核・戦争のない世界!!

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首都圏で、電気を使う方は、特に署名をお願いします!!
(県議会が始まる4月16日までになるべくお願いします!!)
新潟県議会は柏崎刈羽原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案に賛成してください




地震の多発する国、日本には原発は危険!!
フクシマを忘れるな!!
原発反対!!


 

 


 


 

 



日米軍事同盟反対!!
自衛隊「統合作戦司令部」発足 陸海空自衛隊を一元的に指揮
【コラム】石破内閣は「七三一部隊」の実態の検証を

日本政府は、なぜ歴史的事実ときちんと向き合わない??
井本日誌は、公文書(業務日誌)であって、私文書ではない!!
井本日誌は1993年まで公開されていたのに、なぜその後、非公開になったのか?私的なものではない!!
井本日誌には、きちんと常徳の細菌戦の様子などが書かれている!!
戦史叢書には、井本日誌からの引用があるが、井本日誌にある細菌戦の記述はないのはなぜか?
「井本熊男業務日誌」をめぐって
731部隊の人体実験「資料ない」はウソ 公文書を示し追及
(山添議員のフェイスブックより)
予算委員会で旧日本軍731部隊について質問しました。
政府は戦後一貫して、「具体的な活動を示す資料がない」と言い張ってきましたが、今回防衛省防衛研究所に人体実験の記録があることを明らかにしました。
「き弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察」と題する資料は、イペリットという致死性のガスを人に向けて発射したり水溶液を飲ませたりし、その後の症状の経過を観察したもの。1984年に毎日新聞がスクープしたのと同じ内容ですが、政府が保管していたという点が新しい。
作成者は当時731部隊にいたことがわかっています。本人が寄贈したものであり、受け入れた際の「所見」には「人を使用して行った試験の成績であり、得がたい貴重なもの」とまで書かれています。人体実験の記録であることは一目瞭然ですが、答弁に立った防衛大臣は公文書であることを認めながら「客観的な事実を確認できない」と逃げの姿勢。どこまでも事実を認めようとしません。
政府に寄贈されたのは1964年。防衛研究所が文書を公開したのは2004年であることを初めて明かしました。40年にわたり隠してきたことになります。そしてその間国会では、「資料がない」とウソを言い続けてきたことになります。そうして長らく隠ぺいした挙げ句に、「古い話で確認できない」ーーあまりに不誠実です。
隠ぺいし、ウソをついてきたと指摘すると、ムキになった石破首相が「わが国はそんな国ではない」と強弁。
私たちの国の拭いがたい過ちです。戦後80年、これ以上目を背け続けるべきではありません。真摯に検証し、事実を認めよ。



戦後80年を問う 「731部隊」について 2025.3.21


自衛隊は核戦争参加を想定している!!


 



