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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

今年の連休は遠くへいくことはせず、近場探訪にいそしんでみた。


■八幡市周辺

まずは家からチャリで南下し、京都南部の八幡へ。

美しい木津川ぞいに整備されたサイクリング・ロードをママチャリで走りきる。

ロードレーサーの皆様にびゅんびゅん抜かされていくけれど、風は気持ちいい。


目的は木津川にかかっている懐かしい「流れ橋」。川の水位があがると、

橋の板が橋脚から浮き上がることで、壊れないようになっているらしい。

時代劇の撮影でもよくつかわれている有名な橋ということで楽しみにしていたが…。


な、な、ながれている!!手前の川岸ではなんとお茶が栽培中。

流れ橋

少し前の大雨で橋が破損中とのこと。直すのにすごいお金がかかるんだろうな…。

橋近くの休憩スペースで筍パンと抹茶アイスで休んだ後、いざ石清水さんへ。


石清水さん参りは二回目。今回は麓に自転車を止め、歩いて登ってみることにした。

日差しがでるとかなり暑かったのだが、参道は若葉のおかげでヒンヤリとしている。

石清水

神馬舎を過ぎて、鳥居をくぐると石灯籠がならんだ参道が見えてくる。静かだ。


ちょうど社殿が特別公開されていて、信長が奉納した黄金の雨樋にふむふむ。

社殿の内部に、武内宿禰を祭った社もあり、ひさびさに武内宿禰という名前を

耳にした。もう何年振りだっただろうか。


結婚式披露宴もできる「研修センター」という建物が神馬舎の近くにあり、そこで

八幡宮所蔵の宝刀も特別公開されていた。説明してくださった神官さんによれば、

刀の手入は非常に神経を使うとのこと。そういえば、三種の神器はみな人の手が

加わった、いわば工芸品だなと思いいたる。なにか理由があるのだろうか。


登りは30分弱かかったが、下山は10分強。日差しの残る中、チャリで戻った。

家にたどり着いてみると腕がすっかり赤くなっていた。恐るべし太陽のちから。


■比叡山坂本周辺

別の日に母親、相方さんと集って坂本を探訪することに。

期間限定公開中の里坊(律院、旧白毫院、行泉院)の拝観をイントロにして、

メインで西教寺、延暦寺、日吉大社をまわるという強行日程を選択。

芙蓉園の洞窟

旧白毫院には、なにやらふしぎな洞穴から入るお庭を拝見。

むかしのお坊さんの遊び心だろうか?修行の場所?


