米田建築史学に関する記事に最近「いいね!」をしてくれた方々です。
もう一度、米田建築史学ファンへのお知らせ をお読みください。
見積もりの結果が出ましたので、間もなくゴー・サインを出します。
狼少年的に延び延びになっている世界大変革の折には、日本の古代(卑弥呼から奈良時代)は九州を中心としたものになり、当全集が がぜん注目を浴びることに・・・・・
なって欲しいものです。
米田建築史学に関する記事に最近「いいね!」をしてくれた方々です。
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見積もりの結果が出ましたので、間もなくゴー・サインを出します。
狼少年的に延び延びになっている世界大変革の折には、日本の古代(卑弥呼から奈良時代)は九州を中心としたものになり、当全集が がぜん注目を浴びることに・・・・・
なって欲しいものです。
昨今の「もしもピアノが弾けたなら」の心境は西田敏行の歌とは異なり、ストリート・ピアノ・デビューしたい、という気持ちが筆頭なのかもしれない。
弾けない者からすると羨ましさは格別であって、弾ける人には想像できない。
外国人の動画を見ると、老若男女、職業・境遇等、実に様々で圧倒される。
少しでも心得のある人は練習を再開して世界のエア・ターミナルなどで日本をアピールして欲しい。
中村紘子さんのピアノ伴奏でラジオ体操をやったらどんな気分かな、と考えたことがある。
装飾音がいっぱい散りばめられ、聴き惚れてしまい、つい動きが滞ってしまうかもしれない。
これと少し似たシチュエイションといえるかもしれないが、世界的なピアニストの伴奏で校歌を合唱する幸せな同窓会の動画である。
https://www.youtube.com/watch?v=EKPpZxc9Mgc&t=35s
務川慧悟さん 旭丘高校 校歌 東京鯱光会2014
School song in alumni association in Tokyo
先日のエリザベート王妃国際音楽コンクールのピアノ部門で3位入賞した務川慧悟君の知名度が上がる以前の映像で、この時は定番の楽譜のままを弾いている。
聞いたところによると、旭丘高校の生徒の約半数が、そこそこピアノが弾けるそうで、務川君はその厚い層の頂点、そして、その後のブレークが素晴らしい。
「3丁目の夕日」の頃の我々とは えらい違いだ。
その後、上昇したものの、落ち目になってしまった日本をイメージ・アップしてくれると期待している。
(追悼)
動画にある同窓会に、先日亡くなった野村君も当然出席していたと思います。
彼はこの数年間は電話友達で、東京鯱光会について よく語っていました。
彼は、東京エリアの同窓生(一中の先輩から最近の後輩まで)の知性、人柄、向上心を高く評価し、自らも東京で納得できる仕事をやり通した、と何度も語っていました。
以上は彼から後輩の皆さんへのメッセージとして受け止めて下さい。
『名古屋教育ママ物語』の編著者
https://www.youtube.com/watch?v=sVizUN6xhxI&t=211s
【コロナ】僕はアビガンで治りました|感染から退院まで全て語ります【告白】
何事も慌てちゃいかんね!
1年前だったら こんな動画をアップしたら袋叩きは間違いなし。
参考になる動画、記事を載せますので見て、読んで、強く生きていくパワーを蓄えてください。
テレビ、ラジオのスイッチ切るのをお忘れなく。
1月19日(火)にM〇dernaワ〇ク〇チ〇ンを投与したクリスティ・シモンズ看護師についての最新情報です。まだ改善されていません。という事は、四か月間ずっとこのまま?
