中国外務省は、スパイ機関である国家安全省との関係をより緊密化している。もともと「戦狼外交」といわれてきた習近平政権の対外政策は、国家安全保障を理由に国際協調や経済発展を軽視するタカ派傾向がますます強まっていくとみられる。

 

■国家安全次官がお目付け役

 

 中国外務省は7月上旬、公式サイトで、国家安全省の李謙次官が外務省指導部に異動したことを明らかにした。公安省(警察)と同じく「政法」と呼ばれる治安部門に属する国家安全省の高官が外務省に転じる人事は極めて珍しい。

 国家安全省は他の官庁と違って公式サイトがなく、担当閣僚以外の高官名簿は公表されていないが、李氏は昨年8月、中越戦略安保対話のため、国家安全次官としてハノイを訪れたことがベトナム側で報道されており、対外交流を担当していたとみられる。

 李氏は外務省内の共産党委員会メンバーになるとともに、党中央規律検査委が同省内に設けた出先機関の責任者に就任した。規律検査は汚職だけでなく、政治的忠誠心の有無も調べる。忠誠の対象は党とされているが、事実上は習近平国家主席(党総書記)である。スパイ機関の幹部が政治面のお目付け役として乗り込んできた形だ。

 党政治局員で別格の地位にある王毅外相以外の外務省高官の中で、李氏の序列は同省党委の斉玉書記(閣僚級)、馬朝旭筆頭次官(同)に次ぐ3位。書記として省内の人事を握る斉氏も、党中央組織部副部長から異例の人事で外務省に送り込まれた。

 つまり、トップ3のうち2人は外部からの起用。しかも、その2人はいずれも人事に関わる重要ポストにある。習氏は外務省プロパーの王氏を重用してきたのに、外務省自体はあまり信用していないようだ。

 近年、駐米大使から外相に抜てきされた秦剛氏や、党中央対外連絡部(中連部)の部長で外相候補だった劉建超氏(元外務次官補)が相次いで失脚したことが今回の人事の一因になった可能性もある。

 

■前外務次官、国家安保関係の要職に

 

 6月29日には、4月に外務次官を退任した孫衛東氏が閣僚級の要職に就任したことが確認された。中国共産党結成105周年を祝う行事を報じた国営中央テレビの映像で、孫氏は中央直属機関の閣僚級幹部の席に座った。空席になっていた党中央国家安全委の弁公室常務副主任(事務局筆頭次長)に起用されたようだ。同弁公室主任は、党中央指導者が兼ねるので、常務副主任は事実上、事務方の責任者となる。

 中央国家安全委は、習氏が率いる中央政策決定議事調整機関の一つ。国家安保政策を扱うので、国家安全省が委員会内で重要な役割を果たしており、習政権2期目の弁公室常務副主任は当時の国家安全相が務めた。その後任は元外務次官補の劉海星氏(現中連部長)。孫氏が後を継いだことで、2人続けて外務省からの起用となった。

 中央国家安全委は、党中枢の事務を取り仕切る中央弁公庁主任と党中央書記局筆頭書記(幹事長に相当)を兼務する習氏最側近の蔡奇氏が深く関与している。事実上の政権ナンバー2といわれる蔡氏は中央国家安全委弁公室の初代常務副主任で、今は同委員会副主席。弁公室主任も兼ねているとみられる。

 外交を扱う中央政策決定議事調整機関としては中央外事工作委員会があり、やはり習氏がトップだが、蔡氏は加わっていない。中央外事工作委の弁公室主任は王外相が兼務。王氏は政治局員、蔡氏は上級の政治局常務委員であり、党機関としての格は中央国家安全委の方が高い。

 外務官僚は要職に就くルートが増えたことになるが、極端に閉鎖的な国家安全部門や保守派の蔡氏からの影響が強まることは避けられないだろう。

 

■対外姿勢は「闘争」

 

 外相などとして重用されてきたとはいえ、王氏が習氏にとって外様であるのに対し、国家安全相の陳一新氏は、習氏が浙江省党委書記だった頃の直属の部下。習派内のいわゆる「之江新軍」の一員だ。その見解は習氏個人の考えを強く反映しているとみられる。

 陳氏は国家安全教育の日(4月15日)を機に、国家安保に関する論文を党理論誌・求是に発表。対外的に「反転覆、反覇権、反分裂、反テロ、反スパイ、反封鎖闘争」を展開しなければならないとして、次のように説明した。

 一、反転覆闘争=敵対勢力による「カラー革命」「街頭政治」など各種の浸透・転覆活動に厳しく打撃を与え、政権の安全、制度の安全、イデオロギー面の安全を力強く守る。

 一、反覇権闘争=あらゆる一方的行動と強権的いじめに反対し、関税戦、貿易戦、科学技術戦、世論戦などの理不尽な行為に断固として反撃する。

 一、反分裂闘争=「台独(台湾独立)」分裂勢力と外部勢力の干渉に断固として反対し、法律によって「台独」頑固分子に打撃を与える。チベット自治区と新疆ウイグル自治区における反分裂闘争を全面的に強化する。香港・マカオの長期的繁栄と安定を維持、促進する。

 一、反テロ闘争=中国本土域外のテロ活動が域内に及ぶのを厳しく防止する。

 一、反スパイ闘争=法律によって各種の機密窃取に打撃を与え、内通者を探し出す。輸出統制と安保審査の制度を整備し、食糧、エネルギー資源、重要な産業チェーン・サプライチェーン、重要インフラの安全を確保する。