律院と行泉院の庭園も、とても手入れが行きとどいていて

美しい。比叡山からの水が池を満たしていて、匂いが爽やかだ。


里坊の後は、天台貞盛宗本山の西教寺へむかう。

田んぼのそばを抜けると、緑あふれる山裾に立派な伽藍が現れた。

明智光秀が坂本城から移築した建物も残っていて、見応えがある。


西教寺


天台宗系の宗派の中でも浄土色が強いせいだろうか、延暦寺とは異なり、

西教寺には、ストイックな峻厳さが感じられる。柱の色のせいだろうか。


明智光秀の墓所にもお参りして、次は延暦寺めざしてケーブルへ。

古風なケーブルの駅舎をみつつ、ケーブルで比叡山を登る。

連休ということもあり、たくさんの人でケーブルは賑やか。


山上からみる琵琶湖は格別。お坊さんが羨ましくなってしまう。

伽藍は相変わらずの充実ぶり。「密教」の本拠地らしく、建物の外側よりも

内側に味わいがある。なんせあの「ほの暗さ」である。とてもあやしい。

仏像にはなぜ、あんなにほの暗いところが似合うのだろうか。


時間的に東塔しかまわれなかったが、朝から歩きつづけていて足も限界。

延暦寺はほどほどにして、下山することにした。


ケーブルを降りてから、「比叡のお猿さん」という最中を和菓子屋さんで

購入。糖分補給と休憩の後、日吉大社へ。


日吉大社
こちらは、とても木が多い。境内の水路は水も澄んでいて気持ちいい。

楼門をささえる真猿さんに心がなごみ、日差しも傾いてきたところで、

奥の宮訪問は次回へ延期。坂を下って、老舗鶴喜そばで腹ごしらえ。

帰宅してびっくり。万歩計が2万5千歩を指していた。


■国立民族学博物館
一度は行ってみようかということで、万博公園敷地内の民博へ。

2階展示室入口前に、「未来への遺産」と題された中庭があり、思わず

目を奪われた。マヤ文明のような階段のデザインに、土器を思わせる

巨大な焼き物が置かれている。RPGゲーム画面のようでもある。


みんぱく

実際に展示室にはいると、収集された文物が所狭しと並んでいる。

手作りの首飾りなど、これを作るのにどれだけの時間がかかったことかと、

ただただ、これをつくった人のモチベーションに頭が下がる。


おしむらくは、あまりにもたくさんの文物が展示されているので、

おそらくその展示品たちが持っているはずの「空間や時間を変質させる力」を

感じ取りづらいということだろうか。


たぶん人間が文物を制作するということは、作り上げる過程もさることながら、

出来あがった文物の存在が、住空間や周囲の人間の時間感覚に変化を

与えるからではないだろうか。


そこにあるだけで周囲の雰囲気を確実に変えていた品がたくさん集まっている。

そのためだろうか、展示室には、なにやら不穏な、けん制し合ったような空気が

流れている。張り詰めているというより、お互いに遠慮している雰囲気を感じた。


単なるウワサだけれど、夜、誰もいない民博で不思議な音が鳴っていると、

聞いたことがある。もし、世界各地の神々が飛び交っているからだとすると、

神々の多くは、夜行性なのだろうか。


博物館からの帰り、展示品の数々に文字通り圧倒されたのだが、

そうした文物をつくった人々の姿だけでなく、そうした資料を収集・調査する

研究者の方々の熱意も、展示品の背景を彩っていると感じられた。

忘れないうちに活動記録。


3月末に親類の結婚式のため、家人と連れ立って上京することに。

いつものように安いパッケージツアーを利用するのだが、せっかくなので、

式の前日に東京入りすることにした。


早朝の品川で新幹線をおり、ホテルに荷物をおいて、御徒町駅へ。

駅前の「ミルクスタンド」のレトロ感になごみつつ、細い路地を抜けて、

湯島天神へ到着。とくに学業面でのお願い事もないのだが、一応、

軽くご挨拶して学問に敬意を表した。そして、いざ旧岩崎邸へ。


敷地入口の門を入ってから、洋館の姿がみえるまで、徒歩で数分かかる。

これは、攻め入られた時の対策だろうか、などと考えながら歩いていたが、

きっと明治期には車で建物の前の入口まで行けたんだろうなと思いなおす。


砂利道を抜けると南国風のロータリー越しに、堂々たる洋館が姿を見せた。

邸内にはたっぷりのスペースに華美でないが丁寧な装飾が施されていて、

なかなか好感が持てる。洋館横には、和風邸宅がくっついていて、

これも日本ならではの不思議なお住まい。岩崎家の人々はどちらが

お好きだったのだろうかと、想像してみる。

旧岩崎邸
庭にまわって洋館を横から撮影。バルコニーのせいでシンメトリーが

くずれているのが良く分かる。ちなみにこの庭は小学校校庭ぐらいに広い。

ぷらぷらと歩いてみると、庭の奥にすさまじいでかさの石灯篭があった。

たぶん、邸宅の部屋からみたときにちょうど良い大きさに見えるのだろう。


石灯籠

GHQが政治犯を拘留するのに旧岩崎邸をつかっていたらしいという話を

どこかで読んだことがあるが、なんだかそうした政治犯が羨ましくなった。


巨大な洋館を後にして、四谷の防衛省見学ツアーに参加。