https://twitter.com/i/status/1398772042292359168
子供にワク〇ンを打たせようと考えている人に見てほしい。
https://twitter.com/i/status/1398942538413875202
ロンドン:反コロナ、フリーダムデモに参加して来ました。 今日は今までにも増して、すごい参加人数で、どこまでも続く大群衆に圧倒されました。
https://twitter.com/i/status/1398745251066568710
@JamesMelville
· 5月29日
Why aren’t the mainstream media giving the anti-lockdown / #NoVaccinePassports protest march in London any significant coverage? Hundreds of thousands of people are marching today. It’s enormous. #londonprotest
https://twitter.com/i/status/1398633885148356610
https://news.yahoo.co.jp/articles/62c97e426126df8928b12fcf4835e2d8ab96af4b
もう、めっちゃくちゃの時代に突入した。
オリンピック、コロナ騒ぎ、天変地異、等々みんな出所はおんなじ。
舞台装置を受け持つ我が国(厳密に言えば我々国民)は たまったもんじゃない。
「コンドーム15万個」のニュースも驚きだが、WORDに打ち込むとタイトルのように変換された(そんな筈は無い!)。
シンガポール以前にイギリスが「セイキの祭典」なんか止めてしまえ、と報道している。
https://news.goo.ne.jp/article/mag2/nation/mag2-488742.html
いよいよ耐え切れなくなった人が以下のように 書き込んでいる。
日本は、終わりです。
悲しいです。
オリンピックは、国民の税金で行われるのに、国民が楽しめないなんて悲しいです。
政府、選手、IOC、利益を得る人のオリンピックです。
税金を納めている一般国民は、外野です。
政治家は、国民の命を守らなければいけないのに、犠牲にしています。
情けないです。
今の日本は終わればいいのだ。
そもそも この国は始めからインチキなのだ。
飛鳥時代、大宰府を舞台に本当の平安絵巻が繰り広げられていた。
“鳴くよウグイス平安京”は中国かぶれの いい格好しいが先の王朝のパクリを見破られないための工作に ひっちゃきだった時代の都である。
明治維新、太平洋戦争は結局、大和朝廷のDNAの再構築イベントに過ぎなかったわけで、国民がボーとしている現在、自称上級国民が長らく安心し切っていたため、その土台が崩れ始めたに過ぎないのだ。
いよいよ倭国の出番である。
本当はアマテルが治める「ほつまつたえ」の縄文時代にまで遡った方が、地球規模的には良いのかもしれない。
何てったって、縄文文明は4大文明より遥かに古いからね。
救国の歴史書「米田建築史学シリーズ」の拡販を企んでいるのだが、ワクチン会場で列を作っている羊さんたちを見ていると、教科書の歴史と異なる見解なんて天地がひっくり返っても信用されないことが良~く分かった。
発行部数は増やせない、単価は高くなる。
あ~~あっ

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9&ei=oIavYLfLHs6voATpgpqYDw&start=0&sa=N&ved=2ahUKEwi3m_r_5OnwAhXOF4gKHWmBBvM4ChDy0wN6BAgBEDo&biw=1536&bih=722
15年程前、佐賀市にある大隈重信記念館を訪れた際、展示されているフルベッキ写真上、大隈重信も同定され、撮影は慶応元年とハッキリ書かれてることを確認した。
その後、この写真がブームとなったので、再確認のため記念館に電話で確かめたところ、写真は展示から外されたような応答であった。
大隈の顔は他人とは間違いようがなく、記念館も認めているからこそ展示されていたのであり、明治になってからの撮影ではあり得ない。
折に触れマスコミはフルベッキ写真明治撮影説を流すのだが、コロナパンデミックと同様、国民の大半は簡単に信じてしまう傾向にある。
