(~26日)

26日★中国主席・外相・公安相、米国務長官と会談◇中国国防省─南部戦区と太平洋担当仏軍、海空協力対話文書に署名◇★香港紙─中国軍事委弁公庁主任が交代

29日★国家安全相、「五反闘争」呼び掛け

30日★新華社─7月に3中総会~改革深化が議題

 

 中国の習近平政権で昨年解任された前国防相や前外相がなかなか他の公職から完全に退かないという不可解な状態が続いている。習政権は粛清人事にも謎が多く、ますます不透明さを増している。

 

■議員解任されず

 

 「彼は参加できない。もう代表(議員)ではないから」。全国人民代表大会(全人代=国会)開幕前日の3月4日、全人代報道官は記者会見を終えて会場を離れようとした時、シンガポール紙・聯合早報の記者から、前国防相の李尚福上将(大将に相当)が全人代に出席するかどうか問われて、こう答えた。このやりとりは映像も公開されている。

 ところが、実際には、5~11日の全人代で代表の任免はなかった。李上将は国会議員に当たる全人代代表を続投した。報道官の勘違いだったのか、代表としての活動を事実上許されなくなったという意味だったのかは分からない。

 李上将は、2022年秋から昨年春にかけて決まった習政権3期目の指導部人事で軍装備発展部長から国防相などに抜てきされ。軍人のナンバー3となったが、昨年10月の全人代常務委で国防相、国務委員(上級閣僚)、国家中央軍事委員を解任された。汚職の疑いを掛けられたとみられる。

 その時点で李上将はまだ、共産党中央委員、党中央軍事委員、全人代代表のポストを維持していた。軍を指導する中央軍事委は党と国家の二つの看板を掲げているが、後者は対外向けの名前で、実質的には党の機関である。

 

■上機嫌の軍人トップ

 

 一部の中国メディアは今年2月26日、国防省公式サイトの党中央軍事委員会名簿から李上将の名前が消えたと報道。ただ、党中央軍事委員の人事を決める党中央委員会はなぜか、昨年秋以降、恒例の総会を開いておらず、李上将が党中央軍事委員を解任されたという発表はない。党中央委総会が開かれないため、李上将は官僚にとって最も重要な党中央委員のポストも保っている。

 中国では普通、失脚した高官は短期間で公職をすべて解かれるので、李上将のようなケースは異例だ。政権上層部で処分決定に時間がかかっているのかもしれない。中国の「反腐敗」は権力闘争であり、要人の処分は有力者たちの力関係や思惑で決まるからだ。

 同じ軍装備発展部長の経験者で李上将の兄貴分である中央軍事委の張又侠筆頭副主席(制服組トップ)は普段、仏頂面だが、国営テレビで報じられた全人代解放軍代表団の全体会議(3月7日)では、珍しく笑顔で習近平国家主席(中央軍事委主席)と共に会場入りした。こういう場面では、他の指導者は先頭を歩く習主席に遠慮して、距離を空けて入場するのに、張副主席は関係の近さをアピールするかのように習主席の間近を歩いていた。

 この全人代では、弾道ミサイルなどを扱うロケット軍の政治委員を昨年7月に更迭された徐忠波上将と公式行事欠席が続いていた戦略支援部隊司令官の巨乾生上将が出席して、政治的に健在であることが確認された。昨年12月に全人代代表も解任されたロケット軍の前司令官と異なり、徐上将は同軍内の何かの不祥事について監督責任を問われたが、本人に不正はなかったと見なされたと思われる。

 

■新たな権力闘争か

 

 解任時に不倫疑惑で話題になった秦剛前外相も、党中央委員を続けており、形式上はまだ完全に失脚していない。

 22年秋の時点で駐米大使(次官級)だった秦氏は昨年春までに党中央委員、外相、国務委員に大抜てきされた。3期目に入った習政権で国防相と並ぶ目玉人事だったが、7月に外相、10月に国務委員を更迭された。この二つのポストをなぜ同時に解任しなかったのかは不明だ。

 今年2月27日には全人代代表の資格も失った。ただ、解任ではなく、「辞職を承認された」という発表だった。重大な不正があった高官は全人代代表を解任される。秦氏は何らかの問題があったものの、それほど深刻なことではなかったという意味なのか。外相という要職を更迭されたのに、不思議なことだ。

 そもそも、李上将も秦氏も、習主席が取り立てた幹部。いずれ政権指導部の党政治局入りする可能性もあった。一党独裁体制の中国では、党のトップが本当に必要とする人材であれば、汚職や私生活の不祥事で失脚することはあり得ない。