三島由紀夫の自決したらしき場所、東京裁判の行われたらしき講堂を見学。

防衛省講堂

当時の姿そのまま保存されているというわけではないらしいのだが、

東京裁判なる大イベントが、案外小さな空間で行われていたのかと思うと、

歴史的な意味の大きさと、空間的な大きさは必ずしも比例しないという

当り前のことに気付かされる。有名人も実物は人間サイズだったのだ。


防衛省を出た後は、靖国神社、九段会館、学士会館と歩きながら見物。

花見に集う会社員のみなさんとは逆方向に歩きながら不思議な気分に。

結構歩いたので、この日はホテルに戻って休養。


翌日は、式まで少し時間があったので、目黒の寄生虫館へいくことに。

目黒駅から大鳥神社を過ぎて、さらにまっすぐ進むと寄生虫館に到着。

気持ち悪い寄生虫と、やたらと寄生虫のスケッチがうまい医学者の姿が

印象に残る。それにしても、どの生き物も生きるための知恵はすごい。


寄生虫をみてから式に顔をだすのもどうかと思うのだが、

久々に姉妹、いとこのみなさんと、ゆっくりとくつろいだ一日を過ごせた。

無事に結婚の宴が終わり、何より。


翌日は朝ごはんを済ませて、ホテルを出ると、ビルの谷間に咲き誇る

桜が目に飛び込んできた。ビルと桜という組み合わせはなにやら新鮮。

東京桜


谷中霊園、谷中銀座をぶらぶらして、メンチカツでお昼ご飯。

途中、朝倉彫塑館という彫刻家朝倉文夫さんのアトリエ兼

住宅を見学。とてもおもしろいデザインに満ちた洋館で、

随所におかれた彫刻、和式の二部屋、古い蔵書の数々など、

居心地のよさが半端ではない。 旧岩崎邸とは違って、

圧倒的ではないけれど、深みのある建築だったと思う。

朝倉彫塑館朝倉彫塑館のウェブサイトへ

さらに足をのばして、近くにある「大名時計博物館」にもいってみた。

大名時計博物館はとてもあやしい門の奥にあり、若干入るのに勇気が

必要だったのだが、入ってみると、大名時計のコレクションがずらーっ。


山本七平さんの『日本人とは何か』という本には、和時計を江戸時代に

造っていたことが、幕末期の産業促進にとても役立ったと書いてある。

大名時計も和時計の一つとして知られる。つまり、季節ごとに、

一時間の長さが変わる時計である。夏は長く、夜は短い。


実物をみてみると、たしかにとても精密である。秒までは示せないが、

子の刻、牛の刻などの刻レベルでは季節ごとの変動をきちんと反映

できるようになっている。


帰り際に正岡子規の旧宅「子規庵」と、子規さんもよく食べていたという

子規庵ちかくのお団子屋さんで休憩。懐かしい味で疲れをいやしてから

関西に戻った。


お団子

明治東京の痕跡を訪ねられて、短いけれど楽しい散策となった。

遅ればせながら2014年後半の読書記録。


■宗教関係
○山形孝夫『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年
 東北の大震災を経験した宗教人類学者によるエッセイ集。「悲しみの門から入る」という視点から、「宗教」が問い直されている。「花は咲く」や「千の風になって」を歌う主体は、死者であるという指摘から入り、「哭く」という死者とのコミュニケーションと「聖霊の呻き」をリンクさせる考察、あるいは「死者との絆」の復権、大橋力さんの「ハイパーソニック・エフェクト」論の紹介、「絆」に呪縛という側面があることの指摘、、留学先アメリカでのキリスト教体験、ホスピスでの活動を通して考えた「死者を記憶すること」の意味など、興味深いと感じた論点が多かった。クリスチャンでありながら、キリスト教を押し付けようとせず、宗教臭さがない著者の語り口には好感が持てる。
 一方で少し違和感を感じた個所も散見された。キリスト教の「女性蔑視」や「反ユダヤ主義」への批判的考察部分は、若干、聖書や神学書の引用・解釈が恣意的であるように感じられた。確かに、読み方によっては、山形氏のようにK・バルトを「護教論的神学」として読むことができる。しかし、K・バルトの真の姿は、キリスト教的であるよりも、「事柄に即して」いることに重きが置かれていると僕は理解している。だから、僕としては、山形さんの議論から、真実のもつ凄みみたいなものを感じとれず、少し物足りない。
 最終章では、S・ヴェイユの「存在しない神への祈り」やJ・レノン「イマジン」の共感的な紹介がなされているのだが、若干道徳臭がキツイと感じた。というよりも、ヴェイユもレノンも、思想として表面化する部分が潔癖すぎるのだ(内面がどうかは知らない)。言い方が良くないかもしれないが、根っこが濁っているけれど、花がとてつもなく美しいイメージ。しかし、僕の私淑するK・バルトや滝澤克己といった先達の示した基督教理解は、ヴェイユよりも、J・レノンよりも遥かに老獪である。いや、老獪なのは現実に於いてのみであり、彼らの示す基督教は根底に於いては歯切れよい。それゆえに、ヴェイユやレノンに比べて、バルトや滝沢には、宗教臭さも、道徳臭さもなく、その代わりに明朗さがある。