まとめ
写真は大隈重信の本拠地で“慶応元年”撮影と断定されている。
明治になって、これだけの若者集団がちょん髷、帯刀はありえない。
この時代の若者たちの顔は髪型のせいもあるが、短期間で目まぐるしく見た目が変化する。
しかし、その後の写真と侍時代のものを並べると、骨相学的には驚くほど一致する。
「他の写真と見比べればあきらかに別人」との新聞記事は確信犯的であり、世論誤誘導の典型的な手口である。
昨今ではフェイク・ニュースとの言い方が定着してきた。
<span style="color:blue" lang="EN-US"><span lang="EN-US">フルベッキ写真にまつわるドタバタ</span></span>
戦後、フルベッキ写真を日本国民が目にしたのは1957年に出版された石黒敬七著の『写された幕末』が最初であろう。
解説には明治大革命を仕掛けた集団などとは一切書かれていない。
話題が盛り上がったのは2002年、中丸 薫 が書いた『真実の灯を消してはならない』が発端であり、当時、こんなタブーに触れても大丈夫なのか? と心配する程の内容であり、世界がいよいよ動き始めたのかと予感した。
写真に関する論争の焦点は撮影年と中央の若侍が誰なのかの二点に絞られていて、結論次第では宮内庁がパニックに陥るからと思われている。
幕末、普及し始めた写真技術を用いた大事業の記録の中に、革命派の若者たち(後の明治の元勲たち)の自分の足跡を残したくなる心理は理解できるが、後世、褒められこそすれ、知られては困る立場に追い込まれようとは夢にも思わなかったに違いない。
続く
米田良三氏と本作り中のエピソードです。
第1作は新泉社版『法隆寺は移築された』の知名度の活用に加え、出版の後日談と新たな知見が加味されたことで『続 法隆寺は移築された』と、すぐに決まりました。
第2作は少々悪乗りし『長谷寺も移築された』と提案したのですが最終的には『長谷寺考』に落ち着きました。
現在、建築史学シリーズ(全4冊セット)は何セット作るか迷っている最中です。今しばらくお待ち下さい。
その第4作『柿本人麿の真実』の中に以下の文があり、幻のタイトルの“長谷寺も移築された”ことが述べられています。
初めての方は何のことか全く分からないと思いますが、根性のある方は読んでみて下さい。
理解できず悔しい思いの方は「建築史学シリーズ」に挑戦されてはいかがでしょう。
517年に高さ10メートル余の錫杖(しゃくじょう)を手にした木造十一面観音立像が出来上がる。
大悲殿はその後着手されたと思われるが、全体の施設が完成したのは521年頃と思われる。
日本最古の木造建築と言われる法隆寺は607年創建である。
さらに80年以上古い木造建築が現在の奈良の長谷寺の大悲閣と言うことになる。
経蔵と鐘楼が江戸時代に京都知恩院に移築されている。
また、三門は奈良の長谷寺に移築されている。
これらは創建長谷寺の建築であり、奈良帝(いわい)と人麿の作品と言える。
ちなみに経蔵は46.4尺角(46.4 × 0.303 = 14.05メートル)のお堂である。
人麿が用いた物差しは1尺 = 0.281メートルの倭尺で14.05 ÷ 0.281 = 50尺角のお堂を建てたのだ。
十一面観音(神功王后)の脇侍は難蛇龍王の倭武王と雨宝童子の奈良帝という親子三人であることは言うまでもない。
この建設の為に、奈良の帝と柿本人麿は足繁く奈良の京(吉野ヶ里あたり)から泊瀬(佐賀県三瀬村あたり)に通われた。
奈良の帝は現代で言う建築家であり、人麿は木工頭、つまり建築技術の長であり、パートナーである。
Our Life During Covid | Petersen Family
予防接種に就いて新聞・TV系のマスコミとNet系の意見は真っ二つに分かれ、どちらの説を信じるかにかかっています。
毎年、インフルの診療は守備範囲外ですので予防接種もノータッチです。
従って、コロナ騒ぎの最中も静かなものです。
聞かれると、(自分に対しても、人に対しても)「打たない」と答えます。
普段から食生活等、注意深く過ごしていますので、評価の定まらないものを体に入れてペースを乱したくないという考えです。
いずれにしろ、結果については自己責任です。
参考資料
https://www.youtube.com/watch?v=DQ5lCPN8EnE
お口直し
https://www.patreon.com/thepetersens