NHK番組『日本人は何を考えてきたのか』で、西田幾多郎と京都学派が取り上げられていた。
生物学者の福岡伸一さんをナビゲーターに迎え、『善の研究』と戦争への態度を中心に、西田と三木清の足跡を辿るという構成で、なかなか面白かった。
番組では、「世界新秩序の原理」という論文をもとに、ずっと戦争に批判的だった西田が、最後には戦争体制を支持する方向に一線を越えた、という解釈が福岡さんによって示されていた。
たしかに、その論文のなかで西田はこう書いている。
我国民の思想指導及び学問教育の根本方針は何処までも深く国体の本義に徹して、歴史的現実の把握と世界的世界形成の原理に基かねばならない。英米的思想の排撃すべきは、自己優越感を以て東亜を植民地視するその帝国主義にあるのでなければならない。又国内思想指導の方針としては、較もすれば党派的に陥る全体主義ではなくして、何処までも公明正大なる君民一体、万民翼賛の皇道でなければならない。(「世界新秩序の原理」)
文面を見る限り、国体の護持、皇道の賛美といった戦時中イデオロギーそのままの立場を西田がとっているとも読める。
しかし、その一方で、西田は明確に当時の欧米列強の植民地主義、帝国主義を否定している。つまり、我々が反省すべきと考える「軍国主義」を、西田は主張していないということになる。
「国体の護持」と「軍国主義の否定」。現代の我々からすると、相反するように思われる二つの考え方が、西田においては共存している。これをどう解釈べきか。
僕は、西田の考える「国体の護持」が、今の僕らのイメージする「国体の護持」とずれている、と思う。
科学、技術、経済の発達の結果、今日、各国家民族が緊密なる一つの世界的空間に入ったのである。之を解決する途は、各自が世界史的使命を自覚して、各自が何処までも自己に即しながら而も自己を越えて、一つの世界的世界を構成するの外にない。私が現代を各国家民族の世界的自覚の時代と云う所以である。各国家民族が自己を越えて一つの世界を構成すると云うことは、ウィルソン国際連盟に於ての如く、単に各民族を平等に、その独立を認めるという如き所謂民族自決主義ではない。そういう世界は、十八世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。かかる理念によって現実の歴史的課題の解決の不可能なることは、今日の世界大戦が証明して居るのである。(「世界新秩序の原理」)
西田の議論は例によって難解である。しかし、少なくとも、西田の言う世界的自覚の時代の国家が、民族自決主義における国家と違うことは明らかだと思う。ちなみに同じ論文のなかで、西田は「国体」を「己を空うして他を包む我国特有の主体的原理」とも表現している。
番組では、実際にフィリピンの戦地に赴いた三木清の「南方から帰って」を引きながら、当時の哲学が、実証的な精神を忘れ、観念的な思弁に走ったことを三木自らが反省しているというニュアンスも語られていた。
私が戰場において經驗したのは近代戰といふものの假借なき非情性であつた。日本が當面してゐる嚴しい現實は、甘い觀念論、浪漫的な形而上學で乘り切れるものではないのである。ところが近來かやうな觀念論的形而上學的傾向が著しく濃厚であるのは、反省を要する。學問の世界にもいはゆる質實剛健の精神がなければならないのであつて、そしてこれは何よりも實證的研究を重んじる精神である。(「南方から帰って」)
しかし、三木清が西田哲学を思弁的として批判的に捉えていたことはありえないと思う。次の引用文を見てみよう。
自分の思想の試金石を自分の生活に求め、その思想でさしあたり自分の生活の諸問題を解決することができるかどうかを檢證しなければならぬ。それは思想の理想主義的性質を剥奪することではなく、却つてそれほど我々の生活そのものが世界史的現實となつてゐるのであり、それほど我々は歴史的實踐的であることを要求されてゐるのである。「ここも戰場だ」といふ自覺をもつて、あらゆる種類の「後方の觀念論」を克服しなければならぬ。(「南方から帰って」)
三木が指針として挙げている生き方は、まぎれもなく師である西田の姿そのものであると僕には感じられる。ちなみに一般的に哲学に対して、「抽象的だ」とか「現実と乖離している」といった批判が寄せられることは多い。しかし、本当に問題なのは、そもそも「抽象的」とか「現実」ってなんだという点である。