○山形孝夫『聖書の起源』ちくま学芸文庫
○山形孝夫『治癒神イエスの誕生』ちくま学芸文庫
 上の二著ともに、イエスとその弟子たちの活動を、宗教者としてよりも、病の治癒者として捉えるという視点が提供・展開されている。アスクレピオスら別の治療神たちと確執、「病人=罪人」という構図の転換など、分析の角度は新鮮である。しかし、基督教における「救い」は単純に「治療」なのであろうか。単純にそうだとは言い切れないと感じる僕にとって、この著者の視座は、新鮮ではあるけれど、本質的ではないように写るのだがどうだろうか。とはいえ、癒しを単純に「奇蹟」とする教義的な見方も不十分だと感じるので、この山形さんの研究は、イエスの「医の技術者」という側面をみせてくれたという意味で、面白かった。


○栗栖ひろみ、『医者ルカの物語』ロバ通信社、1990年
 子供向けに書かれた使徒ルカの伝記作品。医者でもあったルカとイエス・キリストの対比を通して、従来の医療を超えるイエスの「癒しの業」の様子が描かれている。山形孝夫さんの本では、「治癒神」であるイエスは、文字通り病気を癒す営みを行っていた。しかし、この栗栖さんの本では、当時の最先端の医学をおさめたルカですら治せない病人を、イエスが癒す姿が描かれている。治すと癒すのこの微妙な差異を、ルカとイエスの対比として描いているこの伝記は、学術的な著作ではないけれど、なにか心に響いてくるものがある。


○寺園喜基訳『カール・バルト=滝沢克己往復書簡』新教出版社、2014年
 タイトルどおりの一冊だが、ほとんどは滝沢からバルト宛の手紙である。西田幾多郎=滝沢克己往復書簡のような短いやり取りとは異なり、かなり神学的に突っ込んだ議論を含む長文が多く、読み応えがある。滝沢のドイツ留学中から戦争を経てバルトの死去まで、激しく移り変わる時代の中で、二人の思想家がうつり変わらない事柄をどのように考えようとしていたかを知る上で非常に貴重な資料である。滝沢が椎名麟三、無教会派の藤井武など、論文では取り上げていない人らへ共感していた事実など、興味深い。バルトがパネンベルグに辛い評価を与えているだろうことは、なんとなく予想できていたのだが、この本でしっかりと文献的に確認できたのも収穫だった。ここ10年ぐらいで滝沢に関する資料はどんどん揃ってきているので、滝沢の思索の内容面についての議論が、これから盛んになることを願いたい。滝沢克己の言葉と、その言葉の指し示す原事実は、いつの時代においても、誰にとっても示唆的であろう。


○椎名麟三『私の聖書物語』中公文庫
 10年ぶりに再読。昔読んだときは、「なんだかうまいことごまかされてしまったな」という読後感だったが、今回読み直してみると、この本にごまかしは全くなかった。むしろ、とても厳密に、でも柔らかく書いてある。「クリスチャンになったからといって、私は幸福になったのではない。クリスチャンになる前と同じくらいに不幸である。ただ、それはほんとうには不幸ではないということを私は知っているのだ」というくだりは、椎名さんならではの表現でとても面白い。


■医学関係
○土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂
○土居健郎『方法としての面接 -臨床家のために-』医学書院
○中井久夫『治療文化論』岩波現代文庫
○中井久夫『伝えることと、伝わること』ちくま学芸文庫
○中井久夫『家族の肖像』みすず書房
○木村敏『心の病理を考える』岩波新書
 ここに掲げた先生方の本は内容が濃い。土居先生のさらっと書かれている一文の凝縮力は尋常ではない。ゆえに、土居先生の本を読むときは、頁を前後に何回も行き来しながら、考えながら、染み込むのを待ちながら読むことになる。一方、中井先生の場合は、凝集と拡散が波のように文章のなかに交差して、読む体験が一つの流れのようにすーっと勝手に進んでいく。神社に神道という宗教ではなく、きのこの匂いをかぎ取る中井先生の感性は、日本的霊性のオルタナティブでありうると思う。木村先生の自己論は、医学の立場から望みうる最深部に触れてはいると思うのだが、医学が他者の観察からスタートしている学問である以上、自覚という思考ツールを利用できないというハンディキャップを負うている。だから、木村先生の議論を哲学として読んでしまう僕は、踏み込みがちょっと甘いように思えてしまう。

