【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

動燃事故 現場確認 下請け任せ
火災後の施設 入った正職員は1人


動力炉・核燃料開発事業団(動燃)東海事業所の火災・爆発事故で、最初の火災から爆発までの間に事故施設の内部に入ったのはほとんどが下請け作業員で、動燃の正職員は1人しかいなかったことが21日、動燃関係者の証言で分かった。被害の拡大を防止する上で重要となる現場の状況確認を下請け任せにしていた動燃の実態が浮き彫りとなった。
動燃関係者によると、事故当日の3月11日午前に起きた火災から夜の爆発にかけての約10時間に、作業員ら計10人が3つの班に分かれて施設内部に入っている。このうち動燃の正職員は第2班の1人だけで、第1班にいた東海村の消防署員1人を除くと、残り8人はすべて下請け会社の作業員だった。
しかも、この正職員は放射線管理の担当者で、施設内部では、入り口付近の廊下や更衣室で壁と床面のふき取り検査などを行ったが、出火したアスファルト充てん室の消火状況の確認はしなかったという。
一方、第1班では放水による消火の約2時間後、消防署員と下請け作業員2人が施設に入った。アスファルト充てん室の内部は暗くて見えなかったとされているが、追加の放水処置はとらなかった。第3班は下請け作業員4人だけの構成で、火災後に停止した換気装置の再起動を試みたが、動かなかったという。
動燃が3月21日に科学技術庁に提出した報告書には、作業員らが施設内部に入った時間帯や班ごとの人数は記載されているが、正職員か下請けかの区別や作業員の所属部署などについては書かれていない。

(中日新聞 1997/04/21)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

動燃『ふげん』新たに7件 重水漏れ 微量と判断、報告せず


動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の新型転換炉原型炉「ふげん」(福井県敦賀市)の放射性物質トリチウムを含んだ重水漏れ事故で、これまでに明らかになった12件以外に、平成4年と5年の2年度の間で新たに7件の重水漏れがあったことが19日、分かった。警報が鳴らず、いずれも放射線障害防止法で決められた基準値を下回っていたため、動燃は微量と判断して、これまでと同様、福井県や敦賀市などに報告していなかった
4月の重水漏れ事故で、科学技術庁が立ち入り詞査し、法律に基づいて保管が義務付けられている5年間分の資料を調べた結果、分かった。
7件は平成4年7月から5年11月にかけてで、このうち5件が作業ミスによる。これで「ふげん」の重水漏れ事故は、過去5年間で19件発生していた。
動燃は放射性物質のトリチウムを含む重水漏れ以外の設備異常では、故障個所の補修を担当者に依頼するための文書「故障票」を作成していたが、重水漏れに関しては1件も「故障票」を作っていなかった。
動燃は「すべて基準値以下のため安易に判断した。故障票を発行する基準があいまいだった。重水漏れを隠すという意識はなかった」と話している。
故障票は、「ふげん」の運転監視のために常駐している科技庁の運転管理専門官が、すべて確認する。同庁もんじゅ・ふげん安全管理事務所(敦賀市)の榊原裕二所長は「故障票がないと、報告がない限り事故は把握できない」と説明している。
立ち入り調査は19日で終了。科技庁の松本義幸放射線安全企画官は「今回見つかった放射能漏れは法令上は報告の義務はないが、(報告しなかったのは)動燃の内部規定に照らしても不適切だった。もんじゅの事故を契機に整備した通報体制がもっとうまく機能するようにしてほしい」と話している。