各国家民族を否定した抽象的世界と云うのは、実在的なものではない。従ってそれは世界と云うものではない。故に私は特に世界的世界と云うのである。従来は世界は抽象的であり、非実在的であった。併し今日は世界は具体的であり、実在的であるのである。今日は何れの国家民族も単に自己自身によって存在することはできぬ(「世界新秩序の原理」)
西田の言う抽象的、具体的という区別は、これまた我々の通常の意味での抽象、具体と異なる。西田哲学を理解するためには、抽象的/具体的の区別からして、自分の思い込みを排しながら臨む必要がある。その意味で、西田哲学を読むということは、世界をいったんぶち壊して、もういちど立て直す作業に例えられるかもしれない。
三木清は、『哲学入門』を書いたあたりから西田哲学を正確に理解しようと腐心している。彼の努力の結晶は東亜協同体論に結実するが、悪名が高すぎて、あるいはタイトルの重々しさのせいで、殆どの人がちゃんと読んでいない。でも僕は、東亜協同体論が現代のEUよりも進んだめちゃくちゃ先進的なビジョンだと思う。
おりしも、内田樹先生の『日本辺境論』を読んでみたら次のような指摘がなされていた。
日本が世界に向けて「私が世界標準を設定するので、諸国民もまたこれに従っていただきたい」という文型で教化的メッセージを発信した例を私は知りません。『日本辺境論』新潮新書pp.95-96
この引用箇所に僕はやや不満である。西田の世界的世界論、三木の東亜協同体論について考慮されていないのが残念なのだ。
確かに、西田の世界的世界論、三木の東亜協同体論は、世界に向けて発信された教化的メッセージではない。むしろ、日本の行く末についての自戒的なメッセージである。にもかかわらず、その内容はすこぶる世界的ではないだろうか。
世界に向けて教化的なメッセージを発するという仕方ではなく、内向き自戒的にしか世界的ビジョンを語れないという点に、日本の辺境性の究極形があるのかもしれない。その意味で、内田先生の卓見はものすごく的を得ている気もするのだが。
しかも、西田の世界的世界論に至っては、自国、自民族を中心としないような世界を考えている。
この西田のスタンスも、ある意味で「とことん辺境でいこう」という内田先生のスタンスに近いかもしれない。
雑多な印象を連ねてしまったが、言いたいことはほんの少ししかない。
西田哲学はその難解さゆえに、たぶんちゃんと理解されないまま批判の対象になっていることが多い。安易に批判する前に、もうちょっと西田幾多郎が何を考えていたのか、思いをめぐらしてもいいのではないか。
確かに、西田の哲学には危ないニオイが漂っている。西田の言葉には、ほとんど悪と重なっているようにさえ読める個所が結構ある。しかし、真実と悪の見た目が近いことはよくあるのではないか。真実からほんの僅かずれたところにこそ、最も強力な悪が存在するのではないか。大切なのは、真実と悪の微妙にみえる差異を、無限に離れた距離として認識できるような立場を追求することではないのか。
番組によると、西田幾多郎の遺骸に接して鈴木大拙は号泣されたとのことである。稀有なつながりで互いを尊敬し合っていた二人の巨星の言葉から、学べることは未だ尽きない。
【2013年4月16日追記】
唐木順三の「西田幾多郎先生 昭和二十六年のノートから」を読む機会があった。
唐木は、西田の訃報に接して、西田から直に聞いた言葉を日記に書きつけている。
「文が武に圧倒されるといふことがあってはならない。良い鉄は釘にならないといふ程の覚悟と実践が文に携はる者に必要である。国体といふことも武の一面からのみ考ふべきではない。ここに学を以て立つ者の大決心が要る」 (現代日本文学大系78、筑摩書房、昭和46年、p.162)
唐木に語った西田の言葉は、一般的にいわれている軍国主義とはすいぶん離れている。
そもそも批判の矛先にあげられることの多い「国体の本義」も、戦争万歳的な文章では全くない。
神道を基盤にしているとはいえ、西欧の個人主義を評価しつつも批判も加える視点は、比較思想論として非常に優れているように思う。
戦争は確かに反省すべきことであろう。
しかし、戦争の強烈なイメージが、冷静な評価の眼を曇らせることもあるのではないだろうか。
「真の読書とは、この本は自分一人のために書かれたものだと思うことだ」という唐木の言葉に共感する僕としては、その唐木が共感していた西田幾多郎の大きさを思わざるをえない。