 個人的には、木村先生の文章が、一番自然なペースで読みながら考えられるという意味で、自分に合っている気がする。土居先生の文章はこちらが追いかけないといけないイメージ、中井先生の文章はこちらが吸い込まれていくイメージ。


○梶田昭『医学の歴史』講談社学術文庫
 古い時代の医学の発想が興味深いのはもちろんだが、丸山真男『日本政治思想史研究』の議論を下敷きとして、「政治がはやる時代と医学が重要視される時代は重なるのではないか」と指摘される梶田さんの勉強ぶりにも頭が下がった。「専門バカ」の対極に位置する医学者の姿が、それだけですでに歴史となってしまった医学の姿を伝えているように感じた。


○小俣和一郎『精神医学とナチズム』、講談社現代新書
 ドイツ精神医学の大物たちとナチの関連が紹介されている。ナチへの態度は、人的な思想うんぬんよりもユダヤ系かどうかの出自の問題により強く規定されているような気もするのだが気のせいだろうか。だから、ナチに迎合したからという理由だけでハイデガーはだめというのは、思想と民族というものの関係をまだ捉えきれていないように思う。


○下田哲也『医者とハサミは使いよう』コモンズ、2002年
 気軽に読めるエッセイだが、陰陽五行説を、「それぞれ他の『生み・生まれ・コントロールし・コンロトールされる』四つの独立した要素と有機的関連をもつ系とすると、その最小要素数は五つになるはず」と解釈するところは、とてもうなずかされた。


○傳田光洋『賢い皮膚 -思考する最大の〈臓器〉』ちくま新書
 皮膚を自律する一つの臓器と見做して、その機能を考えた本。皮膚の電気を通した知覚・免疫の様子を分かりやすく学ぶことができる。皮膚にオキシトシン受容体があるとか、痛みレセプターもあるとか、皮膚の密かなる働きの数々にびっくりさせられた。


■科学の「意味」論
○山鳥重『脳からみた心』NHKブックス、1985年
○多田富雄『免疫の意味論』青土社
 山鳥先生は、意識はひとつ、心は複数の機能(認知、記憶、言語など)の重ね書きと考えておられるようだ。この「機能」を「自律的なシステム」と見做せば、多田先生による「人間は、神経系、内分泌系、消化器系などの自律的な系=システムが重なった超システムである」という複合的人間観になる。いずれにせよ、大森荘蔵の「重ね書ぎ」理論と近いものを僕は感じ取った。


○安保徹『医療が病をつくる 免疫からの警鐘』岩波書店

○安保徹『免疫革命』講談社α文庫
○安保徹『人がガンになるたった二つの理由』講談社α文庫
 免疫というシステムと、気象、老化、がん化など様々な現象の関連が提唱されている。まさにメタ免疫学である。安保先生の議論は自由でおもしろい。


○J・モリス『裸のサル-動物学的人間像-』角川文庫
○B・ホロヴィッツ『人間と動物の病気を一緒にみる』インターシフト、2014年
 前著は、進化生物学の視点から、人間の行為がいかに動物と共通した部分をもっているかを示す。「笑い」や「傷ついた仲間をいたわる」といった行為が動物でも見られるというのは面白い。後著は、人と動物に共通する病気についての事実をたくさん収載。動物版たこつぼ型心筋症など、病気と生命の関係に思いを馳せさせてくれる一冊。


■その他
○長谷川真千子『民主主義とは何なのか』、文春新書
 フランス革命を知れば知るほど、民主主義という名前でどれだけの暴力が肯定されてきたことかと感じる。この本が丁寧に論証しているように、実際、民主主義の歴史は苦々しいものである。しかし、長谷川さんの「民主主義によって理性の働きが抑えられる」という説まではいえるのだろうか。たしかに、戦後、民主主義がその意義を理解されないままに礼賛されていた時期があり、その迎合具合に長谷川さんが反感を持たれているのはもっともであろう。だが僕は、現在の民主主義には「他の人と同じ考えをもつことを好む大衆主義」が入り込んでいるというオルテガの意見のほうに共感する。長谷川さんが嘆く知性の失墜には、民主主義よりも大衆主義のほうが寄与しているとおもうのだが、どうだろうか。むろん、大衆主義と民主主義が相互に育てあっていたということは十分にあり得ると思うのだが。


