○はじめに

まんがタイムきららキャラットで連載していた「紡ぐ乙女と大正の月」がとうとう完結してしまいました。本作の素晴らしさを多くの方に知ってもらう為にも、物語への理解がより深まるよう、歴史学的観点から解説を行っていきます。

本作はその名の通り大正時代が舞台で、確かな時代考証に則って物語が進行していきます。

歴史物の多くは設定に対する歴史的事実のこじつけが多く、歴史考証という点において著しく劣等であるケースが少なくありません。そのような中で本作は芸術的なまでに歴史考証がしっかりしており、歴史物として稀に見る神作と言えるでしょう。

当然きらら作品、百合作品として楽しむべき作品ですが、折角ならもっと歴史物として読んでもらいたい。その一心で、僭越ながら解説させて頂く次第です。

尚、本記事はネタバレを含みますので是非原作をご一読した上でお読みください。

 

○前提(華族令と公家)

本作の主題は華族令嬢です。

原作でも解説がありますが、明治17年制定の華族令下では華族は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五爵に分類されます。

次に、日本の公家の家格について説明します。

日本の公家は元来朝廷に出仕する貴族階級を指しますが、公家の中にもランクがあります。このランクに応じて就ける役職が決まります。

また、華族令下では全ての公家が華族に列せられており、その爵位もまた家格によって決められました(例外あり)。

以下に示す図は、公家の家格と爵位の関係性を示しています。

 

図. 公家の家格と爵位(例外あり)

 

公家の中で最も格式が高いのが五摂家。摂政・関白になれる家格で、近衛家、鷹司家、九条家、二条家、一条家の五家です。現状はここだけ理解できていれば問題ないかと思います。

以降の解説の多くは上記を前提として進めていきます。

尚、全ての歴史用語を解説していると膨大な量となってしまいますので、日本の義務教育で学習する範囲の情報は説明を割愛させて頂きます。

 

○各話解説

ここからは各話のシーンで解説が必要と判断した部分を順番に記載していきます。一部筆者の趣味的な解説もありますがご了承下さい。

 

【第一話】

・大日本帝国の警察

一話でタイムスリップした紡を引っ捕えようとして鼻血を吹くなどする警察官が登場します。作中でこの警察官は「大日本帝国の警察を愚弄するとは…!」と言っています。この台詞は時代背景を明確にする意図があると推察していますが、そもそも当時の警察とはどのようなものだったのかという解説です。

明治維新を遂げた日本にも警察制度の導入が必要であると考えたのは初代司法卿江藤新平です(卿とは今で言う大臣です。司法省は現在はありませんので、法務大臣と考えて頂ければよいです)。

江藤は法律を司る司法省に警察を導入しようと考え、欧州の警察制度の視察をさせるべく、部下の川路利良という人物をフランスに派遣します。

当時警察制度という点においてフランスの右に出る国はありませんでした。ナポレオン政権下で警察大臣になったジョセフ・フーシェが引くほど緻密な警察制度を作り上げ、第二帝政崩壊直後だった当時でさえ、フーシェが作り上げた警察制度が健在だったのです。この警察は殆どスパイに近く、フーシェはその警察力を駆使して政敵の秘密をことごとく握っていたと言われています。ナポレオンですら常にフーシェを恐れ、何度か彼を罷免していますが、結局フーシェの握る警察が必要になり再登用せざるを得ないという場面が何度かありました。

そんなフーシェが作ったフランスの警察制度と同レベルのものを日本に持ち込もうと、川路はフランスで徹底的に警察制度を調査し、帰国後当時では考えられないハイレベルな警察制度を作ります。

詳細は割愛しますが、その後警察は司法省管轄から内務省管轄になります。内務省は文字通り内政の最高機関です。大日本帝国は立憲君主国ではあるものの、極めて国権の強い体制であり、その代表こそが内務省と言っていいでしょう。例えば明治25年の第二回衆議院議員総選挙では国家が大規模な選挙干渉を行っており、これを主導したのが内務省です。当時の内務大臣品川弥二郎はこの選挙に警察を導入し、死者まで出しています。当時、内務省はそれくらいの権力を持っており、実際に権力を行使するのが警察でした。

話は戻りますが、一話の警察官の台詞はまさに当時の国家権力を行使する者として相応しい台詞と言えます。同時に、台詞一つで大正時代そのものを表現しているちうね先生の手腕にも脱帽です。

 

