レース屋の親父
もう完全引退してしまったが、
当時の日産系ワンメークスレースでプライベーターながら複数優勝、
その後ドラックビートルやミニとかのスペシャルパーツを企画製作、
レース参戦のレース車の戦闘力は高く、上位入賞常連。
と腕も発想も結構天才的な人がいた。
でも、
性格はかなりキツイ、というか過激。
常に戦闘態勢で人とぶつかる。当時として、画期的な製品企画も喧嘩してご破算にしてしまったり、
容赦なく弟子筋にも当たるので、
なかなか工場にも人がいつかず結果、
大体一人で仕事していた。
自分は使いっパとして、騙されて鈴鹿まで嵐の中トランポ運転させられたり、
素人メカとして怒鳴られまくって作業させられたりして、
こき使われる事も多かった
(元々は客です)笑
もう一人
富士のレース村の親父。
親分肌でやはり人をこき使うものの、
好きなおやじさんだった。
ヤ系の知り合いが多い人で(実の叔父さんがその系)それ絡みのトラブルもよく見聞きしていたが、
面白い人だよなーぐらいに思っていた。
こっちはこっちで、結構人をなめてるとこがあるため、
一度
「ぶっ殺すぞコノガキ!!」
と
本気で切れて怒られた事がある。
一時間ぐらい直立不動で説教を聞き、
平身低頭で詫びをいれた。
(この手の事は人生二度目 笑)
が、
それからも何事も無かったように、
なにかとよくしてくれた。
時々電話で話をしていたのだが、もう引退されたようだ。
コンプラ、◯◯ハラ…
最近いろいろうるさいですが、
明らかにそんな行きすぎた人たちが、
自分の人生を豊かにしてくれてたなー、
と
思いを馳せるのだった。
まっ
関わる人たちが、
自分の性格も相まって、
特殊な人が多いだけ、なのかもしれないが、、、