○三木亘『世界史の第三ラウンドは可能か』河出書房
 「未開・文明・野蛮」という循環史論の立場から、発展段階論にもとづく西洋的歴史学とは一線を画した「歴史生態学」を目指す本。冒頭の、「文明が飽和状態に達すると、文明から野蛮が生じる」、「これほど世界中が戦争でみたされた時代は世界史的には異様としかいいようが無い」という指摘には著者の静かな熱意が感じられる。世界帝国の建設後、遊牧生活に戻り、いまでは社会主義国となっているモンゴルの不思議さの指摘、上原専禄という歴史学者の存在、遊牧民にとって砂漠や草原こそ清浄であり都市は汚濁であるという指摘には、はっとさせられた。「売るために作る」近代資本主義に対し、「人々は自分たち自身が生きてゆくために何かものをつくる。そのものは、土地土地の条件でいろいろ違ったりしている。それを有無相通ずることによってお互い豊かになっていく。この豊かさは量の豊かさではなくて、多様性の豊かさです。それが商業の原点です」(193頁)と批評する一文には、身が引き締まった。


○宗左近『日本美 縄文の系譜』新潮選書
 この本は静かにぶっとんでいる。「土器や土偶や勾玉は、文字をもたない縄文の流通する宗教言語なのである」(53頁)というしびれる一文のほか、東北と熊野を縄文の地とし、夢幻能を縄文の名残とし、芭蕉、聖徳太子、信長らを縄文と結びつけて論じる宗さんの文章は力強い。「人間が生きてゆくとは、まず人間を超えた存在に取り憑かれること、次に、人間を超えた存在となって、新たな人間に取り憑くことである。そして、それが、歴史である。鎮魂の連続でない時間の継起は、歴史ではない」(262頁)。自分を徹底的に見つめるということは、おとなしくなるということではなく、自分の内なる生命のエネルギーの横溢に到達することである。その意味で、自覚とは、孤独であるかのようでいて、もっと社会的な営みなのである。
 
○司馬遼太郎『春灯雑記』朝日文庫
 司馬さんのやや硬めの日本論5本を集めた一冊。冒頭の「心と形」は司馬さんの宗教論のなかでも、かなりつっこんだ内容になっている。ただ、「歴史的変遷としてのキリスト教がすぐれているのは、絶対という大ウソを、神に対してしか捧げなかったことでしょう。この大ウソ以外は、ひたすらに認識的で論理的で、ひたすらに正直で、虚偽を忌んできました」(44頁)という司馬さんの評価には素直にはうなずけない。嘘と本当は、互いに互いを規定しているところがある。司馬さんが、キリスト教の神の絶対を大ウソと言えているということは、そのようにウソだと断罪している司馬さん自身の立場を本当としているということなのだ。僕に言わせれば、キリスト教が神以外のことがらに論理的だったのは、神が本当を生みだす源泉であって、神以外の事柄はどんなにまことしやかであろうとウソにすぎないと思っていたからではないだろうか。ウソを忌み嫌っていたから論理的になったのではなく、ウソしかあり得ない領域だからせめて論理的でなければならないと思っていたのではないか。


○福澤諭吉『福翁自伝』岩波文庫
 福沢さんの勉強時代と僕の学生時代を比較すると、福沢さんほどには勉強していないし、福沢さんほどにはお酒を飲んでいたわけではなかった。そんなやぼな読者であるぼくからすると、どこまでも誠実な吉田松陰よりも、武士らしくもなく武士らしくもあった福沢さんのほうが面白い。

『ベイマックス』を相方さんと拝見。


随所にちりばめられた日本への憧憬がくすぐったいだけでなく、

ユーモアとアクション満載の楽しい作品になっている。


ベイマックスというロボットは、たぶんトトロがモチーフになっている。


(似ているところ)

・体型

・お腹がプニプニとやわらかいところ

・上半身を動かさない歩き方。足がひょこひょこ。

・道具をつかって飛べる(コマとパワーアップスーツの違いはあるが)

・裏表がない


これだけ似ていれば、ベイマックスはトトロをモチーフにしている、

ということでよいのではないか。暴論ですか?


