1990年代の夕刊記事で、「米田建築史学」にのめり込む前の話です。
東北のことには関心があったので、しっかり読んだつもりですが理解しづらい内容でした。
今にして思えば、東北には“大和朝廷に逆らう野蛮人が住んでいた”と歴史の時間に習ったことが真相に迫るのを妨げていた最大の理由と言えます。
学校の歴史では“東北王朝”の概念は全くありません。
「米田史学」を学んでからは、当時理解できなかった この筆者の言いたい事だけでなく、“日の丸の起源”、“白村江の戦の真相”、“倭国時代の東北”、“大宰府が首都の王朝”といったテーマについても両者の違いが理解できるようになりました。日本の始まりは 何故曖昧なのか
この筆者(文化人類学者)の見解は従来のアカデミズムの歴史学者たちよりも踏み込んだもので好感が持てます。
気になる記事は、その時 理解できなくても捨てることなく、“ひとまず保存する”が 教訓です。