ちはやぶる神代も聞かず龍田川・・・・・
・・・・・・・・・龍田の川の錦なりけり
憂かりける人を泊瀬の山降ろし・・・・・
この“龍田”の舞台が近畿地方と誰もが思い込んでいるのですが、実は、このブログにある背振山が龍田山です。
米田良三氏が『住吉物語』『源氏物語』『枕草子』等を理系の目で分析した結論です。
このブログHARMONIES ハーモニーズ(Ameblo版)の内容はよく理解できないのですが、興味をそそられます。
ロマン溢れる百人一首の舞台に、現代では国家の怪しげな施設があると知って幻滅です。
龍田川(現在の初瀬川)は三瀬村の宿(源氏物語に出てくる椿市)、移築前の長谷寺の敷地を蛇行しながら北山ダムに流れます。
米田氏は『続 法隆寺は移築された 建築史学入門』で以下のように解説しています。
本来の龍田山は、九州の背振山地である。山並みを龍が伏せていると捉えた名称と思われる。
その龍に守られた山国は隠国(こもりく)と呼ばれ、筑紫の京の奥座敷の位置にあった。
隠国の奥まったところに泊瀬(はつせ)はある。今は無い泊瀬寺(移築されて長谷寺)に倭薈(いわい)の母である神功王后が祀られ、500年代後半から600年代にかけて、泊瀬観音信仰が東アジアに広がっていた。
現在、龍田川は初瀬川と呼ばれており、日本(倭)国の時代の余韻が残る。
泊瀬寺跡推定地のすぐ下流にはダムが造られ、北山貯水池が出来ている。
貴女も玉鬘の気分になって、長谷寺の跡地に佇んでみませんか。
もちろん、上記『建築史学入門』、『現代を解く・長谷寺考』で予習してからネ。