そのうえで、トトロとベイマックスの違いについて考えてみる。


(違っているところ トトロ/ベイマックスの順)

・得体のしれないもの/人間がつくりだしたもの

・きまぐれ/人の指示に従う

・生き物(?)/ロボット

・見える人にしか見えない/誰もが見える


ここまで書きだせば、トトロとベイマックスの対比はある程度可能だろう。


上に挙げたトトロとベイマックスの相違点は、まさに日本とアメリカの

考え方の方向性の違いを反映しているようにみえるから面白い。


たとえば、この映画で最も倫理的にふるまったのはベイマックスだった。

感情を持たないロボットであるベイマックスが、合理的な計算の果てに

導き出した答えがもっとも献身的な行為となる。


一方、トトロはまったくもって、倫理的ではない。

人間の側からすれば、トトロは、いつ出現するかもわからないし、

いつ助けてくれるかもわからない。かなり気まぐれな存在である。

でも、本当に困っているときにトトロは助けてくれる。


こうしてみてくると、アメリカ映画は、「得体のしれない良いやつ」を

失って久しいのではないかと思えてくる。

「得体のしれない悪いやつ」はたくさん見かけるのに。

単に、アメリカがマイナス志向で、日本が能天気なのかもしれないが。


西田幾多郎の「物となって生きる」という倫理論を思い出しながらも、

倫理的な行為を最初からロボットという「物」に押し付けていく

『ベイマックス』の感覚には、ちょっとした居心地の悪さがあった。


でもたぶん、人の献身的な振舞いのほうが、それはそれで嫌味に

見えてしまうのだろう。どうやら僕は、素直さを失って久しいようだ。

しかし、素直に見るだけでは、どうにもならない時代のような気もする。


やれやれ。


↑は『ベイマックス』に対してではなく、時代、あるいは自分に向けた

ため息である。念のため。

『ベイマックス』はとってもリラックスして観られた久々の作品である。

(その1からのつづき)


3曲目『葡萄に種があるように』

B1曲目「虹」の解釈とつなげると、「青い葡萄が酒になる」=「悲しみが喜びに成る」≒「悲しみが昇華して虹になる」という構図が見えてくるね。

A:シンプルな構図のように見えて、実は奥が深い詩のように感じたよ。葡が酒(ワイン)になるためには、ただ放っておいてもダメで、人間の丹念な作業はもちろんのこと、人間を超える何か(自然・時間)の不思議な作用が必要だということ、つまり、悲しみを喜びに転化するには、人間自身の努力に加え、さらに、自然(天)の力も必要ということを言っているのかなと。

B:なるほど。自力だけでなく、他力的な側面もあるってことだね。

A:そのへんは親鸞さんに聞いてくれ。それともうひとつ、「酒」とは、単純に「喜び」ととらえてよいものかな? ある意味、喜びの中でも、憂いというか、悲しみのようなものを含んだもののような雰囲気を感じるね。お酒の喜びって、ハッピーというよりも、なんか悲哀が寄り添う「悦び」みたいなものを感じないかな?

B:単純な喜びではなくて、円熟して苦さも含んだ喜びということかな。

5曲目『天』

A:「どのへんからが天であるか」と問いかけられているから、「天」はなんらかの「境界」の向こう側にあるのだろうね。では、その「境界」はどこにあるのか。「鳶の飛んでいるところ」は、おそらく「空」であって「天」ではないのだろう。「天」と「空」は違うのではないかな。「空」は見えるし、行けるし、触れることだってできるようなイメージがあるけれど、「天」は人間の眼には見えないところ、「空」よりさらなる向こう側にあるはずという気がする。

B:ふむふむ。興味深い意見だね。

A:個人的な意見になってしまうけれど、西洋の「天」は空間的なイメージが強く、「空」に近い。一方、日本の伝統的な見方では、「天上」、「天下」、「天を駆ける」などの表現にみられるように、「天」は、なにか平面的な「境界」を示すイメージがある気がする。この詩の場合は、日本的な「境界」のイメージをもった「天」ではないかな。

B:「空」と「天」の違いを戦争に結び付けてみると、「制空権」という言葉はあるけれど、「制天権」という用語はないよね。1945710日、午前5時から午後5時まで続いた大空襲を生き延びた高見さんは、『敗戦日記』(中公文庫239頁)にこう記している。日記の記載からみても、「天」は人間の支配が及ばない、もっと普遍的な何かのことだね。