多摩霊園にある731部隊員が造った『精魂塔』は、国会でのやりとりをどう思っているのだろうか?2025年3月22日撮影



不当判決!!(3月19日、東京地裁判決)
自衛隊でやっていることを隠蔽するな!!
自衛隊化学学校が作成した『化学学校記事』の情報公開を求めた裁判で、東京地裁は、原告の主張を無視して請求を棄却した!!
『化学学校記事』については、情報公開を求めて審査請求をしたが、3年以上経ってから「不存在」の返事が来る始末。この間、防衛省は何を画策したのだろうか?
自衛隊化学学校では、1950年代から、毒ガス製造に関わり、1964年にサリンを合成しており、その後も毒ガスを作り続けている。
その化学学校が作成した『化学学校記事』が1冊も自衛隊にないという事は考えられない!!
何で機関誌を敢えて隠すのだ!!
裁判所は、強く情報公開を迫るべきだった!!
1925年に作成された毒ガスの実戦での使用を禁止するジュネーブ議定書に、日本は1970年になってやっと批准した。
その頃に作成された『化学学校記事16号』までの発行は自衛隊も認めている。16号は、原告側が持っていた。
認めたという事は、持っていることではないのか?
裁判所は、国側に加担し、三権分立を自ら放棄している!!
化学兵器禁止条約を日本は、1995年に批准しているが、OPCWの監視下、防護のためと称して、毒ガスを作り続けている。
戦中、毒ガス兵器を使い、その反省もせずに、戦後も毒ガス兵器の開発に手を染めている防衛省を、司法は裁かなくて良いのか、疑問を強く感じる。
裁判所には憲法9条を改めて、確認してもらいたい。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
『化学学校記事』12号の掲載された知られざる細菌戦の記述(杉田記事)
1938年 華中 細菌大量使用、1939年 ノモンハン 細菌大量使用、1940年 重慶爆撃 ペスト菌
コレラ菌使用、1941年 湖南省 細菌作戦、1943年 華中 華北 細菌作戦
化学兵器禁止条約(日本は1995年に批准)、これもザル法か?
化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を全面的に禁止するとともに、すでに存在する化学兵器および化学兵器生産施設を条約発効ののち原則として10年以内にすべて廃棄すること、一定の設備を持つ化学産業施設に対する検証措置をおこなうこと等を定めている。また、1925年1月1日以降に他国領域内に同意なく遺棄した化学兵器についても廃棄処理を行うこととされており、遺棄国に処分に必要な費用や技術の提供を義務付けている。
化学兵器禁止条約第2条9項の規定により、以下の目的については例外が認められている。
・工業、農業、研究、医療又は製薬の目的その他の平和的目的
・防護目的、すなわち毒性化学物質及び化学兵器に対する防護に直接関係する目的
・化学兵器の使用に関連せず、かつ化学物質の毒性を戦争の方法として利用するものではない軍事的目的
・国内の暴動の鎮圧を含む法の執行のための目的


悪法!!秘密保護法撤廃!!
秘密保護法によって隠された自衛隊の実態について踏み込んで取材できる環境づくりが絶対必要だ!!
地下鉄サリン事件から30年 被害者や遺族 教訓語り継ぐよう訴え地下鉄サリン事件被害者 “風化感じる”回答の8割以上 NHK調査

自衛隊合憲論反対!!
1995年3月20日地下鉄サリン事件発生
自衛隊化学学校は事前に起こることを知っていた。
科捜研の結果が出る前から自衛隊は、サリンであることを知っていた。
オウムの中に自衛隊信者がいた。その自衛隊員と化学学校の間で、電話で情報のやり取りがあった。
戦後も日本は自衛隊で毒ガスが作っていて、化学兵器禁止条約を批准(1995年)してからも、防護のためとして自衛隊では毒ガスを作っている!!(サリン、VXガス等)
自衛隊とオウムの関係もはっきりさせず、早々とオウムの幹部を死刑にした当時の安倍政権と法務省にも問題あり!!


立民・有田氏「地下鉄サリンは防げたのでは」 警察庁「当時の判断でオウム捜索に至らず」

2つの機関誌の情報をお持ちの方は、nobu.goi@gmail.comまでお寄せください。

自衛隊とサリン(週刊金曜日)


オウム真理教と闘って
ー関東地区青年婦人研修会の講演からー
関東地区開拓営農推進委員会(会長=野口正次茨城県関連会長)の青年婦人研修会が4月26日、山梨県で開催された。
 今回は上九一色(かみくいっしき)村富士ヶ嶺地区でオウム真理教の無法と闘ってきた、元富士豊茂開拓農協組合長竹内精一氏の講演を聞き、参会者は大きな感銘を受けた。次に紹介するのは竹内氏の講演要旨である。

・89年突然入って来たオウム教
私は1943(昭和18)年に満州開拓青少年義勇軍で旧満州に渡り、45年8月9日召集を受け孫呉の工兵隊に入れられた。北安ー黒河を結ぶ北黒線は8月6日頃から軍人家族が南下し、何が起こったのか分らないが列車は満員である。それをキャッチして満鉄職員が家族を南へ下げる。結局最後に残されたのが開拓者と義勇軍だった。その時点で日本政府と関東軍は民を捨てたのである。そのような状況で孤児が出たのは当たり前である。

原発で作り出されるプルトニウムを、日本は核兵器使用に使うのではないかとの疑念が湧き上がる!!(戦時中も日本は原爆開発をしていた)
東電HD 1兆9000億円 国に追加資金支援盛り込む 暫定的計画公表
財務省解体デモ ネット中心に拡大
福島第1原発事故から14年!!脱原発!!
原発事故時の対応拠点 10道県で「誘導雷」への対策 未実施
高浜・美浜原発の運転延長取り消し訴訟 住民敗訴 名古屋地裁
新潟 柏崎刈羽原発6号機 制御盤室から一時発煙


