先日、久々に心湧き立つ合唱曲を演奏する機会に恵まれた。
男声合唱組曲『いつからか野に立つて』(詩:高見順、曲:木下牧子)である。
これまで高見順さんという作家・詩人について、ほとんど知ることがなかったのだが、
『敗戦日記』、『三十五歳の詩人』をひも解きつつ、詩の世界を探訪してみた。
そこで、有志と意見交換しながら自分なりにまとめ、メンバーに配布したのが以下の対話編である。
密度の濃い練習・演奏ができたことを記憶しておくために、アップしておくことにする。
■まずは全体像から
B:曲ごとの各論に入る前に、曲集全体の大まかな構成を総論的にみてみようか。
A:こちらの見立てでは、6曲通してのテーマは、「天」と「自分」との関係性を探っているということがあると思う。ただし、『虹』『葡萄~』『天』『いつからか~』の4曲と、『彼』『天』の2曲は少し雰囲気が異なると思うんだ。例えば、『虹』と『いつからか~』では、「天」と「自分」の対比が描かれている。3曲目『葡萄~』でも「青い葡萄」と「酒」の対比は「自分」と「天」に重ねられていると考えられるね。5曲目『天』は主題がそのままタイトルになっている。一方、『彼』と『光』の2曲は、「天」との対比でもがいている人間としての「自分」により焦点を当てている内容ではないかと。それと、6曲中3曲で「天」という言葉が共通して出てくることにも注目したいところだね。
B:なるほど。僕としては、前半3曲は、「マイナスからプラスへの感情の昇華」という同じテーマが形を変えて扱われていると思う。「虹」では悲しみが虹の美しさになる。「彼」では自ら苦しむ人の悲しみが、他人を苦しめないための祈りとなる。「葡萄」では悲しみが喜びになる。後半3曲は、絶望の「光」→模索の「天」→再生の「いつからか」というように曲ごとにテーマが異なっていて、ストーリーのように展開している印象だね。
A:そういう見方もありうるね。各論は、話がしやすい4曲目からはじめるのがいいかな。
■4曲目『光』
B:いきなりだけど、「光」は玉音放送が流れた8/15を表現しているのではないだろうか。「ぎらぎらひかる夏の光のなかで」という箇所は8月のきつい日差しのイメージと重なるね。敵であるアメリカへの憎しみもあっただろうし、『敗戦日記』には、玉音放送が敵を欺く作戦だと言い放った日本の軍人たちへの憎しみも記されているね。そうした憎しみを持ってしまう自分をも憎んでしまう、共に生きていく人々を憎まざるをえないということを悲しいと感じる、というように詩を解釈すると分かりやすいかと思うんだ。
A:ほう。その説明はわりとしっくりくるかもしれない。
B:1945/8/15付の『敗戦日記』(中公文庫版310頁)にはこう書いてあるよ。
――遂に敗けたのだ。戦いに敗れたのだ。
夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。
敗戦は高見さんにとって悔しさと悲しさが入り混じった体験だったみたいだね。
A:僕は、冒頭の「きょうもまた私は人を憎む」という部分で、「国」や「敵」などの抽象的なものではなく、「人」を憎むとなっているところに何らかの意義を感じるけどね。アメリカや日本政府などという実体のはっきりしないものよりも、憎むとしても「人」を相手にしていたいという高見さんの意図が読み取れるように思うが。
B:たしかに。「アメリカを憎む」と言ったのは勇み足だったね。
A:「生きることは憎むことであるか」という部分の最後の「か」も気になるね。「そうだったのか~」というがっかり感、または人間を超える何かに対する「なぜだ!」とも読めそうだね。憎むことが人間の性であると承知しているからこそ、それでも必死に生きていくしかないのだという諦念がうまれるのかもしれないとも感じたね。
■2曲目『彼』
B:この詩が1941年ごろ書かれたということを踏まえると、特高警察を揶揄する表現にあふれていると考えられないかな。大きな声で怒鳴る、人の邪魔をする、人の生活に文句をつける、下らないことを嗅ぎだす、これらはみな特高警察のイメージと重なるように思うんだ。高見さんが治安維持法違反で逮捕され、「転向」した経験をもつということも関連しているかもしれない。
A:とすると、「彼」は高見さん自身が投影されているってことになるかな。高見さんは「鼻が悪い」人だったのかね?
B:高見さんが実際に「年がら年中洟をかんで」いたかまでは調べていない。けれど、「鼻が悪い」というのは、実際に鼻炎様症状があるということ以外に、「鼻が利かない」こと、つまり他人の詮索などできないということの比喩かもしれない。
A:なるほど。僕は、「洟をかむ」ことと、「何か書く」ことが、嫌なものを吐き出すという意味でなんらかの共通点をもった行為かもしれないと感じたよ。「彼」が高見さん自身であるとすると、詩を書くことは、人間の実生活に何ら影響しない、影響しようともしない。そんな無為無益なことに「コツコツと」と勤しんでいる自分を軽く卑下しているニュアンスもあるように思うね。だから作曲家は、この詩にコミカルな曲調を持ってきたのかもしれない。
B:「コツコツと」には、作家としての使命感も感じとれるような気がするね。
■1曲目『虹』
B:曲順は1曲目だけど、詩が書かれた時期は6つの詩の中では最後なんだ。その意味では、この詩が高見さんの到達点とみなせるかもしれない。読みやすいけれど、なかなかクリアに理解できない詩だね。さて、虹は「人の世界」と「天上の世界」をつなぐように架かっているということだろうか。
A:そのあたりは、はっきり表現されていないからなんともいえないね。
B:う~ん。茶を濁されちゃったな。とりあえず「天上の世界」を「あの世(死の世界)」と捉えると、「人々の悲しみ」とは、死者と生者の別れが生む感情と考えられるよね。亡くなった人の、あるいは生き残された人の思いが、(人間を超えた何かの作用によって?)虹に転化し、この世とあの世をつなぐということかな。
A:つまり、僕の心は、悲しみによって天とつながっているというわけか。
B:この方向性で推測を続けると、「僕の悲しみに虹が呼びかけた」ということは、高見さんは死の世界に呼ばれたことになる。しかし、実際に死ななくとも、あたかも死んだかのように(=2曲目『彼』のように、世の中の役に立たない仕方で?)生きることによって、僕の悲しみは心の中で虹になれたということだろうか。
A:もっとシンプルに言えば、自分の心の中に「天」を見つけたってことかもしれないね。
(その2へ続く)