 また、国防相人事は後任決定に2カ月もかかり、外相は党中央で外交を担当する王毅政治局員(前外相)が兼務する変則的状態が続いており、習主席が一連の粛清人事を自由自在に断行しているようには見えない。政権中枢から非主流派を追い出して、権力を独占した習近平派だが、「反腐敗」を口実に派内で新たな権力闘争が進行しているのかもしれない。(2024年3月17日)

 中国の習近平国家主席(中央軍事委員会主席)は、軍事力強化で海洋、宇宙、サイバー空間に重点を置く方針を示した。全国人民代表大会(全人代=国会)の解放軍代表団に対し、「新興領域戦略能力」の全面的向上を求めた演説で述べたもので、独自のイノベーションに基づく「新たな質の生産力」と「新たな質の戦闘力」の融合を進めるよう指示している。

 

■「海上軍事闘争」に備える

 

 習主席は3月7日、全人代解放軍代表団の全体会議に出席し、以下のように演説した。

 一、新興領域戦略能力は国家戦略体系・能力の重要な構成部分であり、わが国経済・社会の質の高い発展に関わり、国家安全保障と軍事闘争の主導性に関わり、中国式現代化によって強国建設と民族復興の偉業を全面的に推進することに対して重要な意義を持つ。

 一、第20回共産党大会(2022年)の後、党中央は新たな質の発展加速を明確に提起したが、これは新興領域戦略能力の向上に得難いチャンスをもたらした。勢いに乗って、新たな質の生産力と新たな質の戦闘力の効果が高い融合と相互けん引を進めなくてはならない。

 一、発展の重点をはっきりさせ、新興領域戦略能力の向上に関する戦略と計画をしっかりと実行する必要がある。(具体的には)海上軍事闘争の準備、海洋権益の維持、海洋経済の発展を統一的に計画する。宇宙の布陣を最適化し、わが国の宇宙体系建設を進める。サイバー空間防御体系を構築し、国家のサイバーセキュリティー維持能力を高める。

 また、習主席は「新興領域の発展は根本的には科学技術のイノベーションと応用だ」とした上で、独自のイノベーションや「自強」の方針を重んじるよう求めた。

 習主席はこれまでも「新興領域戦略能力」について語ったことがあるが、公式メディアの大見出しになるほど詳述したのは初めてだ。

 

■自力更生で発展可能か

 

 公式報道によると、この会議では6人の全人代代表(議員)が発言した。報道の順に挙げると、海軍、戦略支援部隊、南部戦区、戦略支援部隊、軍事科学院、陸軍の代表で、テーマは海洋、サイバー空間、人工知能(AI)、宇宙、無人作戦などだった。

 サイバー戦や宇宙戦を担当する戦略支援部隊が唯一、2人に発言の機会が与えられた。それぞれ、サイバーと宇宙での活動について話したとみられる。同部隊はサイバーと宇宙に分割されるという説もある。

 海軍の発言者は1人だけだったが、南部戦区の代表が南シナ海の問題に言及したとすれば、事実上は2人ということになる。同戦区は、南シナ海で活動する南海艦隊を擁している。

 以上の報道から発展の重点を置く軍種は分かったが、その発展が依拠する「新興領域」とは具体的に何を指すのか。軍機関紙の解放軍報は3月8日の評論員論文で①AI②ビッグデータ③ブロックチェーン④量子科学技術⑤バイオテクノロジー⑥新エネルギー─を列挙。また、新興領域戦略能力が関わる範囲は広く、内容も多く、「軍民共用性」が強いと指摘した。軍以外のIT専門家らとの協力がより重要になるという意味だろう。

 ただ、習主席の「科技自立自強」路線と米国などのハイテク対中輸出規制のため、中国の技術者たちは自力更生志向を強めていかざるを得ない。また、中国の有力なIT関連企業の多くは民営なので、国有企業を偏重する左派主導の習政権からさまざまなバッシングを受けてきた。国際協力ができない上、民間のイノベーション活力が弱まれば、新興領域戦略能力の向上は困難を増す可能性が大きい。(2024年3月10日)

 中国で春節(旧正月)の連休明けから「思想解放」を大々的に呼び掛ける動きが話題になっている。改革・開放が始まった頃のスローガンを思い出させるが、その実態は習近平国家主席(共産党総書記)の教えによる思想統一という統制強化。習政権内で事なかれ主義が広がっていることから、腐敗官僚だけでなく、やる気のない怠慢な官僚も粛清する狙いがあるとみられる。

 

■鄧小平演説を想起

 

 湖南省党委員会は2月18日、「思想解放大討論活動」を展開するよう省内各レベルの党組織に指示する通知を公表。これに関する集団学習も行い、省党委のトップをはじめとする指導者たちが参加した。省党委には思想解放大討論活動弁公室(事務局)が設けられた。