 一、反封鎖闘争=人工知能(AI)の技術革新を全面的に推進して、外国の技術を入手できない問題を解決し、水準の高い科学技術の自立自強を保障する。

 なお、カラー革命とは、大群衆が非暴力の街頭行動で独裁政権を倒す政変で、ウクライナのオレンジ革命(2004年)がよく知られている。

 これらの闘争方針は、「いつも外国から虐げられている」という中国共産党(特に保守派)の被害妄想的感覚がよく表れている。陳氏は「覇権」「一方的行動」「強権」を批判するだけでなく、一部の国が武力侵攻、資源略奪など「帝国主義的手段」に訴えていると指摘しており、警戒の主な対象が米国であることは明らかだ。

 5月に訪中したトランプ米大統領が中国に融和的姿勢だったことから、日本では「米中急接近で日本が取り残されるのではないか」と懸念する声もあるが、陳氏は7月6日に国家安全省党委が開いた会議でも同趣旨の演説をしており、「トランプ政権とは仲良くできる」というような甘い見方はしていない。

 筆頭外務次官の馬氏も7月15日、中央党校機関紙の学習時報に掲載した論文で「中米の建設的戦略安定関係を推進する」としながらも、米国に対する具体的スタンスとしては「闘争精神を発揚し、闘争の本領を高める」と強調した。重要なのは相互理解や協調・協力ではなく、闘争なのだ。

 中国は経済失速で閉塞(へいそく)感が広がっている上、政権の支柱である軍は大粛清で混乱が続き、習氏が重用した政治局員が相次いで失脚するなど、政局も安定感を欠く。習氏はこのような状況下で、来年秋に開かれる見通しの第21回党大会の準備を進めなければならない。次期指導部人事などで主導権を維持するためにも、国内は引き締め、対外的には強硬という姿勢を一層鮮明にせざるを得ないとみられる。(2026年7月21日)

 

1日 南部戦区、南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)海域で海空合同訓練

3日★中央指導者と専門家の会見、担当国務委員が欠席◇明報─5中総会で約30人の中央委員解任へ

5日 中国商務省─新疆関連で米6企業・団体を制裁◇台湾軍事演習「漢光」(~14日)

6日 ポリティコ─中国、米国防次官の訪問受け入れず

12日★中国インドネシア海軍、台湾東方で合同訓練◇朱鎔基元首相が死去◇日本メディア─駐重慶総領事代行が就任(4日付)─8カ月の空席解消

13日 プーチン・ロシア大統領、北方領土を初訪問◇中ロ駐日大使、戦勝81年で共同声明─「北方領土」なし

 

 大粛清で壊滅状態になった中国軍指導部の再建が難航しているようだ。激減した上将(大将に相当)の補充がなかなか進まず、軍の要職の大半はいまだに空席。しかも、現役上将に軍全体の中核である陸軍の作戦畑出身者が一人もいないという未曽有の事態になっている。

 

■上将昇進わずか2人

 

 中央軍事委員会は7月3日、上将昇任式を行い、習近平国家主席(共産党総書記)が中央軍事委主席として、新しい上将2人に任命状を渡した。1月に軍制服組トップだった中央軍事委の張又侠副主席が失脚してから、上将が任命されたのは初めて。これにより、政治的に健在な現役上将は計6人となった。

 上将に昇進したのは、陸軍規律検査委書記だった張曙光氏と空軍副司令官だった王剛氏。前者は中央軍事委規律検査委書記、後者は空軍司令官として昇任式に出席した。中央軍事委の張昇民副主席は同委規律検査委書記の兼務を解かれ、副主席専従となった。同氏は現在、中央軍事委で唯一の軍人メンバーだ。前空軍司令官の常丁求氏は最近、公式行事に出ておらず、失脚したと思われる。

 中国軍の上将級ポストは約30もあるが、「反腐敗」を口実として2023年に始まった軍内の粛清で上将が次々と失脚し、中央軍事委機関の責任者や地方の戦区首脳など20以上の要職が空席。このため、早急に多くの中将を上将にする必要があるが、今回の昇任者はわずか2人にとどまった。

 一方、反腐敗闘争では、6月にも全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会で上将3人の全人代代表(国会議員)罷免が公表された。3人はそれぞれ、中央軍事委装備発展部長、空軍政治委員、西部戦区政治委員だったが、既に解任されたとみられる。サイバー空間部隊初代司令官ら中将3人も全人代代表を罷免された。

 習氏は、権力基盤強化の途上だった政権1~2期目の上将人事で、一度に10人を任命したり、1年で計17人も増やしたりしたことがある。3期目で個人独裁体制を固め、軍人の実力者を一掃できるほどの権勢を振るっているのだから、上将の補充人事は容易なはずだが、実際にはその動きは鈍い。

 

■陸軍作戦畑ゼロ

 

 失脚した中央軍事委員のうち、張又侠副主席と連合参謀部の劉振立参謀長は最終処分がまだ決まっていないが、もう一人の副主席だった何衛東氏と政治工作部主任だった苗華氏は昨年10月までに解任され、党籍・軍籍も剥奪されている。

 しかし、何氏らの処分発表後に開かれた第20期党中央委員会第4回総会(4中総会)で中央軍事委員は補選されず、その後、軍高官の人事を担う政治工作部主任の後任も任命されていない。軍指導部を立て直すには大掛かりな人事異動が必要であり、同主任はその作業で要の役割を果たすポストなのに、何カ月も空席のままにしているのは不可解である。