(中日新聞 1997/04/20)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

「ふげん」重水漏れ11件も 過去3年間 動燃、報告怠る

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の新型転換炉原型炉「ふげん」の重水漏れ事故で、動燃は16日、平成6年11月からことし1月にかけての過去3年間で今回と同様の事故が12件あったことを明らかにした。いずれも微量と判断して、動燃は福井県や敦賀市への報告を怠っていた。
放射性物質のトリチウムを含んだ重水漏れ事故は、運転中が2件、原子炉を起動する前の準備中が2件、定期検査中が7件。
14日起きた今回の事故では、通常運転中に放出される1週間分のトリチウムが一度に漏れて大気中に放出された。11件のうち、今回の事故を上回る量が漏れたのは警報機器が作動した平成6年12月と7年9月の2件あった。
この2件にとどまらず、全11件の重水漏れすべてについて、動燃は「安全協定に基づき、県など自治体に通報する義務があった」と認めている。
報告を怠った理由について動燃は「環境への影響のない微量だったため、報告する必要がないと思った。『もんじゅ』事故を教訓に厳しくやらなければならないと徹底させたが、認識が甘く、浸透しなかったようだ」と話している。
この日わかったのは事故を契機に作業日誌などをさかのぼって調べた分だけ。平成6年以前の重水漏れについては「ないとはいえない」と説明している。


<トリチウム> 三重水素とも呼ばれる放射性物質。普通の水素に比べて中性子が2個多い。弱いベータ線を出してヘリウムに変わる。自然界では宇宙線(放射線)と大気中の窒素の反応などで生成される。水の中に溶け込んでいることが多い。アルファ線を出すプルトニウムなどに比べると、人体への影響は10分の1程度とされる。(中日新聞 1997/04/17)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

動燃また通報遅れ 「ふげん」放射能漏れ30時間余
科技庁長官 運転停止を命令

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の新型転換炉原型炉「ふげん」(出力16万5000キロワット、福井県敦賀市)で、放射性物質のトリチウムが漏れていたことを、動燃が発生から30時間もたってから国や自治体に連絡していたことが15日、分かった。近岡理一郎科学技術庁長官は同日夜、近藤俊幸理事長を呼んで「ふげん」の運転停止を命じた。不祥事を理由に原発が止まるのは初めて。橋本首相も「いい加減にしろ」と強い不快感を表明した。また、科技庁は、爆発事故で虚偽の報告書を提出した動燃東海事業所(茨城県東海村)の管理職ら数人を16日に原子炉等規制法違反の疑いで茨城県警に告発する。
福井県原子力安全対策課によると、14日午前5時33分、ふげんの重水を精製し再使用するための装置がある建物で、内部や排気塔の放射能モニターレベルが高いことを示す警報が作動。運転員が装置を停止して調べた結果、施設1階にある重水循環ポンプ出口の配管継ぎ手から微量の重水が漏れ、含まれている放射性物質のトリチウムが、排気塔から外部の環境に漏れたことが分かった。漏れたトリチウムの量は通常の約18倍あったが、平成7年度の年間放出量実績の300分の1で微量だったという。
しかし、地元福井県に放射能漏れを通報したのは警報作動から30時間余りたった翌15日の正午だった。14日、竹下徳人所長は東京に出張中。残った幹部は、装置の停止などにより放射能レベルも通常状態に戻っていたため軽微なトラブルと考え「所長が帰るのを待って報告し、それから自治体に連絡すればいいと判断ミスした」(竹下所長)という。
14日午前9時から副所長、発電課長、技術課長らが開いた定例の所内会議でも「自治体に連絡した方がいい」との指摘も一部にあったが、ほとんど問題にならなかったという。15日午前6時15分に電話で報告を受けた竹下所長も「安全協定に基づく連絡事項と考えたが、自治体には出勤してから連絡すればいい、と自分も判断を間違えた」と釈明した。
地元自治体は安全協定違反だとして動燃に強く抗議。原発反対派住民も一昨年12月の高速増殖原型炉「もんじゅ」事故、茨城県東海村・再処理工場事故で虚偽報告した動燃の体質が変わらない証拠、と反発している。
もんじゅ事故後、ふげん発電所でも毎月1回、通報連絡訓練を実施しているが、初動の段階で通報しようとせず、訓練は役に立たなかった。竹下所長は「弁解の余地はなく本当に申し訳ない」と陳謝した。