 省党委の通知は地方では最高レベルの指示。思想解放の重要性は習政権でも指摘されてきたが、これほど本格的な推進活動は異例だ。党機関紙・人民日報系の有力紙・環球時報の前編集長でオピニオンリーダーとして知られる胡錫進氏はSNSの微信(ウィーチャット)を通じて、この活動は湖南省だけでなく全局的意義があり、衝撃的推進力を持つと絶賛し、「全国世論の極めて大きな関心を集めた」と指摘した。

 「思想解放」で有名なのは、1978年に鄧小平が思想解放と実事求是(事実に基づいて真理を求める)をテーマにして行った演説。毛沢東(76年死去)の極左路線を是正し、改革・開放に踏み出す起点になったとされる。これを踏まえて、胡氏の論説のような期待が出たようだ。

 

■「寝そべり」許さず

 

 湖南省党委の通知は「思想を解放した時、発展は良く速くなり、思想が保守的になった時、発展は滞り遅くなることは、湖南の改革・開放による40年以上の発展の経緯が証明している」とした上で、思想解放によって、改革・開放を全面的に深め、「質の高い発展」を進めなくてはならないと強調した。

 そのために以下のような問題を解決、是正するよう、通知は求めた。

 一、発展への自信が足りず、使命感が弱い。

 一、大衆が満足するかどうかではなく、上司に注意を引くかどうかを重視する。

 一、単純に国内総生産(GDP)成長の速さを追求する。

 一、無計画にプロジェクトを立ち上げる。

 一、専ら資源・資金投入に頼る粗放的モデルで経済を刺激しようとする。

 一、発展方式を積極的に変えようとせず、モデル転換の痛みを受け入れようとしない。

 一、データをでっち上げる。

 一、矛盾や問題から逃げたり、隠したりする。

 一、問題を起こさないため何もしないという「寝そべり」思想を持つ。

 さらに、注意すべき発展のボトルネックとして、①地方保護主義や市場分割②工業団地における運営体制の不備や組織重複③一部の国有企業の行政機関化④対外開放レベルの低さ⑤企業の資金調達難や物流コストの高さ⑥規定違反の費用徴収─などが挙げられている。

 中国当局は自画自賛が好きなので、「寝そべり」といった流行語まで使って、自分たちの欠点をこれほど列挙するのは珍しい。それだけ官僚の怠慢がひどく、根本的な意識改革が必要ということだろう。

 

■習思想指導下の「解放」

 

 しかし、湖南省党委の通知には「習近平の新時代における中国の特色ある社会主義思想を深く学習、貫徹する」「さらに思想を統一し、意志を統一し、行動を統一する」「必ず確固として揺るぎなく党中央と習近平総書記の導く方向へ向かって討論を展開しなければならない」といった文言が並んでおり、思想解放と言うより、官僚の習思想学習キャンペーンのように見える。

 そもそも、通知が挙げた多くの問題は、中国の官僚組織に昔から存在し、経済発展の障害となってきた。それを克服するため、党組織と政府機関の分離、政府機関と企業の分離、民営企業の振興などで市場経済化を進めるというのが鄧小平以後の基本政策だった。

 だが、左派主導の習政権は鄧路線を否定して、党の権力絶対化と国有企業強化を推進。市場経済化よりも市場統制を重視するのだから、長年の官僚主義が改まらないのは当たり前だ。

 どこの官僚も地元経済を発展させたいものの、非効率的な国有企業より市場適応力のある民営企業を後押しするなどして本気で市場経済化を推し進めれば、保守的な習路線の基本方針に反して、政治的に上からにらまれる恐れがある。それならば、前例踏襲や「寝そべり」が安全ということなのだろう。

 微信では早くも「官界の悪習が1回の思想解放大討論で解決できるのかどうか、楽観はできない」「社会のさまざまな不正は思想の束縛が原因なのか?」などと冷めた声が出ている。中国の政治情勢に詳しい香港親中派メディア関係者も「習思想指導下の『思想解放』だ。思想を解放して習思想と合わなければ、後で粛清されるだろう」とコメントした。(2024年2月29日)

 サッカーのスーパースター、メッシが脚の不調を理由に香港での親善試合を欠場した3日後に日本でプレーしたことが香港で猛反発を招き、政治問題化している。メッシは「香港軽視」「親日反中」と批判されているが、実際には、現地政府が民主派の徹底的弾圧で悪化した香港の国際的イメージを改善するため、メッシを政治宣伝に利用しようとして、かえって逆効果になった可能性がある。