【第三話】

・万里小路家

万里小路旭初登場回である三話にて、万里小路家について少し語られています。

万里小路家の成立は鎌倉時代で、一説に平家物語の作者とも言われている吉田資経の四男資通が興した家です。日本の姓は源平藤橘の4種類あり、その中でも藤(藤原氏)は藤原北家、藤原南家、藤原京家、藤原式家の4つに分かれますが、万里小路家は藤原北家の支流に当たります。

余談ですが、大化の改新でお馴染みの藤原鎌足の次男藤原不比等には4人の息子がいましたが、長男武智麻呂が興した家が南家、次男房前が興した家が北家、三男宇合が興した家が式家、四男麻呂が興した家が京家です。この中で最も隆盛を誇ったのが藤原北家で、ぶっちゃけ藤原氏を名乗る大体の家が藤原北家です。

更に余談ですが、藤原氏は公家だけに留まらず、例えば上杉謙信でお馴染みの上杉家も藤原北家です(そもそも上杉家は元々は公家なのですが)。そのほか、前記源平藤橘についてもう少し触れると、武田信玄の武田家は源氏、織田信長の織田家は平氏といった具合に、大体の家は源平藤橘のどれかを名乗っているというのが日本の氏族の特徴です。

万里小路家に話を戻します。筆者は個人的な趣味で幕末史の研究をしていますが、当時の史料を読み漁っていてよく目にする名前に万里小路博房がいます。博房は万里小路家25代当主で、所謂尊王攘夷派の公卿として三条実美などとも親しくしており、王政復古後は参与に任じられ、小御所会議にも出席しています。小御所会議では大政を奉還した徳川宗家の官位と領地を全て取り上げる決定がなされ、これに反発した大坂城の旧幕府軍たちが京都へ進軍を開始し、これがきっかけで鳥羽伏見の戦いが起こります。言ってしまえば、徳川慶喜の首を取る為に強引に戦争をやろうと画策した薩長(殆ど薩摩ですが)の陰謀です。

この博房の息子通房が伯爵に叙せられることで、伯爵万里小路家が誕生します。通房は貴族院議員になっており、年代を鑑みても通房が旭の父のモデルである可能性が高いです。

これは旭の父に限った話ではありませんが、本作では登場人物の親について、唯月の父以外具体名が一切登場しません。本作の登場人物たちはあくまで架空の人物であり、例えばここで、「万里小路旭の父は万里小路通房です」と言ってしまうと、歴史的事実から逸脱してしまうことになります。これは筆者の推測ですが、原作のちうね先生はこういった逸脱を避ける為に故意に登場人物の親に関して詳述しないようにしているのではないでしょうか。ちうね先生の努力を無碍にしない為にも、万里小路通房は旭の父の"モデル"であるという、筆者の仮説として述べさせて頂きます。

ちなみに余談ですが、史実では万里小路通房の長女は下総佐倉藩最後の藩主である堀田正倫に嫁いでいます。コミックス2巻のカバー裏で紹介されている旧堀田邸の堀田家です。正倫の父は老中も勤めた堀田正睦ですが、彼は蘭学を奨励しており、蘭学者佐藤泰然を招いて、佐倉順天堂という蘭学塾を開かせています(現在の順天堂大学です)。順天堂出身の蘭学者の一人である関寛斎は後に阿波徳島藩に召し抱えられ、藩主の主治医になります。その時の徳島藩主は蜂須賀斉裕、蜂須賀初野の曽祖父のモデルと思われる人物です(この点は後述します)。

 

【第四話】

・蘇軾の詩

四話2頁目で紡が読めなかった教科書掲載の詩についてです。この詩を書いた蘇軾は中国北宋時代の人物で、日本では蘇東坡の名前の方が著名かもしれません。蘇軾は詩人として著名ですが本職は政治家で、そのほか書、絵や音楽にも長じていました。

四話に登場する詩は蘇軾が書いた「黄州寒食詩巻」という有名な書です。蘇軾は皇帝を誹謗する詩を書いた疑いで逮捕され、黄州(現在の湖北省)に流罪になります。黄州で蘇軾は極貧の生活を強いられることになりますが、その時の状況を読んだ詩が黄州寒食詩巻です。恐らく蘇軾の詩で最も著名な作品でしょう。

日本では蘇軾の詩は鎌倉時代に既に親しまれていたようで、当時漢学をやっていた人からすればかなりお馴染みの名前だったはずです。

 