動燃が新型転換炉原型炉「ふげん」の放射性物質トリチウム漏れを発生から30時間もたってから国や自治体に連絡していた問題で、近岡理一郎科学技術庁長官は15日夜、近藤俊幸理事長にふげんの運転停止を命じ、情報伝達体制の改善を指示した。不祥事で原発が止まるのは初めて。


<ふげん> もんじゅなど高速増殖炉が実用化されるまでの中継ぎとして開発が進められてきた新型転換炉の原型炉。燃料にはプルトニウムや、ウランとプルトニウムの混合燃料を使う。政府は、コスト面などから原型炉の次の段階である実証炉の開発を断念することを決めている。もんじゅ事故の影響で今後の取り扱いが決まらず、いわば宙に浮いた形の原発。

(中日新聞 1997/04/16)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

「放射能防護」機能せず 全ドラム缶から火柱
爆発事故で動燃訂正報告

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が14日、科学技術庁に提出した、東海事業所爆発事故報告書の訂正報告で、最初の火災は激しいもので、発見直後には、アスファルト固化処理施設内に煙が広がっていった様子が明らかになった。アスファルト充填(じゅうてん)室から煙が漏れ出し、放射能の防護システムは、すぐに機能しなくなっていた。意図的な隠ペいではないというが、重要な事実経過だけに、報告の遅れに対して、批判が出そうだ。
訂正報告には、出火から約30分後までの、生々しい状況が追加された。
それによると、出火当時の3月11日午前10時6分から8分にかけて、充填室内のドラム缶1本から約2メートルの火柱が上がっていた。その直後、作業員から見えるすべてのドラム缶から火柱が上がったのが目撃されたという。
さらに、同13分ごろ、隣接の操作区域で、作業員がスプリンクラーの停止作業をしていた際に「煙が室外に出ていることを確認」。同24分ごろには、2階の通路や、隣接するビルとの連絡通路でも煙が確認されていた。
充填室は放射能レベルが高く、操業以来、操作区域から厚い壁越しにロボットアームを操って作業を行っている。このアームを取り付けた部分のすき間から煙が漏れていた。
また、ほぼ同時に気圧差が失われていくことを示す警報が鳴り、同15分ごろに隣接の別の部屋で「気圧差がゼロ」になっていた。
これらの新事実は、室外より気圧を低くし、放射性物質などが漏れるのを防ぐ「負圧システム」が、かなり早い段階で損なわれていたことを示している。
事故直後に動燃は、換気設備が目詰まりなどで故障し、放射性物質が拡散し続けていたと発表。専門家などから、負圧システムは火災時には役に立たないのではないかと指摘されていた。
しかも、放射性物質が外部に漏れているのに気付くのが約5時間も遅れたことや、茨城県へは当初「環境への影響があるとの報告はない」と連絡していたことが問題になっていた。
今回、「煙が室外に出ているのを目撃」と報告が訂正されたことから、現場では早くから、放射性物質が外部に出ている可能性が高いことは分かっていたとみられる。
動燃の中野啓昌理事は、最初の報告にこうした事実が書かれていなかった理由について「情報はあったが、(虚偽報告の聞き取りを行うまで)はっきりしなかった」と説明している。

(中日新聞 1997/04/15)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

再処理工場火災 動燃またウソ報告
消火確認していなかった

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)東海事業所の再処理工場爆発事故で、動燃の近藤俊幸理事長は8日夜緊急会見し、最初の火災の消火作業の後に、あらためて消火を確認した事実はなかったとし、従来の発表内容を訂正した。
これまで動燃は、事実経過について「消火活動の9分後に作業員が窓から目で見て消火していると判断した」と説明。.法令に基づいて事故の10日後に科学技術庁に提出した報告書第一報にも記載していた。
今回の事故では、消火確認が不十分だったために火がくすぶり続けて、室内に可燃性ガスが充満。約10時間後に爆発に至ったという見方が有力。従来、消火と確認した根拠があいまいなことが問題視されていた。
動燃は、一昨年の高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏れ事故でも施設への立ち入りを事実に反する時刻で同庁に報告。住民から原子炉等規制法の虚偽報告に当たるとして告発されている。