 また、現役上将6人の構成も不自然だ。張昇民副主席はロケット軍(ミサイル部隊)、董軍国防相は海軍出身。昨年12月に上将となった2人(中部戦区と東部戦区の司令官)および前出の新しい空軍司令官はいずれも空軍出身、新任の中央軍事委規律検査委書記は陸軍出身。つまり、半分の3人は空軍出身だ。

 中国軍は近年、海空ロケット軍の強化に力を入れているとはいえ、最大の兵力を持つのは今も陸軍。このため、習政権3期目の中央軍事委に当初6人いた軍人メンバーも、陸軍4人、海軍とロケット軍各1人という構成だった。海軍の苗氏も、ロケット軍の張昇民氏も陸軍からの転籍組。空軍出身者はゼロだった。陸軍出身の中央軍事委員4人は、全員が司令官、参謀長などの作戦畑出身で、人事や思想教育、規律検査を担当する政治工作畑出身者はいなかった。

 ところが、今の上将6人のうち陸軍出身者は張曙光氏1人だけで、同氏は政治工作畑出身。陸軍の作戦畑出身者は皆無だ。巨大な陸軍を擁する中国軍で最高位の軍人に、陸軍の実戦部隊を指揮できる者が全くいないということになる。

 

■苦し紛れの空軍重用

 

 空軍出身者が重用されるようになったのは、習政権1~2期目の中央軍事委副主席だった許其亮氏(元空軍司令官、故人)が引退してから、陸軍の実力者だった張又侠氏と陸軍から海軍に転籍した苗氏が影響力を拡大して、軍上層部で空軍出身者が傍流になっていたからだろう。習氏は軍の掌握で頼りにしていた張又侠、苗の両氏を自ら打倒したので、この2人の息がかかった多くの将官は抜てきすることができない。

 習氏は重要人事で自分個人との関係を非常に重視しており、張又侠氏は父親同士が戦友、苗氏は習氏が長年勤務した福建省の部隊出身だった。だが、昨年末以降に任命された上将4人は、いずれも習氏と特別な関係はないようだ。年齢も皆60代前半で、若返りを重視しているようにも見えない。軍内をなかなかまとめられないので、取りあえず無難な人物を引き上げておくということなのだろうか。国営中央テレビは先の上将昇任式を映像付きで報じたが、習氏は終始無表情で、笑顔を全く見せなかった。

 以上の経緯に、①張又侠氏らの粛清に軍の機関・部隊は全く支持を表明しなかった②習氏は「軍内に党への二心がある者は絶対いてはならない」と警告し、軍人に忠誠を強く要求している③習氏はこのところ、部隊視察を避けている─ことを合わせて考えると、習氏が粛清で混乱した軍を掌握し直すのに苦労しているのは明らかだ。

 また、慣例に反して、張昇民氏は中央軍事委副主席に昇格したのに党政治局入りできず、董国防相は国務委員(上級閣僚)を兼ねられないままなので、党と政府の指導部両方の会議に軍人が出られない状態が続いており、これも正常なことではない。

 習氏が盟友や側近を切り捨てるのは、往年の毛沢東や鄧小平の大胆な人事をまねて、権勢を誇示したいのかもしれない。しかし、革命と建国で政治・軍事指導者として大きな功績があった毛らは自分の直系だけでなく、党・軍全体で威信が高かったことから「持ち駒」が多く、粛清人事を断行しても事後処理で行き詰まるようなことはなかった。棚ぼた人事で政権トップとなり、国内経済を失速させたこと以外に目立つ実績もない習氏がそれをまねるのは、やはり難しいのだろう。(2026年7月12日)

 

  中国共産党は習近平国家主席(党総書記)の指導理念として「習近平党建思想」を提起し、大々的に宣伝を開始した。政権運営の根幹である党組織建設に関する習氏の思想が公式化されたのは初めてで、来年開かれる第21回党大会での総書記4選に向けた布石とみられる。

■「習近平党建思想」を提起


 全国党建工作座談会が6月15日、北京で開かれ、最高指導部の党政治局常務委員会から党中央書記局の蔡奇筆頭書記と党中央規律検査委の李希書記の2人が出席した。公式報道によると、座談会は、習氏が総書記に就任した2012年の第18回党大会以後、習氏を核心とする党中央が長期執政のマルクス主義政党をどのようにつくり上げていくのかについて一連の新理念・新思想・新戦略を打ち出し、習近平党建思想を形成したとの認識を示した。
 この思想は「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想の重要な構成部分」「新時代における党建設強化の根本的指針」であり、「中国の特色ある社会主義の最も本質的特長」としての党の指導や党中央の集中統一指導などを堅持することを明確にしたとされる。理論的に目新しいものは特にないが、座談会では、習氏に対する個人崇拝スローガンである「二つの確立」「二つの擁護」の重要性も同時に強調されており、要するに、組織編成や人事配置は習氏個人の考えに絶対従えということなのだろう。
 国営通信社の新華社は同日の論評で、西側の政党政治はさまざまな苦境に陥り、ポピュリズムが台頭し、極右思想が広まって、各党は新たな理論的指針を必要としていると指摘。その上で、「習近平党建思想はその崇高な価値志向と独特の思想的魅力によって、西側政党制度の神話を打ち破り、グローバル化時代の世界政治文明の発展と人類政治文明の進歩に中国の主張を提起し、中国の知恵を届けた」と同思想を評価した。経済発展レベルが中国よりはるかに高い西側諸国の政治も習氏の思想を見習うべきだという現実離れした主張であり、尋常ではない持ち上げ方だ。
 習氏の分野別の指導理念としては、既に「習近平経済思想」「習近平外交思想」「習近平強軍思想」などが公式化されていたが、いずれも個別の政策指針であり、政権の在り方に関わるものではなかった。
 座談会から8日後の23日には、早くも「習近平党建文選」の出版が発表された。「習近平経済思想」など他の分野別思想の文選は、思想の公式化から数年後に出版されたか、まだ出版されておらず、今回の宣伝は力の入れ方が違う。
 なお、座談会が開かれた15日は習氏の73歳の誕生日。意図的に日にちを合わせたと思われる。中国では指導者の誕生日を公式には祝わないことになっているが、党中央宣伝部の指導下にある国営中央テレビはこの日、「共産党員習近平」と題する番組を流して、個人崇拝ムードをあおった。