東日本大震災から14年 長期的な視点での暮らしの支援が課題に


被害者救済に冷たい国の施策!!
東京大空襲から80年 10万人が犠牲に 記憶継承の取り組みは

 


2025 3 8 さよなら原発集会


核抑止論反対!!
世界の核弾頭の数
露(5890)、米(5244)、中(410)、仏(290)
ロシア 仏マクロン大統領の核抑止力拡大発言に反発強める
マクロン大統領 “仏保有の核抑止力を欧州に拡大 検討へ”
不当判決
伊方原発3号機 運転差し止め裁判 住民側の訴え退ける 広島地裁

内部被ばくの怖さ!!
311子ども甲状腺がん訴訟裁判
2025.3.5   311 子ども甲状腺がん裁判 中野弁護士プレゼン
2025 3 5 311子ども甲状腺がん裁判集会


コロナワクチンをめぐる問題 No.8


汚染土の全国拡散に反対!!
【緊急署名】「8000ベクレル/kg以下の汚染土を全国の公共事業で利用」方針に反対


除染で出た土 再生利用への基準は 国の放射線審議会が見解

731部隊 海外の反応
731部隊、白ポスト、高木彬光、駅弁…スイスのメディアが報じた日本のニュース

戦争即停戦を望む!!
国連安保理 ガザ地区空爆に停戦継続求める声 各国から相次ぐ
ウクライナ高官 “停戦には欧米などがロシアに圧力を”
ロシア反体制派指導者ナワリヌイ氏死亡から1年 現状懸念の声も

日本は締約国会議に参加せよ!!
岩屋外相 核禁条約の締約国会議 政府はオブザーバー参加見送り


学術会議法人化反対の署名大運動にご協力を!!
「学術会議の言葉、国は聞かなくなる」加藤陽子氏ら法人化反対の会見
https://chng.it/h5SRtCDBDk

天皇制反対!!「建国記念の日」反対!!宮内庁解体!!
皇位継承「批判」に報復 日本の人権外交の貧困  成城大教授・森暢平
皇室典範巡る国連委への拠出金制限 NGOが外務省に撤回要求
社民・福島氏、国連女性委除外の撤回要求



政府は、きちんと黒塗りではないものを、情報公開せよ!!
森友学園 関連文書の一部開示 遺族弁護団 来週にも記者会見へ
自民政治資金問題、不記載69議員の収支報告書に今も「不明」の文字…専門家「放置防ぐ対策必要」
八王子 平和・原爆資料館に掲示してある詩



 


中国731部隊跡への訪問報告会(全編)


*映像の世紀バタフライエフェクト
「戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢」
https://www.nhk.jp/.../ts/9N81M92LXV/episode/te/5LKZZ4WZML/
(感想・・・黒井さんのメールより)
・本当に胸が傷み、知らない世界で、あんな事が起こっているな んて想像以上だった。戦争は悲惨です。


パネル展「731・原爆・ビキニ・フクシマ」展(12月18日~23日)

 


 


『731~フクシマまで』(2024.12.18)

『いのちの岐路に立つ 核を抱きしめたニッポン国』


731部隊を語る!!


戦争反対!!脱原発!!
核兵器禁止条約 3回目の締約国会議 政治宣言を採択して閉幕
東京大空襲 10日で80年 犠牲者の名前記したタペストリー公開
【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(4月10日の動き)
UNRWA運営の学校にイスラエルが閉鎖命令 活動の制限強める
インドネシア大統領 ガザ地区の約1000人 一時受け入れ表明
“イスラエルへの抗議活動”にトランプ政権が圧力 広がる波紋


脱原発!!