(中日新聞 1997/04/09)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

セシウムを検出 水戸など 動燃事故の影響か

動燃再処理工場爆発事故で、茨城県は21日夜、水戸市と同県大洗町の県内2カ所で放射性物質のセシウム137などが検出されたと発表した。
検出値は、水戸市では3月7日から14日にかけて採取した大気からセシウム137が1立方メートル当たり41マイクロベクレル(1マイクロベクレルは100万分の1ベクレル)、大洗町では10日から17日でセシウム137が最大で600マイクロベクレル、セシウム134が60マイクロベクレル検出された。
同県原子力安全対策課は「自然放射能の約1000万分の1から100万分の1で、健康には影響はない」としている。
2つの物質は通常、大気中から検出されないため、同課は11日の同県東海村での動燃再処理工場爆発事故の影響とみている。
17日には、同県つくば市の気象庁気象研究所で大気中のチリを集めて測定した。その結果、1立方メートルあたり84マイクロベクレルのセシウム137と13マイクロベクレルのセシウム134が検出されている。

(中日新聞 1997/03/22)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

動燃事故 爆発的燃焼 分かっていた
71-73年に固化体実験 結果生かされず

爆発事故を起こした動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の再処理工場で使われているアスファルト固化体は、放射性廃液の主成分である硝酸ナトリウムが混ざっているため発熱しやすく、爆発的に燃焼する恐れがあることを、動燃は自主的に行った実験でつかんでいたことが19日までに分かった。
科学技術庁は、火災が爆発にまで進展した事故の流れを解明する重要な手掛かりとして、火災の後にこうした反応が生じなかったかを重点的に調べる方針だ。
動燃はこの性質を確かめていながら、施設の設計、建設では、充てん室内のドラム缶の温度を計測する手だてを取っておらず、試験結果は結局生かされなかったことになる。
実験結果は、動燃が同施設建設前の1971-73年に実施した安全性評価試験の報告書としてまとめられた。
それによると、アスファルト単体では加えた熱が蓄えられるだけだったが、実際の工程と同様に廃液の成分である硝酸ナトリウムを混ぜた試料では、200度から225度でゆっくりと発熱が始まった。
一部の試料では300度付近で発煙、燃焼が始まり、燃えなかったケースでも、硝酸ナトリウムの分解温度である380度から400度付近で、急速に発熱反応が強まった。
発熱は硝酸ナトリウムとアスファルトとの酸化還元反応が原因。酸素がなくても硝酸ナトリウムが酸化剤として働いて反応が持続するため、二酸化炭素の注入による酸欠消火よりも、冷却を兼ねた水による消火がより有効だとしている。
報告書は「熱伝導の悪いアスファルトはわずかな発熱も内部に蓄積していくので、安全の限界温度220度を厳守する必要がある」と注意を促していた。