■落ち目の清華大人脈


 この種の会合は通常、習氏自身が出席するか、指示を伝達するが、全国党建工作座談会はそのどちらもなく、中央党建設指導工作小組の組長である蔡氏が演説した。習氏最側近の蔡氏が総書記の代理を務めた形だ。2月の同小組会議では、副組長の李希氏も演説したが、今回は蔡氏だけが演説して、実力者としての存在を誇示した。
 また、蔡氏は6月5日、幹部養成機関の中央党校校長を兼ねたことが判明した。これまでも、幹事長に当たる党中央の筆頭書記と、総書記の日々の活動を支える党中央弁公庁主任を兼務して異例の重責を担ってきたが、さらに幹部人事に関与する要職を増やした。
 ただ、政治局常務委員である筆頭書記が中央党校校長を兼任するのは、江沢民時代以後の慣例に戻ったにすぎない。習氏や胡錦濤国家主席も筆頭書記(国家副主席兼務)時代に同校長を務めた。習政権2期目に党中央組織部の陳希部長(党政治局員)が同校長を兼ね、習政権3期目になって部長・政治局員を退任した後も一般党員として校長を続投していたのが変則的な人事だったのだ。
 陳希氏は蔡氏と同じ福建省出身ながら、蔡氏が率いる習派内の福建閥ではなく、清華大学人脈のリーダーといわれている。福建は習氏が若い頃に長く勤務した地方、清華大は習氏の母校である。陳希氏が異例の人事で長く中央党校校長の座にあったことは、習氏が人事面で陳希氏をいかに頼りにしていたかを示している。
 陳希氏は習政権3期目でも、同校長に留任した上で、同じ清華大出身で山東省党委書記だった李幹傑氏を中央組織部長に据えて、幹部人事への影響力を保っていた。しかし、昨年春、李幹傑氏は党中央統一戦線工作部長に異動。形式上は横滑りだが、事実上は左遷だった。
 その時点で陳希氏の影響力は大幅に低下し、校長退任でそれが決定的になった。同氏失墜の原因は不明だが、もし清華大人脈全体の問題だとすれば、この人脈に属する上海市党委の陳吉寧書記(政治局員)も巻き込まれる可能性がある。同氏は清華大の元学長で、陳希氏の直系。第21回党大会で政治局常務委入りするといわれてきたものの、3期目の習政権は習派の有力者でも粛清・左遷されるケースが多く、次期指導部人事は不透明感が増している。

■不安招く「社会主義改造」絶賛


 6月の中国は政治関係の動きが目立ち、中央党校校長人事や習近平党建思想に続いて、主要公式メディアによる「社会主義改造」礼賛が注目された。
 中国共産党結成105周年(7月1日)を前に、新華社は6月19日、党機関紙の人民日報は同20、21の両日、毛沢東時代初期の1950年代に党が断行した農業や商工業の社会主義化(公有化)政策を取り上げた。特に新華社の記事はこの政策を「未曽有の意義深い社会変革」「偉大な変革」と評価し、「当時の模索は今日の中国式現代化に強固な制度的支えと貴重な経験を提供した」とその現代的意義を強調した。
 社会主義の前段階である「新民主主義」体制でスタートした中華人民共和国は「公私合営」などの社会主義改造により、社会主義体制に移行したとされており、公式メディアがそれを称賛するのは当たり前。だが、商工業の社会主義改造は事実上、民間企業の収奪だったことから、民間ビジネスを振興する改革・開放時代になってからは、社会主義改造の意義を派手にアピールすることは避けられてきた。
 このため、新華社の社会主義改造絶賛は、習政権がより左傾化して、民間ビジネスや私有財産に対する社会主義的規制を強めていくのではないかとの印象を与えた。経済面でも党の指導をひたすら拡大する習政権の政策のせいで国内経済が失速し、SNSには失業・収入減や不動産暴落を嘆く声があふれている状況なので、民間側の不安はなおさら大きいだろう。
 もっとも、習政権はこれらの声にも馬耳東風で、相変わらず中国経済光明論を唱えている。中国は、習政権が内紛を抱えながらもまだまだ続き、習氏とごく少数の最側近に権力がますます集中して、経済に対する締め付けを強化していくことになりそうだ。(2026年6月28日)
 

