『続 法隆寺は移築された 建築史学入門』の38頁にある2007年・中越沖地震に関する記事を、当ブログの初期の頃に載せましたが、その続編です。
ひとことで言えば、地震の後、日本海沿岸に大量の古木が浮上し、それを地域住民に配布し、その由来について研究者は答えが出せないでいるのです。
古木は約5000年前・縄文時代のものであると認められたのですが、加工材と生木の識別をアカデミズム側は出来ないのか、それとも(識別を)してはならない事情があるのかが問題なのです。
マスコミに発表された古木の写真は、塊状のものがほとんどですが、引用した地元市民のブログ記事によれば、住宅の柱と思われるものも混じっています。
フォッサマグナに沿って在った縄文時代の住宅街が4000年前の列島合体の際に埋もれてしまったのだが、地震により海底から浮上した、というのが米田良三氏の結論でしょう。
何が問題かというと、年代的にも、内容的にも世界史で習う4大文明に勝るとも劣らない文明が日本にあったことは許し難いのです(誰が?ですね!)。
新潟大学の研究者たちも、堂々と自説を述べればいいのです。
私はその辺を意識して上記のようなコラムを書いたのです。
地震を仕掛けたら、日本の凄さが古木とともに浮かび上がってしまった、というのがタイトルの由来です。
コロナ騒動で自宅に閉じこもっている貴方。
何もやることが無くて退屈でしたら『続 法隆寺は移築された』を読んでみませんか。