(中日新聞 1997/03/19)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

動燃事故 プルトニウムも外部漏出 検出量ごく微量

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)東海事業所(茨城県東海村)で11日起きた再処理工場爆発事故で、プルトニウムなど人体に有害なアルファ線を出す超ウラン元素が放出されていたことが14日までに、分かった。検出量は微量だが、建物の3階まで噴き上げられ、外部にも漏れていた。
爆発のあったアスファルト固化処理施設3階で、動燃が12日に床をぬぐって測定したところ、2カ所でアルファ線を検出した。放射能レベルは1平方センチ当たり0.028ベクレルで、立ち入り禁止区域を設定する基準値1平方センチ当たり4ベクレルを大きく下回っている。
また、14日公表された排気筒の放射線検出器データでも、爆発後、アルファ線を放出するチリをとらえており、割れたガラス窓か、または排気筒を通じて、外部にプルトニウムなどが漏れたことは確実だ
アルファ線はヘリウム原子核と同じもので、破壊力が強く、呼吸などで体内に取り込むと、がんを起こす恐れがある。半面、ベータ線やガンマ線と比べて粒子が大きいので、紙1枚で遮ることができる。核分裂によって放射されるアルファ線は空気中を数センチ飛ぶだけ。爆発の規模が大きかったために、爆風で超ウラン元素が1階から3階まで10メートルも噴き上げられたとみている。
また、同じ排気筒のベータ線検出器では爆発の直後から放射線レベルが急上昇し、30分足らずの間に約100倍になっていた。
動燃は、放射性ヨウ素の外部への放出量は210万ベクレルとしているが、超ウラン元素をはじめとする他の放射性物質の放出量は「把握していない」という。
再処理工場で処理する使用済み燃料には、プルトニウムなど超ウラン元素が含まれており、低レベル廃棄物の中にも除去し切れなかったものが少量含まれている。こうした元素が周囲にまき散らされたらしい。超ウラン元素は放射能の半減期が1000年、1万年単位と長く、処理が難しい。


<プルトニウム> 放射性元素の1つ。自然界には存在せず、原子炉の使用済み核燃料を再処理して取り出す。核燃料に使われるプルトニウム239は半減期が約2万4000年で、人体に取り込まれると、放射線障害を起こしやすく、きわめて危険だとされている。ウランよりも原子核中の陽子の数が多い元素を総称して超ウラン元素という。すべて人工の放射性元素で、プルトニウムやアメリシウムなどがある。

(中日新聞 1997/03/15)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

茨城・東海村 再処理工場 火災“鎮火”後に爆発
動燃施設外に放射能漏れ 室内の10人被ばく 

茨城県東海村の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の再処理工場内のアスファルト固化施設で11日午後8時すぎ、大きな爆発音が聞こえ、施設のドアやシャッター、建物の窓ガラスなどが破損した。午後11時現在、けが人などは確認されていない。同日午前に同施設で火災が起きており、動燃は爆発音とともにあらためて出火した可能性があるとみて、作業員に被害がなかったかどうか確認を急いでいる。また敷地境界に設置したモニタリングポストの値も一時異常を示した。同日午後9時には正常に戻ったという。動燃は事態を重視、午後8時22分に現地に防護活動本部を、同8時40分、本社内に災害対策本部(本部長・近藤俊幸理事長)を発足させた。
同施設では同日午前10時ごろ、低レベル放射性廃液と高温のアスファルトを混合してドラム缶に詰めるターンテーブルで火災が起きたが、14分後に鎮火したとみられていた。科技庁核燃料規制課や動燃によると、爆発音があったのは午後8時14分。その後、鉄筋コンクリート4階建て(一部5階)の固化施設の窓と、固化した廃棄物をトラックで搬出するためのものなど2カ所のシャッターが壊れているのが確認された。施設の2階と4階部分の窓から煙が上がっていた。また、固化施設と渡り廊下でつながっている放射性廃液処理施設の扉2つも破損していた。
事故直後に施設の排気口の放射線モニターの警報が鳴り、同8時50分すぎには、施設に最も近い放射線モニタリングポストの値が20%程度上昇。周辺に放射性物質が漏れたと考えられる。動燃は午前の火災直後に、放射線管理区域への放射能漏れに気付き、施設内で作業員を避難させるとともに、現場にいた59人を調査した結果、10人からごく微量の放射性物質を検出した。さらに、2人について調査を続けている。科学技術庁核燃料規制課によると、全身の汚染状況を調べた結果、判明した限りで最大の被ばく量は約2700ベクレルで、年間摂取限度の2000分の1以下だった。


<アスファルト固化施設> 動力炉・核燃料開発事業団東海事業所内にある使用済み核燃料の再処理工場の付属施設。工場から出る低レベルの放射性廃液を、アスファルトと混合してドラム缶に詰め固化する。1982年に実際の廃液による試験運転を開始、これまでにドラム缶約3万本分を処理している。84年5月には施設内で白煙が上がる事故があった。

(中日新聞 1997/03/12)