 中国の習近平国家主席が7年ぶりに北朝鮮を訪れ、一時冷却化した中朝関係の完全修復を誇示した。ただ、「朝鮮半島の非核化」「半島の平和と安定維持」に全く触れないなど、習氏が金正恩朝鮮労働党総書記のご機嫌を伺って、擦り寄る形となった。

 

■兄妹で中国けん制

 

 北朝鮮が2024年、ロシアと軍事同盟を結んで、中国離れの動きを見せたことから、中朝関係は一時、高官交流がほとんどなくなるなど冷え込んだが、昨年9月、正恩氏が中国の抗日戦争勝利80周年行事に出席するため訪中して、関係が修復された。

 その後、李強中国首相の訪朝(昨年10月)、中朝間の旅客列車運行再開(今年3月)と関係改善が進む流れの中、習氏は6月8日から9日にかけて共産党総書記・国家主席として北朝鮮を公式訪問した。中朝友好協力相互援助条約の調印65周年を祝う意味もある。習氏は昨年秋の訪韓後、外国に一度も行っていなかったので、今年初の外遊となった。

 習氏は前回(2019年)の訪朝と同様に、平壌入りに際して労働党機関紙・労働新聞に寄稿し、同じ社会主義国としての伝統的な友好関係を強調した。ただ、前回と違って、「半島の平和と安定維持」のための対話を促す文言はなかった。前回は、正恩氏とトランプ米大統領の会談が実現した後だったこともあり、「半島問題」の政治的解決を支持し、積極的に貢献する姿勢をアピールしていた。

 中国外務省の発表によれば、習氏は8日の首脳会談で①ハイレベルの往来により、政治的相互信頼の基礎を固める②「民のために福をつくる」を目標として、実務協力のレベルを上げる③友誼(ゆうぎ)伝承を動力として、民心が相通じるつながりを強める④公平正義を理念として、戦略的協力の内容を豊かにする─という方針を堅持するよう呼び掛ける「四つの意見」を表明した。

 前回訪朝時の首脳会談では「半島の非核化」の動きを評価し、北朝鮮など関係国への協力強化を申し出ていたが、今回は「半島の平和と安定」「非核化」のどちらにも言及しなかった。

 習氏は昨年9月に北京で正恩氏に会った際には、中朝は朝鮮半島の平和と安定を維持していく必要があるとくぎを刺しており、中国の国営通信社・新華社は習氏の訪朝日程が発表された今年6月5日配信の記事でその発言を紹介。共産党機関紙・人民日報も8日、この記事を掲載した。だが、習氏は同日の首脳会談で「地域、さらには世界の平和・安定と発展・繁栄」に触れただけで、朝鮮半島を特定した言い方は避けた。

 一方、正恩氏は3日、新しい核物質生産工場を視察し、「核戦力をさらに強化する」と表明。そのための「重要協議会」も開いた。さらに、金与正労働党総務部長(正恩氏の妹)は6日付の談話で、5月の米中首脳会談で北朝鮮の非核化という目標の共有を確認したとする米政府の発表を「虚偽だ」と全面否定して、自国の核保有は「厳然たる現実」であると主張した。

 金兄妹の言動は中国に対する露骨なけん制で、挑戦的に見えるほどだったが、習氏は実際に「非核化」に全く触れず、北朝鮮側のスタンスを黙認した。「半島の平和と安定維持」を言わなくなったのも、半島の平和統一路線を放棄し、韓国を「敵対国」と位置付けた正恩氏の考えに配慮したためと思われる。

 

■戦友意識薄い北朝鮮

 

 習氏は前述の「四つの意見」で、まず「外交、法執行、軍隊などの交流強化」を提起し、その後に、経済・貿易や科学技術などの実務協力拡大を望むと述べた。習氏の外国訪問としては珍しく董軍国防相が同行したこともあって、「軍隊の交流」が注目された。

 しかし、正恩氏は、中朝関係発展に関する習氏の「重要な意見」に謝意を表して、経済・貿易、科学技術などの交流・協力を発展させていくと応じながらも、軍事交流には言及しなかった。習氏が中朝関係を「鮮血で固めた伝統的友誼」と形容して、戦友としての結び付きを強調したのに対し、正恩氏は比較的冷めた態度だったようだ。

 北朝鮮はロシアの対ウクライナ戦を支援するために派兵しており、「戦友は中国ではなく、ロシア」という思いがあるのだろう。中朝が共に戦った朝鮮戦争の後に締結された中朝条約には軍事介入条項があるものの、死文化して久しく、北朝鮮側に戦友意識が薄いのは当然である。

 また、習氏は労働新聞への寄稿で「覇権主義と強権政治」と「あらゆる軍国主義の復活」に反対するよう呼び掛けた。10日の新華社電によると、習氏は8日夜の歓迎夕食会でも同じ発言をした。

 だが、正恩氏がそれに同調したという公式報道はなかった。トランプ氏がいずれ北朝鮮に再び接近してくる可能性を考えれば、米国を意味する「覇権主義と強権政治」への反対を中国と共に叫ぶことを避けるのはまだ理解できるが、日本を指す「軍国主義」反対は北朝鮮自身の長年の主張なので、これについても中国側に同調しないのは不可思議だ。中国に従ったような形になるのを嫌ったのかもしれない。