天に――と私は書いた。神に――と実は書こうとして、私は躊躇した。私に神はいない。誰に感謝したらいいのか。私は感謝すべき神を持たぬ。致し方なく天にと書いた。



A:付け加えると、「人の眼から隠れて」という箇所は、『葡萄~』で出てきた、葡萄を酒に変化させる人知を超えた自然の作用を連想させるね。この連想を続けると、「熟れていく果実」≒「酒に変わっていく葡萄」≒「天とつながっていく自分の心」となるのかな。だから、「その果実の周囲はすでに天に属している」は、果実(≒自分の心)には天(=人間の手の届かない神秘の領域)に通じる部分があるということの別の表現とみなせる。自分の心には、自分では手の届かない領域があるとも言えるね。

6曲目『いつからか野に立つて』

B:流れとしては、中間部で私が消失しかって、「土から吸いあげたもの」によって私が再生する。その前後で、「野に立つて」から「野に伏して」に変化するんだね。

A:そうそう。前半では、本来人間には見えず、届かないはずの「天の一角」へ、堂々と「右の手を差しのべ」、すべてがわかっているかのように断定的に「それだと叫」んでいたわけだね。それが、後半では、何か無力感に気付いたというか、人生すなわち苦、と悟ったのか。苦しみがなければ生きることさえできないと、必死に土から吸ひ上げたもの(=苦しみ、悲しみ)によって自分を満たしていく。「土」は、ほかの人間なのか、現実社会なのか、いずれにしても「天」に対するものだろうね。

B:重厚な解釈だなぁ。で、続きは?

A:格好悪くとも生きるために「野に伏して」、実際に自分が生きるステージである「地」から左手を「ぴたりと離さず」、「天」という人間には届かない領域を目指すのではなく、おそらく大声で叫んだりせず、静かに「右の手で遠い空を指さす」のが「祈りの姿」となったというのはどうだろう。

B:「天の一角」と「遠い空」の対比があると読むわけだね。

A:そうなんだ。「天の一角」へ直接「手を差しのべ」るのではなく、そこに見えている「遠い空」の彼方にあるであろうと想像する「天」の方向へ、そっと「指さす」ことしかできない、そんな小さな存在であることに気付いたということかな。

B:なるほど。でも僕は少し違う感じを受けたよ。まず、どんな「野」なのかなと考えてみたんだ。すると、やっぱり戦後の「焼け跡」が連想されるんだね。「国破れて山河あり」だから、もういちどこのボロボロになった日本の大地からやり直していこう、この地に根を張り直すしかないのだという思いが感じられる。だから、「野」「地面」「土」は、苦しみも喜びもひっくるめて、人間を支えてくれる基盤みたいなニュアンスではないかな。

A:「土から吸い上げたもの」にはプラスのものも含まれると言いたいんだね。

B:ご明察。

C:どうもこんにちは。突然登場してすいませんが、ひとこと言わせて下さい。

A&B:どうぞどうぞ。

C:「野に伏して、左の手をぴたりと地から離さず、右の手で遠い空を指さす」という「祈りの姿」を、言葉そのままやってみると、かなり格好悪いのです。姿勢にとても無理があります。しんどいですし。私は30秒が限界でした。高見さんにとって祈ることはしんどいことなのかもしれません。高見さんがものすごい背筋力をもっていたのなら話は別ですが。

A:「祈りはしんどい」というのは面白い解釈だね。たしかに、言葉通りだと非常にいびつな「祈りの姿」になるね。まぁ高見さんに言わせれば、そうした一見したところのいびつさ(異常さ)こそが、高見さんの見出した本来の在り方なのかもしれないけれどね。

B:僕は「祈りの姿」は執筆しているときの高見さんの姿と重ねられると考えると、変てこでなく自然な姿勢のように理解できると思うんだが。

A:ほう。そのこころは?

B:高見さんにとっては「原稿用紙」が「地」であり、「遠い空」でもあるのではないかな。何も書かれていない原稿用紙は「地」であり、高見さんの言葉を記した後の原稿は(人間の届かない「天」と異なり、人の届き得る真実が記されているという意味で)「遠い空」でもある。だから、この詩の最後の部分では、左手で原稿用紙を押さえ、右手にペンを持って机に向かう(伏す)姿が「祈りの姿」と言われているように感じたんだが、どうだろう。

A:「祈りの姿」は自然な姿勢になったけど、解釈の仕方は不自然かもね。まぁそういう比喩があってもいいかもしれないけれど。

B:寛大なコメントありがとう。では、この辺でお開きということにして。

A:うん。長々とお疲れ様。


(おわり)