・蜂須賀家

四話は蜂須賀初野初登場回です。

四話4頁3コマ目で旭が「徳川の血が入っている」と言っていますが、まずここから解説していきます。

江戸幕府の11代将軍徳川家斉にはえげつない数の子があり、ありとあらゆる家の養子になっています。あまりに多すぎてついには外様大名の家にまで養子に行っていますが、その中の一人が阿波徳島藩主蜂須賀家の養子になった斉裕です。この蜂須賀斉裕が13代徳島藩主です。その後斉裕の子茂韶の代で明治維新、廃藩置県を経ます。そして蜂須賀家は侯爵に叙せられます。

年代等から類推して、茂韶の子正韶が初野の父のモデルと思われます。

ここで正韶の妻について触れる必要があります。正韶の妻筆子は15代将軍徳川慶喜の娘です。つまり1話で紡を人攫い呼ばわりしたあの人は徳川慶喜の娘である可能性が高いということです。

従って初野は父方母方の両方で徳川の血を引いていることになります。

 

【第八話】

・末延家

八話では華族令下における爵位の序列について触れられており、末延家は最高位の公爵家であることが語られます。筆者は初めてこの回を読んだ時、末延公爵家など聞いたことがなく、戸惑ったのを覚えています。結論から言うと、末延家は作中に登場する華族階級のキャラクターの中では数少ない架空の家柄です。八話時点の時系列は1921年(大正10年)で、この頃の公爵家は全部で18家あります。前述した旧五摂家を除く13家は明治の太政官政府時代に太政大臣を務めた三条実美の旧清華家転法輪三条家、同じく太政官政府時代に右大臣を務めた岩倉具視の旧羽林家岩倉家、旧徳川将軍家である徳川宗家、徳川慶喜の徳川別家、旧薩摩藩主島津本家、旧薩摩藩主の父島津久光の玉里島津家、旧長州藩主毛利家、初代内閣総理大臣伊藤博文の伊藤家、日露戦争の満州軍総司令官を務めた元帥大山巌の大山家、内閣総理大臣などを歴任した元帥山県有朋の山県家、侍従長として明治天皇に仕えた徳大寺実則の旧清華家徳大寺家、日露戦争時の内閣総理大臣桂太郎の桂家、内閣総理大臣などを歴任した西園寺公望の旧清華家西園寺家です。このように、当時の公爵家で末延家に該当する家は無さそうですが、一方で、九話では唯月の父の名前が末延道実であることが描写されています。旧五摂家の九条公爵家の二代目当主の名前が九条道実で、ひょっとしたら名前だけは九条道実がモデルになっているのかもしれません。ただ、十話で初登場した末延道実が着用している紋付の紋は九条家のものとは異なっており、やはり末延家=九条家というわけでは無さそうです。

 

【第九話】

・島津さん

九話以降何度か登場する島津さんが有名な島津家出身であることは容易に想像できますが、島津家には分家が非常に多く、前述の通り公爵家だけで2家あるほか、旧薩摩藩には支藩が複数あり、それぞれの藩主も島津家の分家であることから、作中の描写だけでは島津さんがどの島津家出身なのかはわかりません。

島津家は薩摩藩77万石の大大名として著名ですが、その歴史は古く、鎌倉時代にまで遡ります。鎌倉時代以前発祥の武家の多くは応仁の乱以降の動乱で滅んだケースが殆どで、明治維新後も生き残った家といえば島津家のほかは清和源氏の嫡流で旧秋田藩主の佐竹家と大江広元を家祖とする旧長州藩主毛利家くらいで(定義の仕方にもよりますが)、更に鎌倉時代から幕末まで一度も国替がなかった家は島津家のみといっていいでしょう。その長い歴史は『島津家文書』などの豊富な資料によってほぼ体系化されており、日本史を語る上で欠かせない名家と言えるでしょう。

 

【第十三話】

・電気機関車

横川駅軽井沢駅間で運行していた電気機関車ED40型について説明します。同話では鉄道の逆走事故にも触れられているなど、当時の鉄道が登坂能力に技術的課題を抱えていたことを活写しています。近代は技術革新の時代であり、本来であれば近代史を主題にした文学作品はエンジニアリング描写を克明にすべきですが、実際その責務を果たしている文学作品は多くありません。その点十三話の電気機関車の描写は同作の歴史文学的価値を大いに高らしめていると言えるでしょう。

現代において、多くの鉄道は「粘着式」という技術を採用しています。車輪とレールの間に生じる摩擦力(粘着力)によって進む仕組みで、車輪を備えた動力機構の最もオーソドックスな動かし方と言っていいでしょう。