 中国の対外関係は現在、対日が過去最悪の状態。しかも、日本はフィリピンやオーストラリアなどとの防衛協力を積極的に強化している。中韓関係は良いが、李在明大統領はバランス重視で、中国べったりではない。米国とは首脳レベルの交流が続いているものの、トランプ氏はいまひとつ信用できない。首脳外交を派手に展開しているにもかかわらず、中国の対外環境はあまり良いとは言えない。対米共闘のパートナーとして、ロシアとの関係を維持するだけでなく、北朝鮮をある程度引き戻すことも必要なのは間違いない。

 ただ、習氏訪朝の顛末(てんまつ)を見る限り、中朝関係は明らかに北朝鮮側のペースで推移している。習氏が正恩氏の動きを制御できず、その顔色をうかがうばかりでは、中国の外交力はかえって低下する恐れがある。(2026年6月13日)

 

1日★中国共産党結成105周年祝賀大会/習主席─「中国の特色ある強軍の道歩む」「新時代党建思想の貫徹を」◇★「民族団結進歩促進法」施行◇明報─孫衛東・前外務次官の閣僚級昇進が判明◇日本メディア─富士電機グループ社員2人、6月に逮捕

2日 王外相が北欧4カ国訪問(~8日)◇国連本部前でチベット人焼身自殺

3日★上将昇進式─軍事委規律委書記と空軍司令官/上将は計6人に

6日★中国軍、原潜から「戦略ミサイル」を南太平洋へ撃ちこむ─原潜発射は初めて/大洋州各国が批判◇中ロ海軍が合同演習◇台中で矢板明夫氏暴行事件─広東出身の香港人逮捕◇豪とフィジー、同盟条約署名

7日★ウクライナ外務省─中国外相がシビハ外相訪中を招請

8日 星島─国家安全次官、規律委駐外務省組長に◇台弁報道官─矢板氏襲撃は「義憤」◇豪パプア同盟条約発効

9日 ロイター通信─欧州委、中国製タイヤへの反ダンピング関税決定

10日★北朝鮮首相訪中(~12日)─習主席と会談◇中国商務省など─ヘリウム輸出を一時禁止

11日 李稲葵清華大教授─中国の実際の失業率は公式統計の約2倍の10.2%

12日 日米比など14カ国、南シナ海仲裁判断10年で共同声明

13日 ロイター通信─中国系米国人の地震学者、24年11月から中国で拘束

14日★馬興瑞政治局員の党籍剥奪発表◇中国ソロモン外相が会談(北京)

15日★4~6月期成長率4.3%に低下─コロナ禍以後で最低/上半期4.7%/不動産開発投資の減少率18%に拡大◇★政協主席訪朝(~17日)◇習主席が上海市視察─部隊訪問なし

16日★北朝鮮総書記、政協主席と会談(平壌)◇中国外務省─国家安保に関連する犯罪の疑いでチェコ人拘束◇SCMP─中国筆頭外務次官が来週訪米◇「世界人工知能協力機構(WAICO)」協定署名式(上海)◇米大統領─中国が20年大統領選に介入◇パプア外相─台湾出先機関を閉鎖

17日 米財務省─一国二制度に基づく香港優遇措置を再開

19日 中国駆逐艦、日本EEZ内で射撃訓練

20日 南シナ海で中国海警が比兵士殴打

22日★中比外相会談(マニラ)◇米中外相会談(マニラ)◇馬外務次官訪米(~23日)

23日★王外相、マニラでのASEAN+3を欠席─華外務次官が代理◇★茂木外相─「王外相と挨拶交わした。2国間関係について話をした。これ以上は外交上のやりとりがあるので、コメントしない」◇明報─習主席、9月訪米時にカナダ訪問も

24日 SCO外相会議(キルギス・チョルポンアタ)◇王公安相、米FBI長官と会談(北京)◇董国防相、タイ訪問で国防相と会談

27日★中国外務省報道官─「王外相がマニラで日本側に会う段取りはなかった。『簡単な交流』もなかった」

28日 中国商務省、「生産能力過剰」反論文書を発表◇AITと台湾海巡署、同署と米沿岸警備隊の船が並走する写真公表◇米とソロモン諸島、海上警備協力協定に署名

30日★政治局会議─10月に5中総会◇米中閣僚、電話で貿易協議

31日★国務院の出入境管理規定公表─9月15日施行

 

 中国軍が「習近平強軍思想」の学習を強化するため、ハイレベルの会議を開いたが、上将(大将に相当)の出席者は、演説した中央軍事委員会副主席1人だけだった。軍内の大粛清で上将クラスの高官が次々と失脚したり、消息不明になったりしているが、ついに重要会議の上将出席者が演説者以外に全くいないという異常事態となった。

 

■国防相も欠席

 

 習近平強軍思想学習に関する会議が5月27日、北京で開かれ、中央軍事委の張昇民副主席(制服組トップ)が演説した。会議の模様を報じた国営中央テレビの映像を見る限り、演説を聴く参加者は、階級章の星が二つの中将が多数いたが、三つ星の上将は皆無だった。共産党総書記・国家主席と中央軍事委主席を兼ねる習氏はこの会議に出なかったものの、会議の主題は習思想の学習。習氏が4月に開始を宣言した「思想整風」の一環であり、軍高官は全員参加すべき行事である。

 演説した張昇民氏は、習思想の「国防・軍隊建設における指導的地位」を強調した上で、習氏への権力集中を意味する「二つの確立」「二つの擁護」や中央軍事委主席責任制の貫徹というスローガンを叫んで、思想整風の展開により党に対する忠誠の「政治的魂」を鍛えるよう訴えた。