■「二度と来るな」


 メッシが所属するマイアミは2月4日、香港チームと対戦したが、メッシはベンチに座ったままで、約3万8000人の観客は落胆。地元メディアによると、ブーイングや「金返せ」といった声が出た。チケットの最高価格は4880香港ドル(約9万3000円)。マイアミから詳しい説明はなかった。
 ところが、メッシは7日、東京で行われた対J1神戸戦には出場して、シュートも放った。香港では開かなかった記者会見にも参加。香港と日本での対応があまりに違ったことから、香港側の怒りがさらに大きくなった。
 マイアミ・香港戦に1600万ドルの補助金拠出を決めていた香港政府は「極めて失望した」との声明を発表した。親中派で占められている立法会(議会)議員からも「詐欺だ」「メッシは二度と来るな」などと非難の声が相次いだ。
 体の不調による欠場は、誰であっても不可抗力だ。文化・体育・観光局の楊潤雄局長(閣僚)によると、補助金を出す条件として、メッシは最低45分間のプレーを義務付けられていたが、それも「安全もしくは健康状態に問題がない」ことが前提だった。しかし、香港側の圧力により、主催企業は補助金の辞退とチケットの半額払い戻しを発表せざるを得なくなった。

■「外部勢力」の仕業?


 火に油を注いだのが中国共産党系メディア。党機関紙・人民日報系の環球時報は8日の社説で、メッシの香港欠場には政治的動機があったという説を紹介し、「外部勢力」が介入して香港を故意におとしめた可能性を指摘した。香港各紙はこの社説を大きく報じた。
 共産党の指導下にある香港紙・文匯報(電子版)も8日の論評で「メッシは大国間の駆け引きのこまになった」と主張。「敵対勢力」に強いられて、香港の安定と発展を妨害する企てに協力した可能性が大きいとの見方を示した。香港政治の中国化に対する反対活動の一環だと言いたいようだ。
 中国本土のインターネット上でもメッシ批判が噴出。マイアミが3月に杭州(浙江省)と北京で予定していた親善試合は中止された。
 しかし、メッシはこれまで、中国本土で何度もプレーしており、昨年6月にも北京での親善試合に出ている。中国本土や香港の政治状況に不満があるから、香港で欠場したとは考えにくい。また、そのようなことをメッシに強要できる「外部勢力」や「敵対勢力」が存在するとも思えない。
 一方、非共産党系の香港紙・明報は7日の社説で、マイアミ側のファン対応を批判しつつも、政治関与説を否定。香港政府が補助金を出して、メッシらマイアミのスター選手に香港を宣伝させようとしたことが事態をより複雑にしたのかもしれないと遠慮がちに苦言を呈した。詳述を避けたのは、国家安全維持法(国安法)体制下で報道が規制されているためだろうが、説得力のある見解だ。

■行政長官と握手せず


 習近平政権が李家超(ジョン・リー)行政長官率いる今の香港政府に求めているのは、2010年代の騒乱再発防止を口実として政治面で反対派を根絶する一方で、経済面では中国本土にはない国際都市の機能を維持することだ。香港の一国二制度は経済面では依然として本土にとって有用だからで、具体的には「国際金融・貿易・海運センター」や「イベントの都」(大型イベント開催都市)としての役割である。
 しかも、香港政府は1月30日、政治統制の総仕上げとして、国安法を補完する国家安全維持条例(国安条例)の制定作業を正式に開始していた。その直後に来訪したメッシは理想的な政治宣伝の「こま」であり、政府高官と和気あいあいの場面を演出して、「香港は国安法のおかげで平和になり、メッシのような世界的スターにも評価されている」とアピールしたいところだった。
 このため、李長官ら政府高官は試合当日、まるで主催者であるかのように競技場内で選手一人一人と握手したが、メッシはその列に加わらなかった。また、マイアミ一行は香港空港に到着した直後の歓迎式で子供から花束を受け取った後、香港側要人の出迎えを受けるのかと思われたが、式の途中でバスに乗り込んでいる。現地報道によれば、建設中の巨大スポーツ施設をメッシらが参観する予定もあったが、中止されたという。
 これらの行動から、マイアミ側はメッシの政治利用という香港政府の企てを初めから警戒していたとみられる。現地の政治には関知しないというスタンスなので、政治に巻き込まれるのも避けたかったということではなかろうか。
 今回の騒動には、本来は契約や法律で解決すべきイベント運営上のトラブルへの対応が中国流の政治闘争になってしまったという問題もある。政治的統制に加え、非政治的もめ事も対外強硬路線で政治的に処理されるのであれば、香港で今後、各界の国際的著名人を招請したり、大型の国際イベントを開催したりするのは難しくなっていく恐れがある。国安法体制は政治以外の分野でも、香港の国際都市としての基盤をむしばんでいることがメッシたたきで証明されたと言えるだろう。(2024年2月12日)