基本的に摩擦力は車両が地面から受ける垂直抗力に比例し、垂直抗力は単純な運動方程式で求められます。一方、粘着式の車両が坂を登る場合、垂直抗力は坂の勾配角度に比例して小さくなります(車両にかかる重力に余弦を乗じた値になる為)。当時の機関車の動力は碓氷峠の急坂を登るには足りず、現代のような粘着式を採用することができませんでした。

その為坂路運行用として採用されたのが「アプト式」という技術です。通常のレールとは別に歯形がついたラックレールと呼ばれるレールを設け、そこに歯車を噛み込ませることで坂路で滑らないようにしています。ED40型の場合、ラックレールを3本設け、それぞれの歯形の位相をずらすことでどのサイクルでも歯車がラックレールに噛み合っている状態にして安全性を担保していました。

尚、十三話8頁1コマ目を見るとラックレールが描かれていませんが、ED40型の全区間でラックレールが採用されていたわけではなく、坂路以外では通常の粘着式と同じ方法で走行していました。同コマの描写はどう見ても坂路ではなく、ラックレール区間ではない為、この点も事実に沿った描き方がされています。

 

・蒸気機関車の煤

同話では蒸気機関車から排出された煤で乗客が真っ黒になるという小話が出てきます。蒸気機関車の燃料は石炭ですが、石炭にも色々あります。日本国内でも石炭は採れますが、その質は劣等だったと言われています。

これは一例ですが、日露戦争の時ロシアの第二、第三太平洋艦隊(通称バルチック艦隊)はバルト海から喜望峰を回って日本海までやってくるという世界史上類を見ない大航海の末に日本海海戦で日本の連合艦隊に敗れます(喜望峰を回ったのは第二太平洋艦隊だけですが)。日本が英国と同盟を結んでいた関係で、バルチック艦隊の大航海はことあるごとに英国に妨害されるのですが、最大の妨害行為が良質な石炭を買わせないことでした。バルチック艦隊が石炭補給の為にフランスやドイツが持つ港に寄港しようとしても、英国から圧力を受けてどの国も入港を拒んだりしていました。一方ロシアはドイツと同盟関係にあり、バルチック艦隊が使う石炭の供給はドイツのハンブルグアメリカン社という会社が受け持っていました。しかしハンブルグアメリカン社もまた英国からの圧力によって悪質な石炭を買わされた為、バルチック艦隊の艦船は真っ黒な煙を出していました。このバルチック艦隊が使っていた石炭こそ、日本産の石炭でした。ちなみに日本は日英同盟によって当時世界で最も良質と言われた英国産の石炭を使っていた為、煙は綺麗だったと言われています。

排煙に含まれる煤というのはカーボンのことで、工学的観点から見ると燃費が悪いとカーボン量が増えるというメカニズムです。正確には燃焼温度にも関わってきますがここでは割愛します。

当時鉄道省が日本炭と英国炭のどちらを使っていたのかは分かりませんが、技術史的に見ると燃費が重要視されるのは遥か後年のことですので、大正年間にわざわざ高価な英国炭を輸入していたとは考えづらいです。艦船は索敵されるリスクを減らす為に排煙が黒いことは好ましくなく、良質な英国炭を使っていましたが、そのような事を懸念する必要がない鉄道の分野では、やはり日本炭を使っていたと考えるのが自然です。最も、鉄道省がどちらの石炭を採用していたとしても、電気機関車の導入により紡たちが煤まみれになることは避けられている為、きらら的には問題ないと言えるでしょう。

 

【第十五話】

・一条家

唯月と雪佳の回想シーンにて、雪佳が一条家の分家、一条男爵家の出身であることが語られています。前述の旧五摂家の一条公爵家が一条家の本家です。

恥ずかしながら筆者は一条家に分家があることを知らず、初めてこの回を読んだ時はかなり狼狽しました。元来一条家は鎌倉時代に九条家から分かれてできた家で、室町時代の大学者一条兼良などの著名人も多く排出しています。一条兼良の長男で関白も務めた一条教房が土佐国(高知県)に下向して成立した土佐一条家が一条家の分家にあたります。しかし土佐一条家は天正年間に後に四国全土を支配する長宗我部元親に敗れて没落します。土佐一条家そのものは筆者も知っていましたが、てっきり長宗我部元親との戦いで滅ぼされたと思い込んでおり、明治以降に残っているのは本家のみだと思っていたのです。