 なお、粛清の結果、もともと6人いた今期の中央軍事委の軍人メンバーで生き残ったのは、政治工作や汚職取り締まりを担当してきた張昇民氏1人だけ。習氏はなぜか、メンバーを全く補充しないので、巨大な中国軍の指導部が習氏と政治将校の2人だけという変則的な状態が続いている。

 中央軍事委は同日、国営通信社の新華社を通じて、「軍隊高級幹部教育・監督・管理強化に関する若干の措置」と題する文書伝達を公表した。具体的には、思想整風を展開し、政治整訓(政治的引き締めと教育)を深めて、教育・監督・管理の「鉄のおきて」を打ち立てるとしており、同じ日の会議に合わせて伝達を明らかにしたと思われる。同会議がいかに重要かが分かる。

 習氏が思想整風の号令を発した全軍高級幹部養成班の始業式(4月8日)は、張昇民氏が主宰。同氏以外に董軍国防相と中部戦区の韓勝延司令官が出席したので、上将は計3人だった。昨年12月、韓氏と同時に上将となった東部戦区の楊志斌司令官の姿は会場になかった。

 上将の数が前回の3人でも不自然に少なかったが、今回はさらに減って1人。中国軍は現在、中央軍事委機関や地方大部隊の上将ポストの大半を中将が代行しているようだ。

 

■軍の掌握力に不安

 

 董氏は国防相として、5月中旬にトランプ米大統領が訪中した時の米中首脳会談に同席したが、同月下旬になると、前述の習思想学習会議だけでなく、パキスタン首相と軍トップの訪中でも姿を見せず、シンガポールで開かれた「アジア安全保障会議」(通称シャングリラ会合)にも出なかったことから、異変説が広がった。

 ただ、パキスタン軍トップのムニール元帥は昨年7月に訪中した時も、習氏の盟友だった中央軍事委の張又侠副主席(今年1月、失脚)と会談したが、董氏には会わなかった。同元帥は国防相ではなく、軍人の筆頭格なので、中国側で同格の軍人と話したわけだ。今回も張昇民氏には個別に会っている。中国の閣僚は事務レベルの責任者でしかなく、特に董氏は慣例に反して上級閣僚の国務委員を兼ねず、中央軍事委にも入っていないので、同元帥のような重量級の軍人とは明らかに釣り合わない。

 また、シャングリラ会合について言えば、董氏が出たのは2024年まで。昨年の中国代表団団長は国防大学の副校長(少将)で、格下げになっていた。今年も国防大の少将が団長を務めたが、副校長などの役職がない教授なので、事実上はさらに格が落ちた。このような人選の変化から見て、中国軍が同会合を以前ほど重視しなくなったということかもしれない。

 従って、董氏がムニール元帥と会わず、シャングリラ会合に参加しなかったことは異変とは言えない。中国国防省は6月2日、董氏が南アフリカを訪問したと発表し、同氏の政治的健在が確認されたが、習思想学習会議を欠席した理由は分からない。

 董氏は、習氏の腹心だった苗華氏(昨年10月、党籍・軍籍剥奪発表)が海軍政治委員だった時期の部下。苗氏が中央軍事委政治工作部主任として軍高官の人事を牛耳っていた頃、国防相に起用されたことから、「苗氏に連座して解任される」とのうわさが何度も流れた。苗氏人脈の要人は既に大半が粛清されており、董氏が思想整風を乗り切れるかどうかは微妙なところだ。

 5月28日の軍機関紙・解放軍報の論評によれば、思想整風とは政治整訓の効果的なやり方であり、学習・反省・批判などによって、「思想の大掃除」を行うという。その根拠は当然、習思想だ。一連の粛清で穴だらけになった軍の組織を再建する必要があるが、そのための人事は習氏に対する忠誠心が基準になるということだろう。

 しかし、軍高官粛清が始まってから約3年もたって、軍指導部は既にほぼ全滅状態なのに、さらに粛清の延長戦を大々的にやらざるを得ない事態は、習氏の軍に対する掌握力に習氏自身が不安を抱いているとの印象を与えている。習氏が昨年11月以降、外国訪問をせず、地方にもほとんど行かず、できるだけ北京にとどまっている事実と合わせて考えると、中国の政局は世間で言われているほど安定していないように思える。(2026年6月3日)

 

 中国の習近平国家主席はトランプ米大統領を国賓として北京に招いて会談し、台湾問題への対処や貿易拡大などについて話し合った。「習氏が駆け引きで勝った」との見方が出ているが、実際には、中国側にも苦しい事情があり、超大国・米国に融和的な姿勢を取らざるを得ない状況だ。

 

■「交渉の切り札」

 

 習氏は5月14日、トランプ氏と会談し、台湾問題でくぎを刺した。中国外務省の発表によると、この問題を適切に処理しなければ、「衝突」が起き、米中関係が「危険な状態」に追い込まれると警告した。米側発表は台湾問題自体に触れておらず、トランプ氏がどう応じたかは不明だが、同氏は首脳会談の後、メディアに対して、次のように語った。

 一、(総額140億ドル=約2兆2000億円=の対台湾武器売却について)習氏と極めて詳細に話し合った。台湾問題を協議したが、何の約束もしなかった。

 一、(台湾への武器売却承認は)するかもしれないし、しないかもしれない。(この件は)交渉の切り札になる。

 一、米国が後ろ盾になるから独立しようと誰かが言うのは望まない。9500マイル(約1万5300キロ)も離れたところへ行って戦うなどということは望んでいない。彼らに冷静になってほしいし、中国にも冷静になってほしい。