東京電力 柏崎刈羽原発6号機 原子炉に核燃料入れる方針固める
女川原発2号機 運転差し止め訴訟 住民側訴え退ける 仙台高裁
志賀原発 “活断層連動”範囲 長さ1.8倍に見直しへ 北陸電力
「原発必要ない」 女川原発再稼働に反対し東北電力本店などで抗議活動

 


 


 







第115回八王子アクション


2025.4.9 核兵器禁止条約に日本は署名・批准を!!(八王子・ドンキホーテ前)


「日本人は戦時中、ひどいことをさんざんしました。民間人をたくさん殺しました。日本人はこのことを忘れてはいけません」

 


平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!
平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!
731部隊展
2024 11 16平頂山集会

2024 11 16平頂山集会 纐纈講演
2024 11 16平頂山集会 パネルディスカッション


平頂山事件92年「歴史を学び合い、不再戦を誓う」集会 アンケート集計

(集会をどこで知ったか)(記入者年代)

10、友人知人から、記入なし
・纐纈講演
歴史を正しく勉強することは非常に大切な事だと感じました。正しい歴史を学ぶこと、戦争はいかに愚かなことだと分かります。




 

 



作品によせて
1945年8月6日のソ連が参戦した時、私は12才だった。旧満州国の奉天市(現瀋陽市)に住んでいた日本人の女性と小学生以下子どもは、戦火から避難するためにリュック1つを背負って南下する列車に乗った。8月15日の敗戦の知らせによって在満のすべての日本人は日僑(他国に住む日本人)として扱われ、この日を境に私の流民の旅が始まった。
疎開地から奉天市に戻ったものの支配関係は全く逆転し、異民族から受ける迫害は想像を超えるものであった。自分の命や財産は勿論のこと、人間そのものの尊厳さえ奪われた極限の状況での体験は、私の人生観を決定づけた大きな要因であることに間違いない。
 居住地を離れてから日本への帰還船 (私には流民船)に乗るまでの約2ヶ月の出来事はまさに難民生活そのものであり“衣"は着のみ着のまま、“食"はこうりゃん、“住"は倉庫などであった。
本籍地の北海道には墓地と何軒かの親類があっても、生活の基盤はなく、その後落ち着く場所を求めて転々と移動し、やっと定住したのは敗戦から15年を経過した1960年であった。



4、「船中の食事」
船の中での食事は、主としてひじきご飯であった。米の中にひじきが入っているというよりも、ひじきの中に米粒が入っていた。
姉と甥(生後3か月)は消化不良を起こし、甲板上の便所に通い続けた。
私は、今でも、ひじきを見ると食欲が減退する。
1946年8月





 



少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。
9・29アミダステーション(八王子)

近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 <少年Mの記憶ー「満州」からの帰還> DVD完成上映会(五井信治)


仁子さんは、ある時期、ある人間が、こういう目に遭っただけではなくそこには万人に共通する何かがあるのではないかと思い、滿さんはこれ(紙芝居)を残したのではないかと考えました。その思いをDVDを制作する過程で強く感じたので、これからこのDVDをどうしようかと考えているところですと、話されました。会場には、「満州」で生まれた滿さんの甥御さんも来ていて、「両親や滿さんに「満州」のことを聞いてもなかなか教えてくれなかったが、50を過ぎた頃、2時間ほどかけ滿さんから、家族8人で、無事に赤ちゃん(私)が日本に帰れるように力を合わせて協力していたことを聞いた」と、その語る声は言葉にならず、嗚咽に近かった。長野県飯田から来られた仁子さんの元同僚は、かつて近藤宅を訪れて、滿さんと会っていたが、「滿さんが、こんな体験をされているとは全く知りませんでした。・・・私の住んでいる飯田の隣に阿智村があって、そこに満蒙開拓平和記念館があります。私もそのボランティアスタッフの1人なんですけれども、証言する人も少なくなっているのでこのDVDを持ち込みたいと思います。満蒙開拓平和記念館と日中友好協会八王子支部が何らかの形で繋がればいいなと思っています。」と話されました。そのあと、こういうことを多くの人に知らせる必要があると思うと言う意見があったり、私も「満州」で生まれて大変な経験をしたということを1人の方が話されると、会場の中には、私も中国にいたとか、何人かの方々が次々にご自分の体験談を話されて、会場にどよめきが起こりました。くしくも9月29日は、52年前の1972年に日中共同声明が発表された日でした。




2024.9.29  少年Mの記憶ー「満州」からの帰還  感想
1、この集会を何で知りましたか?  近藤仁子さんから
(感想)戦争を知らない私、私の両親は、戦争の話をほとんどしてくれませんでした。DVDを見てとても良かったです。かかわって下さった皆様、ありがとうございました。


*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。