実際、土佐一条家は長宗我部氏滅亡後に滅んでいるのですが、明治になって一条公爵家から分かれる形で再興されました。この家が雪佳の一条男爵家です。

 

【第十九話】

・久我家

千歳の家が久我侯爵家であることが明かされる回です。久我家は清華家の家柄で村上源氏の嫡流です。岩倉具視の岩倉家など、村上源氏の公家は多く存在しますが、その殆どがこの久我家の支流で、久我家はまさに村上源氏の本家と言っていいでしょう。その証拠に、久我家は全ての源氏一族の長者である源氏長者の地位にあった時期もあります。最も武家で清和源氏の嫡流である足利将軍家が氏長者だった時期があったり、徳川家康が幕府を開いてからは徳川将軍家が氏長者になったりと、時代の流れに翻弄されています。最も徳川氏が清和源氏であることについては議論の余地が大いにあるのですがここでは省きます。

このように、日本を代表する一族である源氏の中でも最も格式高い家柄の一つが久我家です。

 

【第二十五話】

・橘家

二十五話で初登場し、男のくせにこの後の物語にも大きく関わってくる橘公貞についてです。

橘家という家も、末延家同様華族では名前が見当たらず、架空の家柄と思われます。三十五話で侯爵家であることが語られていますが、該当する侯爵家は存在しません。また、名前の公貞も「きみさだ」とルビが振ってありますが、公家の諱に使われる公の字の多くは「きん」と読むケースが殆どで(西園寺公望など)、この点も意識的に関連付けないようにしていると思われます。

先程も少し書きましたが、日本の姓は源平藤橘の四姓がありますが、この中でぶっちゃけ一番パッとしないのが橘氏です。橘公貞の橘家との関係は不明ですが、作中の橘家が架空の家柄である傍証の一つとして、パッとしない橘氏について説明しておきます。

まず源平藤に比べて橘氏が輩出した著名人は圧倒的に少ないという点が挙げられます。最も著名な人物は恐らく奈良時代に左大臣を務めた橘諸兄でしょう。しかし息子の奈良麻呂が当時橘氏と対立していた藤原仲麻呂を討とうと画策したのが露見して獄死するなど、その権勢はあまり長続きしません。ほかには第十八次遣唐使のメンバーとして空海と共に唐へ渡った橘逸勢なども著名ですが、この人物も朝廷内の権力闘争の末失脚し、これも含めた一連の政変である承和の変の結果、藤原北家の藤原良房によって橘氏の勢力が一掃され、それ以来歴史上の登場頻度が激減します。ちなみにこの承和の変によって政敵を全て消し去った藤原良房は立身し、皇族以外で初めて摂政の座に就き、藤原氏の摂関政治の礎を築きました。

このような背景があることから、その後も橘氏を名乗る家は源平藤に比べて極端に少なく、試しに筆者が専門としている幕末の人物で橘氏を名乗る人物を挙げてみても、精々歌人の橘曙覧くらいしか思いつきませんでした。

以上のことから、作中に登場する橘家は架空の家柄で、モデルとなる家、人物があったとしても他の登場キャラクターのように直接名前を使っているわけではないと考えられます。

 

◯まとめ

以上、「紡ぐ乙女と大正の月」を歴史学的観点から解説してきました。割と趣味的なものが多くなってしまい申し訳ないです。まとめ方が雑になってしまったので今後も気まぐれで解説を追加するかもしれません。

最初に申し上げた通り、本作は緻密な歴史考証の上成り立っている大変価値ある作品です。筆者はきららキャラット本誌で読みつつコミックスも毎巻買っていましたが、今回本稿を執筆するにあたってもう一度最初から読み直し、改めて原作者ちうね先生の手腕に脱帽する思いです。筆者も研究論文を書く時にこのような姿勢を大いに見習わなければならないと痛感しています。素敵な作品を本当にありがとうございました。

 

〇その他のきらら作品解説

他作品についても主に歴史解説をしておりますのでよろしければ。

 

・魔法使いロゼの佐渡ライフ歴史解説↓

 

・花唄メモワール歴史解説↓

 

 

〇きらら作品聖地巡礼レポート

普段は聖地巡礼記事を書いています。併せてご一読頂ければ幸いです。

つむつきの聖地もそのうち行きたいです。

 

・しあわせ鳥見んぐ聖地巡礼レポ↓

 
・星屑テレパス聖地巡礼レポ↓