 また、トランプ氏は訪中前、首脳会談で台湾に対する武器売却問題が議題になると公言していた。

 米国の台湾政策に関する指針である「六つの保証」は、台湾向け武器売却について中国と事前協議をしないとしており、トランプ氏の以上の言動は明らかにそれから逸脱している。中国が「核心的利益の核心」と位置付ける台湾問題で、米側が事実上、大幅に譲歩した形になった。

 民進党の頼清徳政権が性急に台湾独立を目指しているかのような言い方も、事実に反している。現実には、頼政権は「台湾海峡の現状維持」を基本方針としており、トランプ氏の発言は、同党を台湾独立派として敵視する習政権の認識に同調するものだ。

 トランプ氏の台湾問題に関する一連の発言は、台湾有事に対する米国の軍事介入も否定し、台湾独立を支持しないだけでなく、反対する姿勢を示しており、中国外交の大きな成果だと言ってよいだろう。中国側は、今回の米中首脳会談で「重要なコンセンサス」ができたと評価して、非常に満足している。

 王毅外相は15日、同会談に関する中国メディア向けブリーフィングで、台湾独立の動きは絶対に許容しないと強調した上で、「われわれは会談中、米側が中国側の立場を理解し、中国側の関心を重視して、国際社会と同じく、台湾が独立へ向かうことに賛同せず、受け入れもしないと感じた」と説明し、トランプ氏は会談で中国側に迎合するような言動をした可能性を示唆した。

 台湾でも、親中的な最大野党・国民党の幹部たちがトランプ氏の発言を聞いて、「台湾の執政者に対する米大統領の最も厳しい警告だ」「民進党に対して極めて大きな打撃になった」などと喜んでいる。

 

■メンツつぶされても厚遇

 

 ただ、中国側が全面的に優勢とも言い難い。そもそも、トランプ政権は昨年12月、総額111億ドルもの武器を台湾に売却すると発表した上、今年に入ってから、中国の友好国であるベネズエラとイランを攻撃。習氏の盟友だった両国の指導者を拘束したり、殺害したりした。トランプ氏は習氏のメンツをつぶし続けており、中国側は本来、トランプ氏の訪中を中止もしくは延期すべきところだったが、低姿勢で国賓として迎えて厚遇した。米側と同様、中国側にもトランプ氏訪中を実現させたい事情があったのだ。

 まず、米中貿易戦争の休戦を続けたい。中国政府は国内経済について「5%成長」と発表しているものの、不動産実勢価格の下落幅が公式統計よりはるかに大きいことなどから、実際の成長率は政府発表より大幅に低いと思われる。仮に半分程度の「2~3%」としても、日本の感覚では「まあまあ」なのかもしれないが、最近まで高度成長を続けていた中国では「大不況」という感じだろう。失業や就職難も深刻だ。米国との全面的な貿易戦争に耐えられる状況ではない。

 政治面でも、来年の第21回共産党大会で党総書記4選を目指すとみられる習氏としては、トランプ氏を相手に堂々と首脳外交を展開することで、自分の威信を少しでも高めたい状況にある。経済の落ち込みに加えて、行き当たりばったりの大粛清による軍の混乱で政局は不安定な状態が続く。習氏自身も不安を感じているのか、5月下旬の時点で半年も外遊や地方視察を控えている。こういう事態だからこそ、政権トップとしての存在を派手に誇示する必要が増しているのだろう。

 外交面の必要性も大きい。習政権はこのところ、首脳外交を活発化させているが、近隣の日本とは台湾問題、フィリピンとは南シナ海問題で険悪な関係が続く。しかも、日本は護衛艦売却(決定または検討)などでフィリピンだけでなく、オーストラリアやニュージーランドとも防衛協力を拡大しようとしている。習政権が力を入れる「日本軍国主義」非難キャンペーンは日本以外の東アジア・太平洋地域で全く効果を上げていない。

 大型武器を売買する関係は「準同盟」であり、日本の動きを座視していれば、いずれ事実上の北大西洋条約機構(NATO)アジア版につねがりかねない。中国としては悪夢であり、それを阻むには要の米国を自国の方に引き付けておかねばならない。

 

■暫定的「勝利」

 

 これらの事情から、習氏はやむを得ずトランプ氏を招いて、米国からの輸入拡大を受け入れた。中国側としては、最も重要な台湾問題で多少誠意を見せてもらうのは当然といったところだろう。

 しかし、トランプ氏は何事に関しても前言を翻すことがあるので、秋の習氏訪中と中間選挙の後もトランプ氏が台湾問題で今のような姿勢を続けるかどうかは全く分からない。この問題に関する中国側の「勝利」はあくまで暫定的なものである。

 習政権にもそのような認識があるようで、中国外務省報道官は5月18日の定例記者会見で、台湾問題に関するトランプ氏の前記の発言について問われたが、同省公式サイトの記録を見る限り、直接のコメントを避けている。

 また、現時点でもトランプ氏は台湾を完全に突き放しているわけではなく、20日には、武器売却問題に関して頼総統と話し合うかと問われ、「彼と話す」と断言した。本当に両首脳の電話会談が実現すれば、1979年の米台断交後初めて。「一つの中国」の原則を掲げ、台湾を自国の一部と見なす中国にとっては政治的に大打撃となり、習政権の対米政策は困難を増すことになる。(2026年5月24日)